![](/contents/069/835/618.mime4) | (注:ひぐらしのネタバレあります)
赤字の扱い方について、「ラムダデルタ式解法」「ベルンカステル式解法」という話を、別スレッドでしました。 no27569 そこから連想したことを、もうひとつ。
ラムダ・ベルン・ベアトの3人で、ジャンケンのような3すくみになる、という話がありました。
ラムダデルタは、ベアトリーチェのゲーム盤に対して強い。 ベルンカステルは、ベアトリーチェのゲーム盤に対して弱い。
この意味を解いてみたい。
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さて、唐突ですが。 「謎」というのは、つきつめると、「リクツと現象が一致しない」ことです。
たとえば。 殺人犯は逃亡したのだから、犯行現場のドアは開いているはずだ(というリクツ)。 しかし、ドアには内側からカギがかけられていた!(という現象)
このテの「リクツと現象の不一致」のことを「密室」と呼んだりしています。
だから、「謎を解く」ということは、単純化すると、「リクツを変えるか、現象を変えるか」という二択です。
すなわち。 「ドアが施錠されててもかまわないことにする(何らかのトリックを使って)」 か、 「ドアは施錠されてなかったことにする」 か、どちらかが成り立てば、この密室の「謎は解けた」ことになります。
前者のアプローチで謎を解くのがベルンカステルで、後者のアプローチで謎を解くのがラムダデルタです。
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「ひぐらし」の話をします。
ベルンカステルは、「ひぐらし」というゲーム盤の指し手だと推測されますね。 ベルンカステルが、古手梨花という駒を動かし、「古手梨花が生還する」という条件を導ければ勝ち。
「このリクツで駒を動かしたら、梨花が生還できる(という現象が発生する)と思っていたけれど、生還できなかった(リクツと現象の不一致)。つまりリクツが間違っているんだ。別のリクツを試してみよう」
というアプローチで、「どうして梨花は生還できないのか」という「謎を解いた」のが、ベルンカステルです。リクツのほうを動かしました。
さて。 ラムダデルタも、「ひぐらし」というゲーム盤の指し手だと推測されます。 彼女が指していたキングの駒は、鷹野三四です。
鷹野三四は、リクツと現実が齟齬をきたしたら、現実のほうを変えてしまえ! という方向性を持った人です。
雛見沢症候群です。 「雛見沢病原菌の女王感染者が死ぬと、雛見沢症候群の全感染者(全村民)が発狂状態になり凶暴化する」 という「仮説」を、彼女は持っていました。
結果的に、この仮説は正しくないことが、作中で実証されます。 されますが……。
鷹野三四は素晴らしく高度な知性を備えた人物です。だから、 「この仮説って、ひょっとして正しくないかもしれない」 という可能性を、想定していなかったはずがないのです。
でも、彼女にとっては、「仮説が正しいか、正しくないか」なんて、問題ではなかった。 その仮説は、「絶対に正しくなければならない」ものだったのです。 なぜなら、養父・高野一二三の名誉がかかっているから。この仮説は、高野一二三が命がけで提唱したものだったから。
彼女のとった方法は、 「この仮説が正しい、という“現実”を作ってしまう」 ことでした。
女王感染者・古手梨花を殺し、雛見沢村民を完全虐殺する。 これで、仮説は「正しかった」ことになる。 「間違いだったかも」などと言い出せる者はいなくなる。言い出した瞬間、大量虐殺の責任を負わねばならなくなるからです。よって、社会的に「高野一二三は正しかった」という認定がなされる。
リクツと現実が一致しなさそうになったら、「現実のほうを動かした」のが彼女なのです。
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さて。 自分の考えと目の前の現実が一致しない。現実を変えるわけにはいかないから、自分の考えを変更しよう。 というのが、ベルンカステルでした。
このアプローチは、常識的です。 ですが、 現実というものが、固定されていて、そうそう動いたりしないものだからこそ、このアプローチは成立するのです。
わたしは自分が太ってないと思う(そういう理論)。 けれど、体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。 10回体重計に乗って見たけど、10回とも3キロ増だった(現実の固定)。 ああ、じゃあわたしは太ったんだ(理論の変更・真相への到達)
でも、こうだったらどうでしょう。
わたしは自分が太ってないと思う(そういう理論)。 体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。 2回目を計ったら、4キロ減ってた(新たな現実)。 3回目を計ったら、5キロ増えてた(さらに新たな現実)。 4回目を計ったら、7キロ減ってた(さらに新たな現実)。 わたしは太ったんだか痩せたんだかわからない(真相へたどりつけない)。
そして、このように、「計るたびに結果が変動する」のが、ベアトリーチェのゲーム盤なのです(毎回ちがう現実が観測されるから)。ベルン式のアプローチで真相にたどり着くのは難しい。
ところで、ラムダデルタは、 「自分の考えと目の前の現実が一致しない。じゃあ私の考えに合うように現実を変えちゃおう」 という人ですから、現実が変動するベアトリーチェのゲーム盤への対応力があります。
私ってば最近けっこう痩せたのよ!(そういう理論) 体重計に乗ったら、3キロも増えてた(そういう現実)。 2回目を計ったら、4キロ減ってた(新たな現実)。 3回目を計ったら、5キロ増えてた(さらに新たな現実)。 4回目を計ったら、7キロ減ってた(さらに新たな現実)。
1回目と3回目の結果は、ノイズだから、採用しないんだからね!つーん!(現実の変更)
体重が減ってるという結果しか残らないから、やっぱり体重は減ったのよ!やっぱり私ってば絶対ね!(理論の確定・真相への到達)
というように、ラムダデルタ式のアプローチを使えば、ベアトリーチェのゲーム盤でも「真相に到達」できるのです。
ベアトリーチェのゲーム盤には、都合のいいことに、「幻想描写」というイイワケが用意されています。 「私、こんな仮説を用意したわ。仮説を否定する現象があるけど、それはぜーんぶ幻想描写だからかまう必要ないの。それ以外の現象はみーんな私の仮説を裏打ちしてくれるわ。よって私は正しい! 正しい答えを言い当てたんだからベアトの負け!」
こんな暴論をぶっぱなして、ラムダデルタは勝利してしまいます。
いや、これって、 「勝手な想像を真相だと言い張って、勝手に勝利宣言してるだけで、“ほんとにあったこと”を言い当ててないじゃん」 というふうに言えそうですけれども……。
でも、このゲーム盤には、 「否定されないかぎり真相だと言い張って良い」 という特殊ルールが設定されてますから、なんと、これでいっこう構わないわけです。 鷹野三四が、仮説が合ってるか合ってないかなんて、全然構う必要がなかったのと、同じ状況なんです。
まとめると、 ラムダデルタは「現実をムリヤリ固定させる」ので、現実を変動させてケムに巻くベアトリーチェに対して強い。 ベルンカステルは、「固定した現実を基準にして正しい理論を探る」ので、現実を変動させてケムに巻いてくるベアトリーチェに弱い。 ベルンカステルは、「固定した現実を基準にして正しい理論を探る」ので、現実を固定して基準値を作ってしまうラムダデルタに対して強い。
誰が誰に対して強い、というあの設定は、 ラムダデルタ(が得意とする問題解決アプローチ法)は、ベアトリーチェ(が得意とする謎構築法)に対して強い、 というように、ことばを補って理解すると、筋が通るように思うのです。
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ついでに。 ほんとうにラムダデルタがベアトリーチェに対して強いかどうか、想像力でかってに検証してみましょう。
たとえばこんな設定で。 「事件の日の六軒島に、“住み込み家庭教師・鷹野三四”という登場人物がいたとしたら?」
わたしの想像では、「この屋敷のどこかにいる誰かは殺人犯だ。自分も狙われてる」と判断した瞬間、彼女は屋敷にいる全員を皆殺しにかかるのではないかな? 全員殺せば、その中には犯人・犯人グループがいる道理です。自分の安全が確保できれば良いわけで、べつに犯人特定の必要なんてない。 あとは、一晩かけてゆっくりと、自分が罪に問われないようにする言い訳と、その証拠を捏造すれば良い。 犯人の望んだ真相ではなく、彼女が捏造した真相が「真相」となるのです。ベアトリーチェはこれに異議をとなえられない……。
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