ゼイリブ

カーペンターが「パラダイム」に続いて撮った1988年の「ゼイリブ」は前作の難解なオカルト・ホラーから一転して単純明快なSFアクションである。

やはり「パラダイム」のような重々しく難解な映画は良くなかったんじゃないかとカーペンター自身が反省して撮ったのではないだろうか?

主演のロディ・パイパーは役者ではなくプロレスラーであるが、映画ではなかなかいい演技をしており、普通の役者としても通用する。

また「遊星からの物体X」のチャイルズを演じたキース・ディヴィッドが再びカーペンター作品に出演しているのも嬉しい。



失業者で宿無しのロディ・パイパーは工事現場の仕事にありつく。

仕事仲間のキース・ディビッドはパイパーを、宿無したちが集まって住んでいるコミューンをパイパーに紹介する。

パイパーはコミューンで暮らすことになるが、テレビにはときどき電波ジャックで海賊放送が流れる

「奴らは我々を洗脳している。この社会は奴らの作ったニセモノだ。奴らは我々を支配しようとしている」

海賊放送はそういった内容のメッセージを放送するが、一体何のことなのかさっぱりわからない。

ある晩、ロディはコミューンの近くの教会が、なにやら怪しげなことをしているのを目撃する。

それ以来、望遠鏡で教会を監視しはじめるパイパー。

ついに好奇心を押さえきれなくなり教会に侵入、教会は実は仮の姿で、そこはあの海賊放送の本部であった。

さらに教会は武装した警官に襲撃される。逃げ出すパイパー。

海賊放送局は制圧されてしまう。

その後、無人の教会に忍び込んだパイパーは、壁の中に隠してあったダンボール箱を発見する。

箱を持ち帰り、路地裏に入って箱を開けてみると中には大量のサングラスが入っていた。

サングラスの入った箱をゴミ箱の中に隠し、1つだけ自分でサングラスをかけてみるパイパー。

町へ出ると不思議なことに気づく。

サングラスをしないで見ると普通の看板に見えるが、サングラスをかけてみると「OBEY(服従しろ)」という文字がかかれているのだ。

他にも町のあちこちにサングラスを通してみるとメッセージが書かれている。

「考えるな」、「消費しろ」、「結婚して子供を生め」、「お上には逆らうな」、「テレビを見ろ」、「眠っていろ」

まるで社会への疑問をもつことを禁止するようなメッセージの数々。

そして、パイパーは一見普通の人間に見えるがサングラスをかけるとまるで骸骨のような顔をしたバケモノが町中に溢れていることに気づく。

彼らはみな一様に身なりのいい、社会的に高い立場にいる人間や、金持ちたちだった。

パイパーは気づく。

この社会はあのガイコツの化物、宇宙人たちによって支配されているのだ。

普通の人間達は、それとわからないように看板に書かれたメッセージなどで洗脳されていたのだ。

パイパーが宇宙人を見分けるらしいと気づいた警官(実は宇宙人)はパイパーを逮捕しようとするが、パイパーは得意のプロレスで宇宙人警官をやっつけ、銃とショットガンを奪い、町に出て宇宙人たちを撃ち殺しまくる。

宇宙人に目をつけられたパイパーは宇宙人に追われ、逃げる。

社会はガイコツの宇宙人に支配され、人々は洗脳されている。

なんとかこの事実を全ての人々に伝えなくてはと使命感にかられる。





宇宙人が知らない間に地球を侵略して、人間そっくりに変身して社会に溶け込んでいる。

特殊なサングラスをかけることで宇宙人の正体を見破ることが出来る。

こんなB級SFプロットで1本、映画を撮ってしまうカーペンターには感心する。

まさに1アイディア、1ストーリーだ。

もっともただアイディアのみの映画では間が持たないので、余った時間を潰すかのようにひたすら派手なアクションシーンの連続である。

「サングラスをかけろ」、「かけない」で大の大人のロディー・パイパーとキース・ディビッドが大喧嘩をするシーン。

本来なくてもいいようなシーンなのだが、この喧嘩シーンが延々と続く。

もうそろそろ終わりかな?と思ったところでまだ喧嘩が続きしつこいことこの上ないが、しかし本職はプロレスラーのロディ・ハイパー、この喧嘩シーンは本格的なプロレスの試合じみてきて迫力満点。

ゼイリブ屈指の名場面となっている。

たかが喧嘩なのにバックドロップまでやらかしちゃうなんて、この映画くらいのもんだ。

やはりプロレスラーを出演させるとあってはプロレスシーンはかかせないのであろう。

また、深く考えずに宇宙人をひたすら銃殺しまくるパイパーの思考回路も単純すぎる。

宇宙人の洗脳、「考えるな」のメッセージに一番洗脳されてしまったのはパイパーなんじゃなかろうか?

周りで大勢の人が見ているというのに、ひたすら宇宙人をショットガンで射殺しまくる。

サングラスをかけていない人が見たらパイパーは普通の人間を殺しまくる狂った射殺魔だ。

しかし、この単純さが逆にいい。

小難しい映画ではなく、ひたすら爽快なアクション映画としている。



宇宙人のデザインもかなり時代遅れなたんなるドクロである。

デザインまでもが単純な、これぞB級という感じだ。

人間を監視する小型UFOが飛び回るというところも、なんともマンガチック。

あつかっているテーマは「知らない間に社会がなにものかに支配され、人々は洗脳されている」というハードなものにもかかわらず、映画自体はひたすら単純である。

この単純さがゼイリブのいいところだ。

「考えるな」のメッセージ同様、なにも考えずに楽しめる。



この映画は「パラダイム」で理屈ばかりが先行した失敗を反省して作った正反対の単純娯楽ムービーであるとともに、アウトローであるカーペンターの彼なりの社会への皮肉と風刺なのだろう。

社会風刺というとそのほとんどはもう少しインテリっぽく、スタイリッシュな作品が多いが、このゼイリブはガテン系の労働者ノリの社会風刺。

とにかく金持ちや権力者は気にいらねえ!

おまえらほんとはドクロのバケモノなんだろ?俺は知ってるんだぞ!といった感じである。

しかしインテリくさい社会風刺に比べればよっぽど爽快でわかりやすい。





カーペンターがゼイリブ制作のころに行ったインタビューではこう答えている。

「映画監督としての自分と言うものがわかったんだよ。

一時期、私は有名なハリウッドスタジオの監督になって大儲けしたいと思ったんだ。

今はそんなこと思わないね。まったくバカバカしい。

私は権威と言うものが大嫌いなんだよ」



権威をなによりも嫌うアウトロー映画監督、ジョン・カーペンター。

「ゼイリブ」はそんなカーペンターらしい反権力アウトローB級SFアクションエンターティメントである。

 

 

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