――一条恭介は歩いていた。
寒さによってその身を枯らしてしまった、歩道に無造作に植えられている木々を横目に見ながら、恭介は身を震わせながら歩行を続ける。
枯れてしまった木々は、冬を過ぎればまたその葉を青々と生やす。いくら年月が経とうとも、その光景はすぐには変わっていかない。そろそろ、本格的な冬の到来といったところだろうか。焦げ茶色の枝を、冬の寒波を乗せた風が吹き付けた。
吹いた風は、僅かに露出している恭介の顔面に容赦なく襲い掛かり、その寒さに恭介は顔をしかめた。
いくら冬用の服を着ているといっても、その寒さを全て防ぐ事は出来ない。深めに被ったニット帽を更に手で引き伸ばし、目が見えていないのではないかと思うほどに、顔を覆わせた。マフラーで首の辺りを丁寧に防護し、その下は厚めの黒のパーカー。下はジーンズを履いている。
恭介は時々吹き付ける寒風を凌ぎながら、秋葉の街をそれこそ隠れるようにして歩いていく。遊歩道に植えられている木は、誰の目に止まることなくまるで空気の一部とでも化している。恭介もそれに習うように、一言も発せずにただ黙々と歩いていた。
秋葉の街はこの寒さであるにも関わらず、何か異様な熱気に包まれている。
チェックのシャツをズボンの中に入れて、リュックを背負いバンダナを付けている、いかにもな男が目に止まった。
一体、この男はどんな人生を歩んできたのだろうか。恭介はそれを考えると、無性に腹が立った。
何で、こんな奴が。
何で、僕が。
そんな黒い念に囚われるのも一瞬のうち。それはすぐに、自分の中の萎えた心に打ち消されてしまう。どうせ、どうせ。恭介は半分、諦めていた。この男がどんな人生を送ってきたのか。そんな事は、自分に関係の無い事だ。この男に限らず、自分よりも恵まれた人生を歩んできた奴なんて、ざらだ。
恭介はそう考えると、すぐにその男の事を頭から打ち消した。
活気に溢れた街を歩いていると、自分の暗い思考をいくらか紛らわせる事が出来る。それに気づいたのは、つい最近だった。根本的な解決にはならないかもしれないが、恭介はそうやって自分を騙す事で、ある種の安心感を感じていた。
この街は恭介の唯一落ち着ける場所と言っても良かった。決して、恭介の趣味と合う場所ではない。恭介はこの街の至るところに開かれている、メイド喫茶には何の魅力も感じない。ガラスケースの中で貴重に扱われている、無駄に顔が整ってスタイルの良い水着姿の女のフィギュアにも、何の関心も無かった。
ただ、この街の活気が気に入っているだけなのだ。
自分を鎮めてくれるこの街を、恭介は気にいっていた。
恭介はふと、歩行の速度を緩めた。
可愛い女の子の宣伝の旗が立っている電気屋。そこに、サンプルなのだろうテレビが置いてあった。バラエティを映す訳でもなく、それには堅苦しいスーツを着て眉根に皺を寄せているニュースキャスターの顔が映っていた。
画面右上には《どうする? 止まらない若年層の犯罪》というテロップが流れていた。ニュースキャスターがコメンテーターに話題を振っている。
何の事件に対してなのか、恭介にはさっぱり分からなかったが、コメンテーターは悩ましい顔をして、ありきたりな言葉を言った。
『そうですねぇ。やはり、教育の問題なのではと思いますね。いわゆる、ゆとり世代と言われるこの時代で、子供達は甘い社会を学んでしまったのではないかと思います。この傷害事件もそうですが、巷で溢れかえる万引きも然りです。少年法によって守られている子供達は、何かをしてしまっても、社会が守ってくれるというのを知っているんです。だからこそ、危ない事でもやってしまう。
確かに、勉強以外にも大事な事はたくさんあります。それを学んでいくのが、社会に生きる者の務めでしょう。しかし、だからといって甘やかして何でもやらせてしまうというのはおかしい気もしますね。現代の子供達には、まず人としての勉強をして欲しいと思いますね』
いかにもそれらしい言葉をつらつらと並べたコメンテーターに満足したのか、ニュースキャスターに再び画面が移る。
犯罪を起こすのに、年齢は関係ない。教育なんて全く関係ない。犯罪を起こすか、起こさないか。殺すか、殺されるか。それは全てその人が持って生まれた運命だと、恭介は感じた。コメンテーターの上っ面だけの言葉は、恭介を再びいらつかせるには十分だった。
暫く、その後のニュースを見ていると、恭介を客と勘違いしたのか店の中から店員が出てきた。
「テレビをお探しでしょうか? それならお店の中に今話題の、高画質テレビを取り揃えておりますが」
店員はニコニコと営業スマイルを浮かべながら、恭介ににじり寄った。今の時代、家電製品は長持ちするものが多くなってきていて、中々買い換える人が少ないのだろう。売れ行きこそ下降気味だが、一つ当りの単価は、携帯電話やゲーム機器よりも遥かに高い。店側としては、そんな数少ない客を逃すわけにはいかないのだろう。
しかし、生憎のところ恭介はテレビが欲しいわけではなかった。恭介は小さく「すいません」と謝ると、足早にその場を立ち去った。
後ろから、店員の少し嘲りと憎しみが混ざった視線を感じたが、また新たな客を見つけたのかすぐにあの張り付いたような笑顔に戻っていた。
恭介は腕に付けている時計をチラリと見やる。午後四時。
秋葉の街はこれからがピークだった。これぐらいの時間帯から、一気に人が増える。今テレビで話題の人気アイドルグループのコンサートがあったり、仕事帰りのサラリーマン、漫画やパソコン、アニメのグッズを買いに来た中高生、様々な人が溢れかえっていく。
活気があるのは良いのだが、恭介はそんな人混みに紛れていくのはあまり好きではなかった。何よりも、息苦しいし居心地が悪い。特に目的も無く、ただ彷徨っている恭介にはなおさらだった。
あんな、仮想のものの何が良いんだか。
恭介には、この街に来る人々の思考は理解出来なかった。恭介は僅かに見える狭い視界を、時計から周囲に向ける。
半ば強引に、メイド服を着ている若い女に連れて行かれる四十過ぎと思われる中年の男を見かけた。何が良いのか、女は男に上目遣いを使ったりして気を引こうとしている。
それが接客とは分かっていたものの、恭介は内心、その女が滑稽に思えていた。
本当に、この世界は面白い。恭介はキラキラと光り始める街のネオンが鮮やかに空を彩っていく様子を見つめていた。
そして、人が多くなってきているのと同時に、恭介は自然にこの街から離れていった――。
途中、やはり自分のように電気屋の店員に捕まったのか、同じぐらいの年齢の男の子が店の中に入っていくのを見た。自分の意識というものが無いのだろうか。流されるままに、自分の人生を歩んでいって、何が楽しいのだろう。
いや、そもそも人生を歩んでいくことの何が楽しいのだろうか。
娯楽? 恋愛? 友情?
そのどれもが、自分とはかけ離れすぎている。これらのものが何なのかは恭介には理解出来なかったのだが、直感的に全てが自分とは違うというのは認識する事ができた。
また、寒風が恭介を襲ってきた。僅かばかりに聞こえていた雑踏も、今はもう聞こえない。秋葉の街からは既に離れている。
恭介は自分が住む場所へと歩みを進めていく。
そして、実感した。この寒風と、独特の気分の高揚は、もうすぐ冬本番が訪れる事の前触れだと。
――――七回目の冬がやってきた。