つまらぬ写真に、生意気ですが
写真保存、転用禁止です。
こう書かないと、どうされても文句が云えないらしので、
禁止と書きます。。
友人の写真展示のパーティに行ってきた。
こちら~→ ESCRIBA
ひっさしぶりに、六本木というか、港区に来たよ。
10月1日は、乳がん早期発見啓発キャンペーンで、pinkのライトアップ。
けど、LEDだと、写真に色が反映しにくいのねん。。
この夜が明けてからの一日は、どう起きて、
どう時間を使い始めたのか判らなくなっているけど、
少ない写真が刻んでいるけど、こうやって普通に朝食を取ったのだな。
確か、キッチンや冷蔵庫にあるもの食べ放題だったような。
そして、UNOとかやったんだな。
昨日の今日だし、
掛かってくる電話を待つために、ホテルを離れることが出来ない。
この分では、いつまで滞在なのか全く判らない。
このコテージの設備を見て、
こうなりゃ、今夜の食事はバーベキューをしよう!ってなった。
昼ごろ、昨日のスーパーまで歩きましょうって、
延々と~、で、さすが当然のようにMACが現れて、昼食。
そして、スーパー到着。
アメリカ、意に違わず巨大なスーパーの入り口に入ってすぐにあったのが、
シアトルマリナーズのイチローのグッズが、バ~ンと売られていた。
バケツほどのポップコーンの入れ物もイチロー。
スナック菓子や、チョコもイチロー。
こんな田舎のスーパーでも、イチローは英雄なんだ。驚いたね。
さすがサッカーより、野球の国と認識。
一応、地図で位置関係を、、
あいだにカナダがあるとは云え、ここは米国で、
シアトルに一番近いから、人気はシアトルマリナーズなのだ。
それを眺めながら、やや誇らしげな私たちは買い物に走る。
実は・・明日(13日かなぁ?)出張女性の誕生日(!)ってことを
なにげに聞いていたので、
深夜にサプライズ!しましょう~って、初対面の私たちで
考えていたから、バーベキュー♪
彼女にバレないようシャンパンとケーキをこっそり買う。
個々の買い物で、私はこの日の事件を伝える新聞を買って、
小銭作るために、スニッカーズ(チョコ)を特に意味もなく、
人数分の8個買った。
若い男がいるんだもん、買った食材は凄くて、
けど、安いし、幾日も滞在の可能性もあるから、
元気よく買い物して帰宅。
夕刻にホテル。看板には昨日から国旗が掲げられてる。
やはり、大きな出来事が起きているのがわかるけど、
なんとは無しに撮った、まだ笑顔の写真。
5時くらいから準備しましょう~ってことで、それぞれがまた自由行動、、
って、なんだかちゃんと団結して、統制されて、真面目に暮らしてるところが、
いいメンバーだったなぁと思う。
そして、ゆっくりとキッチンに立つ。
男の子たちは、外の準備に取りかかる。
リクエストの白飯を中華屋で買ってきていたので、
おにぎりむすばなくちゃ、、ね、、って、手を洗ってたんだ。
ワイワイ、ギャイギャイ外から声が聞こえて、
チャーリーさんのアドバイスの英語も飛び交って、
どたどた、と階段を上がったり、、とか、
まるで、ホームドラマのシーンのように、
夜のパーティーにテンションが上がってた。
そう、だから、私も手を洗っていたのだよね、、
ああ~、ケーキは見つからないように、寒い外に隠してね~って
ささやきながら、、ね。
~続く、、、
~続き
落ち着いたホテルからの連絡には、滞在予定の友人にも、当然。
未曽有の事件が起きているのだから、事情はすぐに伝わった。
「え?アンカレッジ?そこに、○ルタ航空も降りたでしょ!?」
と、突然。
その機に、友人のボスの奥さんが、搭乗していたのだと。
ボストンに住む娘に会いに行くために、JFK空港に向かっていた、
渡航に不慣れな母を心配した娘が、NYの友人に連絡していたのだ。
「どうなったか判る?一人で不安だと思うの探して~!」と。
けれど、○ルタは私たちより早く案内があって、赤十字シェルターに
行っているはずだから、大丈夫だと思うし、場所は判らない、と伝えた。
よりもよってのこの日、この時間に、同じ場所に降機、
この偶然にも驚いたけど、この偶然の事態が・・
後々の私を、脅かすこととなるとは・・思わずに・・・。
さて、昼寝から目覚めてリビングに集まる。
TVは各部屋にもあって、それぞれが報道の収集をしてきた。
直後の団結力、勢いから改めて自己紹介をさらりと。
NYに出張だった女性は、26歳、
ある音楽雑誌の編集者で、超有名ミュージシャンのインタビューの為の渡航。
そして3人の男性は、W大学院(←*)理工学部、22、3歳(?)
イチローの試合観戦を含めて、卒業旅行~ってとこかな?
それぞれ、超ビッグネームの本社勤務に、内定済みというエリートの卵様たち。
そして、高校生ではなかった、、大学一年生19歳の三人組。
バイトで貯めた金で、憧れのアメリカ!ってところ。
ここで男の子達は序列できて、先輩後輩のような立ち位置になっていたけど(笑)
この女性がK大学出身だったので、思わずWK戦?って感じで
面白い(私には無縁の)話で、盛り上がっていました。
そういう背景もあって、彼女彼らは、TVで流れる英語がわかる!
というか、読めるわけ。
(アメリカでは、この頃でもTVの会話は、すべて字幕で流れる)
だから、この時点でテ○リストの容疑者だとか、ブッシュ大統領の
云わんとしてることとか、どんだけ大騒ぎかということが、
「言葉」では理解出来ていたし、教えてくれた。
私にとって英語という難関は、彼らが居てくれたおかげで、
航空会社やホテルとの連絡交渉を担ってくれたので、、、良かった~、
助かった~。
だからと云って、どうすることも出来ず肌感にもないから、
いつまでどうするんだ、、は、連絡待ちでしかない。
じゃ、十分にアラスカというここを、満喫してやろうじゃないか、、
となった。
ホテルとは云えども、コテージなわけでレストランもないし、
使い放題のキッチンがあるただの一軒家なわけで、
食事・・・どうする・・?と思った時、
ここに一人だけ滞在していたアメリカ人が帰ってきた。
彼はデンバーからバカンスで、釣りに来ていたおじ様チャーリーさん。
さすが海外の方の趣味はスケールが違うわけで、
私たちが、釣竿一本持って近くの川にでかけるような身軽さで
飛行機に乗って、釣りにきた、、っていう、カジュアルさ(!)
アメリカとアラスカ(米国だけど)の間には、カナダという大きな国が
あるのだから、このスケールは測れるかな。。。
彼はレンタカーを持っているから、
君たちをスーパーまで連れていってあげるよ、
と親切に。
ということで、その夜はチャーリーさんと共に夕食。
そうそう、記述しておかねば、、
日本の9月上旬は、半そで&サンダルで十分。
NYも同じくらいの気候だから、と、みんな夏着だった。
私も実は、出発間際までサンダルに半そでだった。
けども、あの台風騒ぎで家を出る直前に、レッドウィングのシューズと
ウィンドブレーカーに変えて出てきた。
これが、いきなり役に立った。
ここはアラスカだからね、、室内は暖房が付いていていいけど、
夜の外は、まるっきりの冬となる。
みんな慌ててスーパーでセーター買ったりしてたし、
外は、どんだけか、、というと、、
食事の後、順番にお風呂に入ったり、大きなこの家を探検したり、
やっと気持ちに余裕が出来て、、、
男の子たちが外で、騒いでる。
みんな~~!って、子供たちが呼ぶの。
何~~?って、出てみると・・・
ブルッと寒い、ピーンと張ったよう空気。
全くの闇の中、森林の香りがふんわりと漂ってきて、
月と星で、地より天が明るい。
闇の黒に、濃紺の天。
そして・・・その天に刷毛でさらっと、なぞったような・・・
見てしまったもの・・・
空に、、
オーロラ、でした。
一瞬だけど、そして写真で、映像でみるような
七色の素晴らしいものではないけれど、
確かに煌めいたカーテン。
呼ばれてからの私には短い時間だったけど、
男の子たちは、言葉を探せなくて佇んでた。
オーロラ・・・・
文明化社会の、より近代に生きてる日本の東京人ばかりの
私たちは、大自然の起こす現象よりも、
宇宙から見た地球という、科学的な視界の方が馴染みがある。
オーロラなんてツアーで狙って見に行くものだから、
こんな状況下、願っても想像してもないことがいきなり現れると、
ただ、ただ、、不可思議としか思えない自分が情けなかったな。。
フイのことだったけど、もしか未確認飛行物体だったかも、、
とか、今なら思う。
けど、いや、オーロラだ、って気づけたのは、
想像を絶するほどの大自然の広がる土地に私たちはいるのだから、と、
森林のむせかえるような香りが確信させたし、
翌日、その風景に居る自分たちを見ることができた。
仲間と交流するにつれ、不安も薄れてきて、
なんだかんだ言って、張りつめた緊張も解けた頃、
再び就寝。
日本時間、アラスカ時間、ニューヨーク時間・・、
いったいどこを基準で過ごせばいいのか、、、
とりあえず、ここの朝を迎えようということで。。
~続く。
~続き。
アラスカ アンカレッジ空港での混雑
さて、、
名も知らぬ8人で、コテージが並ぶホテルに到着。
迎えたホテルの主人は、カーボーイハットでも似合いそうな兄さん、
みなを案内しながら、早口の英語でまくし立てる。
キョトン?とした私たち、リビングに通されて
TVを付ける。
そこに映し出されたあの映像と、ブッシュ大統領の演説と
上下に流れるニュース速報。
画面は、まるで宇宙局のモニターのよう。
ホテルの兄さんは、もどかしく話し続ける。
テロが・・起きた・・・(?)・・・?
テロ、テロ・・テロ・・
と、今では良く聞く言葉だけど、英語圏で聞くそれは言語として
入ってこないし、概要もなにも、状況がつかめない。
英語に堪能な仲間が、それを理解して訳して、
やっとのことに、
異国のニュース画面は映画のようだけど、あのビルはワールドトレードセンターだと、
ニューヨークであるということも、理解するのに時間がかかった。
あの映像は、現実であったのか・・と、
頭の中で、私たちの飛行機がNYへ行けなかった理由が、ここに・・・。
アラスカアンカレッジに降機して、もう、10時間くらいが経っていたのかな。
日本が今、何時なのかも判らないけど、
これは、、大変なことなのかもと気づいた。
世界が、とか、アメリカが、、ということではなく、
これではしばらく動けないということ、自分たちがこんな端っこの地に居ること、
NYに向かったはずの私たちを知る、日本の家族や友人たちに知らせなくちゃ、
と、まずはそれぞれが電話に駆け寄った。
空港では、コレクトコールに頼る人たちのせいで、
電話回線がパンク状態だったから、急がぬ私も観光の男の子達も
そのまんまだったから。
ここで、先に空港で買っておいたコーリングカードが役に立った。
このカードにある電話番号にコールして、(パスワードのような)
PINコードを入力、そして掛けたい相手を直接コール。
なので、回線が空いていて、直ぐに繋る。
私は、年に数回渡航していたので、他に(家族にも)云うことはなく
ただ、その度、親友にだけ出発日と、往復の飛行機の便名と時間、
(決めていれば)ホテルの電話番号や簡単な行程、
そして、緊急連絡先を書いて、渡しておく毎回のこと。
親友は、フランスに住んでいる、(笑)
面倒な経由だけども、フリーランスの仕事を持つ身としては、
何かが起きた時、仕事関係まで把握している人でないと大変だから。
けど、この時、彼女は実家の長崎に帰国していたので、
たまたま、この時だけ違う友人に預けていた。
それが初めて役に立ってしまう、、そんで!
初めて、そんなのを受け取っていた友人に、、、、コール。
そりゃ~もう、電話の先は大騒ぎで、その紙を握りしめながら、
TVを見つめていたそうで。
で、ここから何本も電話は出来ないので、
その紙の流れのまま、連絡をお願いね、そして私はここに居るから、
と、ホテルの電話番号。
そして、次は動くときか、何か状況が変わるまで私は連絡しないから~、
と、ゆったりクールに伝えて切った。
だって、この時点でも、まだまだあまり判ってなかったし、
田舎の穏やかで、静かなこのアンカレッジ。
ホテルにも着いたばかりで、眠い、疲れた、、のあとの安堵だけが
身を包んでいて、、日本での報道の騒ぎとか、知らなかったし。
その直後~、私の(部屋の)電話が何度も鳴る。
知らせを聞いた家族や、友人や、、から。
いやいや、大丈夫、、と、
静か~な北端の街のアットホームなホテルのベットで答える。
何をそんなに~なんて、その心配ぶりを不思議に感じていたんだ。
・・そののち、、知ったこと、、だったんだけど、、。
帰国してから、知ったことなんだけど、、それは、、
日本のニュースで流れた、その時の「行方不明機」の11機。
その内に~~私の乗った飛行機の便名が入っていたらしい!
友人に便名を書いて渡していたもの、、、、
慣れぬお願いをしていた為に、、、私が、連絡をする前に
緊急連絡先やら、何やらに、連絡しまくっていたらしい・・・。
そう、、そりゃ~事件勃発から、長い時間が経っているから、
当然の行動なんだけど、、
あちらとこちらの温度差、、申し訳ないほどのことでした。
けど、、、行方不明機ってことが違うはず。
というのも、
アメリカはキッパリッとした国で、あの時、
管制塔は、アメリカの航空機との交信を、理由も告げずに切ったのだ。
だから、機内でのあのアナウンス。
アメリカ機、、、テ○リストが乗っているかもという疑念から、
機長にも何も、状況も伝えず、指示もせず、、ぷちっと切った。
そういうことだった。
近くのアメリカ本土の空港は、向かっている飛行機をすべて遮断。
カナダも入国拒否。
それで、彷徨った判断は、アラスカ・アンカレッジだったというわけ。
その彷徨いの途中で、日本ではつまり「連絡交信のない飛行機」として、
未確認の行方から、便名が挙げられていたんだよね。
しかも、日本出発便だし。
成田で同じ時間の出発だったJALは、日本に引き返したと後に聞いた。
だから、制服の自衛官は戻っていたんだろうな。
○ルタ、私の○ンチネンタルはアメリカの航空機だから、
こういうことになったのだ。
ああ・・・でも、アンカレッジ!ここもアメリカだというのに、
ありがとう。。。
あの国の、なんだかんだ云ってキッパリしたやり方では、
疑わしきもの撃墜!となるやもしれぬ事態・・・
ありがとう、着陸許可。
と、やっと少しずつ状況が判ってきて、電話連絡も終わり、
まだまだ自己紹介もせずまま、皆んな疲れて部屋で昼寝とする。
夕刻、リビングで会いましょう、、と、
ザ・カントリー・ホームの雰囲気、一軒家のコテージ。
もう、台風からこの時間まで、私たちはいったい何時間起きてるのか
判らなくなっていたんだもの。
熟睡・・という昼寝のあと、集まって始まる縁。
そのあとは、、、
~~続く
~続き、、
やっとの思いで成田に到着して、
ゲートでは同じ時間出発のNY行きのJAL、これはNYのJFK空港へ、
この便には、制服の自衛官が乗り込むのを見た。
仕事なんだね、制服とは珍しい、、と印象に。
私は米国機○ンチネンタルで、NY州の隣、NJ州のニューアーク空港に向かう。
さて、
お腹が満たされて、眠りにつくウトウトに流れる機長の英語のアナウンス。
次に、訳してアナウンスにはパーサーの男性が日本人、
普通ならサラ~っと訳されるのに、
なにか、たどたどしい言い方、
「ただ今、機長からの話を、、、申し上げます、、
え、、機長がいいますには、、、・・・(?)
機長の言葉をお伝えします、、。。。
ただ今、当機は○○上空を飛行中ですが、、、
・・
アメリカの管制塔との・・・交信が・・・(?)
出来なく・・(?)なっております。ということで、、す。。
・・・
え~、、この便、アメリカニューアーク空港に向かっておりましたが・・
皆様を・・・
(いきなりここから、早口で)
アラスカアンカレッジ空港へとご案内・・・向かいます!」
え!?( ̄□ ̄;)!!、アラスカ!?
と、私は機内でいつもこれを付けてる、機内モニタ
飛行してる場所に飛行機がマークされていて、アナウンスされた瞬間、
ロサンゼルス方面(右)に向いていた機影が、
いきなりアンカレッジ(左上)に向いた。
あ、ホントだ!と思いつつ、一人旅の私は眠いながらも、
ああ、なんかあったな~と考えながら、
ここで、飛行機ヲタクの私の思考が・・・
飛行経路というのは、国の領域や様々な決まりの上で
作られるのだけど、
「飛行機」の性能ということでは、
もしも、機体に何かしらの問題が起きて、
万が一、たとえば最悪にも、全てのエンジンが停止してしまったとしても、
操縦力が残されていたら、
エンジンがない状態で、浮力だけで、(飛行機の大きさによる数値で)
約○○○マイルは飛ぶことが出来るのね。
なので、大海を渡るとき、もしくは陸上空でも国交や滑走路とかを含めて
必ずその飛行機が着陸できる空港から
この○○○マイルのところを飛ぶことになっているの。
(だから、意外と回り道の空路もあるんだよね)
そして今、ちょうど私たちはグアム~ハワイあたりを飛んでいたし、、、
もしか、これならロサンジェルスの方が近いじゃない、、
なら~、これ、、飛行機のトラブルではないなぁ、、と、
んじゃ、管制側のトラブルだね・・
と、この時、飛行機は大丈夫だと、安心していたの。
ヲタクの知識がこんな時に、自分を落ち着かせ、
旅の思い出話に楽しいじゃな~いなんつってね。
何より、もう、台風騒ぎだけで疲れていたから
追い打ちの思い出話だと。
よく、この時のことで、
飛行機ではどう報告されたの?って聞かれるけど、
乗員自体も判らなかった、何が起きてるのか、、
ただ、管制塔が応答しないのだ・・ということね。
今の時代なら、きっと機上でもネット環境があって情報もあるだろうけど、
あの時はただ、そのまま過ごすしかなく、
短い時間を使っての観光客や、向かうはNYだから
多くのビジネスマンは困惑していたと思う。
私は、ニューアーク空港に友人が迎えにくることになっていたし、
きっと遅れとかは、あっちでわかるだろうなぁ~とか、
ぼんやりと、浅くウトウト・・。
みんな忘れてるんだけど、本当に台風のことで、
すでに、乗客もかなり疲れていたんだよ。
夕刻便は、ちょうど機内で寝られるというタイミングだし。
それから数時間飛行して、アンカレッジに着陸した。
着いたけど、そのまま待機って云う。
だから、逆にみんなは、このまま飛ぶのだろうな~と静かだった。
一時間半くらいして、降機してくれと、アナウンス。
この時、機内がざわめいちゃった。
降りるということは、時間がかかるのだな~と。。
そして、ざわざわと降りたら、トランジットのカードを渡され、
入国することになった。
これもヲタクポイントで、、トランジットとは乗り換えということだから、
飛行機が変わる、
で、入国しちゃうってことは・・・すぐには飛べないということを意味する。。
この時の時間が、時差もあるから全く、全く判らないんだけど、
現地時間で深夜だったのかな、、外も良く見てなくてわからないのだけど。
どうすんだろ~と思いながらも、入国ゲートの事務所の奥に
TVのような?モニターが見えた。
一瞬だったけど、澄んだ大空にグレーのビル、そしててっぺんが爆発する、
あの映像が一瞬。
音は聞こえないから、ああ、、何~?映画でも見てるの?
のんびりした国だよね~アラスカ、、と。
そして、閉ざされた空港内で大勢の客がその後の指示を待つ。
目的地変更とか、この場合は、航空会社側の事情だから、
ホテルなどその他の手配を受けられるわけで、
混雑したエリアに座り込む。
慌てているビジネスマンもいるけど、
多くの人が、案内があるまでと云う感じで、地べたで寝ていたね。
日本時間でも深夜、明朝くらいなのに、機内で休めなかったからだ。
いきなり目の前のガラスには「白熊」の剥製がガ~~ンと
お出迎えで、立ち上がったそれは2メートル以上の巨大な迫力。
あ~~ほんとに、アラスカなんだなぁ~と、実感。
で、ここまでも、私たち、数百名の乗客は、
世界の状況を全く把握していないの。
TVも、何にもない、田舎の国内空港のようなところで
たむろってただけ。
説明も係りも現れないまま、
次に、成田発の○ルタ航空が降りてきた。
次に○リアン航空が、ソウルからやってきた。
みなも、いきなりのアラスカ降機だったらしく、空港は大変な人数になってきて、
これは、、なんか尋常ではないように思えてきた。
公衆電話は長蛇の列だけど、コインがないからみんなコレクトコール。
けど、うまくつながらないのだ。
ここで、出張に向かう一人の女性と知り合い、
二人で売店が開くのを待ち構えたの、コーリングカードを買うために。
なんとなく~、、急いでいない私でも、緊急危機管理的な脳が動いて、
カード数千円分と、水、スナック菓子を買い足して。
成田で換金しててよかったと安堵しながら。
その頃、さすが大人しい日本人とは違って、
○リアンの国の方々が騒ぎ出す。
すると、奥から台車に乗せたTVがやってきた。
空港係員がそれを付ける、
そこに地元TV局のカメラマンや、リポーターが、ぞろぞろと入ってきた。
その時の記事がこれアンカレッジ新聞
なんだ、なんだ~??もう、わけわからず、それを覗き込む。
さっきの映像だ。そして、ブッシュ大統領が演説してる、、。
人ごみの中だったし、英語だし、
今の時代なら想像がつく情報化時代で、世界の動きも慣れているけど、
この時には、なにが~??という感覚で、
ただ、この出張女性と、今は飛行機が飛ばないってことは把握した。
その時、近くにいた男の子3人組と、なにかしらの話をしているとき、
日本語で放送が流れた。
「○ルタ航空の乗客のみなさん、赤十字のシェルターへと向かいます。
荷物はあとで届けますので、バスへ向かってください」
次に韓国語で放送、、これも赤十字、、って言ってる。
??それよりも先に着いていた私たち・・・どうするのかしら?と
もはやアラスカに着いて5時間以上は経ってる。
お腹が空いていたけど、レストランもなく、成田で買った食べ物、
飲み物に助けられた。
外は朝を迎え、外に出てみると9月なのに初冬の涼しさ、
澄んだ空気が異国を伝えてる。
その時、若い普段着の女性が出てきて、英語で何かを発表している。
それを、出張女性(英語堪能~)が聞いてきて、
「自分たちで、近くのホテルを見つけて待機してください。
飛行機はしばらく飛ぶことはできない。
どのホテルに誰がいるのか、連絡をください」
ってことになった!!
え~~~!!??ここはどこなんだよ、旅行案内所もない空港。
過去には、アンカレッジを経由しなければ欧州に行けなかった中継地で
もっとも栄えた空港
(劇団○とりが、両親が航空会社勤務だからここに住んでいた理由)だけど、
今は~~、白熊の剥製しか威勢を放っていない、ここで・・。
でも、そこには、親切な米国のビジネスマン達が立ち上がって、
ヒジョ~にジェントルマン度を発揮していたの。
みなは、米国(アラスカは米国です)の携帯電話を持っていたので、
あらゆるホテルに電話をかけてくれた。
ここには、5人OK,こっちは、10人だ、と声を出す。
日米股にかけてるから、日本語で叫ぶ。
そこで、わたしと出張女性、8人ホテルをGET。
さっきの男の子入れて、5人・・・ふと振り返ると、そこに高校生の男の子たち3人。
「お前たち、着いてくるか?」と声をかけ~、
ホテルにタクシーで向かうことになった。
まだ、お互いの名も知らずまま、なんとか居場所を見つけて、
チェックイン。。
この小さな街はどこも大混乱になりながら、
けど、日本人の多いこの事態には、とてもとても静かな移動と秩序。
ここまでも、アメリカで、世界で、、そして日本で、、
何が起こっているのか、全く分かっていない私たち。
全世界が奮い立っている尋常じゃない事態に取り残されてる私たち。
目の前のことだけに必死で、
私たちだけに降りかかった不運~ついてないわ~、
不安だったけど、ハプニングは旅の一環だし、思い出話になるね~とか、
なんてぼやいていたくらいの気持ちだった。
そして、その後は、、
~続く、、、