まいど!ほとんど音楽を聞かない音楽ライター、主婦のコバラみどりです。今日は今ではあたりまえのように人々が口にする「私うつ病ぎみかも。」状態にかつて自分がなった時、誰からも相手にされなかったコバラの過去について。

 

今を去る事15年ほど前、新婚だったコバラと夫の家に離婚した義姉親子が転がり込んできた。義姉さんは実家に戻った直後から水商売の仕事を始め、明け方酔って帰宅しそのまま寝て、休日も客とゴルフ。5才になる甥を昼夜放りっぱなしで、当時失業中だった夫が面倒を見ていた。その頃コバラは大手ゼネコンの下請会社の社員で、会社もリストラの嵐だったため、既婚の女子社員を退職させようとモーレツに働かされていた。帰宅した家でもゆっくり休めず、土日もわざわざ休日出勤をした。

 

そうして尋常じゃない仕事の量をこなしていたらあるとき生理が止まらなくなり、電車に乗っていようが家にいようが会社にいようが目から涙が止まらなくなり、イライラしてはボーっとし、頭がかゆくしてしょうがなくなった。そうして4・5日会社を休んだら本当にリストラされてしまった。

 

幸か不幸かその頃は今よりも景気がよく、すぐ違う会社で働く事ができたが、ふと気が付くとイライラして涙が流れる状態はその後10年くらいずーっと治らなかった。今思うとあれは間違いなくうつ病だったと思う。当時は今ほどテレビや新聞でうつ病について言われる事もなかったし、また自分が精神病なんて認めたく無かったので家族にも友達にも告げずにずーっとひとりでがまんしていた。だから誰も気づいてくれない。

 

その後も決して順調な生活ではなく、夫の低収入や義姉親子も勝手されて精神的にもやばかったが、ある時「私の人生って何?」と思い、独身時代一番好きだったモノを考えたらそれがサブカルチャーだったという事に気づいた。そしてライターをめざす事になった。作家や音楽家など魅力的な人と出会う事により、人生が多少楽しくなり、イライラしたり涙が出るのが止まった。コバラの「うつ病」は自力で治ったのだった。

 

もしつらかった時に精神科の門をたたいて抗鬱剤などを処方してもらっていたら、その時の気分は晴れるかもしれないが、結局つらい現実が無くなるわけでもないので薬で感情を抑えてただ耐えていたはず。それでは自分の人生を狭めてしまい、根本的な解決には至らなかったと思う。感情に流されず、薬も飲まず、自分がじっと自身のつらさに耐えたのは正解だった。実は自分もたいそう未熟な面があったからだ。あきらかにうつ病ぎみだったのに、時代がずれていたために誰からも気づいてもらえなかったのは幸せだったのかもしれない。

 

就職や子育てなどで悩んで、精神科で治療を受けようと思っている人は「自力で乗り越える道」も考えてみるべきだ。

 

(つづく コバラみどり)