福島第1原発から30キロ圏内にある福島県川内(かわうち)村のコメ農家、秋元美誉(よしたか)さん(68)が3日、25アールの水田に実った有機米を収穫した。同村は国が定めた作付け制限区域だが「自分の田んぼへの影響も知らず、放射能との闘いに勝てるはずがない」と5月、苗を植えた。コメは出荷せず、放射線量を測って廃棄する。「放射能をどう克服するか。福島の努力を兵庫の人にも知ってほしい」と訴える。(木村信行)
秋元さんは3・5ヘクタールの水田を持つ。15年前から無農薬とアイガモ農法に取り組み、2007年には福島県代表として皇居にコメを奉納した。
「コメさ作ってんじゃない。土さ作ってんだ」。牛のふんを2年間発酵させた堆肥と、阿武隈山地の腐葉土を混ぜ、甘いコメが育つ土壌を作ってきた。
そこへ原発事故が起きた。夫妻で長女の住む同県田村市に避難。川内村の水田は原子力災害対策特別措置法に基づき、作付け禁止になった。
だが、秋元さんは「自分の田で育てたコメからどれだけセシウムが出るか試さんと、納得できねぇ」と思った。村役場からは「(他の農家と)足並みをそろえて」と止められたが、田植えを実行。作付けは全体の1%の25アールにとどめた。罰せられる覚悟だった。
「美誉は何やってんだ」という批判が聞こえてきた。「(東京電力の)補償に悪影響がある」という声もあった。
だが風向きの関係もあり、川内村の放射線量は低濃度で推移。秋元さんの田は9月末時点で毎時0・25マイクロシーベルトで、作付け可能な福島市の5分の1以下だった。近くの農家の男性は「秋元さんがコメを作らなかったら、川内の田の汚染は分からないままだった」と話す。
周辺には、雑草がのび放題の水田が広がる。収穫した稲穂は自然乾燥させ、11月に自己負担で放射線の検査をする。近くの畑で作ったナスやアズキの放射性ヨウ素やセシウムはすべてND(検出限界以下)だった。コメは規制値以内でも廃棄するつもりだという。
「捨てるコメを作るのはつらい。でも国の言うことだけ聞いとっても農業は再生せん。東電の補償頼みなんて、もってのほかだっぺ」。秋元さんは言った。
【川内村】 人口約3千人。農林業が中心で高齢化率31%。原発事故で全村避難し、面積の3割は警戒区域、残りは緊急時避難準備区域に指定された。郡山市に臨時村役場を設置。9月30日に同準備区域は解除され、約200人が戻った。
【特集】東日本大震災
(2011/10/04 11:40)
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