京の開発が本格化し、07年夏に事業部と一体化した同本部が発足すると、追永勇次本部長代理がTofuを大きく修正する。「2階層構造を1階層に」ということだった。具体的には、CPUとメモリーなどをつなぐネットワークの量を大幅に増やした。
追永勇次氏
安島氏に言わせると「CPUだけでなく、ネットワークやメモリーも万能にして、すべてにおいて他社に勝つ」という指示だった。「ここでマシンの性格が決まった」と語る。
安島氏は大学院から富士通に入ると、3~4年目でスパコン開発に放り込まれた。大学の専門はプロセッサー。研究所に入ってからネットワーク系に移る。実ビジネスの経験はない。
上司の同本部システム開発統括部の清水俊幸第二開発部長は研究所出身なだけにその思考がわかるが「製品はソフトなどを含め総合的に性能が出る。ハードでどれだけの価値を生むかというと、(価値に)つながらない部分があった」と言う。
一方、事業部の追永氏は富士通のスパコンのほとんどにかかわり、本部長から「開発はすべて任せる」と言われていた。京はCPUの「SPARC(スパーク)64 8」やソフトなど、サーバーの技術資産を発展させた部分が多い。
しかし、Tofuは「まったくゼロから作った技術」(追永氏)。70万行に及ぶプログラムは、開発途中で大きな欠陥が見つかり作り直せば、3~4カ月単位で全体の計画が遅れ、致命傷になる。追永氏は心中覚悟でTofuにかけた。「ブレークスルーする新技術がないと世界一はとれない」(伊東広樹同本部長代理)からだ。
それから1年間、追永氏は開発全体を管理する立場ながら、毎週Tofuの進捗を自らチェックした。「大きな欠陥がもう1回起きていたらとんでもないことになっていた。Tofuの成功は奇跡的」と振り返る。
富士通は、1998年にスパコン専用機の開発から撤退した。それ以降はハイパフォーマンスコンピューター(HPC)という考え方で、サーバーなど汎用製品と技術も人材も共有した。その結果、事業部はプロセッサー以外のハードの開発部隊が弱体化した。
「スパコン開発の火を消してはいけない」(伊東氏)とまず2004年に研究所に作ったのがペタスケールコンピューティング推進室。安島氏がいたところだ。ビジネスを知らない安島氏のアイデアを、事業に熟知した追永氏が改良、富士通にとってほぼ10年ぶりとなるスパコン専用機の技術の火は守られた。
川崎工場と沼津工場を中心に富士通だけで400人近い大集団が集結、CPU、OS、ソフトウエア、インターコネクト、ミドルウエア、システム開発などに分かれ、取り組んだ。空白期間に開発陣が弱体化した反省から、毎年20人の新入社員を配置、「歴史的プロジェクトを体験させた」。
池田敏雄、富士通、スーパーコンピューター、IBM、京
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