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拠点占拠運動としてのOWS - 派遣村がヒントを与えた
浮薄なマスコミや凡俗な評論家は、OWSの運動スタイルについて、FacebookだのTwitterだのソーシャルネットワークの通信にばかり着目し、ありきたりの退屈な講釈を垂れて紙面と画面を埋めている。的外れな愚論や駄弁を並べて商売に勤しんでいる。ソーシャルネットワークの情報発信など、この運動のキーでも何でもない。最も重要な点は、公園占拠という作戦方法である。ナオミ・クラインは次のように言っている。「多くの人がOWSと、1999年にシアトルで世界の注目を集めた、いわゆる反グローバリゼーション抗議運動との類似点を比較しています。あれはグローバルで、若者主導で、分散型の運動が、企業の力に対して直接的に狙いを定めた最後の時でした。(略)しかし、重要な違いもまたあるのです。例えば我々は目標として、WTO、IMF、G8といった、サミットを選びました。サミットはその性質上一時的なもので、一週間続くだけです。それはつまり、私たちもまた一時的なものであったということです。私たちは現れ、世界中のメディアの見出しを飾り、そして消えました。(略)一方、OWSは、固定された標的を選びました。あなたたちは、ここでの自分たちの存在に、終了期日を設けていません。これは賢明なことです。あなたたちが居続けるその間だけ、あなたたちは根を伸ばすことができるのです。これは決定的なことです」。
 

このナオミ・クラインの指摘こそが当を得ている。正確な分析と評価だ。ベース・キャンプを設営する方法が戦略として設定され、その場所に世界中のマスコミの注目を集め、映像でメッセージを発信し続けるというプログラムが設計されている。ナオミ・クラインが言うとおり、これが運動成功のポイントだった。この方式で運動を起こせば、マスコミの報道は定点観測になり、記者とカメラが常時張り付くのである。そして、運動の増殖とモメンタムの拡大を誇示でき、支持と共感の輪をさらに押し広げられる。デモの「動」と集会の「静」を二つ同時に見せられる。24時間シームレスなアクションになり、情報発信は途切れず、新しい動きを喚起させ、インターネットで世界中の目を釘付けにできる。ズコッティ公園(リバティ広場)こそが運動のステージであり、そこがプレゼンテーションの現場なのだ。運動主体の素顔も、彼らの要求と主張も、集団としての属性や生態も。OWSは、その映像の説得力で世界中の人々の共感を得た。どういう運動なのかという興味や期待や疑問に対して、全てを見せて情報提供することができた。誰かがスポークスマンになるのではなく、徹底した全員参加型で、全員でメッセージを発信したが、それはまさに、公園占拠という拠点環境を持ったがゆえに可能だったことだ。

直接民主制の原理の徹底という観点からも、公園占拠の拠点戦略は理に適っていて、直接民主制の自治(コミューン)でやる以上、この運動の基本単位は大きすぎてはいけないのである。活動する範囲と規模を限定したものでなくてはならない。各自が責任と役割を分担する全員参加型の運動体にするためには、拠点という自己完結された物理的な空間単位が必要なのだ。Occupy Wall Streetから始まったOccyupy運動は、必ず、Occyupyの次に地名が来る形式で運動が独立していて、それぞれは支部ではなく、中央(NY)から指示を受ける組織体制になっていない。運動の組み立ては、各Occupyが独自に考案して実践に移すのであり、いわゆるネットワークの仕組みである。ブルックリン橋で700人が逮捕され、OWSがマスコミで報道されたときから、この運動はそういう態勢になっていた。コミューンは地域を割拠する運動だ。占拠した拠点で抵抗し、拠点を増やし広げる運動である。そしてまた、その革命運動は、割拠した拠点空間の中で、後に全面化する(させる)であろう理想社会の原型を作ろうとするのであり、従来の悲願であった権利環境や人間関係や社会制度を実験的に構築するのだ。パリ・コミューンがそうであり、1927年の広州コミューンがそうであり、中国とベトナムの解放区の歴史がそうである。コミューンの運動は、常にユートピアのモデルを志向し、理想に挑戦する性格を持つ。

さて、このOWSの公園占拠の戦略が、どこから発想されたものかは、非常に興味深い問題である。この設問については、最も公式的な説明として、1932年のボーナスアーミー事件を取り上げる指摘がある。大恐慌下、失業中の退役軍人とその家族2万人がワシントンの河川敷にキャンプを張り、政府に退役軍人への支給金を請願した抗議行動だったが、マッカーサーの命令による軍の鎮圧で、幼児2名を含む数名が殺害され解散させられた。米国の近現代史の汚点の一つである。昨年、私はこの話を宇沢弘文の講演で聞き、マッカーサーの冷酷な人格と極右反共の実像を知った。他にも、1960年代の公民権運動やベトナム反戦運動の中で、同様の、一か所に集結して解放区化するアクションはあったかもしれない。特筆すべき事例を一つ挙げるとすれば、1969年8月のウッドストックのコンサートがあるだろう。参加者40万人。OWSの源流に位置づけておかしくない。右翼が編集し改竄する日本のネットの情報には、ウッドストックが反戦と平和の祭典であった事実は何も触れておらず、単なるロックコンサートとして紹介されている。そして、本を読まず、知識をネットで簡単に入手しようとする若い世代が、こうしたバイアスがかかった悪質なデマ情報で騙され、洗脳されて、大量の右翼ロボットが日本で生産されるのである。どこかで、ネットの情報全体を本格的に除染し、右翼による歪曲と捏造を洗浄する必要がある。

ボーナスアーミー事件、ウッドストック、これらは米国史に見出せるOWSの源流である。だが、私は、もう二つほど公園占拠の着想を与えた事件があったと推測する。一つは、今年2月のエジプト革命。タハリール広場に市民が集結し、広場を民主化デモの象徴的拠点として占拠、そこに寝泊まりして動かず、世界中のマスコミに24時間中継で報道させた。最後は数十万人の群衆に膨れ上がり、ムバラク政権の打倒に成功する。占拠期間は1/25から2/12までの19日間。ここにも、ケイタリング等のロジスティックスがあった。もう一つは、3年前の日比谷公園の年越し派遣村である。12/31から1/5まで6日間。このアクションは、政治的な抗議行動ではなかったが、ズコッティ公園の映像を見て、われわれ日本人が反射的に連想に至るのは日比谷派遣村であろう。公園に人が集まって寝泊まりしている。集会もしている。テントや食事のサポートがある。派遣村は拠点運動であり、ある種のコミューンだった。リバティ広場のOWSを撮影した絵には、必ず緑の木立が背景に入っている。その公園の樹木の風情が、日比谷の年末年始の記憶に結びつくのである。日本の派遣村の情報は、APやロイターで報道されて北米の人々の間でも話題になったし、とりわけ、Changeの運動を担っていた左派の知識人や活動家には興味深い事象だったことだろう。国境を越えて瞬時に情報が伝わる現在、事件や運動は、文字ではなく映像によって説明され、概念形成されるものだ。

日比谷派遣村の映像情報が、運動のスタイルの概念となり、OWSの企画を組み立てるアイディアのヒントになったのではないか。と、私は推測する。以上が今回の記事の内容である。今、私は、パリ・コミューンの歴史の調べ直しの作業と同時並行で、『チョムスキーの「アナキズム論」』(明石書店)を読んでいる。OWSの運動を政治学(政治思想史学)的に解明する上で、日本語の文献として必読の書だろう。本の紹介については、また別の記事で試みたいが、訳者の木下ちがやが、自身が2008年の洞爺湖サミットに反対する運動に参加したときの体験を「あとがき」に書いている。その「あとがき」には訳者自身の自己紹介があって、訳者はもともとマルクス主義の学徒だったそうだが、この本の翻訳を2005年から始め、4年間のうちにアナキストに接近(転向)したのだそうだ。何とも軽薄な臭いが漂うが、以下の部分がOWSを考える参考になるので引用したい。「この取り組みの中心は札幌や洞爺湖周辺に『キャンプ』を設置し、そこからG8の会場にむけて抗議行動を繰り返すというものである。これは2000年のイタリア・ジェノバにおけるG8反対闘争以降の反グローバリズム運動の直接行動のなかで形成された抗議形態である。ここに海外から数百人の活動家が参集し-おそらく日本の運動では初めてのことである-日本側の参加者とともに共同で運動やロジスティックスを作り上げるというスタイルがとられた」(P.441-442)。

「参加者の多くはアナキズム的な理念を持った活動家だ。この運動を取り上げた大メディアの報道では『暴力的』『テロ集団』といったような表象がなされていたが、僕が見た限り、実際参加したアナキストあるいは『アナキスト的』な人たちの多くの関心と要求は、どれだけG8や警察に対して急進的な行動ができるかということよりも、たとえば(日本の運動でありがちな)実行委員会や執行委員会が方針を決めて、それにみんな整然と従うようなあり方ではなく、参加者一人一人が決定や議論に主体的に参加し、キャンプの運営やデモのあり方についても『上から』ではなく、それぞれの自発性にもとづいてやり抜くことを徹底しようということであった。だから『キャンプ』はただ寝食をするだけの場ではなく、それ自体が国家や資本主義的経営にはできない、多様性を重んじ誰しもが『大人』として振る舞える、つまり資本主義的なものとは『別』の世界たらねばならなかったのである」(P.442)。この一節は、最初に紹介したナオミ・クラインの言葉と重なって興味深い。ただ、実行委員会や執行委員会が方針を決めるのは、何も日本の市民運動や労働運動だけではなく、欧米も基本的に同じだろうし、この訳者は何か勘違いをしている。こういう軽々しい論法や口調で戦後日本の運動を批判したり、近代の社会主義の運動を否定するのは、アカデミーの若い脱構築主義者の常套句で、不愉快な気分にさせられる。「ありがちな」と言いつつ、この若い訳者は、実際には何の市民運動の経験もないのだろう。

観念的に思い込んでいるだけだ。それと、日本の運動の内実も知らないのに、単純に、欧米の運動のスタイルを無条件に美化し絶賛してしまう。先日のオキュパイ・トウキョウでも感じた問題だが、これについては今回は詳しく述べない。


 
by thessalonike5 | 2011-10-21 23:30 | Trackback | Comments(0)
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