<この国はどこへ行こうとしているのか>
日がな一日、本を手放さないことで知られる人が、高校生のころ「家出」をしたことがあると何かで読み、驚いた記憶がある。「そんな大層なものじゃないんだ……旅だよ、旅」
北陸の小都市に生まれ、貨物列車の車掌に憧れた少年は長じて、「本よみの虫」となり、明治から大正、昭和、平成という歴史空間を自在に行き来するようになった。
そんな関川夏央さんに3・11以降の印象を尋ねた。
「どうなんだろうねえ、そうひどくもないし、良くもない、じゃないかね。どの時代に生きた人でも『昔の方が良かった』と言うんだ。古いアルバムを見て心が温まるのと同じ。『徒然草』にもそう書いてある。人の感情としては自然なんだろうけど、それはそれ。あまり言い過ぎると、ろくなことが起こらないよ」
冷静な目だった。
敗戦から4年後に生まれた関川さんは、「昭和」という時代にどっぷりとつかった団塊世代にあたる。「戦後」の貧しさを知り、技術革新と大量生産による「高度経済成長」で物質的豊かさを享受し、オイルショックでマイナス成長に転じた時期に青年期を過ごした。持って生まれたものだけでなく、その時代にたまたま生きたからこそ刻まれる偶然の体験がある。関川さんはそれを「時代の刻印」と呼んだ。
昨日よりも今日、今日よりもあしたが良くなると信じた高度大衆社会は、今や幻想となり、今回の大震災は、<技術の進歩が人間の進歩につながるという楽観>(「砂のように眠る」)も突き崩した。それは私たちにどう刻印されたのか。
3週間前、電話で取材の約束を取り付けた時の言葉が耳から離れない。「この国はどこへ行くって? もうピークを過ぎているよね」と。
真意を尋ねてみた。
「被災地はまず復興だよね。でも他の人たちは日常の継続だけじゃないの」。3・11以降、この国のあり方を根本から「変えよう」と主張する論者たちとは正反対の意見ではないか。そう指摘すると「あんまり変革すると良くないと、歴史は教えているよ。そもそも我々日本人のセンスって、大体が200年余り前から続いているんだ。落語やソバ、風呂が好きなのをはじめ、平和や日常に対する好みもそれだよ」。近現代で劇的に変化したのは、欧米列強の植民地化への危機意識から決起した「明治革命」だけという。
利己主義がはびこる現代を、かつて関川さんは<なにごとに対しても自分の快不快と幸不幸の基準に照らして判断すればこと足りる社会>と喝破した。「でもさ、自分さえ良ければいい、というのは微妙で、あまり責められないよね。結局それは民主主義の根幹だから。皆のことを考えなければいけないというのは、押しつけがましい学級会みたいなもので、突き詰めれば“社会主義”になる。戦前の国家総動員体制を敷いた陸軍参謀本部の失敗はまさにそれ。日本の教育が良くないのは、戦前の歴史をちゃんと勉強しないこと。簡単に結論付けたがるのは、戦後教育の失敗だよ」
汽車好きで、震災前に岩手県の三陸鉄道南・北リアス両線などを巡ったことがある。「田老に寄った時、高さ10メートルの二重防潮堤を見たんだ。3階建ての屋上ぐらいの高さで上ると息が少し切れてね。チリ地震津波(1960年)を余裕で防いだんじゃないか。でも町の中心から海が全く見えないし風も通らない。『歴史に学び過ぎ。自然破壊だ』と思ったんだけど、今回の津波にははるかに及ばなかった。だから、俺は歴史に全然学んでいないわけだよ。地元住民も大丈夫だと思ったらしいんだな。歴史に学ぶということが一体どういうことかって、それは答えられなくなっちゃったね」。苦そうに語り、お冷やを飲み干した。
それでもなお、聞いた。大震災、原発事故という「時代の刻印」に、どう向き合えばいい?
「日本の戦後はいろいろあったけれど、さまざまな努力を積んで復興成長し成熟を果たした。物を食べられるようになり、長生きできるようになった。最大限の努力を払って、異常な高齢化社会になった。これは成功なんだよ。年金・医療で金が足りないとか言うけど、国民皆保険制度を持った国がどこにある? 日本も落ち目だけど、世界の落ち目の方がもっとすごい。もっと誇りに思ったらどうか!」。声は突如大きく、早口になった。
「一番の問題はこれを否定的に考えていることだよ」
人口動態の細かなデータをそらんじてみせた。「日本は平和になった17世紀から、100年足らずで人口が3000万人と、2倍に増えた。当時のイングランドのエリザベス1世時代でさえ500万人なのに。05年から人口停滞期から減少期に入ったけど、これはどの先進国も経験したことのない未知の領域なんだ」
作家は「だからさ」と続けた。「高齢者の定義を75歳以上にして、社会的・家族的な務めを果たせる社会を目指す。そうすれば老人人口も80年代半ばと同じになる。60~75歳までの労働力、経験というのは得難い。働きたい人にはどんどん働いてもらう。理想は働きながら死ぬ……武士の討ち死にと同じ。本来的に日本人の特性はそれだよ」
過去にとらわれない生き方。関川さん、モヤモヤがすっきり晴れた顔になった。
「暗くないんだよ。俺だって還暦になったら、そろそろ整理しなきゃいけないとか思っていたけど、いざなってみたら思わないんだ。要するに人間は自分の加齢、歴史に鈍感なんだな。自信を持って『明るい老人』を目指す。経済規模を拡大しなくても、ちゃんと金が回るような世の中にしてさ。同じ道を進んでいる中国や韓国も我々のやり方をしっかり見ているはずだし。なんにもしない老人になりたくない、やっぱり働いていたいんだよね」
独立自尊の強い意志に導かれた明治、大衆文化が花開いた大正、戦争の時代だった昭和。平成はどんなくくり方をされるのだろうか。「日本人のセンスは変わらないよ。白か黒かになりがちだよね。だから“若いおじいさん”の知恵で、『まあ、いろいろあるけど、適当なところで……』というのがいいと思うよ。決めすぎると、ろくなことがないからさ」
未知の領域に挑む「明るい老人」たち--そんな国も悪くないかもと、不思議と思えてきた。【中澤雄大】
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■人物略歴
1949年、新潟県長岡市生まれ。神戸女学院大特別客員教授。85年に「海峡を越えたホームラン」で講談社ノンフィクション賞など著書多数。近著に「子規、最後の八年」「日本人は何を捨ててきたのか」。
毎日新聞 2011年10月21日 東京夕刊