清く、正しく、美しく!! 第01話
「だ、だれかぁ~! たすけてぇ~っ!」
埃っぽく薄暗い部屋の中で僕は助けを求めていた。高いところにある窓から燦々とした光が差し込んでいる。
声も嗄れよとばかりに叫び、人の気配のない部屋で僕の叫び声だけが響いている。はあはあと息が上がりだす。どうしてこうなってしまったのか、ほんの二時間ほど前まではあの日の当たる場所でのほほんっとしていたはずなのに……。
壁に縛り付けられたままの格好で今までのことを思い出してみる。
僕の名前は斉藤優希(さいとう ゆうき)。年齢は16歳。高校一年生だ。家族構成は父母に姉と妹がいる。三人兄弟の真ん中だ。
特徴を一言で表すなら“平凡”だと思う。容姿や成績、運動なども取り立てて可もなく不可もない。上から数えても下から数えても同じような位置にいる。もっというなら五〇人中二四~二五番というところだ。特徴がないところが特徴と言われたりする。
まったく姉も妹も結構美人だったりするのに、お前ほど平凡な顔つきで生まれてくるなんて、ここまでくると返って珍しいぞ。なんていう奴もいた。
いやいや、僕自身のことよりなぜ、こんな所で囚われているのかだ。そっちの方が重要だよ。
あれは……。学校から帰宅途中のことだった。
通学路で僕の前を学校一のイケメンと人気の高い先輩が珍しく一人で歩いていた。いつもなら女の子たちが取り囲むように歩いてるのに珍しいなぁと思ったのを覚えている。
そして後ろからは大きな黒塗りの高級車が走ってきてた。車種なんかわかんない。ベンツかな、BMWだろうか、まあそんな感じ。角を曲がった辺りで人気がなくなり、歩いてるのは僕と先輩だけになった。その時車が急にスピードを上げた。それに合わせるように前を行く先輩がひょいっと路地に入った。後ろから来ていた車には見えなかったのかもしれないけど、道には僕一人。車から数名の男性が降りてきて、僕は攫われてしまったのだ。
もしかして……先輩と間違われてしまったとか? きっとそうだ。先輩の家はお金持ちだって言うし、僕の家は平凡な一般家庭だ。攫っても身代金なんて取れないよ。
「そんなのいやだぁ~っ!」
人違いで攫われた挙句こんな所で死ぬなんて、いやだいやだ。やだよぉ~。
たぶん彼らは人違いに気づいたんだ。だから僕をこの場に放置して逃げ出してしまったんだ。きっと、そうに違いない。人質を監禁しておく場所だ。たぶんめったに人の来ないところだろう。誰も助けに来ない。死ぬ、死んでしまう。
「こんなところで死にたくないぃぃぃ!」
ぐすぐすと泣いているうちにドッと疲れがでてきて、意識が遠くなってくる。じゃりっと人の足音が聞こえてきた。僕を攫った連中が始末するために戻ってきたんだろう。
ああ、もう僕はダメだ……。みんなさようなら。元気でね。
――完。
◇ ◇
「お兄ちゃん、何を言ってるのかなぁ~。せっかく助けに来てあげたのに」
薄暗い倉庫の中に入ってきたのは身長一五〇センチほどの小さな女の子だった。埃が陽光に反射しキラキラと輝く中を歩いてくる。
艶やかな長い黒髪は眉のところで整えられたいわゆる、姫カット。
細い首筋から流れる曲線が女の子らしく優美なものだ。学校指定のセーラー服を押し上げている胸元は年に見合わぬほど大きく、その下の腰はほっそりとしている。
少しつり目気味の目元もつんと上を向いている小さな鼻も赤く光っている小さな唇も形のいい眉もすべて小さい。だが愛らしさに見合わぬプロポーションの持ち主であった。
壁に縛られている兄を見る少女の目は慈しむようであり、愛情の深さが窺える。しかし周囲を見る目は険しくも厳しいものだった。兄の手首に滲む赤い血を目にして、ギリッと歯を軋ませた。
鞄から取り出したごついナイフ。ギラリと光るナイフを振りかざして縄を切っていく。ざくざくと切り落とし。兄の身を開放していった。
「お兄ちゃん。起きて、起きてよ」
硬い床に横たわった兄を揺さぶりながら起こす。
う、う~んっと身じろぎしだした兄を見て、ホッと息をついた。
しょぼしょぼと薄目を開けてみれば、目の前に女の子の顔がある。眼を瞑り小さな唇を突き出して今にもくっついてしまいそうなぐらい近い。ぱちぱち瞬きをして、見直してみる。ああ、初菜(はつな)だ。妹の初菜。どうしてここにいるんだろう。
「初菜?」
ハッとした感じで初菜は僕から離れてしまう。こちらに背を向けているためにどういう表情なのかわからない。
「――まったく、お兄ちゃんという人は間が悪いですねぇ。……もう少しでキスできたというのに」
「何を言ってるんだい、初菜」
「お兄ちゃんの間の悪さについてです」
ぐるんっとこちらを向いた初菜がそんな事を言う。眉を逆立ててとても怒ってるみたいだ。確かに人違いで攫われたりしたんだから、間が悪いと言われても仕方ないかもしれないなぁ。
「ごめんね。助けてくれてありがとう。でも初菜、よくこの場所が分かったね」
「お兄ちゃんのケイタイにはGPS機能がついているんですよ」
「ああ、そうだったんだ。知らなかった」
「そりゃあ言ってませんから」
「? 何を言ったんだい?」
初菜は時々小声でぶつぶつ言うんだ。だからよく聞こえない時がある。
「まあ、そんな事よりこんな場所からさっさと帰りましょう」
「うん、そうだね。帰ろう」
「そうです、いそいで帰りましょう。(あのどろぼうねこが来ないうちに)」
「うん? なんだい。怖い顔をしてるけど」
「なんでもありませんっ!」
◇ ◇
囚われていた僕はと妹の初菜が一緒に倉庫から出ようとしたとき。出口付近でがさがさと人の足音が聞こえてくる。
「お兄ちゃん、隠れてっ」
「う、うん」
急いで物陰に隠れた僕達はジッと息を殺して様子を窺う。
「優希~、助けに来てあげたわよっ!」
「あ、あの声はっ!」
「お兄ちゃん、ダメよ。あいつが誘拐犯かもしれないじゃない」
「そんな事ないよ。沢渡さんだよ?」
僕が物陰からでようとするのを初菜が引き止める。彼女が誘拐犯のはずないじゃないか。初菜も心配しすぎだよ。
沢渡有栖(さわたり ありす)――僕の同級生だ。高校で同じクラスになって以来、何かと助けてくれる。ちょっと気の強い女の子だ。チャームポイントのツインテールが風に靡いている。いつも思うんだけど、ツインテールってバランスが難しいよね。毎日よくやると思うよ。
「だから、ダメなんですっ!」
「そんなに大声だしたら見つかっちゃうよ?」
ハッとしたように初菜が自分の口を両手で塞いだ。だけど“時すでに遅し”沢渡さんに見つかってしまった。
「ちょっと、あんたたち、そこで何してんのよっ!」
「あ、あわわわ……」
ちょっと逃げたくなるぐらい。怖い顔をして近づいてくる。なんとなくツインテールが逆立ってるみたいだ。
「にげるなっ!」
「逃げてるわけじゃ……」
「ふーっ!」
僕の隣で初菜が威嚇してる。
「ふ。誰かと思えば、わたしより胸の小さい斉藤さんじゃない?」
「たった一センチじゃないですかっ!」
「一センチも違えば、大きな違いよ」
なんでこの二人って顔を会わせる度に、火花を散らしてるんだろう?
「そ、そう言えば、沢渡さん。よくこの場所がわかったね」
「あんたの制服には発信機が取り付けられてるからね。そこから割り出しただけよ」
「そんなものがっ! いったいいつの間に?」
「そんな事はどうでも良いのよ。さあ、さっさと帰るわよっ! ちゃきちゃき歩く!」
首を捻りつつ僕は追い立てられるように歩き出した。どうしてこうなるのかな。
「お、お兄ちゃん……?」
「さあ、今日はわたしの家に来る予定だったでしょ。今からでもこない?」
「異議あ――――――――――――――――――りっ!」
「却下」
「貴方には聞いてません。お兄ちゃん、沢渡さんの家に行くって本当なの?」
「い、一応呼ばれてたんだよ」
「妹であるわたしに黙って、他の女のところに行くなんて、これは重大な浮気ですよ」
「何かいまヘンな単語が混じってた様な気がするんだけど」
ぷんぷんなんて擬音が聞こえてきそうな感じで初菜が怒ってる。でも浮気ってなに? 妹以外の女の子の家に行くって浮気になるんだ。初めて知ったよ。
「そんな事ありません。古来より、兄と妹は夫婦のようなものなんです」
「ち、違うんじゃないかな? そんな事聞いたことないよ」
「お嫁さんのことを昔は妹の背っていうじゃないですか―――――ぁ!」
「それ違うから。はあ、もう少し古文も頑張りましょうね、わたしより成績の悪い斉藤さん」
「一点差じゃないですかぁ~」
「一点も違えば、大きな差よ」
ふふんっと余裕な笑みを浮かべる沢渡さん。そうして僕の腕を取って歩き出そうとする。
「お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんなんだから、妹のわたしと一緒に帰るんです。浮気なんか許しません」
「浮気になるのかなぁ」
「なる訳無いでしょ。あんたももう少し常識ってものを弁えなさいよ」
「お兄ちゃんに発信機を取り付けるような人に言われたくありません」
「こいつってば、時々ふらふらしちゃうから心配なのよねぇ~」
「それは分かりますけど、それとこれは違います」
「兄のケイタイにGPS機能を取り付けるような妹に言われたくないわね」
「家族だから良いんです」
「へぇ~家族ねえ。だったらお兄さんの恋愛の邪魔をしちゃいけないわよね~、祝福してあげなくっちゃいけないわよねぇ」
「誰と誰が恋愛関係ですかっ!」
「わたしと彼が、よ」
「えっ? そうだったんだ」
「そんな事許しませ――――――ん」
「はいはい。じゃあ帰りましょうか、優希」
「ya,yahari kono onna toha itido keltutyaku wo tukenakereba!!」
「お~い、初菜?」
初菜はどこか遠いところに行ってしまったようだ。どうしたものか……。
◇ ◇
「と、まあこんな事があったんだよ」
結局あれからまっすぐ家に帰ってきた。沢渡さんには今度こそ、ちゃんと家に遊びに来なさい、なんて言われてしまったけど。
そうして僕はいま、親友の弓長十兵衛香津美(ゆみなが じゅうべい かつみ)に電話をしていた。弓長家はその名の通り戦国の頃から弓の名手として名を知られていたそうだ。今でも道場を持って教えている。僕は弓長家で剣術を教わっていた事があってそれ以来の付き合いだった。でもどうして弓じゃなくて剣術だったんだろう。今でも不思議なんだ。
「へぇ~君も大変だったね。でも初菜くんがブラコンだったなんて知らなかった」
「僕も気づかなかった」
「おいおい、一応兄だろう?」
「そう言われると辛いけどね」
「でも、君はシスコンじゃないんだろう?」
「違うよ」
「だったら心配無用だね。それともまさか、妹の初菜くんによからぬ事を妄想しているんじゃないだろうね」
「そんな事ないないっ、ないよ」
「それが良いよ。お天道様に顔向けできないような事をするんじゃないよ」
心底心配そうに言ってくる香津美。そんな事ある訳ないじゃないか。
「僕は清く、正しく、美しく。お天道様の下を歩いていくんだ」
「あははは、それでこそ。斉藤優希だよっ」
笑い合っていると、どかどか大きな音を立てて階段を上がってくる足音が聞こえてくる。
「お兄ちゃん。妹がお風呂に入ってるというのに、覗きに来ないとはどういう事ですか――――ぁ!」
「どうして妹のお風呂を覗かなくっちゃいけないのかなぁ~?」
バスタオル一枚まとっただけの格好で怒る初菜。ほこほこと湯気を立ててる。顔だけでなく体中、真っ赤に上気していた。
「お兄ちゃんが覗きに来ないからのぼせそうになったじゃないですかぁ―――!」
「僕の所為じゃないよね?」
「お兄ちゃんの所為ですぅ――――」
ぎゃあぎゃあ騒ぎ出す兄と妹。電話の向こうでは漏れ聞こえてくる会話を聞きながら、呟いていた。
「本当にお天道様に顔向けできないような事をするんじゃないよ」
――――つづく。