旧ソ連:クーデター未遂事件20年 熱気冷め…記憶も風化

2011年8月21日 9時43分 更新:8月21日 9時54分

1991年8月のクーデター未遂事件で軍と市民の衝突により死亡した若者3人の墓。訪れる人は少ない=モスクワ市内の墓地で、田中洋之撮影
1991年8月のクーデター未遂事件で軍と市民の衝突により死亡した若者3人の墓。訪れる人は少ない=モスクワ市内の墓地で、田中洋之撮影

 【モスクワ田中洋之】1991年のソ連崩壊の引き金になった、共産党保守派によるクーデター未遂事件から19日で丸20年。クーデター阻止のため数万人の市民がバリケードを築くなどした当時の熱気は冷め、事件の風化が進んでいる。

 ロシアの民主派グループ「連帯」は19日、当時反クーデター派の拠点となったモスクワの旧最高会議ビル(現在は首相府)前で記念集会を開いたが、参加者は50人程度。政府の公式行事はなかった。

 当時ソ連の一部だったロシア共和国の人民代議員で、クーデター阻止に立ち上がったビクトル・シェイニスさん(80)は「我々の行動が正しく、ロシアが民主化に向かったのは疑いないが、我々は“勝利”を過大視し、真の民主主義を実現できなかった。今のロシアに市民社会はなく、20年前の期待と相反している」と話した。

 ロシアの世論調査機関レバダ・センターによると、クーデターが失敗した要因(複数回答)として、事件直後の調査では「国民の抵抗」が57%、「(エリツィン大統領ら)ロシア共和国指導部の断固たる行動」が55%を占めた。しかし、先月の調査では、それぞれ15%、13%に低落。逆に「クーデターの準備と組織の不十分さ」が28%(91年は34%)と最多で、冷めた見方が広がっている。

 別の調査では、事件を「民主革命の勝利」とみる人は9%で、「単なる権力闘争」が41%だった。また72%がクーデターを首謀した8人の名前を1人も答えられず、クーデターに抵抗したルツコイ・ロシア副大統領(当時)らの名前を間違って挙げる人もいた。

 ◇クーデター未遂事件

 91年8月19日、ソ連のヤナーエフ副大統領ら共産党保守派8人でつくる国家非常事態委員会が全権を掌握し、ゴルバチョフ大統領は南部クリミア半島の保養先で軟禁された。ロシア共和国の大統領だったエリツィン氏は「国家クーデターだ」と非難し抵抗。22日に関係者が一斉逮捕され、計画は失敗に終わった。この事件でゴルバチョフ氏は権力基盤を失い、同年12月末のソ連崩壊につながった。

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