12aa37cb.jpg 金儲けのために始めた個人事業主扱いの個人商店教会、沖縄リバイバルチャーチ。その独裁カルト牧師である儀間盛夫は、1998年、韓国オンヌリ教会の河用祚(ハ・ヨンジョ)牧師を招いて盛大に礼拝の聖会を開いている。その後、オンヌリの伝道チームも数年後に来沖して交流を持っている。ハはCGNTVの登場講師としても知られ、日本基督教団議長の山北宣久(聖ヶ丘教会)が金圭東、峯野龍弘と三者会談を行った際に激賞した牧師の一人でもある。

http://yokohama.yohan.jp/2008/01/post-21.html

ちょうど1997年4月から、儀間が貯め込んだ個人資産の1億200万円を独断で支出して元大阪御国教会の長一夫・勝子夫婦に騙し取られる事件が発生した時期、1998年前後を中心に深い交流を持った。

1998年5月 オンヌリ教会 河用祚(ハ・ヨンジョ) 来沖で聖会

 1998年8月 ORCが渡韓し、オンヌリ教会セミナー参加(儀間盛人を含むORC教会員25名)。また、オンヌリ教会の断食セミナーにもその後、ORCから多数の信徒が参加した。    

この当時、儀間に限らず沖縄の非常に多くの教会がオンヌリに多くの信徒を送り、研鑽を積んでいた。その後、オンヌリ教会から儀間盛夫に対してオンヌリの支部教会にならないかという誘いがあったが儀間はその申し出を断ったとされる。ORC内部のセルリーダー会議で儀間がリーダーたちに対して話したことである。

2002年にORCの巨大な新会堂が完成。この頃、2度、オンヌリ教会から大学生チームが来沖し、ORCを含む複数の教会を訪問していった。この前後、2004年までの間は、オンヌリの学生伝道チームが二度来たが、以前のようにORCの信徒が渡韓してオンヌリに行くことはなかった。逆にこの頃、オンヌリの学生チームの宿泊と世話を受け入れたのは沖縄ベテル教会(ラファエル・ミランダら)であった。このベテル教会のミランダ夫婦も民事訴訟で訴えられ敗訴が確定しているが、今月、再び沖縄に戻ってきたようである。2000年以降、儀間は韓国ではなくアメリカに目を向け、2003年ごろからサドルバック教会(リック・ウォレン牧師)に大勢の信徒を送り始めている。

 2007年3月29日ラヴソナタ沖縄が開催
http://japan.cgntv.net/sub.asp?gubun=0401&idx=352

このように儀間のORCがオンヌリと密接にかかわっていたのは1998年〜1999年当時であるが、その後、儀間がアメリカに焦点を移していることに伴って渡韓がなくなっている。

 河は今月、大教会主任牧師フォーラムで儀間、榊山、尾山、大橋らと互いに交流を持つ大川従道の招きに応じて大和カルバリーチャペルでビデオ説教をしている。邪な悪党牧師はいつも同じようなところで同じように繋がっており極めてたちが悪い。繋がり方がいつも同じ系列、同じ類型、同じ集団の相互寄り集まりでしかない。

 このオンヌリの河用祚(ハ・ヨンジョ)以外にも、ヨイド福音のチョー・ヨンギ、サミルのジョン ビョンウク、KCCCの金�譜坤(キム・ジュンゴン)、鄭弼�偃(ジョン・ピルト)、サランの王漢欽(オク・ハンウム)など、牧師個人のカリスマ的リーダーシップに強く依存したコリアン新興プロテスタントからはその弟子や派遣された宣教者たちに深刻な不祥事が頻発している。つくばの卞在昌がその代表格であるが、金圭東(ヨハン教会)も、藤本光悦(仙台ラブリ)も、朴升煕(テモテ朴)も、金保(聖神中央教会、服役中)などみな繋がっている。

 韓国は文鮮明の統一教会摂理の鄭明析という世界に広がる二つの巨大異端カルトを生んだ国でもある。話はやや外れるが、つい先日まで日本の政権与党に入っていた公明党は北朝鮮から帰化した池田大作が牽引した宗教カルト集団、創価学会を母体としている。国土、人口ともにそれほど大きくはない朝鮮半島からこれだけ続出しているという現実を鑑みれば、朝鮮の文化にはカルト宗教を生みやすい土壌があるのかもしれない。

 どれほどひいき目に評価しても韓国発の新興プロテスタントが日本にもたらされて広がった教会に、優れた適切な教会は非常に少ないどころか、多くそれらは独裁カルト教会の温床地帯となっており、この点について韓国プロテスタントは抜本的な見直しをしなければ、今後も被害の輸出を拡げ続けることになる。