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放射能に劣らず村人が恐れているもの

飯舘村の悲劇(後篇)

2011.10.20(木)

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 「よく見ていってください。そのカメラで写真に撮って伝えてください。この大地が荒らされてしもうたんです。ほれ、この土地です」

 目の前の雑草の草原は、このおじいさんの田んぼだったのだ。

 「津波で壊されたところも大変なんだろうけど。大変なんだろうけど・・・」

 おそらくこれまでの人生で声を荒げたことなどないであろう、穏やかそうなおじいさんが、涙で声を詰まらせていた。

 「ここは見た目には何も変わらんのです。何も変わらんから、よけいに立ち去るのがつらくて。つらくて・・・」

 後は言葉にならなかった。

 沈黙が秋の空気を満たしていた。私は唇をかんだまま、おじいさんの顔を見つめた。きっと、村人全員が同じ苦難に遭っている中では、悲しみを表に出すことすらためらわれるのではないか。

 私は考えた。ずっと米をつくってきた土地を奪われたこの人を、何に例えればいいのだろう。船をなくした漁師。言葉を無くした詩人。子供を失った親。

 もっと仲間を連れてきてください。たくさんの人にこの村を見てほしい。何かが起きるきっかけになるかもしれんから。

 そう言っておじいさんは立ち去った。エンジンの音が遠くに消えると、また虫の音と風の音しか聞こえなくなった。

 あたりは暗くなり始めていた。誰もいない。山の端に日が沈もうとしている。

打ち砕かれた元コンピューター技術師の夢

 福島第一原発から発生した高濃度の放射能雲に襲われた山村、福島県飯舘村の報告を続ける。

 6000人の村人は村の外に避難した。とはいえ、以前本欄で書いた20キロ圏内の立ち入り禁止区域(=「警戒区域」)のように、無人になったわけではない。警官が検問をしているわけでもない。村人が退去しなくてはいけないほど線量は高いのに、出入りは自由だ。車は県道を行き交っている。工場は操業している。村人は忘れ物を取りに、あるいはイヌやネコに餌をやりに、戻ってくる。

 そのまま退去せずに残っている人たちもいる。

 「今日、玄関に置いたら(毎時)3、4マイクロシーベルトありました。田んぼに行ったら7~8に上がります」

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