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[事件]ニュース
【東日本大震災】「やっぱりねえんだ」 震災以来の同級会、弔いと別れの杯で悲しみ新た 宮城県南三陸町
2011.5.4 21:46
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ゴールデンウイーク(GW)の行楽ムードもない宮城県南三陸町で、地元中学校卒業生の小さな同級会が開かれた。いつもは思い出話であふれていた会は帰らぬ級友の報告の場に。仕事を失い、出稼ぎや転勤という新たな旅立ちが待っている。被災者たちが置かれた現実が、そこにはあった。(荒船清太)
3日に集まったのは志津川中昭和57年度の卒業生。学舎は津波の被害を免れ、今は避難所として町民に生活の場を提供している。
花見の予定だったが、サクラの名所の東山公園は、遺体捜索を続ける自衛隊の車両で満杯で、かつての魚市場前に変更になった。
震災前なら20人は集まっていた。同級生12人が、がれきの散乱した海沿いで持ち寄ったささやかな食材をバーベキューコンロで焼いていた。「特別仲のいい学年だったんだ」と派遣社員の渡辺雅良さん(43)。だが、同級生4人は死亡し、ほかも避難所の手伝いに追われたりして来られなかった。
“出世頭”とからかわれていた町職員、高橋文禎(ふみよし)さんの姿はなかった。屋上付近まで浸水した町の防災庁舎のネットにしがみついていたがネットごと流された。同級生で作る野球部のメンバーだったが、補欠になると不機嫌になった。三浦達也さん(43)は「まじめな奴だから庁舎に残ったんだべ」。
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