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スポーツ報知>コラム>城田憲子の「フィギュアの世界」

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日本のメダリストのコーチたち~長光歌子編(3)

山あり谷ありのなかでも絆(きずな)を深めていった高橋と長光コーチ(写真提供・今永百合子)

 「ガラスのエース」と呼ばれたシニア初期から、トリノ五輪を経て世界のトップスケーターへと上りつめた高橋大輔。様々な壁を越え、様々な人と出会いながら成長していくさまを、長光コーチはずっと傍らで見守って来た。思い出すのはどうしても、苦労話ばかり…。

 ◆長光歌子氏・城田対談

 城田「でも大ちゃん、そんな風に技術はどんどん身につけながらも、気持ちの部分はなかなか追いつかなかった。04~05年シーズンのフランス(04年エリック杯)も…」

 長光「そう、フランス。あの時もね(笑)」

 城田「SPで3番だったかな? あれは本当に素晴らしく『これなら大ちゃん、いける!』何て思ったの。ところがフリーでジャンプをほとんど全部ミスしちゃって、11番くらいに…。あの時は、会場で見ていたチンクアンタ(ISU会長)にも言われたのよ。『SPであんな素晴らしいステップ踏んだ選手が…どうしたの、あのフリーは!』って(笑)」

 長光「あの年は夏にね大輔、すっかり参ってたんですよ。地方の男の子が大阪の大学に入って、いきなり環境が変わったでしょう。周りの友達は1年生からさっそくサークルに入ったり、あちこち遊びに行ったり、アルバイトしたりしてる。でも自分は、もうこの決められた道を進まなくてはならない。そんな気持ちになって、すごくスケートが嫌になっちゃったのね…。夏の間はもう全然、練習に集中出来なかったんです。仕方がないから本当に2人で、大ケンカしたりぶつかりあったりして、やっとスケートに気持ちが向き出したけれど…。とてもGPや全日本には間に合わなかった。それでフランス杯のフリーであの得点(71・54点)です。もう、あの時はひどかった…」

 城田「SPが良かった分、もったいなかったのよね」

 長光「そう、みんなに期待を持たせておいて、ここまで落ちました、みたいな(笑)」

 城田「ボロボロだったけれど、それでもあのステップワークはすごかったのよ」

 長光「一度、あそこまで落ちましたから、気持ちの方はだんだん上を向き出したから、それはよかったんですけれど」

 城田「世界選手権も大変だったわね。トリノの出場枠がかかってるにもかかわらず!」

 長光「そうそう(笑)」

 城田「大ちゃんと武史君、2人で頑張って順位を足して13になったら男子も3枠取れたのに、まず武史が足をケガして棄権なんぞするし」

 長光「フリーで大輔は脚、つっちゃうし(笑)」

 城田「武史君が途中でいなくなってしまったけれど、とにかく大ちゃんは10番以内に入れば良かったのよ。そうすれば2枠はキープできた。私たちも『10番以内で十分!』って思ってるのに、『僕、全部背負わされちゃったよ…』何て顔しちゃってね」

 長光「確かSPは7番だったでしょう? ところがプルシェンコが棄権しちゃって、男子は誰もがみんな、表彰台を狙える! と思っちゃって大変な戦いになったんですよ」

 城田「SPは良かったから、とにかくフリーも気にせずそのまま頑張ってほしくて、集中させようとしたのに大ちゃん、一人になって、ぶるっちゃった」

 長光「あの試合は、自己評価の低い、あの子らしさが出ちゃいましたねえ。普通にやればできるのに、『なんでこの子には、それが分からへんのやろ!』何て私も思ってしまった。それで次のオリンピックは1枠になってしまって…。でもそこからやっと、気持ちの面でも強くなった気がするんですよ。大輔はいい結果が出なかった時の方が、次の成長が大きい。いつでも悔しさをバネにして、ぐんと伸びることができるから」

 城田「そうね。次のオリンピックシーズン(05~06年)は、いきなりスケートアメリカで優勝したものね。でも色々あって、トリノもやっぱりまた大変だった(笑)」

 長光「オリンピック、大輔はとても調子が良かったんです。だからSPは確か、5番くらいでしたよね?」

 城田「そう、だからトリノだって、大ちゃんはメダル圏内だったのよ」

 長光「でもやっぱり初めての経験ですから。『オリンピックって、すごいよ。ほかの試合とは違うよ!』ってみんなから聞いてはいたけれど、SPでいきなり1番滑走を引いた時点で、『なんで? なんで?』ってあたふたしてたし(笑)」

 城田「強くなったはずの大ちゃんだけれど、さすがにオリンピックはまた違ったかな。でもね、今考えるとあの年だって、大ちゃんを3番に入れることは出来たと思うのよ。もうちょっと私たち強化部もプッシュしてあげて、まず男子でメダルを取れていたら、女子はもっと楽な気持ちで臨めたのにな、と思ったり。『ああすれば良かった』『こうだったら違ってた』ってことも、今思うといっぱいあって…。私にもまだ、男子も女子も鼓舞できる、強化部長としての器がなかったんだな、と」

 長光「いえ、トリノはやっぱり無理でしたよ。まだ器がなかった。やっぱりオリンピックはオリンピック。練習してるメンバーもいつもと一緒だし、やってることも何も変わらない。でも、試合の2日くらい前になると、空気が変わってくる。あれは、本当に不思議です。あの空気の中では、表彰台なんて無理だった。でもトリノで上手くいかなかった(フリー9位、総合8位)ことは、その後のためには良かったんでしょうね。あの後、成長を続けられたんだと思う。とにかくトリノは、出させてもらえて本当に良かった。『オリンピックの空気を知る』っていう、大きな体験をさせてもらえて。だからその次のバンクーバーの時はね、脚のケガというマイナス要素があった割には、落ち着いていましたから」

 城田「トリノからバンクーバーにかけて、さらにまた先生は、大ちゃんとの苦労が続くわけだけれど。トリノ以降は先生のチームにもいいスタッフがそろって、みんなで大ちゃんを教育していったんでしょう? まず、マネジメント会社の井原さん(井原健彦氏)。

 長光「そう、大輔も成人近くなったことだし、間近で男の人の働く姿を見せたい、と思ったんです。男の仕事とは、どういうものか。井原さんはトリノ五輪のシーズン、ずっとしーちゃん(荒川静香)についていて彼はプロだなって思った。出来れば大輔には彼の姿を見せたいな。そう思って、お願いしたんです」

 城田「大ちゃんの面倒、しっかり見てくれてるわよね」

 長光「本当に。しーちゃんと比べて、あの子は大変だと思うんですよ。しーちゃんはずっとモチベーションを保てる選手だったのに対して、大輔は浮き沈みが激しい。もう、ジェットコースターみたいに上がったり下がったりじゃないですか。井原さんもよくあれに付き合ってくれるなあ、と(笑)。色々な意味で彼がついてくださることは、大輔に大きな影響があります」

 城田「そうね、私も長光先生も女だから。女の人は女の子が相手ならば、とことん崖っぷちまで追い込むことが出来るのよ。私も、静香ちゃんに対してはそれが出来た。でも相手が男の子となると、なぜかギリギリまで追いつめられない。そのちょっと手前で引いちゃうような所があるの」

 長光「それ、良く分かります」

 城田「それが、私が強化部長をしていて男の子の強化で遅れを取ってしまった原因かもしれない。武史君に対しても、もっと崖っぷちまで追い込まなければ行けなかったのに、やっぱりどこかで甘やかしちゃう。二歩手前くらいで引いちゃう…。でも男同士だったら、相手をどこまで追いつめていいか分かるから、ギリギリの所でやってくれる。その点でも、大ちゃんに男性のマネージャーをつけたのは、良かったわよね」

 長光「もう一人、トレーナーに渡部さん(文緒氏)もいてくれるようになってね。彼もすごく仕事に対して真面目だし、非常に前向きで、やっぱりチームに入ってもらって良かったと思ってます」

 城田「そうね。女の人の力ももちろん大きいけれど、男の人もいてこそ、チームのバランスは良くなる。やっぱり一人ですべてを教えるのは難しいってこと、先生はよく分かっているから。外国の先生に習うだけでなく、みんなで大ちゃんをスケーターとして仕上げていくためのチームを、上手く作り上げていったのよね。大ちゃんの場合、特に謙虚すぎる性格だから。さらに心理的に持ち上げてくれる人も必要だったわけで…」

 長光「そこを頑張ってくれたのが、やっぱりニコライ(モロゾフ氏。トリノ五輪シーズンよりコーチ、振付師としてチームに参加)なんですよ。彼はすごく上手に大輔をしかってくれてね。いつでもうまく、モチベーションを高めてくれた。それは本当にありがたかったんです。やっぱりあの時期、ニコライがいなかったら、今の彼はない。特に、精神的な面でね」

 城田「ニコライって、ジャンプが教えられるわけじゃない。すごくいいプログラムを作ってくれるけれど、最後には勝つためにステップを簡単にしちゃうような所もある。だからコーチとしてどうかな? と思う所もあるけれど、精神的な支え方は上手いのよね」

 長光「そうなんです。やっぱり彼は、大輔に必要な人だったと思います。大輔も、『勝つ』ということに対して、真剣に向き合えるようになりましたから」

 城田「それに、ニコライが大ちゃんに作った『白鳥の湖』。あれは本当に素晴らしかった」

 長光「はい、本当に。私も、大輔のプログラムの中で一番好きなものの一つです。やっぱり『白鳥』はセンセーショナルだった。ああいうプログラムは、ニコライにしか出来ないと思うんですよ」

 城田「『白鳥』の時の音の取り方、間の取り方。やっぱり他の選手とは、全然違ったものね。ニコライもすごいけれど、大ちゃん自身の持ってるものが違ったから」

 長光「だからニコライと離れてしまったのは、残念でした。『自分は見捨てられたのか?』ってそんな気持ちにもなったみたい。でも結果論ですけれど、その後、色々な振付師さんに違う雰囲気のプログラムを作ってもらえることになったんだから、それは良かったと思いたい」

 城田「コーチが振付師だと、なかなか他の人には見てもらえないものね」 長光「それまで、ニコライが気持ちを高めてくれていたのに、それを自分でやらなければならなくなってしまった。私がいるといっても限界があるし、これから一体どうやって戦っていこうか、と。彼の中には、色々な葛藤があったと思うんです。全然気持ちが上向いてこないし、その気持ちそのままスケートも滑らない。その年に振り付けをお願いしたパスカーレ(カメレンゴ氏)が来てくれて、ちょっと気持ちを追い込む役割もしてくれたんですけれど…。そんな時ですよね、膝のけがをしたのは」(続く)

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(2011年10月14日22時21分  スポーツ報知)

著者略歴 城田 憲子(しろた・のりこ)

 1946年7月4日、東京都生まれ。立大卒。選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、全日本選手権ダンス部門2連覇。現役引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、長野五輪からトリノ五輪までフィギュア強化部長を歴任。また、国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪をはじめ多くの国際試合でレフェリー&ジャッジも務める。

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