忙しくて文章を書かなかったら予想以上に筆が進まなくなったでござる。
マツマエの空は暗い色の雲で覆われていた。
カラスの泣き声で目を覚ましたディニンは、目を覚ますと同時に顔をしかめた。冬の乾いた空気はどこへやら、どうにもねっとりとして湿った空気だったからだ。
友人の助言に従ってカロリーヌとデートすることを決めたものの、彼は現在進行形で悩んでいる。デートしているところを知り合いに見られれば誤解されることは確実だし、ディニンとしてはカロリーヌと付き合っていると思われるのは迷惑でこそあれ得になるようなことは何もないのだ。
顔を洗って普段着に着替え、座敷に朝食をとりに行く。やはりというかなんというか、女将はプレイヤーに対してどこか含みのある目を向けていた。もっともディニンと同じ宿に泊まっているプレイヤーは基本的にマナーがいいプレイヤーたちだったので、彼女の警戒は日々薄まりつつあるように見えた。
弓兵隊の訓練日程についての打ち合わせができるのが唯一の救いだった。グスタフにもらったスケジュール表を元にいくつか案を立てているので、それをチェックしてもらおう、とディニンは考えている。先日の騒動を振り返るに彼女は優秀とは言いがたい人材なのだろうが、しかし彼の副官である事実は変わらない。グスタフに泣きついて副隊長を変えてもらうまでの間は丁寧に扱わないと不味い、と彼は思っている。
朝食を終え、楊枝で歯を磨いてから部屋で弓の手入れをする。居留守を使って約束をすっぽかすことを夢想しながら、彼は作業を続ける。
ちょうど弓の手入れが終わったころ、女将がディニンを呼ぶ声が聞こえた。
「お客さんが着てますよー」
「はい、いま行きます」
盛大にため息をついて、ディニンは立ち上がった。用心のため腰に剣をくくりつけ、薄緑色のマントを羽織る。
彼がブーツを履いて宿の外に出ると、なぜだか妙に機嫌のよさそうなカロリーヌがいた。目障りな脂肪の塊に心の中で舌打ちし、彼は不機嫌な表情でたずねた。
「ところで弓兵隊の顔合わせと訓練の日程についてだけど、とりあえず4日後に全体集会を開こうと思う」
挨拶の言葉もなしに仕事の話を始めた彼に、カロリーヌはぎょっとした顔をした。
どのみち仕事の上で顔をあわせなければならないなら、手短に済ませてしまおうというのが彼の思惑だった。
「は、はい! いいと思います!」
「訓練の場所、矢の補給、当日の配置等についてはすべて僕が決めるから君は口を出さないでくれ。それじゃ、訓練の場所に案内するから付いてきて」
実際には、グスタフから配られた資料にそれらのことはすべて書いてあった。彼がそんなことを言ったのは、無愛想に振舞ってあわよくばカロリーヌを遠ざけようとする一心からである。
「補給部隊の隊長とは親しいから、そっちの交渉も全部僕がやる。こっちについても君は口を出さないでくれ」
「あの、それじゃあ私は何をすれば……」
「自分の仕事くらい自分で見つけてくれ」
目を合わせず、早足で目的地へと向かいながら冷たい口調で答える。
ディニンが目指しているのは街の防壁だ。グスタフによれば当日は防壁の上に弓兵を配置するので、訓練もそこで行ってくれとのことだった。
すれ違うNPCたちに敵意を向けられているような気がして、ディニンは居心地の悪さを感じていた。頭上の暗雲や現在の状況もあいまって、鬱屈とした気分になる。
マツマエの住民たちは決してディニンと目を合わせようとせず、それでいてなにやら含むものがあるような様子だった。彼らの煮え切らない態度に、ディニンはますます不快な気分になる。
ディニンの冷たい言葉に戸惑っているらしく、カロリーヌは黙って彼の後ろを歩いていた。そんな彼女のことを頭から追いやり、ディニンはせかせかと歩く。今日は訓練の予定地を視察して解散するつもりだったし、矢の補給について話し合うためにリリヤをたずねる必要があったからだ。
ディニンは、なぜ自分がこんなにも苛立っているのかうすうす分かりかけていた。リリヤやミーナと比較して、カロリーヌは外見も正確も彼の好みではないのだ。
そもそも、弓を引こうというのになぜ巨乳なのか、と彼は疑問に思っていた。脂肪の塊なんて、弓を引くのなら邪魔にしかならないではないか。
はっきり言ってしまえば、彼は巨乳は嫌いである。また、コミュニケーション能力の低さゆえか、積極的に押してくるタイプの女性も苦手だ。カロリーヌはいわば、ディニンのもっとも嫌いなタイプの女性なのである。
ただでさえディニンは苛立っているのに、いつの間に立ち直ったのかカロリーヌは執拗に話しかけてくる。仕事の話ならまだしも、どうでもいいようなプライベートの話ばかりだ。このまま宿に帰ってしまいたい衝動に駆られながらカロリーヌを黙殺し、巾着から資料を取り出して、それに没頭するふりを続けた。
もはや何がなんだか分からない、というのが今の彼の心情だ。わけのわからない理由で苦手な人間に付きまとわれ、しかも仕事上の関係のはずなのに仕事の話がほとんどでない。彼にとっては初対面なのに、あたかも以前からの知り合いであるかのようになれなれしくしてくる。野良パーティで一度一緒になったプレイヤーをいちいち覚えてるなど、彼にしてみれば気持ちが悪いとしか言いようがない。
必死に話題を振り続けるカロリーヌと、必死でそれを無視するディニン。旗から見るとなんとも奇妙な図だが、2人は互いにあせっていた。ディニンは早くこの苦行を終わらせようと、いっそう早足で歩き始める。
北門につくと、ディニンは衛兵に頼んで防壁の上に登らせてもらえるよう交渉した。口下手な彼の口上よりも数枚の金貨のほうがよほど効果があったようなのが、彼にとっては不愉快だった。
防壁の上にはちょっとしたスペースがあり、弓兵や魔法使いを配置できるようになっている。高さも十分にあるので、モンスターの矢や魔法はほとんど届かないだろう。グスタフの資料によれば、十数名の壁職を弓兵の盾代わりに配置するらしい。
高所恐怖症の人間がいなければいいが、と思いながら眼下の平原を見下ろすデイニン。
弓兵隊の役目は、どちらかといえば面攻撃によるモンスターの殲滅が主だ。弓兵だけでは火力が心もとないが、魔法職が加われば物量も火力も十分だ。ディニン自身は敵方の魔術師や僧侶の狙撃に専念して、同時に指揮も取る。
もともと、防衛クエストに割く戦力としては十分すぎるのだ。近接のダメージディーラーが参加できないのは痛いが、こういったクエストでは面攻撃のできるアーチャーやレンジャー、魔法職の数が重要なのだ。12のサーバーのほとんどの廃人が集結していれば、たかが防衛クエストなんて楽勝だろう、というのがディニンの見解である。
「じゃあ、用は済んだから今日はもう解散ね。用があれば連絡するから、宿にはあまり来ないでくれ」
防壁の視察を済ませた後、ディニンは言った。相変わらず、カロリーヌと目をあわせようとしない。
「あの、よろしければこの後いっしょに食事しませんか?」
「いや、僕はほかの人と約束があるから」
そういって、ディニンはさっさと背を向けて歩き出す。呆然とするカロリーヌを尻目に、彼は先ほどとは打って変わって軽やかな足取りで歩き始めた。
住民の中でも比較的裕福な者が住む通りを歩きながら、ディニンは珍しく考え事をしていた。
グスタフの口車に乗せられて弓兵隊の隊長を引き受けたのはいいものの、やはり自分が人の上に立てる人間だとは思えない。早いところ副官を変えてもらわなければならない、と彼は思った。
腰にくくりつけた剣は予想していた以上に重く、いつもより彼の歩みは遅い。剣を巾着にしまうことも考えたが、いまのマツマエの状況では丸腰で街を歩くのは不安だった。高いステータスのおかげで剣術の心得がなくても街の住民程度なら何とかなるが、厄介ごとはごめんである。
マツマエの住民たちはどうやら商人と職人が主なようで、農作物はマツマエ以南の村々から買い取っているようだった。ディニンにとっては関心がない話だが、グスタフの資料の中にそんなことが書かれていた。
ふと空を見ると、今にも雨が降り出しそうだった。
プレイヤーたちがこの世界に来てからは、まだ一度も雨は降っていない。そのせいか、ディニンはこの世界でも雨が降るということを忘れかけていた。
雨に降られてはかなわないと、ディニンは急ぎ足でリリヤの洋館へと向かった。
リリヤの屋敷に着くといつものように老執事がどこからともなく現れ、門を開けた。
「ただいま、ご当主さまに取り次いできます。しばしお待ちください」
老執事の言葉に頷き、ディニンは門をくぐったところで立ち止まった。
腰の剣を巾着にしまう。友人の家を訪れるのに剣を帯びるというのも失礼な気がしたし、そもそもディニンは剣を帯びるのは好きではなかった。歩きづらいことこの上ないし、彼の剣術スキルではどんな名剣でも鈍器としか扱えないのだ。
しばらくすると、老執事が戻ってきた。
「ご当主さまは地下の工房にいらっしゃいます。作業中とのことで工房を離れられないようですが、ぜひともお会いしたいとおっしゃっています」
慇懃な態度でそういった執事に軽く会釈して、ディニンは工房へ降りた。
地下への階段を降り、鋼鉄製の大きな扉を開ける。工房の中ではリリヤが机に向かってなにやら書き物をしているようだった。扉から入ってきたディニンに背を向け、一心不乱に羽ペンを動かしている。
「やあ、よく来てくれた。ちょうど話したいことがあったんだ」
ディニンが扉を開ける音を聞いて、リリヤが椅子から立ち上がり、こちらを向いた。
彼女の心地のいい声を聞いて、ディニンは苛立ちや不安が解けていくのを感じた。
リリヤの細く白い指先はインクに汚れている。机の上にはさまざまな大きさの金属板やカードが置いてあり、そのどれもがルーンを書き込まれているようだった。魔力を封じ込めているのか、かすかに発光している。
机の上においてあった布で指を拭きながら、リリヤは言った。
「ミーナの剣も加工が終わったからね、物騒だから護身用にいくつか作ってみたんだ」
机の上においてあったカードをリリヤは手にとってディニンに見せた。薄い金属板にルーンを刻んだものらしく、大きさは一般的なトランプとほぼ同じだ。
「それで、今日は何の用事だい?」
リリヤがたずねた。
「いや、弓兵隊の矢の補給について聞いておこうと思ってね。グスタフの資料では3万本ほど用意する予定だと書いてあったけど、実際どうなの?」
「ああ、そのことね。知り合いの職人に聞いてみたけど、この納期なら余裕らしいよ。店売りの矢も使えるなら、10万でもいけると思う」
リリヤは即答した。
「なるほど……」
どうやらリリヤは僕よりもよほど仕事をしているようだ、とディニンは思った。
「それで、君の用事はそれだけかい?」
リリヤが問いかけると、ディニンは頷く。いちいち家を訪ねてまで聞くことではなかったかもしれないが、ディニンはなんとなくリリヤの顔を見たかったのだ。
「それって、次の会議か何かでも聞けたんじゃないかな? まあいいや、ところで一つ頼みがあるんだけどきいてくれる?」
ディニンが頷くと、リリヤは不思議そうに首を傾げてから言った。ディニンは迷惑に思われたのかと冷や汗をかいたが、リリヤはそんなディニンの心情に気づかずに続けた。
「実は、ミーナが所要で明日の夜まで帰ってこないんだ。いまはいろいろと物騒だから、今日はうちに泊まってもらいたいんだけど」
軽い口調でリリヤは言った。ディニンは彼女の頼み事の内容に驚き、戸惑いを隠せない表情で質問した。
「えっと、なんでよりにもよって僕なんだ? 女性プレイヤーはいないの?」
「君のことは信用してるし、ほかの女性プレイヤーの知り合いとは連絡が取れないんだ。まさか屋敷が襲われるようなことはないだろうけど、用心はしなきゃいけないしね」
あくまで軽い調子でそういってのけたリリヤに、ディニンは複雑な心境だった。信頼してくれるのは嬉しいが、自分がそういう対象として見られていないのかと落ち込み、そして自分が落ち込んだことに驚く。
混乱しているディニンを見て、リリヤは楽しげな笑みを浮かべた。
「じゃあ、そういうことでよろしく。この作業を終わらせたらお茶にするから、少し待っててくれ」
そう言って、リリヤは再び机に向かって作業に打ち込み始めた。
素人の趣味小説に「書くだけ無駄ですね」とか感想付けてる人がいて大爆笑した。
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