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【中共】満州での日本人送還事業、喧伝のネタに
終戦の混乱の中、中国東北地方に残った日本人105万人の引き揚げが始まってから今年で60年。送還事業の拠点で、引き揚げ者には「コロ島」の名で知られる遼寧省葫蘆島市で25日、その記念行事が初めて開かれる。日中関係が冷え込む中、中国側はこれまで積極的に取り上げることのなかった引き揚げの歴史を通じて、両国の国民感情の改善を進めようとの姿勢を強めている。
行事の主催は中国人民対外友好協会など。日本からは村山富市元首相(日中友好協会名誉顧問)ら200人以上が出席予定で、引き揚げ者も多数が参加する。式典での「平和宣言」のほか、引き揚げ港近くに建設予定の「和平公園」の起工式や記念植樹も行われる。関係者によると、中国側からは唐家●(タン・チアシュワン)国務委員が出席する見通しだ。
旧満州は終戦直後、共産党と国民党の支配地域が分かれた。旧ソ連軍の終戦直前の参戦もあり、極めて混乱した状況下で、米軍と国民党に共産党が協力して葫蘆島からの残留日本人の送還事業が46年5月に始まった。その後、この地から舞鶴港などに送還された日本人は105万人に上る。
共産党政権はこれまで、台湾の国民党が主体となった送還事業の歴史について積極的な取り組みをしてこなかった。中国の近現代史研究者の中には90年代に研究申請を出したが認められなかったと話す人もいる。
ところが昨年、国民党の連戦(リエン・チャン)主席(当時)が訪中し、胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席と会談するなど、同党との和解が進んできたことを受け、引き揚げの歴史についての宣伝活動に踏み込み始めた。昨年には国営新華社を始めとした中国メディアが相次いで送還事業を取り上げ、研究著書の出版が行われた。
今回の記念行事の開催も中国側の呼びかけによるものだ。中国側関係者は「引き揚げ事業は日中双方にとって友好の歴史と受け止めることができる好ましいものだ」と話す。行事開催を通じて、昨年の反日デモなどを通じて反発し合う両国間の国民感情を改善させたいとの狙いもあるという。
同時に引き揚げについての中国側の研究も進む見通しだ。遼寧省社会科学院の張志坤研究員は「引き揚げは軍事行動とされたため、まだ未公開の資料は多いはずだ。今後、積極的に調べていきたい」と話す。中国側で引き揚げにかかわった人々の聞き取り調査も予定されているという。(●は王へんに施)
しかも、「中日戰爭」直後にも拘らず日本人に優しく接した、という都合の良い史観の押し付けも。
そして実際の旧満州は、「平和」だの「和平」だの、そういう言葉からかけ離れた地になっていたのですが。
結果として彼ら(國民党)が日本人を送還したかもしれませんが、そこで日本人が被った惨禍から目をそらされてはいけません。
■米田健三「引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐」『正論』(11月号、P.238〜)
「これまで親しくしていた満人の友も匪賊と化して襲ってくる」
「日本人は皆殺しだと宣告され、幼児までが中国語で話せと強要されたこともある」
いつの間にか満人の農民に取り囲まれていた。度重なる略奪に身ぐるみはがされた私たちに、子供を売れと強要するのである。男の子が三百円、女の子が五百円だという。
母と二人で満州の原野を歩いていた。脇からあらわれる満人たちが、僕の体に手をかけて引っ張るんだ。 食べ物をちらつかせ、子供を寄こせ、子供を寄こせという。母は、僕を取られまいと、必死になって僕の手を握っていた。
敗戦の弱みにつけこんで、路傍でわずかな物やカネと引き換えに「くれ」というのだから尋常ではない。
当時の遅れた農村社会の中国・満州にあって、子供は将来の労働力。ましてや、東洋鬼の日本人の子は、奴隷要員ですよ。カネで買うとき、男の子より女の子のほうが高かったのは何故だかわかりますか? 少なくとも、当時の中国では女の子が大きくなったら“商品”になったからです。
■H18. 2.15 東京地方裁判所 平成13年(ワ)第26261号 損害賠償請求
判決
第1 認定事実
中国東北地方全土において,ソ連軍兵士による発砲,物資の略奪,婦女暴行が頻発し,多数の日本人難民がこの被害を受けた(中国人にもソ連軍兵士から同様の被害を受けた者が出た。)。
さらに,満州国史編纂刊行会編「満州国史総論」(甲47)には,開拓団の難民化,越冬状況について,次のような記述があり,当時の一般的な事情を伝えるものと認められる。
「・・・最も悲惨をきわめたのは,国境方面や開拓団の人々で,避難途中の山野で力つきて斃れ,あるいは足手まといとなった瀕死の幼児を棄て,飢えと寒さと闘いつつ野宿を重ね,難行を続けたのであった。しかも満身創痍のか弱い婦女子が,ソ連兵によって辱められた事例が多かったのである。・・・」
原告Cの開拓団は,太古洞で越冬することになった。情報も援助も入ってこなかった。ソ連兵が略奪や強姦を目的に襲ってくることや,中国人匪賊が物を奪いにくることが何回もあった。
■『ソ連が満州に侵攻した夏』半藤一利(文芸春秋)
葛根廟駅近くの平原に逃れてきた婦女子を大半とする2千余人の日本人避難民が、ソ連軍機甲部隊に追い付かれたんだ。まず、戦車隊の14台が避難民を蹴散らし、踏み潰していった。それを向かいの丘で見ていたソ連兵は「まるでマッチの軸がはねられ、潰されるようであった」と証言。さらに、自動車隊からソ連兵が降りて来て、マンドリン(機関銃)掃射を幼児にも情け容赦なく浴びせ掛け、最後に銃剣でトドメを刺していった。あたり一面は血の海。なぶり殺しにされたのは千数百人。満州のある都市での出来事。侵攻したソ連軍は、日本人女性200人を一般人が大勢いる路上で白昼堂々、強姦しはじめた。4歳から70歳を超える老人までが輪姦された。悲鳴、嗚咽、絶叫、その場は地獄となった。舌を噛み切って自ら死を選ぶ者、噛み付いた挙句に撲殺される者、中には性器を抉り取られて殺害された人もいたという。たまたまある列車を覗いた者は悶絶した。そこには日本人女性3名が素っ裸にされ、虫の息で横たわっていた。一人は恥毛も十分に生え揃わないあどけなさを残す少女で、恥部が青黒く腫れ上がっていた。
【参考文献】
文藝春秋 (2002/08)
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【関連文献】
コメント
残留孤児が出来た原因を作りながら、中国が育ててやったんだから感謝しろみたいな事をどこかで言っていた様な気がしますが、うろ覚えなので間違っていたら先に謝っておきます。
うん
あと、眉毛爺さんくれてやるから好きにしていいよ。
>露助だかチャンコロだかのせいで親戚があのとき行方不明になってる
その辺の細かいお話を聞きたいです。
残念ながら詳しく伝わっていないです。小学校卒業後開拓団で渡満して、のち軍属(多分満軍)になったのですが、戦闘で行方不明になったのではないようです。多分何かの任務で隊を離れた後行方不明に。兄弟姉妹は高齢化してるし、暇ができたらじっくり調べてみたいと思っているのですが。
……にしても、よくもまあ利用してくれるものだ、腹が立つ……。
お手数ですが、是非に詳細を調べていただきたいものです。
結果をまとめていただけたら、記事として掲載します。
超遅レス申し訳ありませぬ。
いつになるか分かりませんが自分としても詳細を知っておきたいことですので。
しっぽ巻いて逃げちゃったんじゃないの?
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お祭り騒ぎだけじゃなくて、引き揚げ途中での行方不明者の消息もちゃんと調べてくれるんだよね?中国側の犯罪行為の究明と処罰もきちんとやってくれるんだよね?