![](/contents/069/835/611.mime4) | ●藤井ねいのさんへ
>ありゃ? マスターキー6本目ですか。「マスターキーは5本しかない」の赤字回避は、なにがしかの方法でしているわけですね。
赤字は、回避というより、 「赤字は必ずしも真実ではない! ドーン!」 で、ひっちゃぶきました。えへへ。
ベアトリーチェは、鍵が6本あるくせに、5本しかないとウソっこをついていると思いまーす。 いや、マスターキーでなくても、全部の鍵がついた鍵束でも良いし、楼座は4本しか鍵を管理しなかった・楼座たちはマスターキーは4本で全てだと思っている、でも良いですが、ようは、赤字のどこかが嘘。
赤字がぜんぶ真実だとすると、 「この密室のときは、この人が嘘をついている。この謎のときには、この人が事実を誤認している」 というふうに、条件が複雑になってしまいますが、 赤字を信じないことにすれば、 「ひとりの人物が、一個だけ、嘘をついている」(ベアトリーチェが、「赤字は真実」という嘘をついている) これだけの条件で、すべての謎を構築できるので、その合理性を取りました。
わたし、これを「ラムダデルタ式解法」と、心の中で呼んでます。 小冊子に出てきた、ベルンカステルは迷路を全部マッピングする人、ラムダデルタは壁に穴を開けてまっすぐ通る人、という表現ですね。 赤字を論理的にかいくぐって、どうやったら謎が解けるか考えるのは、迷路の行き止まりを一個一個チェックしていくベルンカステル式解法。 「でも、この迷路、壁が障子紙でできてるじゃなーい」 といって、風雲たけし城かウルトラクイズみたいに、ズバンズバンと穴を開けちゃう(赤字なんてないものとして扱う)のが、ラムダデルタ式解法。
聞いた話では、「障子を破っちゃいけない」というのは、日本人が生活の中で自然に縛られてしまった文化的ルールにすぎなくて、障子を初めて見た外国人なんかは、 「ひゃっはー、これ紙で出来てるぜーいえー」 なんていって、ずばずば手を突っ込んじゃうそうですよ。
赤字って、「なんか破っちゃいけないような気がするから、破らないようにしてしまう」文化的トリックなのではないかという気がしています。
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