Please bear all this in mind, if you will, in the momentous days which lie close at hand.
胸に手をあててよく憶えておいてほしい,我々の目の前に大きな出来事が差し迫っているということを。(故クリストファー・ストーリーと管理人の共同宣言)
神の御用としてクリストファー遺族への寄付としての振込みは一口3000円から有難く申し受けいたします。管理人口座へお振込みいただいた分は14日クリストファーへの口座にすべて移しました。なおクリストファー口座は寄付と言う神聖な行為なので神の御用として神父さまの厳正な管理下にあり管理人は引き出すことはできません。。従いまして返金作業は終了いたしました。その神父さまが来春英国への出張のさいご遺族へもって行っていただきます。拝
スルガ銀行下田支店
普通2952838
クリストファー・ストーリー
皆様からのご誠意をお待ち申し上げます。神の祝福があることでしょう。これは固定記事として当分の間掲載いたします。
38
2011/10/17
もろもろの現象は無常である。生じたり滅したりする性質をもっている。生じてはまた滅する。それらのものが静まれば安楽という解脱がある。安らぎ(ねはん)は虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る。かれらは実に真理をさとるが故に,快を貪ることなく平安に帰しているのである。パーリー語聖典より。これは釈尊の教えである。
写真の少女や「踊り子サラ」の記事は「OUT OF EDENは終了いたしました」をご覧ください 。
胎内宇宙と同心円世界
四無量心
四無量心(しむりょうしん、skt:apramāṇāni)とは、他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つことをいう。四梵住(skt:brahmavihāra)、四梵行ともいう。
無量というのは、「貪・瞋・痴」などと違い、限界なくどこまでも成長させることができることから言う。
慈無量心(skt:maitrī, pāli:mettā) - 「慈愛」、相手の幸福を望む心。
悲無量心(skt,pāli:karunā) - 「抜苦」、苦しみを除いてあげたいと思う心。
喜無量心(skt, pāli:muditā) - 「随喜」、相手の幸福を共に喜ぶ心。
捨無量心(skt:upekṣā, pāli:upekkhā) - 「浄捨」、相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指す為、捨無量心 の完成は、悟りとほぼ同義である。なお上座部教学の集成者であるブッダゴーサは、『清浄道論』(Visuddhi Magga)において、単なる無関心を「無智捨」と呼び、捨無量心とは似て非なるものとして、修行者に注意を促している。基本的に比丘尼さんのいう「自他不二」と「四無量心」は同じ。
上座部仏教
上座部仏教では具足戒(出家者の戒律)を守る比丘サンガ(女性は比丘尼)と彼らを支える在家信徒の努力によって初期仏教教団、つまり釈迦の教えを純粋な形で保存してきたとされる。
先日のインドの修行僧である比丘尼さんに関する本日までの経過です。これから個人的にずっとフォローしてゆきます。琴線にふれますのでまたお知らせしましょう。その経過で賛同者も現れるかもしれません。いくら賛同者がいてもカネ,カネ,カネの人は駄目ですよ。また,一ヶ月で何回夫とセックスするのが夫婦のあるべき姿であるか,なんて一年中考えて実行している人も駄目ですよ。
Date: Sat, 8 Oct 2011 15:15:13 +0900
From: xxxxxxx
Subject: 達人さんへのメッセージ
To: jameslee@hotmail.co.jp
小野寺さま
311以来、達人さまのブログに出会い、日々、寝る時間を削って、勉強してまいりました。311以前、わたくしは、無知でした。それを恥ずかしく思い、反省し、自らだけでなく、ひとつでも他の魂を、平安にお連れしたいと心から願って、今も勉強しております。
以前から、情報や考察を提供してくださることに感謝し、お礼をするべきだと思っておりました。この度、有料の会員制になると知り、当然だという気持ちを持っております。
しかしながら、残念なことに、有料の会員制になると、わたくしには、もう、参加する機会が無くなってしまいます。
わたくしは、彼此10年近く、海外におります。今は、インドにおります。
曹洞宗の僧侶です。わたくしは、唯、お釈迦さまの後に続きたいと思いました。灼熱の大地を、身ひとつで裸足で歩きながら、人びとの話に耳を傾け、仏法を持って苦しみを和らげようとされたお釈迦さまのようにありたいと思いました。わたくしも、ほぼ身ひとつでおります。日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です。厳しい状況ですが、お釈迦さまの手となり、足となり、声となってはたらく使命をいただけたことは、これ以上ない歓びで、感謝しております。金品に依る幸せもいいと思います。唯、わたくしの使命は、金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくことで自ら救われていく道を、ひとりでも多くの方に知らせ、広め、人びとを励ましていくことだと思っております。自分には観えていることであっても、他人に示すのは、容易ではありません。無力感や焦りを感じながらも、どうも時間がないようですので、あきらめずに、最期の瞬間まで、心を尽くすべきだと、自ら叱咤激励する毎日です。
わたくしにとって、5万円を入金するのは、残念ながら、とてもとても無理です。ですから、あきらめなければならないのでしょうが。
手元に千円札が3枚あります。以前いただいたお布施です。これを日本の住所にエアーメールで郵送することはできます。インドから銀行振り込みをするのは、難しいらしく、できても手数料でなくなってしまうようです。5万円には、程遠いのですが、これで閲覧させていただけませんでしょうか。
もし、無理でしたら、あきらめますので、どうかお気になさらないでください。
達人さまの御使命が全うできますことを、お祈りしております。
達人さまと犬くんたち、ご家族、ご友人方が、お幸せでありますよう、お祈りしております。
いつか目覚め、動き出し、どの人も、罪を犯した人たちも、救われていく時の来ることを、祈っています。
精一杯の慈悲を込めて
閑杳 慈光 比丘尼
その返信として「--- On Sat, 2011/10/8, James Lee wrote:
「お金はいらないですよ。パスワードはxxxxxxxです。
むしろあなたに喜捨しますので送る方法は
銀行振り込み
国際為替郵便
などがあります。
そちらで調べてご連絡ください。
小野寺拝」
この記事をブログに載せた途端,ある人物から世にも恐ろしい薄情で非常なメールが入ってきた。「年金生活から5万円を掠め取っておいてインドの修行僧に無料とはけしからん,金をかえせ」ということを暗示させる内容でした。お金は返金すると返事した後も罵詈雑言の数々。これが記事にしたシンクロ現象となった。人間には人間としての条件があるのです。お金を返してもらった代りに途方もなく大きなものを還暦にして失ったことになる。
しかし今回の一連の出来事はシンクロ二シティという現象がはからずも起こったということです。修行僧の言葉に対し無料にするとはけしからん.......というメールを受けたことにより有料ブログを中止することになったわけです。それは多くの人の無料で見たいという心の思いとすでに支払われた方々のぜひクリストファー遺族のためにつかってほしいという高貴な思いの表れでもあったのでしょう。大変感謝しており神父さまの管理下にあるクリストファー口座の方へ移させていただいたわけです。
二つの事象がイメージにおいて類似性を備える時,この二つの事象が三次元の空間と一次元の時間を瞬時に埋めるという不思議な時空間として現れることがある。その時空間の秩序であてはめられている中で,因果性では関係ないと思われる場合でも随伴して,現象として起こる場合これを「シンクロニシティ」の作用という。
遠く離れた出来事が,物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは,量子力学の相関関係において表されている。衆生にとって肉親が死んだ時に,いわゆる「虫の知らせ」という精神波動が必ず起きることは知られている。この精神波動は一億光年先もわずか一秒で到達する。
シンクロ二シティと呪術的思考 にありますように司馬遼太郎さんと私はシンクロし.また,クリストファーさんともシンクロしているのです。クリストファーさんが亡くなった時間と時差を考慮し寸分の狂いもなくある雨の日玄関を出た階段でもんどりうって転倒しちょうど肝臓の裏の辺りを強くうってしまい右の親指は骨折しました。ひょっとしてとクリストファーさんのHPを見たら亡くなられていたことが分かりました。17日早朝ある外科医を訪ねました。足の痛み,痺れを話しました。電気ハリ,週3回の点滴でもまったく改善しないことも話し切断しなくてはならないかもしれないので検査をしてほしい旨話すとこの先生はベトナム戦争当時のサイゴンで外科医として足の切断などは日常茶飯事だったことや色々話がありました。最後にその痺れの原因となったことに何か思い当たることはありますか,と。さすがです。あのときの転倒の話をするやすぐレントゲンをとり結論が出ました。傷ついた肝臓から溢れた血が血膿となって骨盤の神経を圧迫しており血膿を抜けばよくなるでしょう。早ければ1〜3日の入院で完治する,との話でした。それにしてもクリストファーは手荒なことをするものです。一緒に死ねということだったかもしれません。そういうことで11月中旬くらいに入院します。司馬遼太郎とクリストファーはともに72歳で亡くなっています 。私は12月1日で66歳になります。72歳でお迎えがくるかも知れませんがあと10年生かして下さるのならアジアのどこかで薄幸な子どもたちの人助けをしたいと考えています。というかやるつもりです。マー君とスー君はその頃8歳の老犬ですが長男のところで引き取ってもらおうと思っており長男も了解してもらっています。
[達人さんへのメッセージ] 天竺 からの慈悲の光
2011/10/14
差出人: xxxxxxxxx
送信日時: 2011年10月14日 3:13:16
宛先: James Lee (jameslee@hotmail.co.jp)
小野寺さま
恐る恐るメールを開けました。不意を突かれて、涙が溢れてきました。小野寺さまの背後に、神仏の光を感じました。有り難いことです。達人さまとのご縁が、切れずに済みそうです。心から感謝いたします。
わたくしは、海外で、携帯のSIMカードを使って、ネットにつなげています。いつか、電磁波の影響で、ネットにつなげられなくなる日が来ましたら、もう連絡をとる手段が無くなってしまいます。ひとりぼっちで、孤立してしまうでしょう。それでも、最期の時まで、小野寺さまの御使命が全うされることを祈り、日本に住む方々だけでなく、世界中の方々のために、天竺から、精一杯の慈悲を、命懸けで送り続けます。
大丈夫です。わたくしたちは、到達できます。
1.志
わたくしは、達人さまのブログを、そっと見せていただいていただけでした。311以前、世の中に、ブログというものがあることすら知りませんでした。どの方のブログにも、メールをお出しすることはないのですが、一度だけ、どうしても達人さまにメールを差し上げたいと思ったことがありました。達人さまが、ご自分のお命を差し出すので、これ以上傷つけることはやめてほしいと望まれた時です。
達人さまが、お身を差し出される前に、当然のことですが、わたくしが、先に、身を差し出します。出家している身ですから、真っ先に自分が身を差し出して、犠牲になることは、当然のことです。また、その犠牲をもって、他が救われるのなら、こんな歓びはありません。
今でも、この気持ちは、変わりません。
ただ、相手様にとっては、達人さまなら、鬼の首を取ったみたいに喜ぶでしょうが、わたくしでは、アホらしくて話にならないでしょうけどね。
2.慈悲
小野寺さまは、本当に手術をされることになるのでしょうか。
ご立派なお子様がいらっしゃるようですから、わたくしが心配することなどないのでしょうが。
もしも、居る場所がなくて、もしも、わたくしのいる所に来ていただけますなら、わたくしが、心を込めてお世話させていただきます。お体が、ご不自由になられる前でも後でも、かまいません。もちろん、ワンくんたちも一緒に。(動物が好きです。犬は、何匹も育てました。いや、育ててもらいました。動物は、劣っていると言われますが、一番どーしようもないのは、人間です。)
医療水準も、悪くはないでしょう。インドビザは、難しくなっていますが、何とかなるでしょう。
当初、わたくしは、インドのマハーラーシュートラ州のナグプール 辺りに、拠点をもとうとしましたが、天の采配が、整いませんでした。今は、ニューデリーにいます。賛同者が、少し現れてきています。数ヵ月後には、拠点をもてるかもしれません。あのようにポールシフトが起こるとしたら、デリーは、きわどい所ですが、どこであれ、天の導きに寄り添ってやっていこうと思います。
命を張ってやってきていらっしゃる小野寺さまを、お守りせずにはいられません。お心の片隅に、覚えていてください。
3.宇宙の采配
わたくしは、小野寺さまが、ご努力とご苦労をされて得られたものを、拝受できるような僧ではないのですが。
もしも、わたくしがこれから手を差し伸べることができるかもしれない人たちのために、と思っていただけるようでしたら、その方々の代わりに、拝受させていただきたく存じます。
ビザの切り替えが、うまくいかなかったために、予定外に急きょ、インドを出国してタイへ行き、また戻ってくることになりました。デリー=バンコクの片道の航空券の供養をいただけましたので、インドを出国することはできるのですが、タイでの滞在費とバンコクからデリーへ戻る航空券が工面できずに、途方に暮れていました。
わたくしには、インドでしなければならないことがあります。ソノトキに向けて、命懸けでしなければならないことがあります。ですから、どうしても、何としても、インドに戻らねばなりません。毎日、祈っていました。宇宙の采配は、祈りを超えたところにあるのでしょうが。
現在のインドビザが、来週の17日で切れますために、16日(6E41 DEL 5:35 BKK 11:20)にタイへ行くところです。タイで、インドのビザを取り次第、デリーに戻ります。
観光ビザではありませんので、書類が必要なのですが、今日現在、まだ手元に届いていません。インド出国までに間に合いませんと、タイで、インドからの書類を受け取ってから、ビザを申請しますから、もしかしたら、3週間か1ヵ月ぐらい、タイで待機することになるかもしれません。
インドには、まだ、わたくしの拠点はありませんし、銀行口座も持っていませんが、信用できる日本人の比丘尼さんがいらっしゃいますので、受け取って保管してくださいます。
タイには、以前、通算5年ぐらいいましたので、銀行口座があります。
4.光のほうへ
やっぱり何かお贈りしたいものです。小野寺さまに届く住所をどこでもよいので教えていただけましたら、気持ちばかりですが。
インドで好きなものはありますか。紅茶は、お好きですか。ダージリン、アッサム、チャイ、どれがお好きですか。それとも布がお好きですか。
タイで好きなものはありますか。タイ女性は、ダメですよ。
遠慮なくおっしゃってください。わたくしからではなく、天からの慈悲ですから。天は、今もなお、小野寺さまを静かに慈悲の光で包んでいらっしゃいます。そう思います。祈っています。御使命が全うできますよう、祈っています。
精一杯の慈悲を込めて
閑杳 慈光 比丘尼
(かんよう じこう びくに)
そして本日17日正午すぎ管理人は以下のメールを出しました。
『本日xx万円を送金しました。お問い合わせ番号は..........です。これはお布施ですから礼の必要は全くありません。なお,入金は一週間くらいかかるとのことですので事前に問い合わせください。確認のため入金がありましたら私宛にメールください。以上です。
小野寺拝』
管理人より。
その後多くのやり取りがありますが省略いたします。管理人の宝物としてとっておきます。でも知りたいでしょ?一部を紹介します。
『達人さま
びっくりして慌てて返信をしまして、大事なことを書き忘れました。
わたくしのせいで、嫌な思いをさせてしまいまして、言葉もありません。お許しください。
その返金を求めてきた方のことも、どうか許して差し上げてくださいませんか。それぞれに、それぞれの事情があります。先々の不安も大きいのでしょう。一度は、入金してでもブログを見続けたいと思われた方ですから。その方のお怒りがおさまって、お心が穏やかになりますように、わたくしが、お祈りしていますから、達人さまは、本業に専念なさってください。達人さまが、やんちゃですと、わたくしが、心配で眠れなくなります。
閑杳 慈光 比丘尼』
天竺からの慈悲の光
James Lee
差出人: xxxxxxxxx
送信日時: 2011年10月18日 6:55:27
宛先: James Lee (jameslee@hotmail.co.jp)
達人さま
ブログが閉鎖されていると思っておりましたので、ずっと拝見しておりませんでしたが、その間に、いろいろあったようですね。夜中ですが、急ぎ目を通させていただきました。
お足の具合が、良くなられたのですか。
よかったです。よかったです。どうしてでしょうかね。わたくしには、さっぱりわかりませんが。
天の慈悲が、届いたのでしょうか。それとも、達人さまの内なる慈悲が、目覚めたのでしょうか。
よかったです。よかったです。とにかく、よかったです。
有料パスワードにならなかったのですか。
わたくしが、メールを差し上げて以来、いろいろなメールが、届いていたのですか。
ざっと目を通した達人さまの文章やコメントに、変化が感じられます。慈愛を感じます。
私たちは、つながり合っていますから、一人勝ちは、できません。自分だけ幸せになることは、無理です。周りの人たちと共に、一緒に幸せになっていく。
『自他不二 』ーーーあなたの幸せが、わたしの幸せです。
達人さま <祝>再出発
そのまま、まっすぐに、まっすぐに、歩んでいってください。天命に生きる決意をした者は、必ず、天が加護します。
わたしたちは、到達できます。必ず、到達できます。苦しみの時、悲しみの時、不信の時、互いに励まし合い、手を差しのべながら、観想していきましょう。
到達する時は、悪魔の名のもとに罪を犯した人たちも、一緒に連れて行きましょう。悪は、正しい道を教える道しるべです。その役割を果たした人たちに感謝して、一緒に到達したいものです。
その日が来るのをワクワクしながら、観想していきましょう。
今、わたくしの心には、感謝の気持ちが溢れています。すべてのものに感謝しています。
生きとし生けるものが、幸せでありますように。ひとつの魂も、こぼれることなく到達できますように。
精一杯の慈悲を込めて
閑杳 慈光 比丘尼』
閑杳 慈光 比丘尼殿へ
もしこの記事を読まれておられるのなら以下が私からのメッセージです。
「日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です......送らせていただく喜捨は「金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくこと」とおっしゃるように意に反するかも知れませんが私の.......万円で貧しい人のために有効にお使いください。」インドでの日本人僧侶の活躍は以前から聞いておりました。インド仏教徒が師と仰ぐ日本人僧侶、佐々井秀嶺氏をこえる魂の清浄を期待しております。秘教ムスタンで活動される近藤亨さんも同じように日本人の誇りです。本来こういう記事は内密にするべきなのですが完全出家された方の生き様を娑婆の人たちに紹介することは「気づき」なのであえて公開いたしました。
その証拠に以下のようなコメントが入っております。その他の暖かい慈悲あふれるコメントも入っております。
『投稿者:4p4mpl
2011/10/18 0:17
インドの修行僧である比丘尼のはせがわせつこさんについて。
お心の余りの高潔さに自身が恥ずかしくなりました。』
つまりお金には「生き金」と「死に金」の二種類があるのです。たとえ3食を2食にしても1食にしても使うべき「生き金」は徳を積むことでもある。ですから5万円を返してもらったあの還暦の人は「死に金」としてお金が帰ってきたわけです。
知っておいてもらいたいこと.......比丘尼
サンガ(僧侶)とは?
具足戒とは
出家僧侶の守るべき戒。『四分律 』では比丘(びく)には二百五十戒、比丘尼(びくに)は三百四十八戒を定めている。
転載された拙稿:プロレス神父
管理人の好きなジャン・レノ主演映画「グラン・マスクの男=プロレス神父 }
『北メキシコの壮大な大地に建つ、古い聖ドミンゴ教会。ヴィクトール・ガエタノ神父(ジャン・レノ)は妹のマリア(マーリー・マトリン)とともに、ここに捨てた子たちを集めて孤児院として彼らを育てている。一切の助成金を受け入れようとしない神父の収入の糧は、メキシコが誇るルチャ・リブレ(プロレス)だ。彼は子どもたちの飢えをしのぐため、一日の勤めを終えると聖衣を脱ぎ捨て、顔を黄金のマスクで覆ってリングに立つ。そんな生活が続く中、ヴィクトールは風来坊のペドロ(マルク・デュレ)と出会う。神父の人柄に惚れ込んだペドロは彼の助手となり、さらに偶然発見した廃村を「子どもたちの楽園」に作り変えるという夢に協力することを申し出た。一方、ヴィクトールにスポンサーが現れて、賞金額の高い試合に出場するように誘われる。相手はこれまで以上の強敵だが、子どもたちのためにこの話を引き受けた。早速彼は子どもたちを伴って市役所に向かい、廃村の権利を買う契約書にサインさせた。いよいよ試合当日。マリアや子どもたちの声援を浴び、ヴィクトールは苦戦しながらもペドロの力を借りて勝利を収める。「楽園」の建築が順調に進む中、またも試合の日がやって来た。ペドロもマリアや子どもたちを連れて応援に行くためにバスに乗り込むが、突然の風に身動きができなくなる。しかも激しい風雨の前に、「楽園」の家は無残にも崩壊してしまう。その頃、リングではヴィクトールが苦戦していた。このままでは負けてしまうという瞬間、場内の明かりが消え試合は中断になった。激しい雷雨の中、ヴィクトールは「楽園」へと急ぐが、嵐のため「楽園」は崩壊寸前であった。……数年後、「楽園」はヴィクトールの手で再興され、活気を取り戻した。』
日本の牧師たちには無縁なことでしょう。こういうことは比丘尼さんには出来ませんからね,インドではまだまだストリートチルドレンなどが無数にいるわけで少なくともこの孤児たちにご飯を毎日食べさせ,寝る場所を与え,読み書きそろばんの学校をつくることは大事でしょうね。
またバングラデッシュのグラミン銀行も小額融資(マイクロファイナンス)で悪口を言われておりますがいわゆる不可殖民では金利100%出しても貸してくれるところはなかったわけでそういう意味で30%融資で5人連帯保証制度をビジネスモデルとして莫大な利益を上げているのです。多くの貧民層が僅かな融資で手に職を得ている半面,自殺する人たちも出ているのは当然のことでしょう。
これはインドのスラム街ムンバイでの写真です。スラムにさえ入れない不可殖民かどうかは不明ですが同情心をもって何かをあげますか?この女は人の足音が聞こえると.......さっと片手を出すのです。こういう人たちがタイでもどこでも無数にいるのです。いわゆる乞食ビジネスというものです。午前中にどこからか車で連れてきて,中にはライ病でナイフで皮膚を切り(切られ)血だらけのひとなどもそれぞれの持ち場に配っていくのです。地べたを這っているイザリもいます。醜ければ醜いほど金は集まるということ。そして夕方になるとまたどこからともなく車がきて連れて行く。すごい売り上げでしょうかね 。
例えばインドでイスラム銀行法に基いたマイクロファイナアンスをした場合果たして採算に合うでしょうか。そのためには大きく広げないことです。職員は当然無給でなくてはなりません。僧侶のような人たちが一番好ましいのですが,仮に30%の融資にしても最初の5年間は金利の支払いなし,仮に自分たちのやった,例えば漁業にしてもそのお金で買った船が嵐で沈没してしまった場合でもグラミン銀行では連帯保証ですから誰かが肩代わりをしなくてはならないわけです。そういう場合イスラム銀行法ではアラーの名のもとに「仕方がない」ですんでしまうのです。5年たって成功し利益を上げている人たちは感謝の意味も含めて30%以上の寄付をすればいいのです。いくらイスラム銀行法がよいといってもある程度の担保はとります。しかし漁船を買う資本がない場合,銀行が漁船を買い担保とするのです。西側の銀行は質屋ですからそういうことは間違ってもしないのです。担保といっても時価の25%しか貸さず支払いが滞れば担保を取り上げてしまうのです。
失敗する人,成功する人...........こういう場合,5年経てば結果として出てくるのですが『貸した金は必ず返せ』ではなく成功したら充分な喜捨を貸し手にする.........これがイスラム社会では日常茶飯事で行われていることです。こういうシステムはインドでもどこでもイスラム社会以外でやる場合5年間で終わるのか,それとも継続できるのかは人類愛がなければ不可能でしょう。
踊り子サラ
ロッブリの寺院で引き取り手のないまま荼毘にふされた抜け殻の布袋の山。このどこかにサラは眠っている。エイズで死んでいく彼女たちにとって生まれてはじめて平安に帰るということだろう。
『小さな麻袋に包まれたサラに再会した僕はバンコック発の日本航空に乗り心地よいジェット気流に身を任せていた。中国の煙突から吐き出される黄色い煙、工場からの鉛色の液体は長江 揚子江を茶色に染め遥かかなたのメコン河にたどり着く。
タイとラオスをはさむメコンからその支流に流れ込み、チャオプラヤに合流しパタヤの海に流れ込む。パタヤの海は悲しいほど変色し魚介類は奇形しその魚によって人は空腹を満たす。売られた少女の処女は奇矯な華僑に高値で買われ犯さる。
その少女の涙は蒸発して雲になる。そして雨になり少女は汚れた体を洗い流す。流された水は再び雲となり大河に降り注ぐ。』
以下参考
六波羅蜜と無財七施
六波羅蜜の中でお布施を考えてみましょう。お釈迦様(釈尊)は「無財七施」ということを言ったそうです。(お金や品物がなくてもお布施が出来るということ)
愛語施
道元は「面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ,心を楽しくする。面わずして愛語を聞くは,肝に銘じ魂に銘ず」と言いましたが,思いやりのこもった暖かい心をかけること。(コメントのMSさんなどの暖かい心が愛語施です )
身施
捨身施とも言う。肉体による奉仕。
心施
善意の真心で他人や他の存在に対する思いやり。
床舎施
自分の席をゆずること。
房舎施
我が家を一夜の宿に貸すこと。
慈眼施
優しいまなざしであり,そこに居るすべての人の心がなごやかになる。
和顔施
柔和な笑顔を絶やさないこと。
色即是空空即是色ではなく,物で栄えて心で滅びる色即是色は現代社会に蔓延しています。お金や品物がなくてもお布施が出来るという無財七施ということを学びましょう。
大日如来や阿弥陀(これも梵語の音訳)如来のような最高位の悟りを啓いた仏(如来)の次に位置する仏さまの呼び方を六波羅蜜といいます。西行の詠った「誰とてもとまるべきかはあだし野の葉ごとにすがる白露」は諸行無常を思わせますね。
ではまず音訳の元になった曼荼羅の仏を考えてみましょう。
1.曼荼羅の中心仏(中尊)2.中尊に関わる諸仏(知恵・慈悲・力)3.聖なる五色(白・黄色・青・赤・緑)の壁 4.宮殿の方位(東西南北の門 5.バルコニー(中尊を供養する諸仏の在所)..赤6.象徴化された供養物 7.5にかかる庇(ひさし)..黄 8.宮殿の屋根の飾り..
青 9.宮殿の屋根の樋(とい)..灰色 10.宮殿の壁の飾り 11.門上の左右にのびる金剛(ダイアモンド)の角 12.11の根元にいる聖獣マカラ 13.門の基壇 14.門の屋根の飾り 15.仏の教えを象徴する法輪 16.法輪にかかる天蓋 17.法輪を見つめる二頭の鹿 18.「蓮華輪」宮殿をささえる五色の蓮華の基壇 19.金剛絵杵輪ー曼荼羅の外側を守る金剛(ダイアモンド)のカプセル 20.火輪ー19から発する内的力の象徴。仏敵の侵入を阻止する 21.墓場ー無上ヨーガタントラの曼荼羅で18と19の間にしばしば描かれる。ヒンドゥ教に荒らされた人間界の象徴
仏という五仏
大日如来
阿悶(あしゅく)
宝生
無量光
不空成就
金剛薩たー五仏を統括する
持金剛=金剛手ー五仏と統括する
釈迦
薬師
無量寿
三十五懺悔仏
羅漢
菩薩ー仏につぐ修行者
八大菩薩
文殊
弥勤
観自在=観音
普賢
金剛手
虚空蔵
地蔵
除蓋障
アチャラー日本では不動明王
仏頂尊勝
般若波羅蜜ー女尊
多羅(ターラー)−女尊
白傘蓋ー女尊
パルナシャバリーー女尊 葉衣観音
守護尊(僧が念仏仏として選んだ仏)
クヒヤサマージュータントラの主尊
チャクラサンヴァラー勝楽
へーヴァジュラー呼金剛
へールカー五仏の化身で五種に変化する
マハーマーヤー −大幻
カーラチャクラー時輪
ヴァジュラ・バイラバァ金剛威羅瓦
ヤマーリー焔魔敵
アーユスパティーー寿命の主
ハヤグリーヴァー馬頭観音
ダーキニー −虚空を行く女
マチラドンマー女尊
ラーフー羅喉星
ヴァジュラ・ヴァーラーヒー 金剛刻母ー女尊
護法尊ー仏法の守護者
マハーカーラー −大黒
ヤマ ー文殊の化身・日本では焔魔
ヤマーンタカ −大威徳明王
ラモ −女尊
チェリンマ −女尊
この曼荼羅の中心にいる中尊は大日如来です。曼荼羅の中尊が替わると全ての仏の配置が替わってきます。ですからこの如来に少しでも近ずくために,お釈迦様は布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・知恵という修行をするよう説いているのです。ジャイナ教の場合は一寸違う。中心はクシャトリア王族の出身を意味するマハヴィーラ,本名ヴァルダマーラ(日本では達磨と呼ばれる)やアヒンサー(AHIMSA)という不殺生の文字がある。ジャイナ教徒のみ須弥山を五体投地する場合左まわり。
布施(ふせ)とは布施をする際,受け手に対して恩を売るものであってはならない。 もともと他人様を助け,世のため人のために尽くすということです。稲盛流に言えば「思いやりの心」であり「優しさ」なのです。
持戒(じかい)とは戒律を守り,それにそった善・正を実践する生活を行なう事。学校では校則をまもり,正しい生活をすることです。稲盛流にはもっと詳しく書いてあります。
忍辱(にんにく)とは他人の悪口や,批判,中傷などの苦難に耐え忍ぶこと。それに対して腹を立てたり,怒ったり,恨みを持たないこと。怒りが人間を支配してしまうと,えてして大きな間違いを起こしたりすると稲盛さんは言っています。
禅定(ぜんじょう)とは少しの時間でも心を静かにして,自分を振り返る事。そして自分を変えて行くこと。そうして恥ずかしくない教養を身につけなさいということ。
智慧(ちえ)とは仏教の説く真実をみきわめること。つまり真の智慧があれば,宇宙の真理にまで至ることができるとするものです。
精進(しょうじん)とは他の5徳目を修めることを,あきずに誠心誠意努力すること。その代表例が二宮尊徳ですね。
都会(まち)で托鉢僧に出会ったら,お布施をしましょう。その意味がおわかりになったでしょう。頂く修行僧にとって,体が震えるほど嬉しい至福の瞬間なのですから。稲盛さんご自身も托鉢でそういう経験をされています。(多くは統一協会の偽托鉢僧ですので六波羅蜜を言ってみて,と質問しましょう)
NHKで仏師という仏像彫刻師のテレビをやっていましたが,不動明王をある寺に納めるのですがこれはアチャラーという仏に次ぐ修行者の八大菩薩の一つにすぎませんから,この5メートルに及ぶアチャラーを寺の中尊に据えるのはどうなんでしょうか。菩薩はあくまで仏につかえる修行者ですから,違和感を感じました。しかしアチャラー(不動明王)を念仏仏の守護尊として扱っているのでしょう。南無阿弥陀仏と念じているのでしょうか。阿弥陀は梵語(ぼんご)の音訳です(Amitabha+Amitayusuの共通語のAmitaを音訳したもの)からね,念者はしっかりしてほしいです。根っこは根本曼荼羅ですから。
160
2011/10/14
日・ユの神話には確かに共通点が存在するが、世界的な視点からはどうなのだろうか。
豊穣の神と太陽神にまつわる伝説などでは、豊穣神が毎年、春に蘇り秋に殺される。
そしてまた春に復活するのだが、それを迎えに妻であり母である太陽神が冥界へと下るのだという。その太陽神が冥界へ行っている間は、世界は暗闇に閉ざされ家畜は子を産まず人々は困窮する。そこへ冥界から帰った太陽神と豊穣神が登場し、世界は光と安寧を取り戻すというものだ。この神話などは天の岩戸神話 を彷彿とさせる。
ファラオの命を脅かすとして子供を皆殺しにされそうになった時に、神の助けによりユダヤの子供が救われたとする伝説に基づくとされる『過ぎ越しの祭り』(PASSOVER)も、その発端は遠くユダヤ以前に存在するものの様であり、それが形を変えて日本では『蘇民将来』の祭りとなっている。色んな神様や神話があるもんだなあ〜 (汗)
アメノウズメって知っていました?
Gerizim山で過越(PASSOVER)のため野営するサマリア人。過越しのいけにえを屠ることができるのは,あなたの神,主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく,ただ,あなたの神,主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない。(申命記第16章5〜6節)
過越し祭りの前日,食事の準備が完了するとサマリア人は紀元前120年に滅びたサマリアの最も聖なる寺院のあるGerizim山の岩場に集合する。写真で立っている高位の祭司が以下を述べる。「これから述べる掟と法は,あなたの先祖の神,主があなたに与えて得させられる土地で,あなたたちが地上に生きている限り忠実に守るべきものである.................」(申命記:礼拝の場所・第12章1〜6節参照)
The Master saith,Where is the guestchamber,where I shall eat the passover with my disciples?.パレスティナのアラブ人村では二階がゲストルームになっている。聖書の時代,このような部屋は一つの社交であった。ペトロとヨハネは二階で食事の用意をした。「すると,席が整って用意の出来た二階の広間を見せてくれるから,そこにわたしたちのために準備をしておきなさい」弟子たちは出かけて都に行ってみると,イエスが言われた通りだったので,過越の食事を準備した。夕方になるとイエスは12人と一緒にそこに行かれた。マルコ14章15〜17節。
BLOOD UPON THE LINTEL.出入り口の上の横木は血で塗られる。「これが主の過越(すぎこし)である。その夜,わたしはエジプトの国を巡り,人であれ,家畜であれ,エジプトの国のすべての初子を撃つ。また,エジプトのすべての神々に裁きを行なう。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は,あなたたちの徴(しるし)となる。血を見たならば,わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき,滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(出エジプト記第12章11〜13章)
過越祭(Passover)の食事はいつも定められている。「そしてその夜,肉を火で焼いて食べる。また,酵母を入れないパンを苦菜(Bitter herbs)を添えて食べる。(出エジプト記第12章8節)
主の過越祭りである。いそいで食べよう。「肉は生で食べたり,煮て食べてはならない。必ず,頭も四肢も内臓も切り離さず火で焼かねばならない。それを翌朝まで残しておいてはならない。(出エジプト記第12章9〜10節)
聖書ものがたり・申命記参照
管理人はキリスト教徒ではないのですがブログをはじめたきっかけは何も知らない自分が恥ずかしかったからです。藤沢のルーテル教会で幼児洗礼は受けましたがまったく教会や聖書には無縁でした。しかし,洗礼を受けたときの記憶は残っているのですがその後何回もあった絶体絶命の時,何者かが背後で押してくれたことは多々あったのでした。
日本に既存していたその文化は、恐らくはユダヤ民族という概念が誕生する以前に遡る時代の話しである。
その証拠に私達にはユダヤに見られる『神との契約』の記憶が無く、選民意識も存在しない。『神との契約』という衝撃的な出来事が起こっていたならば、ユダヤ民族に見られる様に決して忘れることなど出来ないであろうからだ。
中世あたりから『神州日本』的な考えは存在するが、それは恐らくは『元寇』辺りから一般的になったものだろう。そして帝国政府が戦争遂行の為にそれを利用し、最後は
『神風特別攻撃隊』なる理不尽な攻撃の大儀名分として大日本帝国とともに絶命した。
偽書とされる幾つかの古文書では、視点が政治的な主流に逆らっている為に内容の如何に係わらず一切認められていない。
そこでは世界的に活躍する私達の祖先の姿が活写されていたりするが、アカデミズムからは一笑にふされ、顧みられることはない。
正史的な解釈からは当然であろうが、その正史として唯一認められている『記紀』にしても多くの矛盾と欺瞞に満ちているであろうことは否めない。
日本神話では妻のことを妹というが、ユダヤでもやはり同じである。またソロモンが契約の箱をダビデの町から神殿に移した時に雲が神殿に満ちたという。
その時にソロモンが述べた誓いと、スサノオが詠んだとされる和歌『八雲たつ出雲やえがきつまごみに やえがきつくるそのやえがきを』が殆ど同じ意味だという。
研究者の中にはヤクモとイズモはヤコブとエドムであると指摘する人もいるらしい。
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)には何と1〜2万年前の亜氷期の記憶が記されている。この時期に温暖だった気候が寒冷化し、平均気温が低下したのだが、このことは山の幸で十分に暮らしていけたものが、農耕による食料生産の必要に迫られたことを意味している
ディテールは異なるが、山本建造氏も乗鞍岳(のりくらだけ)付近に生活していた人々が気候の寒冷化により平地(現在の岐阜県・高山市付近)に移住したという説を発表されている。
山本氏の場合は乗鞍山麓に居住していた人々が原日本人だとされていて、飛騨から出雲や奈良へ人々が遣わされ、外国からの脅威に備えていたのだとされている。
しかし平地に降りて農耕が必要となれば、武力以上に権力を握る武器となるものがある。農耕技術がそれだが、九州に渡来して日向に拠点を築いていた日向族にとって日本を支配する絶好のチャンスが到来することになった。
この日向族は恐らくはヨセフ族であり、増長した彼らは自らを天から下ったもの天孫族と呼称するようになる。高千穂に降臨した天孫とは日向族であったが、彼らの覇権を目指す闘争は未だに全国に広がる様なものではなく、九州の一地方での戦いでしかなかった。後に東征して近畿地方で天下の覇権争いを繰り広げた相手は、皮肉にも後に同じユダヤ系渡来氏族といわれる人々であった。
結局は日向族 が勝利したが、日向族もナガスネヒコも自分達が後世には同じ部族としてひと括りにされるとは知る由も無かった。
この闘いの後に近畿に勢力を築いた日向族は、ワカミケヌ(神武)の時代に最盛期を迎える。そして神武は彼の詠んだ和歌のなかで、自身の妻を妹と表現している。
これはユダヤ独特の表現であり、日向族とはその昔、僅かの種籾を携えて日本に渡来してきたユダヤ系の人々であった証拠でもある。
そして神武を先頭に日向族の東進が始まる、古代史に有名な神武の東征である。
しかし、これには異説も存在する。山本建造氏は岐阜県の飛騨地方にある『位山』に神武の墓があり、神武の本当の名は『サヌ』であり、その昔は地元の古老が嫁にその経緯を語って聞かせたという。
山本説によると神武は東進した大和でニギハヤヒと対峙するが、やがて神武とニギハヤヒはお互いの先祖が同じであり、かつては陸路と海路に分かれて出発した同じ一族の同胞であると判明する。更に出発前に先祖同士が交わした約束により、ニバハヤヒは都を神武に譲ったとされている。
つまり、ここでも渡来人が既に大和に居住していた可能性が示されている。しかも先祖同士の約束をちゃんと履行する律儀さは、多分に日本人らしさを示している様に感じさせる。
ユダヤ系渡来人である日向族が、同じくユダヤ系とされるナガスネヒコとアビヒコの兄弟が支配するヤマタイ国を撃破し得たのは、ひとえに剣の力だけではなかった。
ヤマタイ国の指導者である二人の名前にはヒコが付く が、水上氏によればヒクソス と呼ばれる民に由来するものらしい。ヒクソス とは500年以上もエジプトを支配し、契約を交わしてエジプトを出て行った民族とされ、ヒク=王・ソス=牧人という意味であるらしい。
日向族(ひゅうがぞく)ってな〜に?
だが、古代史研究家の水上涼氏が家紋を研究したところ、イスラエル12支族の全てが日本に渡来していることが判明し、著書『ユダヤ人と日本人の秘密』(日本文芸社)の中で詳細に解説している。
とすれば、「出雲族」と「日向族」の対立は、イスラエルの「10支族」と「2支族」の対立とも無関係とは思えない。
イスラエル共和国の再建まで、ユダヤ人は国を持たない放浪の民と言われてきたが、実は古代日本列島に民族移動し、世界で最も古い歴史を持つ「日本」という国の建国者だったのだろうか……引用はここから
ヒクソスと出エジプト記
ヒクソスの学術的解説(Wiki)
聖書ものがたり・出エジプト記
名前にヒコを付けるのは、その流れを汲む人々であるとの説があった。つまりナガスネヒコ、アビヒコは渡来人の支配者だったと思われる。
このヒクソスはエジプトを脱出後 、ユダアと呼ばれる国にエルサレムという町を造ったと伝えられている。このヒクソスとはエブス人のことで、中国の神話時代に活躍した夷と呼ばれる人々がそれで、日本では彼らをエビスと呼んでいた。
これは古代日本とエジプトとに交流があった証かも知れないのだ。
エブス人
「創世記」10章15-18節では、長男シドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アキル人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人の11の氏族を総称して「カナン人の諸氏族」と呼んでいる。そのカナン(現パレスティナ)人はいち早くゴシェンに住んでいたセム族であったかどうかの記述はどこにもない。
その日,主はアブラハムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで,カイン人,ケナズ人,カドモニ人,へト人,ぺリジ人,レファイム人,アモリ人,カナン人,ギルガン人,エブス人 の土地を与える」<創世記・Genesis15:18>
天照大神は孫のににぎのみことにいった:お前にこの瑞穂の国を与える(古事記)
ニニギノミコト
聖書ものがたり・創世記
えびす様
さて気候が寒冷化したが故に、狩猟と採集で生活の糧を得ていた日向周辺の国々はたちまち窮地に瀕した。
一方では小勢力ながら農耕を糧としていたワカミケヌ(神武)達は、それほど困ることもなかったのである。そして日向族の前に多くの国々が膝を屈したのである。
このことは全く経済力の差であり、力ばかりが戦の勝敗を決定するものではないと日向族に実感させたことであろう。
それは東征を目指した神武が、突然に熊野川を遡り当時としては貴重な辰砂をわざわざ求めていることでも判る。この辰砂は朱の原料となるもので、後には大陸への貴重な輸出品として政権の経済を支える物のひとつである。
神武達は飢えに苦しむ集落へ稲作を教え、見返りには法外な指導料を取り力を蓄え、時には武力で制圧し、時に政略結婚などの懐柔策を用いて、その勢力を伸ばして行った。
出雲の伝承では神武は七人いたというが、恐らくは七代はオーバーにしても複数代に渡ってこの東征が成し遂げられたものであろうと推察される。伝承を信じればその何代かの日向族の長が、神武という一人の人格に統合されて現代に伝わっているに違いない。
それはまた日向族の偉大さを誇張する為に、後世に成って『神武』という偉大な人物が捏造されたという可能性をも示してはいないだろうか。
日本では古来、支配権を握った勝者が、歴史を自分達の都合に合わせて改ざんすることが、当然の如くに行われていた。それは、多分にユダヤ的な行為でもあり、日本史の中では後世の政権も常に同じことを平気で行ってきた。
現代では有名な豊臣秀吉も、江戸時代には庶民から忘れ去られていた。無論、豊臣から政権を奪った徳川の政治的な方針により抹消されていたからだ。
それが復活したのは、やはり明治新政府の政治的な狙いによる。それは徳川前政権を、悪者に仕立てたいが為の方策のひとつだった。
前に挙げた『記紀』(管理人注 :日本書紀と古事記の略称)もその例に漏れず、勝者となった日向族の都合に合わせて編纂されたものであろう。
記紀に関しては「景教と弘法大師空海」参照
だとすれば古事記のイザナギとイザナミのシーンも、自分達の習慣・風俗に合わせて記述したに違いないから、日向族はユダヤ系渡来民と考えられるのである。
そして敗者の側の記録は一切が異端として認められず、闇へと葬り去られる。
『東日流外三郡誌』もまた、このような敗者の記録であり、密かに伝えられた歴史書のひとつであるのだ。
このような捏造の繰り返し が今日の日本史を歪め、矛盾と誤謬に満ちたものにしてしまったのだ。
統一協会の大学教授が物凄い勢いで急増しています。奨学金を出してもらったからでしょうか。
だがどちらにしろ、ユダヤ系の渡来人と思われる勢力が日本の中心に腰を据えたことに変りはなく、彼らはやがて大王や大君と呼称していた王権を『天皇』という、より尊大な呼び名に変更したのだった。
そして彼らが拠点とした近畿地方一帯が、つい400年前まで日本の中心として繁栄し政治・文化の中心であった。
祇園祭はイスラエルのシオンからきたもの
祇園祭は、古代イスラエルのシオン祭りがルーツであるとも言われており、どちらも疫病を払うもので、7月1日から1ケ月間祭りは続き、ノアの箱舟がアララト山に漂着した7月17日にクライマックスを迎えます。 これは、シルクロードの果てから、新羅経由でやってきた最強の渡来人で、実質的に日本をつくりあげた秦氏が、古代イスラエル文化を日本に伝えたものと考えられます。
平安京をつくったのは桓武天皇ですが、その技術・資金の大半は全て秦氏のものであり、祇園祭を主催する八坂神社をつくったのは秦氏であります。 というか、日本の神社は八坂神社に限らず、秦氏によってつくられたものです。
日本書記など理解された上級者はこの小林恵子(やすこ)さんの本はいいと思います。1978年の論文「天武天皇の年齢と出自について」(東アジアの古代文化16号)をまとめた内容で.......泉湧寺が天武系の天皇を祀っていないことが明るみに出ている。なぜ天武系は皇統から排除されるのか。それは天武と天智が本当は兄弟ではないというだけではなく,百済王の系譜を引く天智に対して,天武は森羅系渡来人だったから,という。「日本の正体」99〜に詳しく出ている。しかしながら日本書紀は縄文系が古事記は森羅・ユダヤ系渡来人が書いたものと思われるが立場によって変わってくる。藤ノ木古墳を調べてみるといいだろう。朝鮮王朝との関係を。
フルベッキが中心になって起こした明治維新が実は南朝革命であったことを知る人は少ない。鹿島昇は,光明天皇が暗殺されたと見た上で,明治天皇が光明天皇の皇子(睦仁)ではなかった可能性を述べている。明治天皇の孫を称する中丸薫さんがあるテレビで明治天皇は南朝.....と発言して騒然としたことがあったらしい。鹿島昇の説はつまり鎖国維持を主張する光明天皇に続いて明治天皇も殺されたという説である。なぜ薩長とその勢力に与した公家たちが,そんなリスクを冒したかというと,明治維新の目的が,実は南朝革命だったからだという。
古代社会でも最も有名な帰化人といえば『秦氏』であろう。聖徳太子の側近に秦河勝(はたのかわかつ) が居り、この人が宮廷での雅楽を世襲してきた東儀家の遠祖といわれている。河勝は渡来人であり、秦の苗字が示すように秦氏の出身であろう。
秦氏は雅楽、絹織物、土木、農耕などの技術を持っており、その技術を背景に巨大な富を蓄え政治的にも影響力を及ぼすようになった。
その秦氏が主導して作り上げたのが平安京であるという。これはヘブライ語のイールシャローム(エルサレム)を日本語にすると平安京となるのだそうだ 。そればかりでなく、何とエルサレムの付近にはキネレット湖があり、これは琵琶の意味だそうでエルサレムという街の名とキネレットという湖の名をそのまま写したのが平安京と琵琶湖だといえよう。
政治の中枢が江戸に移ってからも、経済の中心として命脈を保ち続けたことは奇跡的な出来事といえるのかも知れない。
その理由として私的には、やはりユダヤ以前から続く大きな文化的なベースが存在し、それがユダヤに残った伝統的なものと重なったことにより更に強化されたからだと考える。(引き続き了解をいただいたここの管理人様の記事を解説・編集・要約しています)
よくメールを戴く読者からの転載です。
こんにちは、Tatsujin様 XXです。
その岐阜県の高山市民のことですが、数年前に行なわれたミトコンドリアDNA検査で、市民の50%以上が、いわゆる「縄文人」と言われる人々だということが判明しています。
きわめて特徴的な分布を示していたと当時のニュースで見た覚えがあります。
おそらく、中部(に限らずですが)の山岳地方の人々の中には、いわゆる「まつろわぬ民」として追いやられて定住した人々(生活としては狩猟、炭焼き、マタギ、などなど)が多数いたのではないかと推察します。
それでは失礼します。
まつろわぬ民ってな〜に?
「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷 (えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権・朝廷により東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とする説が唱えられている。
蝦夷は統一国家に抵抗していた 。
蝦夷征伐
卑弥呼の正体
ヒクソスから帰来した渡来人
2CHは玉石混交ですね。
この世には決して知ってはならない文字がある 。
1 ■サンカについてのサイト
ついさっき、サンカについてのサイトを訪問したら、再開していたので、是非このサイト「熊野ライフ」掲示板参照をー
http://www.kumanolife.com/blobee/bbs.cgi?ffpnDw3YMcHVA
サンカくらいが天然痘患者を受け入れる集団だったように、包容力のある平和的な集団だった。
そして唯一サンカを受け入れたのが被差別部落だった点や、その生業を考えると元々の列島先住民生き残り集団に様々な流れ者が流入した集団なのではと思う。
上記BBSより
佐治芳彦著:謎の神代文字
こういう本を採り上げるについて、先に一言書いておいたほうがいいだろう。
こういう本とは、ぼくが仮に「アダムスキー本」とよんでいるもので、超古代史もの、UFOもの、偽史伝もの、予言ものなどをいう。巷間ではしばしば「カルト本」などともいわれる。だいたい見当はつくだろう。
ぼくの知っているかぎり、このような本、たとえばヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』、チャチワードの『失われたムー大陸』、デニケンの古代遺跡をめぐる一連著作、日本でいうなら吾郷清彦の『古事記以前の書』や古田武彦の『邪馬台国はなかった』、最近よく売れた本の例でいえばグラハム・ハンコックの『神々の指紋』といった本を、これまでまったく読んだことも覗いたこともない読書人やメディア関係者というのは、まずいない。誰もが一度や二度は手にとっている。本棚の片隅に眠っているばあいも多いことだろう。
それにもかかわらず、このような本が一般的なメディアで書評の対象になるということは、ほとんどない。書評どころか、知識人たちのエッセイに登場することもない。理由はただひとつ、「いかがわしい」からである。
しかし、「いかがわしい」というだけなら、世界の全刊行書籍のうちのおそらく半分以上はいかがわしい。
日本の「アダムスキー本」の多くは、必ずやどこかで日本の古代史にかかわっている。
これを「日本の超古代」などいう。この言葉、ちょっと“いかがわしい”ので、最近は「日本の古史古伝」とよぶことになっているが、この古史古伝をめぐる仮説が、やはり書評はおろか、まったく歴史研究の一部とさえみなされていない。
実は、この手の“超古代仮説”が無視されてきたのは、もともとは明治以降の古代史ブームに関係があった。
いくつか原因があるが、ひとつだけ言及しておく。
明治以降に西洋思想が流れこんだとき、この内容をうけて日本の原始古代史にあてはめた一連の比較文化研究ともいうべきものの大半が流産してしまった。
これには、バイロン研究者としては有名な木村鷹太郎が日本神話とギリシア神話の類似に着目して書いた荒唐無稽きわまりない『世界的研究における日本太古史』(明治45年)、無政府主義者で大杉栄らの友人だった石川三四郎が記紀神話のルーツをヒッタイト神話やユダヤ神話に求めた『古事記神話の新研究』(大正10年)、あるいは小谷部全一郎がジンギスカン=義経説につづいて打ち鳴らした『日本及日本国民之起源』(昭和4年)などがある。まだまだいろいろあった。
いずれも今日ではまったく認められていないが、当時はたいていがベストセラーで、そこそこ学者たちも巻きこまれていた。けれども、その内容の多くは外国語を先駆して読めた学者たちの、あまりにも牽強付会な推理ばかりだった。
ようするに海外事情に暗い日本人に、日本のルーツを国際化するためかのような眉唾な話をふんだんに取りこんだのである。これでは長持ちするはずはなかった。
それでもまだ、この手の話は荒唐無稽でも、痛快なところもあった。ところがここに決定的な“事件”が加わった。
茨城で教派神道系の宗教法人皇祖皇太神宮天津を主宰していた竹内巨麿が発表した「天津教古文書」が、学界からの猛攻撃をうけてしまったことだ。
これがいわゆる「竹内文書」である。
謳い文句によると、神代文字で綴られていた文書を武内宿禰の孫といわれる平群真鳥が武烈天皇期に勅命をうけて漢字まじりで翻訳したという文書なのだが、当時の三上参次・黒板勝美らの史学者の頂点いる学者たちの逆鱗にふれたばかりか、竹内巨麿がその発表内容で不敬罪で起訴され、さらに岩波の「思想」が昭和11年に狩野亨吉をして「天津教古文書の批判」を書かせ、木端微塵に粉砕してしまった。そういう“事件”だった。
なにしろ日本の古史古伝には日本神話がかかわっている。安易なあてはめは、良くも悪くも警戒されたのだ。以来、この手の本はなかなか浮上してこなくなる。
こうして長らく、偽史伝を扱うこと自体がタブー視されてしまったのである。ぼくは偽書や偽史もまたひとつの史書史料であるとおもっているけれど、学界はそういうことを「でっちあげ」として絶対に許さなくなっていった。
それでも昭和30年代の邪馬台国ブームをきっかけに、古史古伝書に言及するタブーは少しずつ破られてきた。が、ちょうどそのころに欧米の「失われた大陸ブーム」やUFOブームが浮上し、さらにはヒッピー・ムーブメントに付随したオカルト・ブームが重なってきた。
あるいはそれまでに、偽史偽書をめぐる本格的研究があってもよかったかもしれないのに、その日はオカルト・ブームによってまたまた遠のいてしまったのである。まあ、いろいろ不幸が重なったわけだ。
で、本書のことになる。
この本は日本の古史古伝に関しての案内である。むろん著者の言いたい仮説は書いてあり、本書にとりあげた古史古伝をいずれも認めたいという切実なものなのだが、その言い分をむりやり通すという態度は見せていない。
したがって本書は比較的よくできた日本の偽史偽伝のガイドブックとして読める。偽史や偽書というものが日本でどのように扱われてきたかについてのサポート・レポートにもなっている。そういう意味では珍しい本なのだ。著者についてはぼくは知らないのだが。
ここで古史古伝というのは、“超古代史研究家”の吾郷清彦による定義づけによめもので、本書もそれが基本的に援用されている。それによると、次のようになっている。
『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』が古典三書、それに『先代旧事本紀』(旧事紀)を加えて古典四書、別して「竹内文書」「九鬼文書」「宮下文書」を古史三書とし、さらに別の範疇として「上記」(うえつふみ)、「秀真伝」(ほつまつたえ)、「三笠紀」を古伝三書というらしい。
これがこの“斯界”の研究者たちの“常識”になっている。むろん“斯界”では通用しているが、一般的には、つまり歴史学界では認められていない。それはともかく、ごくかんたんに1行解説をすると、次のようになる。
★「神代文字」で書かれたとみられる古史古伝
上記=頼朝の妾腹の子の豊後守護代・大友能直が関与したというので「大友文書」ともいう。その宗像本といわれる写本を明治初年に幸松葉枝尺が筆写し、それをさらに抄訳した吉良義風の『上記鈔譯』が明治10年に出た。最近になって吉田八郎『上つ記』、吾郷清彦『ウエツフミ全訳』が刊行された。
秀真伝=平田篤胤が『神字日文伝』(文政2年)の巻末に「疑字篇」に示した出雲に伝わるホツマ文字にあたる文書を、昭和41年に松本善之助が“発見”し、さらに宇和島の小笠原家で完本が見出されたというもの。この完本のもとは近江三尾神社の神宝を天保14年に小笠原通当が『神代巻秀真政伝紀』12巻として著したものだったという。
三笠記=「秀真伝」同様、宇和島小笠原家で松本善之助が“発見”したもので、「神載山書記」ともいう。やはりホツマ文字で綴られていた。
カタカムナ文書=上津文字で綴られたとみられているが、どうもこれがカタカムナ文書だと特定できている文書はないようにおもわれる。斯界では楢崎皐月による『カタカムナのウタヒ』を基本資料にしている。
★一部に「神代文字」が出てくる古史古伝
九鬼文書=九鬼家伝来の文書を九鬼隆治が、元大本教幹部の三浦一郎を通して『九鬼文書の研究』(昭和16年)として一部公開したもの。春日文字が見られるという。
竹内文書=上記にふれたように、昭和10年以前に天津教の竹内巨麿によって公表された。
宮下文書=富士文書・徐福文書ともいう。三輪義熈が30年をかけて『神皇紀』(大正11年)として翻訳刊行したといわれるもの。
物部文書=岩手の小保内樺之介が陳述したという『天津祝詞の太祝詞の解説』にもとづく文書。阿比留草文字で綴られたといわれる。
東日流外三郡誌=つがるそとさんぐんし。津軽の『市浦村史資料編』の中に収録されている。昭和50年に公開されたばかりで、かなり話題になった。寛政年間に編纂されたものだが、ナガスネヒコ(長髄彦)、アラハバキ(荒吐王)を主人公とする物語は興奮すべきものをもっている。
だいたいこんなふうになっている。異論も異説もあるが、ともかくこういう見取図だ。
では、これをどう読むかということだが、これらの内容には、さすがにしばしば腰を抜かすものが少なくない。“疑わしい”あるいは“いかがわしい”といえば、いくつもそう見える。しかし、そこをどう見るか、である。
たとえば「お筆先」をどう見るか。新井白石や頼山陽や徳富蘇峰の記述をどう見るか。秩父困民党蜂起や東京ローズや松川事件をめぐる記述をどう見るか。もっとグローバルにいえば、マタイ伝やカバラ文献をどう見るか。アヘン戦争やイラン・コントラ問題や天安門事件をどう見るか。そういうことにかかわってくる。
それらはある意味ではそれなりの編集が時間をかけてされてきたことによって、歴史の確固たる文献になってきた。あるいは教典になってきた。あるいは、なりつつある。
けれども、ここにあがった古史古伝の多くは、未整理であり、他人の手も時間の手もほとんど加わっていない。それに、楔形文字や線文字Bのように、学者たちが解読しようともしない文字で綴られていると主張しすぎている。
おそらくはそういった理由がいろいろ動いて、これらには何かを訴えるところも少なくはないにもかかわらず、これらは一介の民間史伝者の“よまいごと”として片付けられてきた宿命の裡にあるわけなのであろう。そのため、実は一度は目をむけた人が多いにもかわらず、公然と放置されてきたのだった。
が、ともかくも本書のようなものに一度くらいは目を通すことを勧めたい。どんな感想をもつかは各自に覗いてもらう以外はないが……。
とくに本書は、これらの古史古伝文書の成立の経緯とそれに対する批判も案内しているので、この手の本のガイダンスとして読むことを勧めたい。
著者は古代史研究家で、『謎の竹内文書』『謎の東日流外三郡誌』(いずれも徳間書店)がある。なお、明治期に日本の偽史がさかんに書かれた背景と事情については、長山靖生の『偽史冒険世界』というすこぶる興味深い本があるので、そちらを覗かれたい。
参考¶これらの文献の入手はけっこう難しい。絶版もの、版元がつぶれたものを含めて、かつては比較的書店で入手しやすかったものだけをあげておく。
吾郷清彦『古事記以前の書』(大陸書房)、同『日本超古代秘史資料』(新人物往来社)、同『ウエツフミ全訳』(霞ヶ関書房)、同『日本神代文字研究原典』(新人物往来社)、同『日本超古代秘史研究原典』(新人物往来社)、鳥居礼『秀真伝』全2巻(八幡書店)、三浦一郎『九鬼文書の研究』(八幡書店)、田中勝也『上記研究』(八幡書店)、『東日流外三郡誌』全6巻(八幡書店)、宮崎小八郎『神代の文字』(霞ヶ関書房)、松本善之助『ホツマツタヘ』(毎日新聞社)、池田満『ホツマ辞典』(展望社)、鈴木貞一『先古代日本の謎』(大陸書房)、相馬竜夫『日本古代文字の謎を解く』(新人物往来社)、吉田信啓『神字日文考』(中央アート出版社)、長山靖生『偽史冒険世界』(筑摩書房)など。
拍手より
サンカ(山窩)とゴシェン その2
2011/10/17 16:29
何時もありがとうございます。
山窩とジプシー
山窩が里に下りて来て、籠やその他手作り品を売ったりしていましたが、ジプシーも籠や花籠などを売り歩きました。
そして、山窩は他の仲間に情報を伝える手段として様々な記号を使っていました。
例えば「この家はケチだ」「この家は気前がいい」「この家では近々婚礼がある」等々、また危険な村では「逃げろなど」、ところが、インド発祥といわれるジプシーが用いていた記号も山窩とマッタク同じなのです。
両者には何かしらの関係があるのか。
話は違いますが、源氏の紋章であるササリンドウ(笹竜胆)の紋章も古代インドに存在していました。
錬金術と中世ヨーロッパ諸国の法律
最初に錬金術に成功したのはソロモン王だといわれます。
中世ヨーロッパでは、多くの国が錬金術を行う者は国家に対する反逆(死刑)である、としています。だがここで間違えないで貰いたいのは、錬金術を研究する者は死刑であるといっているのではありません。錬金術によって、実際に金を作りだしている者を国家に対する反逆であるといっているのです。
従って、金が欲しくて錬金術師を歓迎すると呼びかける国もあったようです。
大英博物館には、錬金術が実際に存在した証拠の品があると聞き及んでおります。1キロの銀のメダルの半分が金になっているモノと、小銃の弾丸。
放射能
死海文書発見よりもずっと以前の一九二〇年頃に、バチカンは死海周辺に調査隊を派遣しています。これは、どうやら古代の核戦争の確認だったとも思われます。また、そうではなかったのかも知れません。しかし、調査隊はここで強い放射能を検出しています。
一九二〇年のこの当時、ガイガー・カウンターを何処から手に入れたのか、どのような理由でガイガーカウンターを装備していたのか。そして、この時点で放射能を検出したのが本当なら、それを確かめるのが目的だったのか。
調査隊は死海の周辺で、動物の生殖能力を失わせるに足りるだけの放射能を検出したようです。調査の目的は何だったのか、この当時に、放射能を検出したとなれば、最初から放射能がそこに存在することを知っていなければ、この時点での放射能検出はあり得ないと思われます。日本に原爆が落とされたそのずっと以前ですからね。
今では、その近くのシナイ半島付近には、低軌道の衛星からの観測で、原爆の跡であろう傷痕(地質の色の違い)が確認出来るようです。これは、周囲の地質から見ても自然には絶対に起こり得ないことといわれます。
邪馬壹国は日本には存在しない。
我が国の国立歴史民俗博物館は、
「――私たちは中国遼寧省の『遼西』とよぶ地域において、朝鮮式銅戈の祖型を確認しました。いまのところ、遼西で朝鮮式銅戈の祖型と考える資料は三点あります。いずれも戦国中期頃の銅戈で、@は喀左県梁家営子(かくさんけんりようかえいし)、
Aは建昌県孤山子(けんしようけんこざんし)遺跡、Bは葫盧島傘金溝(ころとうさんきんこう)から出土しています」以下略。これは何を意味するのか。
『周書』百済伝や、また『梁書』百済伝、『三国志魏書〜烏丸鮮卑東夷伝』夫余の条。資料となるものは他にもあります。が、これらの文献から明らかなのは、例えば『明史』巻第三太祖には、「高麗李成桂幽其主瑶而自立以国人表来請命詔聴之更其国号曰朝鮮」とあります。
訳すと、
「高麗の李成桂その主瑶を幽して自立す。国人、表を以て来り命を請う。詔(みことのり)して之を聴き、その国号を更めて朝鮮という」
要は、明の皇帝が李成桂に与えた国号が「朝鮮」だと書いてあり、今現在の場所に在る南北朝鮮は、ずっと昔は別の場所に在った。つまり今の場所を朝鮮と呼びたいと明の皇帝に申し出た。これが十四世紀の終盤の出来事。
中国の正史、二十四書の内の三国志を書いた陳寿のいう、邪馬壹国への船出の場所としての楽浪郡も、当然だが現在とは別の場所に在った。今の遼東半島です。
従って、国立歴史民俗博物館が朝鮮式銅戈の祖型を遼西から発見したのも当然だといえる。
『梁書』百済伝
「その国は、もと句麗と遼東の東にあった。晋の世に、句麗はすでに遼東を侵略した。百済もまた、遼西と晋平の二郡の地を占拠して、自ら百済郡を置いた」とある。
以上他にも文献はありますが、要するに、邪馬壹国へ船出したとする場所は、現在の遼東半島であって、陳寿が記載する距離としては日本に届かない。
つまり邪馬壹国は日本に存在しない。だから幾ら捜しても絶対に? 見付からないように思うのですが……。
玄米と海草をよく噛んで……
この処、マッタク金には縁がなくて、送金もままならず。数年前迄は、私もジャガーに乗っていたのに、今では、トホホ。
145
2011/10/10
「東海アマさんのBBSより」
イルミナティ13人評議会、魔術師の秘密結社の謎
投稿者:あのに 投稿日:2011年10月12日(水)23時41分19秒 通報 返信・引用
イルミナティの核であろうと私が考える13人評議会について、以前書いた。私のはたいした内容でないので、まず次のところを読んでほしい。
LEGACY OF ASHES
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/43.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/211.html
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2008/09/post_ea8f.html
さてはてメモ帳 Imagine & Think!
http://satehate.exblog.jp/16401995
さらに起源と彼らの不可視操作について考えたい。その起源はスキタイ・ハザール王国にあるであろうと考えている。この起源にかかわる推測は、そのうちアップしたい。ヴァチカンよりもおそらく古い歴史をもつこの組織には、いろいろ名がある。13人ドルイドカウンセル、13人評議会などだ。私はこれを、魔術師の秘密結社と呼ぶ。これが、なぜ知られてこなかったかを考えたい。この組織がスキタイ・ハザール王国の人家畜管理の伝統を、イルミナティの伝統として、2500年以上にわたって継承したにもかかわらず、歴史文献にはいっさい登場しない。この魔術師の秘密結社が、現実に存在の痕跡を残しているが故に、逆説的に存在していたといえるのである。不可解な痕跡として、17世紀ドイツでは薔薇十字団として錬金術、賢者の石、不老不死薬などの関心の痕跡を残し、19世紀イギリスでは降霊術の関心をひきおこす。ここに魔術師の秘密結社が、隠れて存在していた証拠である。
彼らの不可視操作を考えてみることは、重要である。存在の痕跡はどのように隠されたのだろうか。組織の隠蔽、情報の消滅について考えてみよう。秘密組織、例えば秘密結社や諜報組織の中などに何重にもわたって入れ子状になった組織を作る。こうすれば、情報をここに置いておけば、長い年月の間にその情報は自然消滅する。これが歴史上に不可視にするテクニックだろう。
事実が出てきてしまった場合の対処法がさまざま考察され、実施されたであろう。そういった場合は、UFO問題が、この見本市である。たとえば、MJ−12のクーパーの暴露である。同種のニセ情報をおとりにしてマスメディアで皆の注意をひきつけ、最後に両方ともニセであることにしてしまう。情報を葬り去るには、矛盾や誤りを含んだトンデモ情報が使われる。否定するには、権威アカデミズムの活用は、もっともよく使われる。権威アカデミズムなどが否定すれば、目の前に存在するものも存在しないことになる。催眠術でよくある現象だ。目に見えていても、当人の意識上は不可視であり、存在していない。
ほかにユダヤ儀式殺人、ユダヤ迫害、ホロコーストの真実、戦争の計画 革命暴動 虐殺の事実、金融経済の偽装などあらゆることが該当するだろう。現代文明すべてが彼らの魔術の結果の虚妄の狂気のシステムであるが、現実生活はまともな現実に一応見えるところがみそである。したがって、このメタ現実がいかに虚妄の狂気であるか意識できないのである。
さらに意識の領域までもカバーする不可視操作、意識のブロック法がもちいられている。魔術師によって、意識の領域まで不可視化が計られているが、このため様々なオカルトシンボルが用いられている。オカルトシンボルの目的は、意識の深い領域までも人々を洗脳するためだ。オカルトシンボルに目を向ける多数の人びとに向かって意識操作者が洗脳したり、意思を投げかけ不可視になるようブロックするわけだ。すなわち儀式によって、オカルトパワーを全世界の人にひろげ、精神のおりの中に封じ込めるのである。意識の領域にまで、魔術儀式によって隠蔽がされているため、1000年以上も不可視を保つことができたのである。これは、きわめて古い時代のシャーマニズムまでさかのぼる方法だろう。
こういった魔術を使った不可視法、洗脳法が使われているため、なんらかの手段で洗脳を解かねば、このイルミナティマトリックスから我々人類が簡単には逃れることはできず、まるで夢の中のように生きることを余儀なくされるのである。
上記記事に関しまして質問がある方はコメントに投稿ください。出来る範囲でお答えいたします。(管理人)
世界を支配する黒魔術 その1
世界を支配する黒魔術 その2
世界を支配する黒魔術 その3
時近ければなり その1〜9
時近ければなり その6では黒魔術の源流が分かります。
時近ければなり その8 のバチカンの逆さ十字の意味は怖いですよ。
おやおや一年ぶりにPC猫が登場しましたね。何を言いたいの?猫いわく,反キリストが世界を滅ぼすと。猫またいわく,逆さ十字は反キリストだとさ。
そういうことか,猫よ。キリストなんてチャンチャラおかしいということだな。猫またいわく,バチカンの崇拝しているのは下をみよ,だとさ。
マー君も負けてはいない。PC猫はカトリックの第二正典「ベン・シラの書」 を読んでいないな。これはご主人から最近教わったんだけどPC猫のように短絡的に考えては駄目ということだな,と。
律法を守ることは、多くの供え物に匹敵し、
掟に心を留めることは、和解の献げ物に、
他人の親切に報いることは、穀物の献げ物に、
施しをすることは(喜捨とか布施の意味)、感謝の献げ物に匹敵する。
主に喜ばれるには、悪事に手を染めず、/贖いを受けるには、不義に手を染めないことだ。(ベン・シラの書第35章・1〜5節)
マー君は一人つぶやく......簡単に正解を与えられて満足する、一般人にはならないほうがいい。真実は・・・どんな答えであれ・・・あなたの出した答えこそが・・・正解なのだから,と。
スー君はいう。いつの間にかマー君がPCの中へ入っちゃったよ,と。
まあいいや,とにかく寝ようか。あとでプロレスごっこしようっと。
初めての方は左の目次にカーソルをあてクリックすると記事を読むことができます。とくに地震がらみの記事は龍神雲現る あたりからお読みください。
13人評議会(ドルイド)の記事は かなり下の方にあります。その意味分かりますね。もし英語で書いたら即殺されるからです。リンクは貼らないように。
ジョン・トッドのこと
イルミナティと魔術
ジョン・トッドの現状
3.11以降見ている人も多いのでもう嫌なのですが上の写真は左が元召使(侍女)のシェリー,右が元イルミナティ11位階暗黒の母のシスコさん。真ん中の変なおじさんは管理人。暗黒の母は反キリストの悪霊軍団の司令官として189の血流に一人ずつ配置される。シスコさんはナンバーワンでありロスチャイルド家のマドンナだった。2008年1月FEMA CONCENTRATION CAMP強行突破の朝ポートランドのモーテル前で 。
ポートランド・CoffeeCreekのFEMA CAMPへシェリーの運転で強行突入する(右の座席はシスコさん)。監視カメラがあるので顔を隠してと皆慌てて隠した。その後警官が多数いたがシェリーがにこやかには〜〜〜い!と手をふり政府関係者と思ったのだろう。後は何事もなかった。
ここに歴代米国大統領のリストがある。 シスコさんの曽祖父は18代大統領のユリシーズ・グラント(悪魔主義者)で50ドル紙幣になっている。20代のジェームズ・ガーフィールドはパリの秘密結社大東社の元グランドマスター(33位階)だったが結社の指令ですぐ暗殺された。
ジョン・トッドは1994年初頭刑務所から出所直後ヘリコプターで運ばれ殺されたとする説が横行しましたが管理人の極秘情報によると最近まで生きていたかまだ生きている可能性もある。デヴィッド・アイクの書いているものを読むと,シスコさん,アリゾナさん,そしてジョンの口述によるものであろうことはたしかです。ジョンはオカルト儀式を経たコリンズ家出身で記事にもありますが世界最高の議決機関13人ドルイドカウンセルのリーダーでした。みなさん,知能指数はかるく200を超え話し出したら何日でも何週間でもアウトプットできる教育を受けているからです。
何回も書いていますが以下はオカルト儀式の様子です。イルミナティ結成記念日の5月1日とハロウインの前日に行われます。今年もまたオカルトパワーで圧倒するコリンズ家がグランドマザーをつとめた。オカルトなんて! 世界の出来事はすべてここで決められるのです。そしてホワイトハウスの頭上に君臨するブラックハウスが指示を出すのです。オバマなんてPUPPET(人形)がステージショーを演じているに過ぎないのです。
人形達のステージショー参照
『描写するのは,高位の悪魔主義者らによるある極秘集会の様子である。それは元イルミナティ最高位の13位階で,キリスト教徒になっていたが消されてしまった。彼(ジョン・トッド)の体験は1955年に遡る。この集会は年に二回行なわれるもので,ロスチャイルド家はじめマザー・ファミリーのすべてが顔をそろえる。その時玉座についていたグランド・マザーはコリンズ家の者だった。コリンズ家が表舞台に出てくることは,まずない。というのは,彼らはロスチャイルド家やロックフェラー家以上のオカルト・パワーを持っているからだ。もちろん,コリンズ家も金儲けのために為替取引などそれなりの経済活動はする。.......さて,グランド・マザーのコリンズは黒い衣装を身に纏い,黒檀と金で出来た月型の玉座にいる。玉座は足でペダルを踏むと自動的に回転する。彼女の後ろにはグランド・カウンセル(総評議会)の13人(達人注:世界最高の意志決定機関である13人ドルイドカウンセルのこと)が坐っている。この時の最高位はグランド・マザー(管理人注:イルミナティの最高位階13階級のことででシスコさんは11階級の暗黒の母であった)にあり,この時のグランド・マザーを務めたコリンズ家の女性は,50代半ばでと思われ,声は深く尊大,体格は小柄で, 大変な圧迫感を持っていた。彼女は玉座にあって,おびただしい数の宝石で身を飾っていた。初めになされたことの一つは,彼女の足下に小さな黄金の煉瓦(れんが)を置くことだった。彼女の子とおぼしき少年が二人(一人はトム・コリンズで後にイルミナティにより射殺されたとされるが?? )玉座の近くにいた。格の面でも権力の面でも高位の者だけが玉座に近づくことができるのだから,この光景はコリンズ家の二人の少年が大きな力を持っていたことを示している。(管理人注:もう一人のこどもはジョン・トッド・コリンズと考えていいだろう)その少年らが書類を配布する。そこにはこれから起こることが書き込まれた”予定表”が載っていた。これに基づいて盛んに論議が交和され,悪魔の統一世界政府実現に向けて過去六ヶ月間に世界で起こったこと,近い将来に起こされる”計画”が話し合われた。
また計画通りに運ばなかった事柄も話されたし,モーゼの十戒を収めた約櫃(やくひつ)についてアフリカのどこに隠されているかが討議され,約櫃を模した儀式が行われた。そうしたあと,代々の悪魔主義血族から選ばれた七人の子が白い衣装で連れてこられ,グランド・マザーであるコリンズの前に引き出された。子供らは彼女の前にひれ伏して祈った。彼女は蛇を巻きつけた笏(しゃく)を上下に振るって床を打ち,志願した子供を一人一人承認していく。すると承認された七人の子のために新たに七人が〜一人につき一人が〜生贄に供され,承認された子らの名が,生贄となった子らの血を使って鷲ペンで記録される。子供らは神を冒涜する言葉を与えられる(注:これはテンプル騎士団の儀式と同じ) 。グランド・マザーは玉座を回転させ,「13人ドルイドカウンセル」の方を向いて宣言した。「これが明日の世代,選ばれし少数の者」。ここで決まることが漏れることはない。しかし拙稿で書かれていることは漏れるはずがない話である。』管理人
13人ドルイドのメンバーのシビル・リーク トラディショナリスト。占星術師。世界で最も広く読まれているオカルト本の著者。11冊以上出版。13人のうち6人までが魔女(WITCH)。
PS:すこしいつもの悪い癖で長くなってしまいました。 先日のインドからの修行僧のことで少し書きたいと思います。メールを戴いた方は比丘尼 で曹洞宗女性の修行僧です。
比丘は男性,比丘尼は女性。中国、韓国、日本の仏教において、歴史的に広く用いられてきた律である。比丘は二百五十戒を遵守する。 現状において、日本では完全に僧伽が消滅しているため、律宗などで儀式上の必要から、形式的に受戒する場合、中国などから戒師を招来する必要がある。
戒律の条項は以下の通りである。
波羅夷法[四ヶ条] (これを犯した場合、僧伽を追放されるもの)
婬戒 : いかなる性行為も行なわない。
盗戒 : 盗心をもって与えられていないものを取らない
殺人戒 : 殺人を犯さない。
大妄語戒 : 未だその境地を得ていないのに悟りを得たなどと嘘をつかない。ただし自信過剰による思い上がりの場合は除く。
僧残法 [十三ヶ条]
不定法 [二ヶ条]
尼薩耆波逸提法 [三十ヶ条]
波逸提法 [九十ヶ条]
波羅提提舎尼法 [四ヶ条]
衆学法 [百ヶ条]
滅諍法 [七ヶ条]
剃髪
僧侶の規律として剃髪がある。頭を丸め(丸刈り)て悟りの境地へ達する"解脱"への第一歩とされる。剃髪の由来は、釈迦に倣ったものである。古代インドでは、頭髪を剃るのは最大の恥辱とされ、重罪を犯した者に対する一種の刑罰であったが、釈迦は自らの解脱のため進んで剃髪した。それに弟子たちも従ったものである。
なお、罪人の髪を剃る刑罰は、中国の髠刑や日本の天つ罪に対する禊など広く見られるものであった。
剃髪した僧侶が、還俗して髪を伸ばすことは蓄髪(ちくはつ)という。
近年有髪の僧侶もみうけられるが、現代日本の伝統教団には、一部を除き具足戒を受ける習慣がなく、彼らは厳密には僧侶(比丘)ではないので問題はないとも言える。
記事にしたシンクロ同様不思議な現象がまた起こりました。まだオフレコなんですがバングラデシュにはマイクロファイナンス(小額融資)のグラミン銀行 というのがあります。不可触民(朝鮮では白丁のような人) には金利100%でも融資を得ることは出来ないため30%くらいでファイナンスしミシンなどを買い自活させるプログラムなのですが近年金儲けの輩が急増し30%の金利を払えないため自殺者も出ているそうです。将来はせがわせつこさんと会い一度現地にいってこの話,つまりもっと金利を下げるか無金利にするマイクロファイナンスを提案する予定なのですがまだアイデアの段階です。管理人が行けなければどなたか読者の方に行ってほしいと思います。もちろん渡航費などは出させていただきます。資本として提供する考えもあります。とりあえずクリストファーの方に目標の寄付をしてからになります。このマイクロファイナンスはドイツで始まったそうです。こういうことで利益を得るのが「グラミン銀行」でありノーベル平和賞まで貰っちゃって本当にいいのでしょうか。これではサラ金です。金利をとるという考えはイスラム法に反するわけでファイナンスされた人がある程度成功したらまとめて金利を払うようにしないといずれこのシステムは崩壊するかもしれませんね。管理人は高額の年収を捨て1998年1月から2006年5月までどこの宗派にも属さない形での在宅出家をしていましたので比丘尼さんの心の内が痛いほどわかるのです。管理人はあるとき通帳を見るとうん億円近い数字があったので驚きましたが,な〜んだこんなものなのか.........ちっとも幸せじゃなくかえって社員を首にしたりその生き亡霊が出てきたりお酒に頼る生活をしていました。結局はそんなカネ,カネ,カネのratioでは駄目なんだと気がついたのは52歳になったときでした。そして2006年6月かってに環俗し「ゲームの達人」のブログをはじめたのです。
僧(そう)は三宝の1つで、「仏教の戒律を守る、男性の出家者(比丘)・女性の出家者(比丘尼) の集団」を言う。サンスクリット語ではサンガ(saṃgha संघ)であり、それを音写したのが「僧伽」である。今日では個人を「僧」と呼ぶことが多いが、原義として、僧とは具足戒を受け、これを守る出家修行者たちの集団をいう。
僧伽(サンガ)は、一般に「僧団」と言いかえることもできるが、釈迦当時の時代はもちろん、現代においても上座部仏教、大乗仏教を問わず、在家信者を含まない純粋な、出家者たちの共同体である。しかしながら、日本仏教の各宗派の教団は、戒律を守る複数の出家者が存在しないため、定義上、僧伽(サンガ)ではない。
比丘・比丘尼は、出家者における男女の区別によるが、いずれも具足戒をうけた出家修行者を指す。そのもとのことばは「乞食」を意味している。出家者として全く生産に従事しない比丘・比丘尼は、他者から布施されるものによって、生活を維持している。衣は糞掃衣を着し、食は托鉢によって得たものを食し 、住は森林や園林に生活したのが、これら出家者であり、現在でも比較的これらに近い生活形態は、東南アジアの上座部仏教圏で見られる。(Wiki)
上座部仏教圏とは?
しかし,後に 「上座部仏教」. として継承されていった仏教の歴史において,比丘尼サンガの 継承は途絶え,比丘サンガのみが今日まで伝えられてきた。そのため,スリランカおよび 東南アジアの上座. 部仏教圏では,女性が比丘尼として出家することは不可能である ...(神戸大学PDF)
これがゴシェンの地からはるばる朝鮮半島を経て日本にやってきたアラム語を話すセム族秦河勝(はたのかわかつ)の末裔サンスクリット語でいうサンカ(山窩)の原型ではなかったのか?(サンガ(saṃgha संघ))
Wikiにある比丘や比丘尼は「住は森林や園林に生活したのが、これら出家者であり」とありますがはるかゴシェンの地から半島経由で渡来したサンカ(山窩)もそういう生活をしていたのでしょうか。出家者の集団として日本に密入国したので当然国籍はなかったのでしょう。その人たちが田布施町の朝鮮部落に集まったということがもし事実であるのなら彼らを成りあがらせた勢力はまさに慧眼ということでしょうね。封印された古代文字との関連参照 した上で皆さんと一緒に考えていきましょうか。
258
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》