ここは、リインバウムと呼ばれる世界。
その世界では、異世界の存在を呼び出し使役する『召喚術』なる秘術があった。
それを万民に示したのは、『誓約者(リンカー)』と呼ばれる存在。
彼の名は『エルゴの王』。
そう呼ばれる存在によって、人々は四つの異世界の住人の力を借り受ける事が出来るようになった。
だが、『召喚術』で召喚した存在は、召喚した者にしか元の世界には帰せない。
故に召喚した者とされた者は、必然的に主人と奴隷の関係となった。
『召喚術』により、異世界からの侵略者を退けた『エルゴの王』の想いとは裏腹に、人々は『召喚術』の利便性のみを追い求めた。
結果、リインバウムには様々な異世界の住人が暮らす事となった。
だが、人は異物を嫌い、排斥する生き物だ。
ある程度の知性を持った存在にその傾向は須らくあり、虐げられた者たちの怨嗟や絶望は無視される。
表向きは平和であり、しかし様々な問題を抱えた危うい均衡の上に成り立つ世界――それがリインバウムなのだ。
そして、舞台はその世界にある『帝国』と呼ばれる国の片田舎より始まる。
そこには、『死』が蔓延していた。
倒れている者は様々、一番多い死体は一般的な村人。次に村人たちを護ろうとした帝国軍人、そして一番少ないのが――『紫』や『黒』いローブや召喚師の格好をして村人や軍人たちに襲い掛かってきた者たち。
誰も彼もが死んでいた。
いや、独りだけ生きている者はいた。
生きている『だけ』という注釈は付くものの赤毛の少年は、今は冷たくなってしまった母や父の身体の下にいた。二人が身体を張って助けてくれたのだ。
だが、『召喚術』によって召喚された異世界の存在――『召喚獣』による攻撃は、両親に庇われていた少年の命に届いていた。
流れゆく大量の血。
霞み始める眼。
呼吸は浅く、身体には力も入らない。寒さだって感じている。
そんな緩やかに自分が死のうとしている中、少年は思った。
――生きたい、と。
それは生へとしがみつく本能的な欲求だった。
本来の歴史の流れならば、彼は両親が死んでいようと無傷で生き残る――筈だった。両親の血に塗れて、呆然となりながら。
もしくは――即死するしかない。同じ運命を持つ『彼女』とは別の運命を辿るのが常だからだ。
同じ時代に同じ質の魂、同じ資質、同じ感性、そして同じ運命と未来を持つ二人は同時には存在出来ない。それ故に、どちらかが死なねばならなかった。
例え性別が違っていようとも、未来で逢う人物に対する感情に差異があろうとも、それは許容範囲内の出来事。求められる資質はそういった差異には拘らない。
つまり純粋に、少年は少女より運が悪かったのだ。
その結果として赤毛の少年には逃れようの無い『死』が近付いていた。
つまり――『彼女』が、世界の崩壊を防ぐ使命を得る。
言うなればもう一人の赤毛の『彼女』は、主人公と認識されたのだ。
その未来に選ばれなかった少年は、主役の道筋より転げ落ち、端役にもなれない舞台装置として消費される。
少年は、しかし死を拒んだ。
どんな理由があろうと、それを知らないのであれば理不尽であり不条理でしかない。
そして彼が死なねばならない理由も、極論を言ってしまえば『運が悪い』からに他ならない。
適者生存。
この世界には一つ選択を間違えるだけで、命を落とす要因が多くあった。
死の間際に、少年はそれを学んだ。
故に望む。生きたい、と。
生物の根源にある最も原始的で強烈な欲求。
本来ならば人格形成によって構成される『自己よりも他者を優先する性格』となる為に薄れてゆくその本能が、死に際の極限状態なってようやく箍を外したのだ。
他者を害してでも生き残るという冷徹な覚悟。
自分の生存を最優先事項へとする苛烈な意思。
本来ならば少年には持ち得ないであろう自己優先型の思考形態を構築し始めたが故に、『ありえない』邂逅が起きたのだった。
数十年前、リンバウムのとある島で常軌を逸した実験が行われた。
行ったのは『無色の派閥』。
召喚術師を至上し、それ以外の全ては召喚師の奴隷と言って憚らない原理主義者たち。
その者たちが、四つの異世界『霊界サプレス』『機界ラトリクス』『幻獣界メイトルパ』『鬼妖界シルターン』の固有技術を統合して世界の『境界線(クリプス)』から無限のエネルギーを得ようとしたのだ。
しかし実験は失敗。
その術を制御する機構に人を宛がったのだが、その人物は『無色の派閥』内において異端者。
制御機構に消費されるだけだったその生贄は、この島に召喚した奴隷共と蜂起し『無色の派閥』を島から追い払った。
その代償として、制御機構の核に据えられた男は、狂ってしまう。
怒り悲しみ嘆き――様々な負の感情を煮詰めてその存在は男より産まれた。
その存在は、己を『ディエルゴ』と呼んだ。
意味は、エルゴではない者。
死と破壊を以って世界を救済しようとした人の心より生まれた怪物。
だがその意識は、核となった男とその友人たちの尽力によって封印される事となった。
その一瞬の隙を突いて『無色の派閥』は、『鍵』である二本の魔剣を持ち出した。
それを見届けて、核とされた男は息を引き取った。最後の力を使い、島を外界から隔離して。
だが、誰も『無色の派閥』に所属する老人が――封印されてた化物の半分を切り取って持ち出した事を知る者はいない。
その者は、核となり死んだ男の師だった。
老人でありながら、第一線で戦う派閥でも指折りの実力者。
そして召喚術の専門家にして改革者。そして、世界の探求者であった。
『無色の派閥』という非人道組織に席を置いていた人間だったが、弟子を使い潰され、召喚術の新たなる可能性を潰した事に憤慨し『無色』を抜けた。
本来ならば、裏切りには死を以って報いるのが組織の掟なのだが、実験場であった島を脱走する際の混乱で死亡したとされたのだ。
その老人がゆっくりと、赤毛の少年に近付く。
「……ふぅむ。死にかけじゃな」
淡々と事実を述べる老人。
『ソノヨウダナ』
人の姿は老人以外に無い筈だが、声が聴こえた。
『ドウスル気ダ、アルバート』
人が出せない異質な『声』。
「……じゃが、ワシにはどうも出来んぞ」
それは冷徹なまでに現実的な答え。
『ソウダナ。アナタハ戦闘ニ特化シタ召喚師、死ニカケノ小僧ヲ癒ス術モ召喚獣モ知ランノダカラナ』
それに同意する姿無き声。
『……故ニアナタハ見届ケネバナラン。コノ小僧ガ死ヌ姿ヲ』
その声には、怒りがあった。
理不尽な『死』への憤り。
喪われる命への悲しみ。
それを為した者への憎悪。
彼の弟子の『負の感情』より産まれた化物は、人の世に触れる事でその心境を変えた。いや、より複雑化した。
もしあのまま島にいれば『本体』と同じような価値観のままだっただろう。
徒に死と破壊、恐怖や絶望を撒き散らすだけの『世界の敵』に。
だが、人々の生活に触れる事で『声』は変わった。
人の悪意に怒り、人の死に憤り、人の不幸に哀しみ、それを為す敵を討つ『存在』へと。
『声』は老人に連れられて知った。
どんなに貧しい村であっても笑顔で生きる村人たちを。
主君の為に死地へと顔を上げて向かう騎士を。
己の欲の為に他者を喰らう下種を。
自国を救うために他国を蹂躙する事を決意した王を。
ハイネル・コープスという青年より生み出され――『エルゴの王』を否定する名を得た存在。
そこには悪意しかなかったが、様々な人や景色を見た事でそれ以外の感情を持てるようになった。
確かに『怒り』も『哀しみ』も『憎しみ』も『ディエルゴ』の内には色濃く渦巻いている。
だが、『喜び』や『希望』、『羨望』といった感情も芽生えたのだ。
ハイネルという青年は御人好しという言葉そのもので表せる青年だった。
その優し過ぎる性格故に他者の嘆きや哀しみや怒り、そして喪われていく命に絶望して『ディエルゴ』を生み出したのだ。
他者の事で怒り、悲しめるような心優しい存在だからこそ、その反動で誕生した濃い悪意の塊。
だが、それも根本に『優しさ』があるからこその存在。
故にその心境の変化は至極当然と言えた。
環境が変われば趣味や嗜好が変わる事はよくある事だ。
環境が変えられない者に心境の変化はありえない。
この老人――アルバート・コープスに連れられた事でようやく『ハイネルのディエルゴ』は『ただのディエルゴ』と変わる事が出来たのだ。
それ故に、幼い少年の死に心から憤るのだ。
そんな愛弟子より産み落とされた『ディエルゴ』の心境の変化を見て取ったアルバートは、笑う。
「……『ディエルゴ』よ」
『ナンダ?』
「御主はこの少年を救いたいか?」
『当タリ前ダ』
島にいたのならば、決して思わなかった。
「ならば、御主が救え」
『…………本気カ? 何モ知ラヌ小僧ニ我ラノ負債ヲ背負ワセル気カ?』
『ディエルゴ』には確かにこの少年を救う手段があった。
だが、それを為した場合、この少年は人外と成り果てる。
己で選んだのならばそれに納得も出来るだろう。
このような危機的状況下で狭まった選択肢を突きつけるのだ。
そこには少なからず質問する者の意図が多大に介在する。
「どうじゃ小僧、生きたくはないか? 人外と成り果てようとも、じゃが」
示された選択肢は、人外となって生きるか、それともここのまま死ぬか――の二択。
他にも選択はあったかもしれないが、その選択は老人の都合により除外された。
提示された二つの選択肢を選んだところで結果は変わらない。
どちらにせよ、この老人にとって目の前の命をこのまま喪わせるという選択肢は選ぶ価値の無いものだったからだ。
それを朦朧とした意識の中で直感的に覚った少年は、だからこそ選んだ。生きたいと願ったのは自分の意思だ。
ならば、選んだ選択をきちんと示さなければならない。
最早眼も見えてすらいないであろう死に体の身体に鞭打ち、少年は微かに頷く。
それを見た老人は笑みを浮かべて言った。
「死にたくなければその『篭手』を受け入れろ」
そう言って、アルバートは懐より取り出した『黒と金で装飾された禍々しい装飾の篭手』を少年の胸上に置いた。
『――ドウナッテモ知ランゾ』
その『声』は、確かに篭手から聴こえた。
呆れを隠さない『声』は、赤毛の少年に語る。
『我ハ貴様ノ『武器』トナル。貴様ガアル程度ノ強サヲ得ルマデ、我ハ貴様ト共ニアル』
そして、黒と金の光の粒となった『篭手』は、少年の身体へと沈んだ。
「………………つ、まり…………?」
薄れ往く意識の中で聴いた『ディエルゴ』という名の存在に問いかけると、
『我ノ半身ニ打チ勝テルヨウニナレバ離レラレルダロウサ』
こうして、『レックス』という名の赤毛の少年は生き永らえた。
別の村では、『アティ』という名の赤毛の少女が、両親を帝国と敵対している旧王国の兵士に殺された。
どちらも、血で染まった身でありながら全く違う事を思う。
一人は『生きたい』、そして『強くなりたい』と。
一人は『死にたい』、そして『誰かの役に立ちたい』と。
それから十年後。
レックスは戦場にいた。
彼は紆余曲折を経て傭兵となったのだ。
育ての親となったアルバートより召喚術を習い、『ディエルゴ』の特異性のお陰で様々な武器や体術を扱えるようになった彼は――アルバートの死後、彼の遺言に従い様々な場所を転々とした。
目的は、『無色の派閥』が所持しているであろう二振りの魔剣、それらの破壊。
『碧の賢帝(シャルトス)』と『紅の暴君(キルスレス)』。
使用者に膨大な『力』を代償と共に与える魔剣にして『鍵』。
例え資格の無い人間が使い続ければ廃人になるとしても、その利便性は計り知れない。
『無色の派閥』という非人道的な組織がそれをただ死蔵する筈もなく、大本の片割れである『ディエルゴ』は、二振りの魔剣によって巻き起こされた阿鼻叫喚の地獄絵図を感じ取ってしまう。その度に彼は憤怒し、引き起こされた惨状を見ては慟哭を上げる。
遠くより感じ取れる曖昧な魔剣の波動を追って、レックスはよく戦場に迷い込んだ。
そのせいか、彼は『赤き黒金の腕』という二つ名を持つようになった。
赤いボサボサの髪と腕に在る禍々しい意匠の篭手で戦場を駆けるその姿がそう呼ばれ始めた理由なのだが、レックスはその呼び名が気恥ずかしくて余り好きではなかった。
一体赤いのか黒いのか金色なのかよく判らない二つ名だったが、帝国軍には賞賛と羨望と畏怖を、旧王国軍にとっては殺意と恐怖と怨嗟を以って迎える名となった。
その戦場の一つで、彼は一人の帝国軍の捕虜を発見した。
旧王国のとある部隊と『無色の派閥』が密接な関係を持っていたらしいので真相を確かめて欲しいと、帝国軍のレヴィノスという名の将軍より依頼されたのが発端である。
すぐさまその部隊の野営地へと潜入したレックスは、証拠を力尽くで部隊より強奪し、師より教わった現在では異端の趣さえある『本来の召喚術』によって、彼と友誼を結んだ『竜』を召喚した。
程なくしてその部隊は壊滅。
その時に証拠集めを手伝ってくれた顔に火傷を負った帝国軍人を、レヴィノス将軍に引き渡して彼は旅を続けた。
その時に火傷の男は言った。
『いつか必ず恩返しする』と。
『旦那が何かヤバいモン探してるってのは判りました。だから、俺ぁ軍でその魔剣ってヤツを探します。ですんで、それが終わったら旦那に同行させて下さい』
軍への忠誠など欠片も持っていなかったそのチンピラ風の男は、レックスのその日暮らしの傭兵稼業に憧れを抱いたのだ。
つまりアウトローな生き方に憧れる人間だった。
そんな彼の名はビジュ。
史実において、彼/彼女に最初から最期まで敵対し、軍を裏切って『無色の派閥』に寝返ったものの、呆気なく死んでいった男である。
元々集団行動が苦手だったビジュは、一人気ままに生きる人間を羨む傾向にあった。
そんな中、敵軍の捕虜となり顔に火傷を負わされ――その虜囚の憂き目から傭兵に助けられたのだ。
助けてくれた人間を尊敬するのも彼にとっては当たり前だった。
更に軍上層部が、捕虜を傭兵風情に救われたという外聞の悪い話を無かった事にし、彼を引き取ったレヴィノス将軍の功績とした事もそれに拍車をかけた。
レックスとしては、功績が欲しくて戦場にいるのでないので、気にならないのだが。
彼が戦うのは単純な話、自分の為に他ならない。
路銀の為、情報収集の為、いずれ戦うであろう来るべき戦場で生き残る為、気に入らない『無色の派閥』を邪魔する為、気に入った人物を助ける為――様々な理由があるが、それらは全て『自分らしくありたい』という子供染みた思いに集約される。
『傭兵なんて、伊達や酔狂で自分の命を賭けられる大馬鹿野郎がなる職業だ』と、彼は笑う。
故にビジュはその奔放な生き方に憧れを抱いた。
その日の食事に困った幼少時代。
『召喚術』の適正を認められたから入った軍。
しかし国への忠誠など持てなかった彼は、いつも鬱屈した思いを抱いていた。
そのせいか、傭兵稼業特有の自由さや過酷さは、ビジュにとって将軍に成り上がるよりも魅力的に見えたのだ。
ビジュという協力者を得たお陰で、レックスは魔剣を所持していた『無色の派閥』の集団に接触する事に成功した。
だが――
「……なぁ、『ディエルゴ』」
『ナンダ、レックス』
己の内に居る同居人に、レックスは話しかけた。
「ビジュが言ってたのって、アイツらだよな?」
『恐ラクハ、ナ。ダガ……』
「ああ、なんで仲間割れしてんだ?」
召喚師らしい一人が、魔剣の入ったケースを持ち出そうとしたのだ。
街中での戦闘に住民が悲鳴を上げる中、容赦無く召喚獣が裏切り者へと殺到する。
地形や家屋を利用して、攻撃範囲から逃れようする銀髪の男。
後衛型の召喚師だったらしく、距離を詰められないように苦心しているようだ。
『マァ、オ前ノヨウニ前衛系ノ召喚師トイウノハ稀ダカラナ』
『ディエルゴ』が述べたように、レックスは前衛でありながら召喚術も得意だった。
彼の基本戦術は、『ディエルゴ』そのものである篭手で敵を殴り進撃しながら詠唱し、敵陣中央で大規模召喚を発動させるというセオリー無視の出鱈目戦術だからだ。
それを可能にしたのが、『ディエルゴ』そのものと彼の師であるアルバートだった。
『とある理由』で様々な武器をある程度使えるようになったレックスは、相手の武器を奪い攻撃に用いる事を平気で行うのだ。
更に『ディエルゴ』と契約した事と師の『召喚獣を慮る召喚術』のお陰で、彼の『召喚術』の適正は恐ろしく高くなった。
そして、副産物的身体能力の上昇によって、人外の動きが可能となった。
「……ふーむ、このままじゃジリ貧だな」
『割ッテ入ルカ?』
そんな相棒の言葉に、レックスは頷く。
「どういう理由かは判らんが、ここで逃す理由にはなんねぇからな」
『ダロウナ』
そして、レックスは今いる屋根の上から跳躍した。
「ハァ……ハァ……っ」
銀髪の召喚師――ヤード・グレナーゼは、追ってくるかつての仲間たちから必死で逃げていた。
その両手には、剣が二振りくらい入りそうないケース。
それを奪う為に持っていた杖は捨てた。
予備の短杖は腰にあるが、前衛を務められる人間がいなければそれを引き抜く事も出来ない。
もし仮に今抜こうとすれば、襲い掛かってくる召喚獣の爪や牙によって打ち倒されるだろう。
そしてこのケースを奪い返されれば――自分は殺される。
死への恐怖は無い。
そういったモノは、住んでいた村が滅び派閥へ拾われた時に捨てさせられた。
だが、真相を知った以上、良心の呵責に耐えながら派閥に居続けるのは不可能だった。
恐らく先に暗殺組織を抜けた幼友達もその真相を知ったのだろう。
だから、この件を主導しているあの男が固執するこの二振りの剣を奪ったのだ。
今の自分ではあの男には勝てない。
だからせめてもの意趣返しのつもりで。
「なのに、それすら出来ないまま終わるなんて許せませんよね……」
ねぇ、スカーレル。
そう心の中で呟く。
それがいけなかったのか、ヤードは石畳に躓いてしまう。
「しま――っ!?」
召喚獣がその隙を逃す筈も無く、その爪牙がヤードへと襲い掛かる。
だが、それらは彼に届かなかった。
上空から飛来した青年によって、地面を陥没させる程の威力の拳を叩きつけられた召喚獣は抵抗する間もなく息絶えた。
新手かと警戒するヤードに、その赤毛の青年は言った。
「理由は判らんが、『無色』の連中と敵対してるんだろ? 手はいるかい?」
『無色の派閥』を知っていて、敵対している。
そんな都合の良い人間が現れるとは思っていなかったヤードは少々思考が止まりそうになるものの、
「あ、はい! 済みませんが少々時間を稼いで頂けますか? その隙にこの現状を打開します!」
「それは良いんだが、さっき聞いた話じゃここに帝国軍が来てるらいいぞ。それを待った方が良くないか?」
襲い掛かってくる召喚獣を殴り倒しながら、派閥の連中にもそう聴こえるように言う目の前の男。
成程、直ぐ間近に迫る脅威を教える事で撤退させようとしているのだろう。
だが、この者たちは『あの男』の子飼い。
無能と断じられれば、死よりも辛い末路に身を落とす。
だからその攻撃は余計に苛烈になった。
しかし――
「邪魔だっ!!」
男に傷一つ負わせられない。
拳で肘で脚でついでに頭で、五体全てを武器と化して縦横無尽に暴れ回る青年。
殺傷能力で上回っている筈の召喚獣たちが手も足も出ないのだ。その出鱈目さ加減がよく判った。
だが、後方に控えている召喚師たちが次の詠唱を始めたのが見えた。
恐らく、今出せる最強の召喚獣を出そうとしているのだろう。
それで目の前の青年を倒せるとは思えないが、自分を殺す事は出来る筈だ。
ならば。
「……くっ」
ケースを開ける。
「なっ……馬鹿! 何する気だ!?」
それに気付いて焦る青年。
恐らくこの剣の内包する『力』に驚いたのだろう。
だが、現状を打開する為にはこれしかないのだ。
「――『碧の賢帝』よ、私に力を――っ!!」
そう願い彼は翡翠色の魔剣を手に取った。
ヤードの身体を駆け巡る強大で膨大な力の奔流。
制御は出来ない。その自分の許容量を遥かに越えた力が、ヤードに従おうとしないのだ。
その時、ヤードは初めて魔剣に意志がある事を知った。
その意思が云うのだ。
――不適格。と。
その瞬間、天候が変わった。
雲の無かった夜空は、いつの間にか分厚い雲に覆われていた。
風が強くなり、雷雨が降り始めた。
嵐となり始めたのだ。
そして、ヤードは気絶した。
限界を迎えたのだろう。
剣はいつの間にか彼の手から無くなっていた。
恐らくは隙を突いた派閥の召喚師に奪われたのだろう。
悔しさに身を震わせて、ヤードは気絶した。
「――ったく、素人が手を出すから……」
『言ッテモ仕方ナカロウ。ソレニ向コウモ退却シタヨウダゾ。……軍モ来タカ』
雨音に混じって軍靴の音が微かに聴こえたのだ。
更には怒号や罵声も。
逃げようとした『無色の派閥』の召喚師たちも捕まったようだ。
「……これじゃあ剣の回収は無理そうだな」
『ソウダナ。ダガ剣ハ、『無色』カラ軍ヘト移ッタカ。面倒ガ増エルナ』
うんざりとした『ディエルゴ』の声。
ようやくここまで迫ったのに余計に面倒な組織が掻っ攫ったのだ。
腕を組んで思案するレックス。
「軍が相手じゃ強奪するワケにもいかんよなぁ。下手すりゃ二度と帝国領には入れなくなる」
『剣ノ付近ニ着カズ離レズニイルシカナイカ』
『ディエルゴ』がそう言うと、レックス溜息を吐いて呟く。
「…………面倒臭ぇー」
その時、誰かがこちらへ向かってくるのを感じた。
足音がしない動作を見るに、暗殺者かそれに準ずる人間だろう。
気絶している召喚師風の男(ヤード)には悪いが、囮になって貰おうとレックスは屋根へと足音を立てずに跳躍した。
「……まったく。一体誰よ、こんな夜更けにドンパチやらかしちゃってる馬鹿は。折角のお酒が不味くなるじゃない」
女口調だがその声音は男。
ゆっくりと近付くその姿は自然体だが、その姿勢は紛れも無い暗殺者のそれ。
それも『無色の派閥』とやり合う度に殴り倒してきた『赤き手袋』という暗殺者集団の暗殺者に似た動きだった。
「一体だれ――って、ヤードじゃない。アンタどうしたっていうのよ?」
そう言って駆け寄る姿からは、旧友に駆け寄る友にしか見えなかった。
「……う、うぅ…………スカー、レル……ですか?」
銀髪の男も相手を知っているようだった。
「そうよ、アタシ……アンタ、まさか『抜けた』の?」
どうやらあの暗殺者は誰が戦っているのか知らずにここへ来たようだ。
もし仮に全て知った上での演技だとしても、それでは説明のつかない気安さが二人にはあった。
「取り合えず、アタシがお世話になってる船に連れてくわよ」
「はい、ありがとう、ござ……くぅ……!」
「ああもう、喋ってる暇があったら安静にしてなさい」
二人が路地裏から出て行くのを確認して、レックスを屋根伝いに走り出す。
行き先は、この街に来た帝国軍の駐屯場所だった。
屋根に身を伏せて観察すると、
「……ん? どうやら持っていくみたいだな。あの軍人さんが興奮しているところを察するに、ありゃ新兵器になるとしか思ってねぇな」
『トナルト、ドウナルノダ?』
「多分、帝国首都にある軍本部に移送されるだろうな。『無色』関係となるとレヴィノス家の管轄だから、あの将軍の身内の誰かがその移送任務に就くんじゃねぇか?」
確か噂では、男顔負けの女傑と名高い娘が海軍にいるらしい。
息子もいたらしいが、病弱で明日をも知れぬ身だとか。
『海路カ……奪ウトスレバソコカ』
「ああ、上手く魔剣と“同調”して自然に嵐を巻き起こして、そのドサクサで『無色』の連中のフリして奪うぞ」
些か回りくどいかもしれないが、帝国軍は大事なお得意様なのだ。
可能な限り印象は良いままでいたい。
そうであっても手段は強奪一托だが。
しばらくして軍が動き始める。
召喚師たちを連れて帰還するつもりのようだ。
それを黙って見送りながら、レックスは一人の軍人を見る。
そこには、緑色の髪を逆立たせ火傷を刺青で隠したチンピラ風の軍人がいた。
今回の件をレックスに密告してくれたビジュだ。
彼は今問題児として軍内部を盥回しとなっているらしい。
どうやらここでも素行不良で上官に嫌われているようだ。
軍関係者の話では『人が変わったようだ』とのことだった。
その理由の一端はレックスにあった。
正確に言えば素が出始めただけなのだが。
「さぁて……そんじゃ、軍が動くまで日銭を稼がないとなぁ。……なんか簡単且つ高額な依頼とかないかねぇ?」
『余リソンナコトヲ言ワン方ガ良イゾ? 要ラン面倒事ニ遭遇シソウダカラナ』
辛辣な相棒の台詞を聞き流しながらレックスは、屋根に寝転がって雷雲が去った夜空を見上げる。
空に瞬く月と星をただ穏やかに眺めた。
師匠の遺言を果たす『その時』を思いながら。
「……どういう状況だコレ?」
それから数日後、レックスは帝国領を走る列車の車内に乗っていた。
傭兵稼業の一環として、帝国一の豪商として知られるマルティーニ家の当主を護衛する依頼を受けたのだが、何故か列車は旧王国の工作員らしい男に乗っ取られる始末。
恙無く依頼を完遂出来ると思った矢先にこれだ。
『……(オ前、本当ニ運ガ悪イナ)』
相棒の辛辣な言葉を受けて力の無い笑いが零れる。
尚、雇い主であるマルティーニ氏は怯え震えを隠し切っていた。
この程度が出来なければ、帝国一とまで言われる規模の商会を切り盛り出来る筈も無かった。
そして視線の先では、苦渋の顔をした赤毛の女性が細剣を構えている。
制服を見る限り彼女は帝国軍のようだ。
だがレックスの眼には、彼女は純粋且つ善意の塊のように映った。
なにやらあの工作員と因縁があるようだが、一々気にしていられる程レックスは暇ではなかった。
彼の今の目的は護衛対象の安全。
だから工作員の気を逸らす為に、列車の床を音が出るように一度蹴った。
その瞬間、工作員の視線はこちらへと向かう。気力体力を消耗していたせいか、偉く簡単に引っ掛かった。
その隙を見逃すような無能な軍人ではなかったらしい赤毛の女性は、剣の腹で相手の後頭部を殴り飛ばした。
意識を失った工作員を手際良く拘束していく軍人の女性。
だがその顔にあったのは――苦渋。
乗客の無事への安堵でも、工作員への怒りでもない――自己への批判。
その顔が余りにも辛そうだったので、レックスはほんの一言とはいえ、つい声をかけてしまった。
「――気負い過ぎなんじゃないか?」
と。
すると、彼女は驚いた顔で、しかし嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
そう言って、彼女は工作員を拘束して出迎えの軍人たちと共に列車を降りていった。
レックスも護衛対象と共に同じ駅で降りた。
その時にマルティーニ氏から別件の依頼を受けたのだ。
自分には四人の妻の間に四人の子供がいるのだが、彼ら彼女らには軍学校に通わせたいと。
船で帝国首都まで行かせるつもりなので、その間の護衛を頼みたい、との事だった。
帝国領では、養えるのならば妻を何人も娶って良いとなっているのだ。
豪商以外の理由でもマルティーニ氏が有名なのは、これが理由の一つといえた。
レックスとしては正に渡りに船の依頼だったと言える。
彼はビジュより、近々海路で『魔剣』が帝国首都へ移送されるのが決定した事を聞いていたのだ。
この依頼も、その船の旅費を稼ぐのが目的だった。
しかも護衛としてなら、乗船費はマルティーニ家持ちとなる。
そうなれば今回の報酬分が浮く。
だからレックスは快く依頼を受けたのだった。
数日後、レックスは新聞を賑わせるある記事を見た。
列車を強奪しようとした旧王国の工作員を女性士官が捕縛、死傷者ゼロの快挙。
そう書かれている。
だが、列車で彼女はとても書かれてあるような前向きな表情はしていなかった。
寧ろ後悔しているような様子だった。
だからだろうか、レックスは軍内部の伝手を頼って彼女を調べた。
その結果――
「なんつーか……コイツ御人好し過ぎるだろ」
送られてきた資料を読んで呆れた様子のレックスと、
『……フム』
何故か黙り込んだ『ディエルゴ』がいた。
彼女の経歴だが、軍学校での成績は文武共に上位――いや主席。
性格は少々おっとりとした面はあるものの、戦闘力は正規軍人よりも上。
召喚術への適正も高いオールラウンダー。
だが、少々自己犠牲の精神が目立つ、とあった。
本来の希望は軍医だったのだが、担当教官や軍学校校長の薦めで陸軍へと配属。
その初任務で旧王国の工作員を列車内にて捕縛。
――とあった。
だが、実はその初任務には実は書かれていない部分があったのだ。
工作員は別の場所でこの女性に拘束されたらしいのだが、お涙頂戴の命乞いに感化され見逃してしまったとある。そのせいで列車強奪事件が起きたのだから、彼女が苦渋の表情を浮かべるのは当然だろう。
だが、それらの情報は新聞には出ていない。
どうやら軍上層部が、失態を隠す為に彼女を英雄に祭り上げたようなのだ。
だがそれに納得のいかなかったこの女性は、そのまま退役する事となった。
そう資料にはあった。
勿論これは部外秘の資料。
読み終えるとレックスは直ぐに燃やした。
『………………似テイルナ』
そう呟いた『ディエルゴ』の声には、懸念の色があった。
「……ふぅ」
軍を退役したアティは、直ぐに職探しを始めた。
すると直ぐにマルティーニ家の御子息御令嬢を相手にした家庭教師の仕事が舞い込んだのだ。
自分のような田舎者でも知っているマルティーニ商会、そこの当主があの列車に乗っていたらしい。
だから子供たちの家庭教師を安心して任せられると、かのマルティーニ氏は言っていた。
彼女としてはあの事件は苦い物でしかなかったが、それでも職が無い今となっては背に腹は変えられない。
ああ、育ててくれた故郷の皆さん、私はこれからどこへ行くのでしょう……?
絶賛現実逃避をしていると、
「アンタか、マルティーニ家の家庭教師ってのは」
そう声をかけられた。
「……あ、はい。そう……です、けど…………」
目の前には、自分と同じ赤毛の青年。
なのに服装は地味目の灰色と黒。
自分の赤を基調とした服と白い帽子。
どうやら服装の趣味は合いそうにないが、個人的には好みの格好だった。
どこか穏やかそうな顔だが、かなりの実力者だと思う。
少なくとも近接格闘では、十本やっても全て負けるだろう。
それ以前に、彼はあの列車内で工作員の注意を逸らして隙を作ってくれたあの人だ。
「俺はレックス。マルティーニ家の子供たちの護衛として雇われた。これから宜しく」
そう言った。
「あ、わ、私はアティです。私は家庭教師として雇われました。これから宜しくお願いします」
そう言っておずおずと手を差し出す。
怪訝そうな顔をするレックスだが、納得した様子でアティの手を優しく握った。
「ゴホン」
そんな二人に注意を向けさせるように咳払いが聴こえた。
「……どうやらお互いの自己紹介は終わったようですね。では、こちらにいらっしゃる四名が、マルティーニ家の御子息たちと御令嬢たちになります」
メイド長としてどんな人間かを見極めに来たとその女性は言った。
聞けば、四人の母親は全員もう亡くなっているとか。
だから悪い虫がつかないようにこの女性は気をつけるように言ったのだろう。
二言三言質問をされ、それに答えると彼女は満足げな様子で去っていった。
お坊ちゃま方とお嬢様方を、どうぞ宜しくお願いします、と。
そして、アティとレックスは四人の子供たちと船旅をする事となった。
茶色の髪の活発な少年――ナップ。
金髪の赤いドレスの少女――ベルフラウ。
亜麻色の髪を二つ結いにした少女――アリーゼ。
黒髪の理知的な少年――ウィル。
船の甲板で流れゆく雲を見て、アティは思う。
――頑張ろう、と。
四人全員に余所余所しい態度を取られはしたが、だからといって諦めるつもりはない。
絶対みんなと仲良くなってみせるっ。
そう決意を新たにしていると――
「…………」
黒髪の少年が視界に入った。
何かを口元に近づけて喋っているが、何をしているのだろうか?
いや、それ以前にどこかの誰かによく似た顔をしていたような――。
だが、その思考は唐突に寸断される。
いきなり別の船がこの船の横に併走したからだ。
その船の帆には海賊旗があった。
それを見た誰かが叫んだ。
「か、か、海賊だぁ――っ!?」
その声を皮切りに、海賊たちがこちらへ投げ入れた綱を伝ってやってくる。
それを見たアティは、駆け出した。
まだ初めて逢った四人だけど、自分は教師なのだ。
だから自分には、あの子達を護る義務がある、と。
だからアティは走る。
船室にいるであろう四人を無事に逃がす為に。
(あとがき)
投げっぱなしの話です。
続くかどうかは判りません。
ですがそれでも楽しんで頂けたのなら幸いです。