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漆の枝 国内最古と確認若狭・鳥浜貝塚 縄文草創期1万2600年前若狭町鳥浜の鳥浜貝塚から1984年に出土した漆の枝が、約1万2600年前の縄文時代草創期のものであることが東北大の鈴木三男教授(植物学)ら研究グループの調査で分かった。日本で自生していたことを示す国内最古の例となり、中国伝来が定説とされた漆文化の起源を巡って新たな論議を呼びそうだ。所蔵する県立若狭歴史民俗資料館(小浜市)は12日、縄文時代に焦点を当てた特別展の開会式で関係者に漆の枝を初めて公開した。(熱田純一) 出土した漆の枝は長さ約20センチ。森林総合研究所(茨城県つくば市)で2005年に顕微鏡で漆と突き止められ、今年8月、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の放射性炭素による分析で1万2600年前と判明した。 漆を使った出土品で古いのは、国内では、北海道函館市の垣ノ島B遺跡で確認された装飾品で約9000年前。青森市の三内丸山遺跡や山形県高畠町の押出(おんだし)遺跡などの例が約6000〜5500年前。 中国では、浙江省の河姆渡(かぼと)遺跡の漆椀の約7000年前、同省の跨湖橋(ここきょう)遺跡の木弓の約8000年前などがある。中国では発掘途上にあることから、年代を遡って出土する可能性が大きいという。 鈴木教授によると、漆を塗料や接着剤などとして活用する技術は日本では縄文早期以降で、漆は中国大陸から伝来したとするのが定説。日本で漆は自生しないとされてきたという。 岡村道雄・奈良文化財研究所名誉研究員(考古学)は「漆を植えて樹液を採取するまでには、下草刈りなどの世話が必要で10年近くかかる。草創期の縄文人はまだ定住性はなく、漆が自生していたと考えるのが自然だ」と指摘。その上で、「日本の漆文化が中国伝来でなく、日本がルーツである可能性を示唆する重要な発見」と評価している。 ◇ 鳥浜貝塚は1961年に発見された低湿地遺跡。1万2000〜5000年前に丸木舟や漆塗り竪櫛、土器、木の実など多種多様な遺物が見つかり、「縄文のタイムカプセル」と呼ばれている。1376点が国の重要文化財に指定され、県立若狭歴史民俗資料館で所蔵されている。 同館で13日から、縄文時代の残した営みにスポットを当てた特別展「縄文人の業と心〜自然とともにある暮らし」(11月23日まで)があり、漆の枝を一般公開するか検討中という。 (2011年10月13日 読売新聞)
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