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国際
【カダフィ大佐死亡】評伝 中東の狂犬、遅すぎた退場
約42年にわたって座り続けた“玉座”を追われ、所在不明になっていた産油国リビアのかつての最高指導者カダフィ大佐の死亡が伝えられた。多くの奇行と独特の革命理論、そしてかつてのテロ支援-。冗舌に自己弁護し、自国民に空爆を行ってまで権力にしがみつこうとした「中東の狂犬」は、国際社会の軍事介入まで招いた結果、無残な退場を余儀なくされた。
カダフィ氏は1942年、地中海沿岸のシルトに生まれた。69年に軍事クーデターを主導し当時のイドリス国王を打倒、革命指導評議会議長に就任した。27歳の若さだった。
77年には、国名を「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリヤ国」に変更し、資本主義とも社会主義とも違う「第3の道」を標榜(ひょうぼう)したが、実際には典型的な独裁体制だった。重要事項はすべて自身が決定し、周囲は一族や出身部族の人間で固めた。
残忍さも際立った。反体制派の家族や友人にも拷問を行うよう指示。70年代にはパレスチナゲリラや日本赤軍によるテロを支援、リビアが関与した88年12月の米パンナム機爆破事件では270人が死亡している。
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