□投稿者/ Townmemory -(2009/05/20(Wed) 06:37:06)
![](/contents/069/836/520.mime4) | みなさん、こんにちは。 考えれば考えるほど、「うみねこ」が面白くてしょうがないです。 ゲームの中身もおもしろいですが、ゲームの外側がおもしろい。
描写に幻想がまじっている。 そのことによって、「蓋然性」を意味のないものにしてしまうシステムになっているんですね。 たとえば仮に、作中の謎を「全部」説明できる推理が、誰かから出てきたとする。 でも他の人が、 「その推理のもとになっている描写は、きっと幻想です。だから成立しないよ」 と言ってしまったら、たとえ全部が説明できていたとしても、オジャンになってしまいます。 だから、どんなに蓋然性が高い説をとなえたとしても、それ以外の説と、並列以上にはぜったいにならない。上位には立てない。たとえ全部が説明できたとしても、他の説との同列にしかなりえない。
「こう考えれば矛盾がない」まではたどり着ける。 けれど、「これが正しい」には、絶対にたどり着けない。
「自己無矛盾」は正解ではない。 「私がたしかに存在する」とは私自身には証明できない。 「この推理が確かに正しい」かどうかは、「この推理」や「提唱者」には証明できない。
だからこそ、賛同者が重要になってくる。 「ある推理」は、それに賛同しない人にとっては、単なる駄説にすぎない。 けれど、賛同する人にとっては、それは正しい説なのです。 なにしろ絶対に証明できないのですから、あとは信じるかどうかの問題です。
「俺はこの説が正しいと思う」 「僕もこれが正解だと思います」 「私も、この説を採用します」
↑この人たちにとっては、「その説」が正しくて、真実なのです。たとえ他の人が否定したとしても、この3人のサークルの中では、これが真実になります。 真実はひとつではなく、複数が同時に存在しうる……それこそ「無限」に存在しうる。
無限の魔女……。 そう、鋭い人は気付かれたと思いますが、つまりこれってまさに、「マリアージュ・ソルシエール」なんです。
「さくたろはここにいるよ。私には見えるし、お話だってできるよ」 「さくたろうは確かにここにいるな。妾にも見えるし、話もできるぞ」
真里亞とベアトリーチェにとっては、「さくたろはいる」が正しくて、真実なのです。彼女たち2人のサークルの外に、「そんなものいやしないよ」という人が何人いようとも、彼女たちにとっては「さくたろはいる」が真実なんです。
そう。ならば。 私たちが、「ある推理」を正しいと考えるとき、私たちは「マリアージュ・ソルシエール」を結成している。 「マリアージュ・ソルシエール」は黄金郷の別名です。 ベアトリーチェが言ってるじゃないですか、「ここは妾の黄金郷」と。 黄金郷では願いがかなう。 黄金郷では、架空のものが、実在のものになる。石ころが金になる。 私たちは、私たちの黄金郷にて、「何の根拠もないある推理」を「正しい答え」に変えることができる。 『うみねこのなく頃に』という作品では、このメカニズムを「魔法」と呼んでいます。
つまり、その意味において「魔法」は確かに存在し、魔女も確かに実在し、その正体は「私たち」ということになります!
以上が、私の考える、「もうひとつの真相」「上位世界の真相」です。
すごいです、この構造は。 素晴らしい。美しい。この構造を作品化した人は天才。 誰が認めなくとも私が認めて赤字で言います。(赤字)作者は天才です。(赤字)
でもさらに凄いことを言いますよ。
私たちが、「ある一個の推理」を正しいと信じるとき、それとは別の推理を「間違ったもの」としている。そういうことになります。 一個の推理は、それ以外の推理を撃退する能力をそなえているんです。
黄金郷では、ライオンのぬいぐるみに、命を与えることができますが、逆に言えば、王子様をカエルに変えることもできるんです。
そしていいですか。「あなたの説の根拠は幻想だ」と言えば、すべての説は否定可能です。そして、あるシーンが幻想かどうかは、誰にも証明できない。 作者にも証明できないんです。 作者が「ここは幻想じゃなくて真実のつもりで書いた」と言うことはできますよ。 でも、我々が「そんなの認めないよ、ここは幻想だよ、あなたは自分の書いたものすらよく理解していないんだね」と言い放てば、作者はそれ以上のことは言えません。真実であることを証明できません。 赤字を使ったとしてもだめです。 赤字が真実であるとは赤字では証明できませんからね。 現に、「赤字で書いてあるからって信用できないよねぇ」という立場をとる人が、いっぱいいるじゃありませんか。
つまり。 作者が「これが正解」といって、答えを出してきたとしても。 それはあくまで、「作者が主催する黄金郷」でしかないのですね。
作者は、「こう考えれば矛盾がないように作品を作りました」までは言える。 けれど、「これが正解です」とは言えない。 いや、言えるけれども、証明できない。
「作者が用意した答えが正しいかどうかは、作者自身にも証明できない!」
もちろん、作者、竜騎士07さんは、わざとそういう構造で書いているのです。自分の書いていく「解答編」が正しいかどうかを、自分では証明できないとわかって、あえてそれをやっている。 むしろ、「俺の用意する解答を否定してみろ」と言っているのです。
いいですか。 この物語に対して、「ある推理」を提唱することは、それ自体が「魔法」なのだと、先ほど説明しました。 そして、推理してひとつの説を提唱する人は、その人自体が「魔女」なのです。
言い換えれば。 作者とは、圧倒的な魔力をもって、我々を蹴散らし、撃退し、屈服させ、靴をなめさせようとする、大魔女なんです。
彼は以下のようなことを言っていますね(以下引用)。
「私も、そんな最悪な皆さんを“屈服させたくて”この物語をお届けします。」 「私が期待するのは、正解に至る推理が現れることじゃない。」 「一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。」 「つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。」
それは、実は、 「俺という魔女が提示する答えとは別の推理で事件を説明してみせろ」 ということなんでしょう。 ベアトリーチェと戦人がやっているゲームと同じことを、竜騎士07さんと我々でやっているのです。
いいですか。 皆さん。 用心して下さい。 竜騎士07さんが書く「解答編」には、「人間説による解答」が書いてあるでしょう。 でも、それを読んで、 「なるほど、そうだったのか!」 と膝を打ってしまったなら、それは、「魔女に屈服した」ということです。
ep2のラストを思い出して下さい。 戦人はベアトリーチェから真相を説明されました。 すべての説明に筋が通り、彼は全てを納得しました。「なるほどそうだったのか」と言ってしまったのです。 その結果どんなことになりました? あの境遇、明日は我々の我が身です。皆さん、足置きになりたいですか?
真の魔女は作品の外にいます。 作品の中にいる、わかりやすい、いつわりの魔女に幻惑されないで下さい。
我々が大魔女・竜騎士07に打ち勝つ方法はただひとつ。 彼が主催する黄金郷よりも、はるかに巨大な「黄金郷」を作り上げ、彼の解答を撃退することです。
具体的にいうと、 「作者の見解」を二次創作のレベルまで引き下げ、ないがしろにすることです。
そんなことできるのか? できます。 実例があります。
というか、「うみねこ」の作中に、 「作者としては、こういうコトをやってほしいんだけどなあ〜」 というサインが入ってます。
ep2。朱志香の学園祭を思い出して下さい。 朱志香は奇抜なコスプレをして、奇抜な歌を歌いますね。 あれは、「東方シリーズ」という同人ゲームの「魔理沙」というキャラクターです。歌っている「つるぺったん」という曲は、ゲームのBGMをアレンジしてボーカル曲にした二次創作曲です。
なぜ、その同人ゲームの、そのキャラなのか。理由があります。
「東方シリーズ」の二次創作の世界では、魔理沙は、アリスという女の子から一方的に好意を寄せられている、ということになっています(両方とも女の子なんですが)。 「ということになっている」ってのは、みんなが「そうにちがいない!」と考えて、みんなが「その設定」を「採用した」っていうことです。
誰かが「アリスってひょっとして魔理沙に片思いしてるんじゃね?」と言い出して、みんなが「それはおもしろい!」と賛同し、みんなでよってたかってそういう同人誌を作るようになったってことです。
ここで、ひとつ重要な事実があります。 「東方シリーズ」の作者、ZUNさんは、 「アリスは魔理沙に惚れてなどいない。むしろ嫌いなほうだ」 と明言しているのです。
そして、二次創作者たちは、みんなその発言を知ってます。
にもかかわらず、二次創作界では、「アリスは魔理沙のことが好き」が定説化し、昨日も今日も、その設定でニコニコ動画に二次創作動画がアップされているのです。
「作者はああ言ってるけど、それはそれとして、こっちが正しいことにして楽しくやろうよ」
どうです。これって、ユーザーたちの黄金郷でしょう。 ユーザーが結成した黄金郷が、作者主催の黄金郷よりも巨大になり、強くなり、作者の見解を撃退してしまったのです。
竜騎士07さんは、「こういうことをやってほしいなあ」と思ったにちがいない。そして、「こういうこと」をやってもらえるような作品を作った。それが「うみねこのなく頃に」です。
だから、この掲示板や、ブログにSSを書いたり、ニコニコ動画で「うみねこ」の二次動画をやっている人は、圧倒的に正しい。 原作からかけはなれた内容を作っている人ほど正しい。 そして、あえて放言しましょうか、 「推理をしてる人よりも、SSを書いてる人のほうが、魔女への撃退攻撃力という点で、強い」 二次小説のひとつひとつ、パロディ動画の一作一作が、実は魔女への杭なんです。
それを理解すると、「うみねこ」がますます楽しくてたまらないんです。みなさんは、どうですか?
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