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No27861 の記事


■27861 / )  Re[14]: まとめてお返事
□投稿者/ Townmemory -(2009/06/30(Tue) 05:10:59)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/
    ●bouncebackさんへ

     こんにちは。問われたからには答えます。
    (でもこの話題めちゃめちゃ疲れるので、正直フェイドアウトしたい気満々です)

     青字ルールが存在する状態では、「ベアトリーチェが切り返せない」は、「ベアトリーチェの敗北」と同じ意味だと思うのですが、どうでしょうか。
     仮に、犯行が本当に魔法で行われていたのだとしても、「赤字に抵触しない魔法以外の未知の方法Xで行われた」のほうが事実として採用され、ベアトの負けが確定するのだと思うのです。そういうルールじゃなかったでしたっけ。

     この「赤字を信じる信じない問題」って、うみねこを「真実って、いったい何なのだろう」という(真実の定義を問う)物語として読んでいるかいないかの差から発生している気がしますね。

     赤字が疑う余地のない真実、だとするためには、個々の発言が真実かどうかを判定するシステムか、判定者が必要です。裁判だったら裁判官がそうでしょうが、このゲームには、そんな存在がいるのでしょうか。
     もし「竜騎士07さん」をその存在として想定するのなら、「ベアトリーチェが欺瞞を言っている」が、「竜騎士07さんが欺瞞を言っている」にスライドするだけなんです。
     つまり、「真実を認定する特定の誰か」を想定するかぎり、「真実とはあくまで主観的なもの」になり、意識的なウソも、無意識的なウソも、想定可能になってしまう。無意識的なほうは特にまずいですな。

     さて、そこで、
    「真実とは、その場における合意である」
     という考え方を導入します。これはうみねこでは頻出している考え方ですから比較的受け入れられやすいんじゃないでしょうか。
     ep1のお茶会なんかそうですね。
     その場の全員が合意すれば、「魔女はいる」が真実になる。みたいなこと。

     たとえば、キリスト教原理主義者の集会においては「神は実在する」が真実。
     イスラム教過激派テロ組織の集会では、「異教徒は滅ぼすべし」みたいなことが真実として通用しているでしょう(よく知らないがたぶん)。
     そして真里亞とベアトの2人きりの逢瀬では、「さくたろうはここにいる」が真実だったのでしょうね。楼座に殺されてしまうまでは。

         *

     さて、そこまできて、「戦人が赤字を使ったときのいくつかの現象」の話になります(長かったですね、すいません)。

     戦人は、自分が右代宮明日夢から生まれたと思い込んでいるのに、どうして「俺は右代宮明日夢から生まれた」と赤字で言えないのか。
    (ここから先、以前書き込んだ赤字論を加筆修正したものになります。重複で読んだ方ごめんなさい。でも前より相当わかりやすくなってると思いますから、良かったら再読してみて下さい)

    「魔女は赤字を使える」と、誰かが言ってましたね。
     つまり、赤字とは魔法であるということ。さくたろうを顕現させたのと同じシステムであると言うこと。
     赤字とは、さくたろうのようなもの。
     仮に、そう考えるとしましょう。そういう仮説を提唱するのだと思って下さい。

     真里亞とベアトリーチェが2人きりでいる状態で。
     真里亞が「いる」と信じて、ベアトリーチェが「いる」と信じれば、さくたろうは存在する(その場における合意)。
     そしてベアトリーチェは、「さくたろうはいる」と赤字で言える(その場における真実)。
     この部屋に、突然楼座が入ってくる。
     そして「さくたろうなんていません!」と言ったとする。
     さくたろうは消える(楼座にとっては存在しない)。
     楼座にとって存在しない以上、「さくたろうはいる」は真実ではない。
     だからベアトリーチェは「さくたろうはいる」と赤字で言えなくなる。

     真里亞とベアトリーチェが2人きりでいる部屋で、
     真里亞が「赤字は真実だよね」と思い、ベアトリーチェが「赤字は真実であるぞ」と思えば、赤字は真実を語るということになる(その場における合意)。

     この部屋に、とつぜん戦人が入ってきて、
    「やっぱ俺、赤字が真実だとはとても思えねえ!」
     と強い信念で言ったとする。
     するとベアトリーチェは急に、「赤は真実を語る」と赤字では言えなくなる。
     なぜなら、戦人にとっては赤字は真実でないので、「赤は真実を語る」は真実とは言えなくなるから。

     ベアトリーチェは、1人きりでいるときには、「魔女はいる、魔法はある」と赤字で言える。
     ただし、そこに戦人がいる場合、急にそれを赤字で言えなくなる。
     なぜなら、戦人にとって魔法は存在しないものなので、「魔法はある」はその場の真実ではなくなるからです。
     だが、
     戦人が魔女に屈服し、「やっぱり魔法ってあるらしい……」と思ったとき。
     その瞬間、ベアトリーチェは、戦人の目の前で「魔女はいる、魔法はある」と赤字で言えるようになる。と、わたしは予想します。
     ベアトリーチェが信じ、戦人が認めた以上、その場では「魔女はいる、魔法はある」が真実として振る舞うからです。

     自分は右代宮明日夢から生まれたと、戦人は信じている。
     けれど、目の前にいるベアトリーチェが、
    「コイツが右代宮明日夢から生まれたワケない」
     と思っていたとする。
     この条件のとき、「たとえ戦人が実際には右代宮明日夢から生まれていたのだとしても」戦人は赤字で言えない。


     というふうにまあ、「魔法現象」を上記のような解釈で受け入れている場合、赤字関連の現象も説明できるというこころみでした。


         *

     さて。わたしは思うのですが、
    「真実とは、外部にあらかじめ存在しているものではない」
     というのが、基本的な考え方です。
     真実のモノサシ、みたいなものがあって、それにあてはめれば真実か真実でないかがわかる、というような種類のものではない。

     真実とは、各人の意志と、合意によって、その場その場で作り出されるものだと認識しているのです。
     つまり、強く願って、努力すれば、その願いを真実に変えることができる。

     むくげさんとのやりとりの中で、今日思いついたことなのですが、うみねこって、ひょっとして、こういうお話なのではないかなあ?

    「魔女がほんとうにいてほしい」と願う誰かがいる。
     みんなが認めれば、それは真実になる。だから、魔女がいることをみんなに認めてもらおうとして必死に努力する。
     魔女を認めてもらうには、マスターキーが6本以上あったらだめだ。
     だから「マスターキーが5本までであってほしい」と願う。
     その願いを真実にするために、目の前の人に「マスターキーは5本しかない」ことを信じてもらおうとして一生懸命になる。
     目の前の人が、「マスターキーは5本しかない」と信じてくれれば、それは真実になるんだ。
     目の前の人は、赤い文字を信じてくれた。「マスターキーが5本しかない」ことも信じてくれた。
     あとは、魔女を信じてくれるまで、魔女が真実になるまで、ずっとがんばりつづけるだけだ……。


     こういう物語だったら、わたしは、魅力的だと思います。そしてこの魅力は、赤字に欺瞞があることを認めないかぎり、発生しないのです。
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