「よく見ていってください。そのカメラで写真に撮って伝えてください。この大地が荒らされてしもうたんです。ほれ、この土地です」
目の前の雑草の草原は、このおじいさんの田んぼだったのだ。
「津波で壊されたところも大変なんだろうけど。大変なんだろうけど・・・」
おそらくこれまでの人生で声を荒げたことなどないであろう、穏やかそうなおじいさんが、涙で声を詰まらせていた。
「ここは見た目には何も変わらんのです。何も変わらんから、よけいに立ち去るのがつらくて。つらくて・・・」
後は言葉にならなかった。
沈黙が秋の空気を満たしていた。私は唇をかんだまま、おじいさんの顔を見つめた。きっと、村人全員が同じ苦難に遭っている中では、悲しみを表に出すことすらためらわれるのではないか。
私は考えた。ずっと米をつくってきた土地を奪われたこの人を、何に例えればいいのだろう。船をなくした漁師。言葉を無くした詩人。子供を失った親。
もっと仲間を連れてきてください。たくさんの人にこの村を見てほしい。何かが起きるきっかけになるかもしれんから。
そう言っておじいさんは立ち去った。エンジンの音が遠くに消えると、また虫の音と風の音しか聞こえなくなった。
あたりは暗くなり始めていた。誰もいない。山の端に日が沈もうとしている。
打ち砕かれた元コンピューター技術師の夢
福島第一原発から発生した高濃度の放射能雲に襲われた山村、福島県飯舘村の報告を続ける。
6000人の村人は村の外に避難した。とはいえ、以前本欄で書いた20キロ圏内の立ち入り禁止区域(=「警戒区域」)のように、無人になったわけではない。警官が検問をしているわけでもない。村人が退去しなくてはいけないほど線量は高いのに、出入りは自由だ。車は県道を行き交っている。工場は操業している。村人は忘れ物を取りに、あるいはイヌやネコに餌をやりに、戻ってくる。
そのまま退去せずに残っている人たちもいる。
「今日、玄関に置いたら(毎時)3、4マイクロシーベルトありました。田んぼに行ったら7~8に上がります」
-
原発は潜在的核保有国となるための隠れ蓑 (2011.10.13)
-
報道人は食っていけるか、生き残れるか? (2011.10.12)
-
放射性物質に狙い撃ちされた村 (2011.10.06)
-
略奪されたコンビニの暴力的な現実 (2011.09.29)
-
米国ベイエリア発、いま最もホットなベンチャー企業 (2011.09.28)
-
寒気を覚えた無人の町の異様な空気 (2011.09.22)
-
マスコミは泣きじゃくる被災者に堂々と取材せよ (2011.09.07)
-
スマートテレビが変えた映像産業の事業モデル (2011.09.07)
-
今年もあの日がやって来る、「カレンダー記事」で紙面を埋める日が (2011.08.25)