【国際】カダフィ大佐死亡 独裁42年 体制消滅2011年10月21日 02時11分 【チュニス(チュニジア首都)=今村実】リビアからの報道によると、反カダフィ派「国民評議会」の部隊は20日、北中部シルト近郊で元最高指導者カダフィ大佐を拘束するとともに、カダフィ派の最後の拠点だった同地を制圧した。国民評議会ナンバー2のジブリル氏は、カダフィ氏が拘束時の負傷が原因で死亡したと確認した。42年に及んだカダフィ体制は完全に消滅し、国民評議会は同日中に「リビア解放」を宣言、近く暫定政府を樹立する見通し。約8カ月に及んだ内戦は終結する。 ロイター通信によると、北大西洋条約機構(NATO)軍が20日早朝、カダフィ氏が乗っていたとみられる車列を空爆。穴に逃げ込んだ同氏は、反カダフィ派の兵士に向かって「撃つな、撃つな」と叫んだという。 反カダフィ派の部隊は、カダフィ氏の四男ムタシム氏も殺害。シルトから逃亡しようとした次男セイフイスラム氏についても包囲しているという。 シルトはカダフィ氏の出身地。反カダフィ派は今月に入って会議場や大学など主要な施設を次々と奪い、市内の大半を掌握したが、カダフィ派は一部の住宅地に立てこもり、激しく抵抗していた。 国民評議会はカダフィ氏死亡と全土の掌握を受け、暫定政府の発足を急ぐ方針。内部対立が表面化し、話し合いはこれまで不調に終わっており、各勢力の再結束が焦点となる。 その後は、憲法制定や議会選を経て20カ月以内の本格政府の樹立を目指す。内戦で分断した国民和解を進め、民主化プロセスを軌道に乗せられるかが最大の課題となる。 リビアは2月中旬に反体制デモが始まり、内戦に突入し、国連安全保障理事会が軍事力の行使を容認。仏英米軍が3月中旬、空爆を開始した。 主要都市の攻防をめぐり一進一退が続いたが、反カダフィ派が次第に優勢となり、8月20日からの攻撃で首都トリポリをほぼ制圧。23日にカダフィ派が市中心部の拠点を撤退し体制は崩壊した。内戦の死者は推定5万人とされる。 (中日新聞) PR情報
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