先日、北海道カラーユニバーサルデザイン機構(北海道CUDO)のイベントで、「色覚体験ルーム」というのを経験した。特殊な分光特性を持つライトに特殊な光学フィルタを被せたものを照明として使用しているその部屋の中では、一般型の色覚の人でも、P型(1型)やD型(2型)色覚の人と同様に色が見えてしまうのだ。つまり、特定の色の組合せにおいて、色の区別がつかなくなってしまう。こんなすごいものをよく作れたと思う。その部屋の中でいろいろなものを見たが、裸眼で色覚体験を行うのは、シミュレータを使ってディスプレイ上で見るのとはまた違った臨場感がある。貴重な体験だった。
部屋の中にフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の絵のコピーがあった。その絵は、なんだか僕がいつも見ているゴッホと違って見えた。僕はゴッホの絵が大好きで、いろいろな美術館で実物を何点も見たことがある。ちょっと変わった色の使い方をする画家で、色遣いは豊かなのだけど、突然違う色の線が走ったり、点が現れたりする。ゴッホは色覚異常だったのではないかと言われているそうだ。
ところが色覚体験ルームで見たゴッホからは、そのような色の突拍子のなさというか、線の荒さというか、そんなのがすーっと消えて、とても繊細で微妙な濃淡を持つ見事な絵になっていたのだ。これは不思議だった。
次の日、宴席でその話が出た。P型色覚でデザインをやっている友人が、「素晴らしいだろ?僕たち色弱者は皆ゴッホの本当の素晴らしさがわかっていて、彼は天才中の天才だと言っているんだが、一般型色覚の人にはそれが良くわからないらしいんだ。彼はきっと色弱者だった。だから色弱者にはわかる。」という話をしてくれた。なるほどと思い、家に帰って僕の作った「色のシミュレータ」でゴッホを絵を見てみた。でも、それはなんだか色が褪せていて、色覚体験ルームの感動はなかった。
そこで僕はふっと気が付いた。もしかしたらゴッホは、弱度の色覚異常だったのではないか?それなのに強度の色覚異常のシミュレーションで見るからうまく見れないのでは?正常色覚と2色覚の中間の見え方をシミュレーションして、それでゴッホの絵を見てはどうだろう?
僕が開発して、現在 iPhone, iPad, iPod, Android 向けにリリースしている色覚体験アプリ「色のシミュレータ」では、強度の色覚異常(2色覚)のシミュレーションしかできない。このアプリの最初のバージョンにはスライダーが付いていて、それを操作することによって、2色覚で見える色と、一般型の色覚(正常色覚)で見える色の中間の色を作り出すことができた。これを簡易的な弱度の色覚異常(異常3色覚)のシミュレーションとしていたのだが、一部の専門家から「異常3色覚の色の見えはこのように単純な線形変換で求められものではなく、ユーザに誤解を与える恐れがあるのでスライダーは削除するべき」という意見が寄せられ、この機能は今のバージョンでは削除されてしまっており、使うことができない。PhotoShopやパソコン用のソフトウェアでも、画像を色覚異常シミュレーションして見る機能があるが、中間画像は作れないし、イマイチ色が正しいかどうか不安なので、自分でまたソフトウェアを作ることにした。
書斎にこもり、色覚シミュレーション画像ファイルコンバータを作り始め、2日間でなんとか完成した。(このソフトはウェブアプリケーションとして作ったのでそのうち公開しようかな。)それを使ってゴッホの絵を、2色覚者が見えている色と正常色覚者が見えている色の中間の色になるよう変換した。その結果がこれらである。(あまり絵画の知識のない僕の個人的な感想付き。)
なお、「P型60%シミュレーション」という意味は、XYZと線形変換可能な色空間上で、オリジナルの色を Qc とし、P型2色覚のシミュレーション色を Qp としたとき、(1 - 0.6)Qc + 0.6Qp の色としたという意味である。つまり、元の色とP型2色覚が見る色の中間の色よりちょっとだけP型2色覚が見る色に近い。必ずしも異常3色覚の色の見えと一致していないかもしれないが、ある程度は近いのではないだろうか。D型シミュレーションもやってみたほうがいいのだけれど、取り敢えずP型でやってみた。
この収穫の絵は、オリジナルでは、多分麦だろうか、随分オレンジ色の植物があり、太陽の光に緑の線が混ざっているのだが、P型シミュレーションでは、植物の濃淡が見事にその存在感を引き立て景色に奥行きを与えている。弱まった太陽。秋の夕暮れの様子が再現されているような気がする。
オリジナル P型60%シミュレーション
この橋をパラソルを持つ女性が渡っている絵だが、オリジナルは、川の水に映った橋がどことなく不自然だったのだが、P型シミュレーションだとより自然に映し出される。水面が揺れて小さな波が立っている。
オリジナル P型60%シミュレーション
星明かりの夜は大迫力。深い闇と星明かりのコントラスト。月に雲が照らされている。
オリジナル P型60%シミュレーション
花がたくさんある景色は、まるで写真で撮ったかのようなリアリティを持ち始める。見渡すほどに景色が広がっている。
オリジナル P型60%シミュレーション
道路工事。オリジナルは木も土も変な色で、石に荒い線が目立ったのに、変換後は木も土も立体で浮かびだし、道路に奥行きが感じられる。
オリジナル P型60%シミュレーション
種を撒く人には本当に感動した。夕方の畑。傾いた太陽の光に土のでこぼこが照らされている。農夫が影を落とす。土塊が立体に見える。足音まで聞こえてくるようだ。
オリジナル P型60%シミュレーション
圧巻はひまわりだ。これも立体に見える。ひまわりってこんなにすごかったのね。
オリジナル P型60%シミュレーション
オリジナル P型60%シミュレーション
そして夜のカフェテラス。石畳の石のひとつひとつが立体に見える。長細いカフェテラスの建物が奥行きを持って闇夜に浮かび上がる。満天の星の下、暖かいライトに照らされながら、皆落ち着いて食事やお酒を楽しんでいるのだった。
オリジナル P型60%シミュレーション
ゴッホの本当のすごさを思い知ったような気がする。
正常色覚ではこれはわからないし、2色覚でもきっとわからない。きっとゴッホはP型かD型の色覚異常だったのではないか。その程度は、2色覚と正常色覚の中間くらいで、自分の目で最適になるような絵の具の選び方、使い方の法則や癖があったのではないだろうか。もちろん、その前提もこの推測も間違っているかもしれない。このとおりでもそうでなくても、彼の作品が多くの人にとって素晴らしいものである事実はまったく変わりがない。でも、こんなふうに想像して、彼と同じような目になったつもりで作品を見るのもまた楽しい。
なお、文中の、色覚異常、2色覚、異常3色覚、正常色覚等の用語は学術用語です。色弱者と書いている部分もありますが、引用元の用語を尊重して使用しています。また、ここで使用するシミュレーション手法は必ずしも正確に色覚異常の人の色の見えを再現しているとは限りません。
今回使用したシミュレーション手法の詳細については、論文「色覚異常者のQOL(Quality Of Life)を向上させる色覚ツール」の31ページをご覧ください。
(2011/10/12 03:35)
P.S. 自画像も追加する。険しい表情。近寄り難い男。苦悩を抱えながらも我が道をゆく彼の孤高の姿がより一層現れているように感じられてならない。
オリジナル P型60%シミュレーション
(2011/10/12 13:00)
P.S. 「色覚体験ルーム」の詳細やお問い合わせについては、伊賀公一さんのソラノイロのブログ「色弱体験ルームお披露目」をご覧ください。
(2011/10/14 12:25)
P.S. 英語バージョンを書きました。English version is here.
(2011/10/16 17:00)
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