![](/contents/069/835/672.mime4) | (ひぐらしのネタバレあります) 続きものの第5回です。
カケラ世界1・ep1が最初に起こった no27036 カケラ世界2・ep2〜4を実在させる方法 no27141 カケラ世界3・上位戦人の正体 no27220 カケラ世界4・魔女の後見と、平行世界 no27377
●カケラ世界も観測したとき生まれる
ep4のTIPSに、「カケラ世界」「航海者」ということばが出てきます。
「無限のカケラの海を自由に渡り歩ける魔女を航海者と呼ぶ」そうです。 で、作中では、ベルンカステルとラムダデルタがそれにあたると言われています。
前回で、「カケラ世界」とは、平行世界のことでいいだろう、とキメウチしました(わたしが勝手に)。 しかもそれは、量子力学的な発想の延長上にあるものだろうと仮定しました。
えー。さて。 すなおに考えて、「カケラの海を渡り歩ける」というのは、複数の平行世界が浮かんでるのを上から見下ろして「わあ、いっぱいある」と思ったり、ひとつの平行世界を「どんな世界かな、わくわく」とのぞきこんだりできる。 そのくらいの意味に思っても良いような気がします。
つまり、パラレルワールドの旅行者。 そんな感じ。 今回、ベルンカステルはたまたま「うみねこ」というカケラ世界を訪れて、そこに滞留している。 以前は、「ひぐらし」というワールドにいたこともある。 これは特にケレンのない考え方なので、このまま採用して、納得度が高いように思います。
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さて。再三、例に出していることですが、 「ものごとの形は、あらかじめ決まっているわけではない。観測した瞬間に、そのかたちができる」 という話でした。
ということはですね、「カケラ」を渡り歩くときにも、その法則(らしきもの)は適用されるのではないだろうか。
カケラの海=平行世界がいっぱいあって渡り歩ける空間、というのを想像するとき、わたしたちは例えば、水面に、浮島のようなものがいっぱい浮かんでいる、そんなモデルを想像しがちじゃないでしょうか。 そうでない人ごめんなさい。わたし、そういうのを想像してました。
けど、違うかもしれない。 カケラの海には、何も浮かんでいない。 ただ、かたちのない可能性がたちこめているだけで。
で、ベルンカステルが、「こんな世界が見たいわ、こんなカケラを探そう」といって、「観測」した瞬間に、「そういう世界」が可能性の中から確定され、取り出される。 ベルンカステルがのぞきこんだ瞬間から、その「カケラ」は存在しはじめるんじゃないか。
平行世界は、あらかじめあるのではなくて、航海者たちがのぞきこんだ瞬間に生まれる。 ベルンカステルたちが、 「こんな世界よ、ここにあれ」 と願うことによって、存在しはじめる。
ベルンカステルが、「田無美代子が救われる世界よ、ここにあれ」と願って観測すると、電車事故が起こらなかったカケラが、可能性の海の中から取り出される。
ラムダデルタが、「あんたをみじめなカケラに閉じこめる」といってベアトを脅していましたが、ラムダは、そういうカケラを「あれでもない、これでもない」といっしょうけんめい探し出してくる必要はない。そういうカケラを意図的に存在させて、そこにベアトがいるという状況を観測してやればいいのです。
そんな感じじゃないのかな? という想像をしました。
●3人めの航海者と「すべてが正解になる」
もうひとつ、想像をふりまわします。 航海者は、ベルンカステルとラムダデルタだけなのか。
「ひぐらし」の世界をのぞきこむこともできるし、「うみねこ」の世界をのぞきこむこともできるような人物は、他にいないだろうか。
いますいます。 それは、「わたしたち」です。
そうでしょ? わたしたちは、ひぐらしの物語を初めから終わりまで「観測」しましたし、今まさに、うみねこの物語を「観測中」です。
うみねこに飽きたら、映画館に行って、第三新東京市を謎の生物使徒が襲うエヴァンゲリオン的カケラを観測したり、縦笛しか吹いたことない女の子がギターを一から練習し始めるけいおん的カケラを観測したり、毎週土曜日にはキムタクが奇怪な脳科学者役を演じているミスターブレイン的カケラを観測したりもできますし。
そしてそして。 ちょっと記憶をさかのぼって、23年前のことを思い出してみてください。23年前に生きてなかった人は想像してみてください。 1986年に、戦人という人物がいたと思いますか。 ほぼ、いないと断言できます。 戦人という人物が誕生したのは、たぶん、だいたい、2〜3年前です。 戦人が存在を始めたのは、竜騎士07さんが、「1986年に戦人という人がいたことにしよう」という世界を観測したときからです。
上位ベアトが存在させた各エピソードを、上位戦人が観測して、2人がその存在を認め合いました。 ラムダデルタがお膳立てして存在させた「上位ベアトと上位戦人のゲーム」というカケラを、ベルンカステルが見物しに来て、そのゲームの存在を認め合いました。
それと同じで。 竜騎士07さんが可能性の中から観測した「うみねこのなく頃に」というゲームの内容を、わたしたちはのぞきこんで、その中身を観測しました。そういう物語が存在するということを、確認して、認めました。 ということは、「うみねこのなく頃に」という名のカケラ世界は、観測された以上、まちがいなく存在します。 というか、竜騎士07さんとわたしたちが、観測によって存在させました。 「うみねこ」は、竜騎士07さんとわたしたちの「マリアージュ・ソルシエール」の産物です。 「うみねこ」は、それ自体が彼とわたしたちの黄金郷です。
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そして。 これらの仮説が暗示する最大の極論はこうです。
「すべての推理、すべてのSS、すべての同人マンガ、すべての二次動画、うみねこに関するすべての思いつきは、必ず正解である」
なぜなら、それらは、思いつかれた=観測されたからです。
わたしはいま、推理を展開しているわけですが、それはすなわち「そういう推理に基づく世界」を観測できているわけです。 観測できている以上、「それが真相であるカケラ世界」は、存在します。観測できたものは存在するからです。
「人間ベアト犯人説」が真相であるカケラ世界はすでに存在します。なぜなら、その世界を観測した人がいるからです。 「嘉音犯人説」が真相であるカケラ世界は、それを観測した人がいる以上、可能性の海の中から取り出されて、存在しています。 「次女一家が幸せになる世界」は存在します。それを観測しようとしている人がいるからです。 「蟹先生」は存在します。観測されたからです。 「時間泥棒の魔女」も観測された以上存在します。
「ある可能性から取り出されたべつべつのカケラ世界」を想定することで、すべての想像を真実として認定することができる。 だとしたら、これってすごく自由で、素敵なことじゃないですか?
(次回で終わります)
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