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No36486 の記事


■36486 / )  【カケラ紡ぎ】六軒島の惨劇を起こさない方法
□投稿者/ Townmemory -(2009/12/02(Wed) 07:55:53)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey
     ※ひぐらしのネタバレあります。



    『ひぐらし』の祭囃子編には「カケラ紡ぎ」というフィーチャーがあります。連想ゲームのような要領で、すべての登場人物のバックグラウンドを「世界のパーツ」として取り出すことができる。そのパーツを組み合わせて、ひとつの世界として組み上げたのが祭囃子編だというような理解です。必要な部品が全部揃っているので、世界を完結させられる。ゲームクリアまでもっていける。

     すべての背景が判明し、ゲームクリアまでの道筋が判明したことで、「惨劇にいたる最初の一歩」が理解されます。それは「田無美代子の両親の事故死」で、これが起こらなければ、雛見沢村の惨劇はほとんど起こらなかったんじゃなかったか、とユーザーは思い至ります。そこで、最後の最後に、スペシャルフィーチャーとして、
    「列車事故が起こらなかったカケラ世界」
     が可能性の海の中から紡ぎ出されて、あの物語は幕を閉じるのです。


     では、『うみねこ』における、「田無美代子の両親の事故死」にあたるイベントは何だろう。それが、今回のお題です。

         *

     ところで、アニメ版のep4を最新話まで見てきました。さくたろう周りの描写、真里亞の感情が変質していく過程が、すばらしい。たぶん原作よりずっとわかりやすいです。

     さくたろうは、真里亞の友達であるけれども、同時にやっぱり、真里亞の別人格(ペルソナ)としてとらえるべきものでもあります。
     さくたろうは、真里亞の中にある「信じる気持ち」「優しい気持ち」「善性」などを、別人格として独立させたもの。

     ママを恨んだり、憎んだりしそうになると、真里亞の善き側面が「さくたろう」というかたちをとって、「そんなこと考えちゃ駄目だよ」「ママを信じてあげようよ」と反論する。
     そのことによって負の感情が抑えられ、精神のバランスがとられる。

     さくたろうはいわば、真里亞の精神が善悪の均衡をたもつための安全弁であった、といえます。
     真里亞は孤独とか不安の生活のなかで、そういうセルフコントロールシステムを独自に構築して、なんとかやってきたのです。


     楼座は、そんなことも知らずに、さくたろうの首をひきちぎって殺してしまいました。

     真里亞をかろうじて安定させていた「さくたろうシステム」が破壊されました。
     さくたろうは真里亞の「善性」そのものです。
     それが死にました。つまり、真里亞の「善性」は、実の母によって殺されました。

     もはや、真里亞の「負の感情」を抑制してくれる存在は、ありません。いや、むしろ、「善性」そのものが死んだのだから、
    「負の側面だけの存在になった」
     といういいかたのほうが、正しいかもしれません。シスの暗黒卿ダース・マリアの誕生です。

     自分を愛さない、約束を守らないママを憎みたくなったとき、それをおしとどめていたのはさくたろうでした。さくたろうはもういません。
     だから真里亞は、楼座に対して怒り、憎悪し、なじり、想像力の中でママをめちゃめちゃにひきちぎることを止められないのです。たぶんそういうことだと思います。

         *

     そんなママ殺しの様子を、じっと眺めていた人物がいて、それはベアトリーチェです。

     ベアトリーチェが残酷な悪い魔女になったのは、真里亞が黒真里亞になる過程を見て、それがいわば「うつった」からじゃないかな、という感じがするのです。
     ベアトリーチェは「闇の魔女の世界へようこそ」みたいなことをいいますが、じつは因果関係は逆で、真里亞の黒化が、ベアトリーチェを悪い方向にひきよせた、みたいな印象をもっています。

     あんまり、作者インタビューから情報をひっぱってくるのは好きではないんだけれども、電撃オンラインのインタビューで、

    「真里亞との出会いなくして今日のベアトリーチェはありえないということは間違いないわけなので。ベアトリーチェにとって真里亞は無視できない存在であり、そして今日のベアトリーチェを構築するうえで欠かせない要素であったことも間違いないわけですね」

    『【うみねこEP4対談】現段階で碑文の謎は、解けるといえば解けます』
     http://news.dengeki.com/elem/000/000/144/144722/index-2.html


     という発言を竜騎士さんはなさっていますが、この発言は「真里亞の魔法に邪悪な面があった」という文脈上にでてくるのです。


     なんというか、それまでのベアトリーチェ(の中の人)は、白真里亞とおなじで、よき魔法で自分と周囲をさいわいにする白い魔女だったんじゃないかなあ。
     けれど、負の側面に支配された真里亞のすることを見て、ああ、と気づいてしまう。
     魔法というのは、自分を祝福し、他人を祝福して、幸せをもたらすものだとばかり思っていたけれども、くるっと180度ひっくり返せば、他人を傷つけ、つまり「呪う」ことにも使えるんじゃないか。
     祝うか呪うかは、そこにこめられた感情が正なのか負なのかの違いだけで、メカニズムとしてはまったくおなじなのですね。

     ベアトリーチェは、真里亞がママを呪いつづけるようすを見て、たとえばですが、こう思う。
    「自分だったら、誰を呪うだろう」

     わたしはベアトリーチェの正体は朱志香だと思っていますので(詳細はヘッダのリンクから飛べるブログにまとまっています)、たとえばですが、以下のように想定したりします。

    「私に呪いたい相手がいるとしたら、ジジイ以外の、右代宮一族全員だな」
    「あいつらは誰一人、一族みんなで愛し合うということを知らない」
    「欲の皮をつっばらせて、遺産をせしめることで頭がいっぱいだ」
    「楼座おばさんが真里亞を愛していないように、あいつらはお互いをまったく愛していない」
    「あいつらをもう見たくない」
    「いっそ殺してしまいたい」
    「楼座おばさんを殺してしまえば、私や真里亞は、想像力という名の黄金郷のなかに、理想の楼座おばさんを生み出して住まわせることができる」
    「右代宮家を全員殺してしまえば、想像力という名の黄金郷のなかに、理想の右代宮家を生み出すことができる。そこでは誰も遺産で争わず、みんなが仲良く幸せに暮らしているのだ」
    「だからもうみんな殺してしまおう」


    (これに加えてもうひとつ。さくたろうに相当するような、「朱志香にとっての想像上の友達」を誰かに殺された/否定された経験があり、それも黒化に影響している、というような推理も持っています。これは上で書いた想像と両立できます。
     現状、わたしは、「嘉音」は朱志香のイマジナリーフレンド(想像上の友人)だと考えています)

         *

     さて。
     以上のような想像を、仮にOKだとして下さい。
     こうなりますね。

    「さくたろうが殺されなければ、六軒島の惨劇は起こらなかった」

     わたしの個人的な推理上では、ここがひとつのチェックポイントになるのです。

     だから、「さくたろうが殺されない可能性」をカケラの海から取り出してやれば、「六軒島殺人が起こらないカケラ世界」を紡ぎだすことができる。
     さあここからが本論だ。


     さくたろうが殺されないようにするためには、どうしたら良いでしょうか。
     たとえばミニマムなことを言えば、「真里亞が家の鍵を落とさない」とかも考えられますが、これは問題を先送りするだけです。別のきっかけでさくたろう殺しが発生する可能性はいくらでもあります。

     さくたろうを殺すのは楼座ですから、楼座と真里亞のあいだにある問題が解決されないかぎり、いつかさくたろうは死にます。

     そこでざっくり、こういう言い方をしてみます。
    「楼座が育児ネグレクトを起こさない」
     か、もしくは、
    「楼座が育児ネグレクトを起こしても、周囲のフォローによって適切に処理される」

     このどっちかの条件があれば、さくたろう死亡ルートをかなり塞ぐことができるんじゃないかしら。

     楼座が抱えてる問題は、「会社がうまく回らなくて忙しくてしょうがない」です。まあ、真里亞がいるから再婚できない、という感情の問題もあるんでしょうが、そっちはメインじゃないように見ました。

     わたし個人の話をしますが、わたしは子供の頃、両親が共働きだったので、いとこの家に預けられて面倒をみてもらう、ということがけっこうあったのです。

     もし楼座が育児をネグったら、民生委員さんが頑張るか、親族の誰かが気を利かして言い出すか、もしくは楼座自身が知恵を働かすかして、
    「楼座が帰宅できない日は、親戚の誰かのうちに真里亞を預ける」
     という習慣が右代宮一族に発生すれば、真里亞がひとりでコンビニ生活をすることもないし、真里亞の精神に強いストレスがかかることもないし、真里亞が外でお人形遊びをすることもないし、楼座がさくたろうをビリビリにひきちぎるようなことも起こらないはずだ、と考えたのです。

     さて、楼座の親戚といえば、三家あります。

     蔵臼さんのお宅は孤島ですから、ちょっと難しいです。

     絵羽さんのところと留弗夫さんのところはどうでしょう。
     はっきりと描写はされていませんが、絵羽、留弗夫、楼座は、3人とも都内かそのへんの在住ではないかな。銀座のお店がどうのっていう話が出てきますしね。なので地理的にはこの2家族は問題ないとしましょう。

     絵羽さんのお宅は、子供を預かるというのは難しいかもしれません。
     秀吉が社長で、譲治もすでに就職しています。絵羽が何をしている人なのかちょっとわかりませんが、すごく多忙っぽいという描写は若干あります。ep6で、絵羽と留弗夫のスケジュールが合う日がほとんどない、なんてことを言っていました。

     留弗夫さんのところはどうでしょうか。
     留弗夫本人は、社長ですから、当然多忙です。霧江は、留弗夫の片腕としてこれまた仕事をしています。そして会社はトラブルに巻き込まれて大変な状況です。
     そういえば縁寿はどうなっているのかしら。おそらく託児所などが利用されているはずだと思います。
     そう考えると、留弗夫さんのお宅も真里亞を預かるのは難しそうですね。


     しかし。
     ここに「戦人」という存在を想定するのなら、すこし話は違ってきます。

     もし、戦人が家出をせずに、留弗夫のもとにいづづけていたら?

     留弗夫と霧江が働いているあいだ、戦人が家にいたら、彼は縁寿のめんどうをみることができます。
     そのついでに真里亞のめんどうをみる。これは問題なく可能であるように思うのです。

     縁寿がいるところに真里亞を預ける。かたちとしては、真里亞が縁寿のところにあそびに行くというような体裁。これは自然です。
     というか、もし「戦人と縁寿が仲良くおるすばん」しているという状況があったとしたら、ついでに真里亞も預かろう、という話が出ないワケない気がするのです。


     ということは、
     これが仮定のうえに仮定をかさねた話であることは自分でも承知してはいますが。

    「戦人が留弗夫のもとから去らない」
     というカケラを探し出し、そこから適切に物語を紡いでゆけば、
    「さくたろう殺しが発生せず、六軒島殺人も発生しないカケラ世界」
     を紡ぐことができるんじゃないか。

     ということを考えたのです。

         *

     このカケラ紡ぎの延長上にある話として、以下のことを指摘したいのです。

     もし、仮に。
    「戦人が6年間の家出をしなかった」としたら。
     戦人は6回、毎年親族会議に出席したでしょう。
     そして出席するたびに、楼座が真里亞に暴力をふるうさまを、目撃するでしょう。

     戦人はぜったい、どっかの段階で「やめろ叔母さん!」と止めたはずです。そう思うのです。

     ep1だったと思うのですが、楼座が(自分ではしつけのつもりで)常軌を逸した折檻を真里亞に対して与えるシーンがあります。
     そんなシーンを初めて見た戦人はビックリして、止めようとする。
     けれど譲治がそれを制して、
    「あれは楼座おばさんと真里亞ちゃんの二人の問題で、僕たちが口をはさめるようなことじゃないんだ」
     というようなことを言う。
     その場面ではそれが結論のようになって、次のシーンに進む……。

     わたしはこの場面を見た瞬間に思ったのです。

    「ひぐらしの沙都子のエピソードを描いた竜騎士07さんが、『僕たちが口をはさめるようなことじゃない』なんていう結論を、本気で良しとしているハズがない」

     これは絶対に、「あとで強く否定されるために提示されたもの」にちがいないと思いました。今も思っています。

     戦人は6年ぶりに楼座や真里亞に会って、そんなふうになってしまっている親娘に直面したのです。もう、この段階から口を挟むことは無理です。すでに固まってしまった状況を、ちょっと意見したくらいでほぐすことなんて不可能です。6年間、他人のふりをしていたというひけめだってあります。

     でも、その親娘問題を、もっと当初から戦人が目撃していたら、どうなっていただろう。
     たとえば、3年くらい前に。
     戦人は熱血漢で正義漢です。口をはさめる筋合いじゃないことはわかっていても、何度も何度も幼い娘をひっぱたく楼座を見て、
    「やめろよ!」
     と割って入ったにちがいない、ということが、わたしにはなんとなく幻視できるのです。

     もし、そういう「やめろよ!」があったとしたら。戦人が、楼座家のことを問題だと感じて、留弗夫や霧江にそのことを相談したとしたら。
     それをきっかけに、
    「楼座が忙しければ、留弗夫の家で真里亞ちゃんを預かる」
     という流れは、かなり自然にうまれたような気がするのです。
     ひょっとしたら、「俺が真里亞ちゃんの面倒みるわ!」くらいのこと、戦人はタンカをきった可能性だってありそうです。



     ベアトリーチェは「戦人に罪がある」というようなことをいって、戦人の家出のことをほのめかしていますが、まさかこんなところまで可能性をさぐって「おまえが家出したからこんな惨劇が起こるんだ」と言ったわけではないと思います。それはまた別の文脈だと思うのですが、それはそれとして、やっぱり「戦人の家出」を起点として、いろんな悲劇が派生していそうだなあという感じは、とても強く受けるのです。
返信/引用返信 削除キー/


Pass/

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