- 御(お)会(え)式(しき)への勧誘に注意を
日顕宗の各末寺では今月初旬から11月末にかけて御会式が行われる。
御会式とは、大聖人御入滅の日(10月13日)にちなみ、"御本仏の滅・不滅を祝う"
とする、末寺で行われる最も重要な年中行事とされている。
最近の宗内文書も、"御会式を足がかりにして僧俗の総力を結集し、全支部が折伏目標
達成を"と呼び掛け、機関紙「大白法」9月16日号も「御会式に挙(こぞ)って参詣しよう」
と題する記事を載せ、折伏推進のテコにしようと目論んでいる。
例年、「お花(御会式で飾る造花)を作りに来ませんか」などと、高齢の学会員が言葉巧み
に誘われるケースがあるので、注意を促したい。
- 松岡幹夫氏の新著が日顕宗を痛撃
青年僧侶改革同盟の松岡幹夫氏が
『公開問答10の破折 破(は)綻(たん)した阿部日顕の教学』を発刊した
(第三文明社、1,300円<税別>)。
(リンクは聖教ブックサービスです:追記あべひ)
http://seikyobs.jp/shop/ProductDetail.do?pid=205530
同書で松岡氏は、20年にわたる日顕一派との問答の要旨を公開し、正統教学、
仏教思想、学術性の観点から法主絶対論などの邪義をことごとく論破している。
歴代法主の絶対的な立場を歴代法主の文言によって正当化しようとする「循環論法」の
矛盾や、日寛上人の「三宝論」を法主絶対化のために悪用している日顕宗の誤りを鋭く
指摘。日顕宗が必要性を説く"法主による本尊の開眼"についても、そもそも
「本尊開眼の儀式」なるものが大石寺門流の重要な伝統ではなかったことを明快に暴いている。
この『公開問答10の破折 破綻した阿部日顕の教学』、時代錯誤と論理性無視の日顕宗を
痛烈に斬り捨てる「勝利宣言の書」であるといえよう。
- さて学会員としてお子さんがおられる方や子供達の担当をされた青年部の方ならば
学会二世とはいえ、親の言うことを聞いて信心に励んでくれる子は多くない事に気が
ついておられるでしょう。
これは学会だけでなく他宗派であっても同じ事で後継者問題は切実なのだそうです。
対話の中でよく聞くのは「寺普請などで檀家としての負担制が若い世代に納得して
もらえない」事なのだそうで、若者にすれば「法事」以外、出会っても挨拶もして
くれない連絡もよこさない坊さんの家族をなぜ門徒が養う必要があるのか? といった
制度的な問題が帰郷を嫌忌される一番の理由だとか。
私の友人は実家にほど近い新興住宅地に居を構えて、親御さんだけを気遣っている人が
何人かいます。
日本のムラ型の信仰組織の弊害ともいえるでしょう。
なぜ信心をしなければいけないのか? といった信仰面での理解よりも
なぜカネを負担せねばならないのか? といった経済面の話になるのですからこじれて
当然です。
自分の生まれ育った故郷に住み続ければ檀家として経済的負担を強いられる事が決まっている
事を知っている若者は当然出て行ったまま帰ってきません。
まして少子高齢化です。先祖代々の信心だから、といった理由だけで理解される時代ではない
のです。
これは信仰心を育てるために親(身内)から子への実践と教育の両方が必要であるにも
関わらず放任してきたツケだともいえるのです。
仏法はどこまでいっても因果の法則である事を考えれば、二世だからという条件をもって
信心深いかどうかは確定しているはずがありません。
そう考えれば二世であることや一世であるという区別は信仰面ではさして関係無い事が
理解できるでしょう。
信仰者として自発的に立ち上がった所からが自分の宗教になるわけですから。
かくいう私は退転状態を経験しているリアル学会二世です(笑)
親が大幹部だからほうっておいても子供も当然立派であるはず などという幻想を抱いて
放任プレーしている人はなにも他宗の坊さんだけでは無い事は知っています。
師匠や弟子、親と子とはいえ一人一人の信仰心はマニュアル見せて育つものではない事は
我が身で経験しています。
真摯な人と人との関わり合い つまり「絆」こそが人を育てられるのだと思います。
縁(えん)といってもいいでしょう。
「立派な人が一人いる」のなら、その人を育て啓発した見えない「人脈」がある。
自分はいろんな人との関わりの中で成長してきたのだ、というごくあたりまえの「縁」
が感じられる(知恩)ようになってはじめて「報恩」の心が芽生えるのではないでしょうか。
以前私が入会の紹介者を「折伏の”親”」という表現をしたところ、厳しいご指摘を受けた事が
あります。
それはあくまで「信心」は本人と御本尊様との関係性が重要という趣旨だと再考えさせて
いただきました。
長くなりましたが「一世の信心」「二世の信心」といった時系列による区別は、誰しもが
成仏できるという仏法上の本義から外れた「上から目線」の考え方が入っていると思えて
ならないのです。
今から519年前の1492年10月12日、北アメリカ大陸にクリストファー・
コロンブスが到着したことから、この日を「コロンブス・デー」として、アメリカ
のほとんどの州が休日となる。
「ジパング」に魅せられたコロンブスが、三隻の帆船を連ねスペインのパロスの港
を出たのは、1492年8月3日の朝であった。カナリア諸島を経由し、大西洋を
突き進むこと、71日。10月12日に彼はワットリング島を見つけ上陸した。
今日「コロンブスの発見」については賛否両論あるが、もし彼が周囲の反対に屈し
航海に旅立っていなかったならば、「大航海時代」の幕は開かれなかったのである。
彼の栄光を今、語れるとしたら未知の航路へ「断じて出発した」勇気にあるといっていい。
今から51年前の10月2日、池田名誉会長は第2代戸田会長の遺志を継ぎ、海外へ
の広布の旅路を開始した。当然、当時の宗門には"世界広布など夢物語だ"と鼻で笑う
者が大勢いた。しかし、池田名誉会長は"全人類の幸福のために、私は戦う!"との強き
一念で世界広布の道を厳然と切り開かれたのである。
初めてアメリカ・サンフランシスコの地に降り立った名誉会長は、テレグラフ
・ヒルの丘にあるコロンブス像の前に立ち、大聖人が弘安2年10月12日、大御本尊
を建立されてから213年後の同じ日であることに、深き意義を感じ取られていた。
まさしく、全人類の幸福と平和を実現しゆく大仏法の黄金の光
が、池田名誉会長の手によって、世界に向かって放たれた瞬間であった。その日より
池田名誉会長の世界広布の旅は、54カ国・地域に、渡航回数は70回に及ぶ。
700年間、誰人も成し得なかったこの死身弘法の大闘争によって、人間主義の大聖人の
仏法は、今や世界192カ国・地域に広がったのである。
一人の"深き一念"こそが「時代を変える」力になるのである。『人間革命』第一巻に
記された「一人の人間における偉大なる人間革命はやがて一国の宿命転換をも成し遂げ
さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」との主題の如く断固たる実践だったのである。
「越洋」などと気取った日顕などは、僧にあるまじき、腐敗堕落の姿を世界に晒(さら)した
だけだ。破壊と遊興に溺(おぼ)れた人間の屑(くず)だ。
- http://megalodon.jp/2011-1013-1041-41/sokanomori.exblog.jp/16965157/
菊川広幸(偽名)さんは南条時光を指して「今でいう学会2世」と説明していますが
南条家が一家で帰依した頃には時光は幼少でした。
基本的に学会2世というのは入信後生まれた子供(福子)を指す言葉です。
家族ぐるみで入信当時、未成年で自発的に入信していないから、という人も一部おられますが
その発想なら入会家族が自発的に信心をしているのは一世代目にあたると思います。
こまかい部分はともかく基本的認識は思い込みに頼らずに、
もうすこし丁寧に資料をかみ砕いてから記事にしましょう。
学会のHPにも紹介されています。
※時光の父、兵衛七郎は鎌倉幕府の御家人で、はじめ伊豆国(静岡県)南条郷の
地頭から、上野郷の地頭に転任しました。鎌倉在勤のころに大聖人に帰依したと
いわれています。
文永元年(1264年)12月、大聖人は南条兵衛七郎御書(慰労書)を与えられ、病床
の兵衛七郎を励まされています。翌文永2年(1265年)3月8日に亡くなりますが、
大聖人はその死を惜しまれて、鎌倉から上野郷まで墓参に行かれています。
時光が初めて日蓮大聖人にお会いしたのは、この折と考えられますが、時光は7歳でした。
(教学基礎情報 南条時光と南条家より抜粋)
時光が父の南条兵衛七郎帰依後に生まれたのであれば、菊川氏の表現は間違いではない
でしょうが、少なくとも私はそういった説明をされている人は覚えがありません。
また日蓮大聖人御書講義35:序講(昭和58年聖教新聞社刊)には
「したがって兵衛七郎は弘安三年から文永元年の間ごろ、鎌倉大番役の時に大聖人に
お会いしたのであろう。ただ入信の経緯や動機などは不明である」
「時光は、幼少のころ父母について入信し、大聖人が身延に入山されてからはたびたび参詣
をして、数多くの御供養を捧げて報恩の誠を尽くすなど、生涯、純真な信仰を貫いた鎌倉武士
であった。」
と慎重な表現にとどまっています。
病床に伏せている時光の父「兵衛七郎」にあてた御書に
「法華経をすてて念仏者とならせ給はんは峯の石の谷へころび空の雨の地におつると
おぼせ大阿鼻地獄疑いなし」(南条兵衛七郎殿御書)
(せっかく法華経に帰依したのに)念仏に戻るのは山の峰の石が谷底に転がり落ち雨が地に
落ちてくるように堕地獄疑いない と 大聖人が兵衛七郎に対して厳しく戒められている
事からも念仏への執着がまだあったと推察されます。
結果的に文永二年(1269年)兵衛七郎は病死し家督を継ぐはずだった長男も文永十一年
(1274年)に水死したと伝えられており、弟の七郎三郎・七郎四郎もあいついで亡くして
いたそうで、南条家は相次ぐ宿業に晒されていたと言えるでしょう。
その中で純真な信心を貫けたのは、松野六郎左衛門入道の娘であり時光の母である
「母御前」の存在なくしては語れないと思います。
今の日蓮正宗門徒や退転学会員ならば、
「入信したのに病に伏せっているのはニセ本尊を拝んでいるからだ」と揶揄するケース
でしょうが、身内の病魔死魔にもへこたれず熱原の法難も外護を尽くし信心を貫き通して
大聖人から信頼をされていた事は時光に送られた御書にあることは言うまでもありません。
日興聖人の「宗祖御遷化記録」によれば池上邸から大聖人を荼毘に付す葬列の中に
四条金吾・富木常忍、池上宗仲等の重鎮の信徒にまじって南条時光が散華の役を務めた
とあるそうで、池上での葬儀に参列できたのは入滅の報を受ける前に、遠路静岡(上野郷)
から駆けつけていた事が推察されます。
そして日興上人の身延離山後に、時光の所領寄進をうけ大石寺が建立されたことは歴史の
事実として南条時光が功徳を受け護法に尽くしきった事を証明するものでもあるでしょう。
所領の規模の問題ではなく、現在ならば大変な中、個人会館や座談会の会場を提供して
くださっている学会員さんは皆、南条時光と同じ境涯といえるのではないでしょうか。
- (発行=11.10.12)
動物虐殺の大石寺が「動物供養塔」
鳩を一網打尽に殺し、犬や猫なども惨殺
塔婆が激減のため新たな金儲け狙う
大石寺が大納骨堂北側に「動物供養塔」(写真)を作ったことを「大日蓮」十月号
で報じている。それによると、かねて檀信徒から強い要望が寄せられていた、
とのことだが、実は金儲けが狙いである。お盆や彼岸でも大石寺の墓地に墓参に
来る人も少なく、塔婆供養が激減した今、犬や猫をはじめペットの死を供養集めに
利用する魂胆なのである。
日顕宗の末寺では以前、「ペット塔婆」が流行っていた。例えば、青山聴瑩が
広島・興福寺にいた頃、ペットの位牌も作って「飼猫ミーヤ」「愛猫ニャン吉」
「飼猫グレ子」「愛犬ルビー」などの戒名を付けていたことが知られており、
中国方面では、この青山の金儲けの手口を他の寺も真似していたようだ。
また、大型犬からカメやハムスターなどの葬儀・法要を行う「ペット霊園」
に出向いて導師を務め、供養を貰っていた坊主もいたという。やがて、大石寺の
「動物供養塔」に「愛猫ニャン吉」「愛犬ワン公」などの塔婆が立つのだろうか?
もともと、大石寺には動物愛護の精神などカケラもないことは過去の虐待の
実態を見れば明白だ。特に、大石寺で生き物を大量殺戮したことをジャーナリスト
の内藤国夫が、ある雑誌で暴露したことがあった。
大石寺では昭和五十七年四月、鳩を皆殺しすることになった。理由は日顕が
ノドのポリープを順天堂病院で手術したが、鳩の糞が乾いて大気中に飛散したのを
吸うと再発するかも知れないからというものだった。
鳩対策に困っている各宗派の寺院では「殺生戒」を犯すことなく、空砲で脅したり
、金網を張ったり、避妊用の餌をまいて繁殖を防いでいる。
これが寺院における鳩対策の常識である。
だが、大石寺では鳩の殲滅(せんめつ)を決めた。
当時、大石寺には「鳥博士」を自称する野村慈尊(今は千葉・清涼寺)がいた。
日顕から鳩殺しの担当を命じられた野村は境内のあちこちに霞網(かすみあみ)
を張り、鳩を一網打尽にした。霞網というのは、目に見えない程の細かい糸で
作られ、垂直に高く張って鳥を捕らえる。
鳥は網には気づかず、猛スピードで突っ込み、網目に首が引っ掛かり絞首刑の
ようになって死んでしまう。
余りにも惨(むご)いため現在では使用を禁止されている。この時、殺された鳩
は五百羽にも上った。
大石寺で残酷な取り扱いを受けたのは犬や猫も同じ。日顕の「盗座」後、大石寺
にいた元従業員は語る。
「当時、大石寺の境内に立ち入る動物は犬も猫も殺すよう内事部から命じられて
いました」「犬の場合は、ソーセージなどを餌におびき寄せて捕まえ、睡眠薬を
飲ませてフラフラにして、境内の人目につかない場所に生き埋めにし、ネコいらず
を入れたソーセージを食べさせ、その場で殺してしまうこともあった」という。
多くの仲間が虐殺された大石寺境内に「供養塔」を作っても犬猫などペットの
方が嫌がることだろう。
(参照画像)
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/image/detail/comm_id/7020/id/1/
- 本日付けの聖教新聞の「社説」に
※10月12日は、弘安2年(1279年)に日蓮大聖人が全世界の民衆のための
「一閻浮提総与の大御本尊」を建立された日であり、翌13日は弘安5年
(1282年)、 大聖人が死身弘法の生涯を閉じられた御入滅の日にあたる。
(略)
さかのぼれば、大聖人の直弟子6人のうち、日興上人を除く五老僧は大聖人の
御本意を理解 することができなかった。そして、日興上人の精神を継承したはず
の日興門流も今では完全に「葬式仏教」と化している。
創価学会の破壊を企てた日顕宗(日蓮正宗)は大聖人に敵対する邪教となり果てている。
(聖教新聞 2011/10/12付)
とありました。
弘安二年の十月十二日に大御本尊を顕された。
これは創価学会のみならず、興門流にほぼ共通している概念であるといえるでしょう。
しかし、残念なことにこの「大御本尊」の意義について、ある場所の板本尊のみが出世の
本懐だと錯誤している人が、日蓮正宗門徒や一部自称学会員、また学会と日蓮正宗に敵対
している同じ日蓮宗系の人に多数いるようです。
また教学に疎い人は「曼荼羅の図顕が本懐ではない」との誤った歴史観を発言する人も
いるようです。
たしかに弘安二年以前にも日蓮大聖人真筆の曼荼羅は多数存在し、弘安二年の十月に
図顕された御本尊も、日本では「子安本尊」と言われている千葉妙顕寺が「真筆」と
認められています。
そういった曼荼羅の分類は日蓮宗系で良くされているので参考にすると良いでしょう。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html
以前日蓮正宗門徒に弘安二年十月の曼荼羅が存在することを告知した直後驚きのあまり
「子安曼荼羅」の見学レポートをした日蓮宗系の方のブログに日蓮正宗系のアラシが
入ったようで現在はその記事はパスワード公開に変更されています。
http://megalodon.jp/2011-1012-2311-51/fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-date-201109.html
荒らされたにもかかわらず冨士教学研究会さんが、アンチ学会で日蓮正宗と結託している
白バラパン箱を応援している無節操ぶりはともかく、
日蓮正宗や創価学会では弘安二年十月の様式を本尊として重んじているという事に他なりません。
これは昭和57年当時の池田大作名誉会長の指導にも明確に残されています。
(以下引用)
仏には必ず出世の本懐がある。これが仏法の定義である。釈尊にとっては二十八品の
法華経であり、日蓮大聖人は弘安二年十月十二日の大御本尊の御図顕であられた。
その根本の教義は、末法においては、大御本尊を受持、信行させることによって、
いっさいの衆生を救おうとされたものである。
宗教として、批判に耐えうる教義もなく、人々を救う力もなければ、何をかいわんや
である。われら地湧の眷属の本懐は広宣流布である。
だれがなんといおうとも弘教にある。
(『正義は必ず勝つとの誓い』「7.3」記念北海道幹部会:
昭和57年6月27日小樽文化会館)
広布と人生を語る 3 聖教新聞社刊より
-------------------------------------
この指導が行われた北海道での池田先生の足跡はは北海道創価学会のHPにも
残されています。
(参考リンク)
http://www.hokkaido-soka.jp/ikeda.html
現在の日蓮正宗が主張する矮小化された「戒壇本尊論」「ニセ本尊論」などは
無知に依る偏見であり「衆生をすくう」理念からは一番縁遠い差別論でしか
ありません。
また私たちは曼荼羅真贋論などは謗法である事を彼らや日蓮宗系の本義に
無頓着な人たちや研究者に対して対話をしていかねばなりません。
愚かで無益な論争がネット上で沈静化することを願いつつ。 あべひ拝
- ※君は法的処置対象者の筆頭だからね
単純に 他者を批判する=名誉毀損の可能性がある というのはTakedaさんとの討論でも
再認識した所です。
これはすべてのネットブロガーさんも注意しなければいけない事ですね。
ポドチョンでアップした注意喚起の記事をこちらにも貼り付けておきます。
////////////////////////////////////////
(以下転載)
あ それから黒川和雄さん。貴殿は札幌の松木さんが名誉毀損で訴えられた「理由」が理解できて
いないようですね。
屋号などをあげて「倒産」などと公表すれば名誉毀損になる可能性がかなり高いですよ。
仮に黒川さんがその事実を証明できたとしても、今回の論争で批判をするべき箇所には
当たりません。ただの侮辱目的だからです。
アンチ黒川派の方にも注意を即しておきます。最近あったネット上の名誉毀損裁判の例です。
※ブログ書き込みで名誉毀損 「デフレの正体」の藻谷氏に賠償命令
2011.9.21 19:39
札幌市の男性がブログに侮辱的なコメントを書き込まれたとして、「デフレの正体」の著者で
、日本政策投資銀行地域振興グループ参事役の藻谷浩介氏(47)に60万円の損害賠償を
求めた訴訟の判決が21日、札幌地裁であり、石橋俊一裁判官は10万円の支払いを命じた。
男性がブログ上で「デフレの正体」を批評したことに対する藻谷氏の
「早く死んで子供に財産を残せ」とした反論コメントが、名誉毀損に当たるかどうかが争われた。
(産経.jpより)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110921/trl11092119470006-n1.htm
---------------------------------
この名誉毀損部分に関しては勝訴した教授がコメントしたブログがそのまま公開されています。
http://abc60w.blog16.fc2.com/?mode=m&no=401&m2=res&page=1
(以上)
////////////////
ところで
先日ネットニュースを見ていると、「畑に青酸カリがまかれた」発言をした武田教授へ対して
の批判論考を経済学教授の池田信夫さんが発表していました。
一つ一つ丁寧に反論をしておられますが、こういった論旨構成をめざしたいものですね。
(参考リンク)
※武田邦彦氏の売り歩く放射能デマ
http://news.livedoor.com/article/detail/5915341/
- 阿部日ケ~ン(院政)
- 宿坊の掲示板にて、http://6027.teacup.com/situation/bbs/3168
私の法的な勘違いを謝罪すると、東京の妙相寺門徒さんが勝利宣言をしていました。
http://megalodon.jp/2011-1007-1417-53/myousoujishinto.seesaa.net/article/229349896.html
彼等は宿坊さんや私に興味があるようです。
それと同じように私個人としても東京妙相寺門徒の関係はとても興味があります。
タカモトくんのサイトに日蓮正宗門徒のサイト「幸福.info」と並列して
「楽天.info」と偽装して、こんなリンクが同列で貼られていました。
http://megalodon.jp/2011-1007-1422-34/www.andu.net/law/
そしてタカモトユウタさんはいつの間にやら「本拠地」(笑)が上記と同じなのに
気がついたわけです。
http://megalodon.jp/2011-1005-1855-41/www.takamoto.biz/about/
リンク先の一連の東京妙相寺関係者と同じサイト構成ですね。なるほど。
にんじんジュースおいしそうw
この場所は元々 「楽天.tv」「toyoda.tv」 だったところで
http://megalodon.jp/2010-0902-1112-45/myousoujishinto.seesaa.net/
ちょいとこのにんじんジュース屋さんに興味が湧いたのでリンク先 tp://www.andu.net/message.html
検索すると ツイッターがありました。
これが彼等 妙相寺門徒商業協力の痕跡だと。
ずいぶん前にtoyodaさんのDVD販売サイト サイバーオペレーション の連絡先が長野アザレビル
だった事を告知させていただきましたが、それと同じチョンボとみるか、
ひょっとすると釣り?と、あべひは思考してしまったわけです。
- ここにポルシェもしくはBMWの車が置いてあります。
どちらも名車中の名車です。最近は??の部分もありますがカッコイイですよね
一度は乗ってみたい車です
しかしドライバーがアイルトンセナだったりF1のドライバーだったり
BBCのトップギアーの司会者だったりすると
(所ジョージさんやたけしさんでも構わないのですが) 絵になってカッコイイのですが
日蓮正宗の坊さんでも ヤクザでも、そこら辺の成り上がりが運転すると
如何いう訳か見栄えがよくなかったり ダサクなったりしますよね
事実、日蓮正宗の僧侶でフェラーリーを持っていただけで
創価学会から顰蹙と嫉妬を買われた坊さんが存在したりもする。
それと同じ心理で、ドライバーの持ち主によって名車が迷車に変わる事があります。
これと同じ事が あの御本尊や信心にもいえたりするんですよ
特に見栄を貼ったり飾りたがる人ほど 胡散臭くなったり ダサクなったり・・・・・
ところで、ココで問題です。
では何故、F1ドライバーやトップギアーの司会者3人や所さんや北野さんが
スーパーカーに乗ると車がかっこよく見え しぶくなるのに
菊川広幸氏とか日蓮正宗の坊さんがスーパーカーに乗るとダサぁ~く見えたり
胡散臭く見えるのでしょうか?
そこに、心は身より出でて我を飾る・・と言う深い意味が あるような気が致します。
- こういった会話が成り立ちます
※沖浦さん、素敵なブログを紹介します。
2011年10月4日、16:58:18 | ともさん
ある学会員の方が運営する素敵なブログを紹介します。私も参加していますので、沖浦さんも
是非、覗いて見て下さい。→「創価の森の小さな家」http://mblog.excite.co.jp/user/sokanomori/
※※ともさんさん
2011年10月4日、17:51:23 | 沖浦克治
そのブログ時々見ています 私が書いて、荒れると困るので書いていません。
今知っている中では最高です。
/////////////////////////////
創価の森のブログの
直近の内容は 仕事先で箱根温泉に入って酒飲んだ でした。
菊川広幸(偽名)さんは鯖掲示板でこんな事をのたもうています。
◎ただ、沖浦氏の善悪論は進歩は少ないです。
私はもともと、研究を職業としておりました。
ですから、簡単には「こうだ」と言わない性格なのです。
◎人は、思っていることを言います。
感じていることを言います。
好き嫌い、個々の立場からの受け止め方、捉え方で、いろいろなことをおしゃべりする。
その言動をして、「創価学会の公式見解が正解」であり、その正解に反すると「悪だ!」
する論争を私は好みません。
加えて、創価の崇高な思想と行動にいかに自分を近づけるか、それが大事なのであって、
遠いところにいるから、ダメだ、悪だとする論争も好みません。
(共に菊川氏の弁)
あえて善悪の判断を避けているのは、自分がやっている事と似たことをやっているから
だと私はおもいます。
鯖板に存在している参加者の傾向として、他人の話題にあえて合わせる事で矛盾した主張
が並立している事が多々あります。
例えばある人や組織を批判や論争を持ちかけているにもかかわらず、「論争は好みません」と
伏線を貼っている事。
沖浦氏の事でなぜ言い合っているのかわからないので教えて欲しい と他者に依頼しながら
も
“誰かが、「こうだった」と言っても、その人を信じられる「信頼」や「信用」がないと、
とても信じることはできません。しかも、納得し、確信できるかとなると不可能に近い。”
と結論つけている事等です。
少なくとも沖浦氏の事に関しては菊川氏は鯖板以前に説教オヤジ氏とおなじようにメールで
やりとりをして複数の人から説明を受けている事は知っています。
しかし彼の判断や信頼の基本的スタンスは
「自分を批判しない人」で「学会を褒め称えている人」は善悪の評価をしない事にしている
事は彼が鯖板に設置したスレッドに明記されています。
ところが「自分や仲間を批判する人」で「学会を褒め称えている人」に対してはヘンな人だとか
オカシな人とすぐに評価をする。
「自分の存在」を無・条・件で認めてくれるか否かで、「信用」や「信頼」といった他人に
対する基本的な認識判断が揺らぐ人は 自分本位 の人なのだと思います。
だから「自分本位」の生活記事をあけすけに書く人を尊敬して見てしまう。
さらにそういった事を煽ったりマネをする人を「仲間」にして群れるというわけです。
そして自分の心を乱す存在は「修羅」「卑怯者」として避け、仲間内へのメッセージと
昇華される。
※
http://megalodon.jp/2010-0912-0913-29/sokanomori.exblog.jp/15107125/
いろいろ、お騒がせしました。
多くの方から、修羅との交わりをやめるようにとのお話を頂戴しました。スミマセンね。
「血に交われば赤くなる」という経験をさせてもらいましたよ。
修羅が、あまりにも卑怯で、不誠実なんで、まったく噛み合いませんでしたね。^^
(菊川広幸氏の弁)
「ダブルスタンダードで群れる」「批判は許せない」「悪意による自己正当化」
「趣味行動と学会活動の同義化」
その結果、「選ばれた人」との物品授受や情報交換(利益供与)による組織外行動の助長。
さらなるサークル勧誘行為。
そして集人効果を利用しての個人の商売(利得)への直接的・間接的な誘因行為。
なぜ私が批判を承知の上で、あえてHNや実名での掲示板を使った周知を繰り返しているのか。
小野・鯖・岡元氏がやっている事と沖浦氏がやった事、 またそれ以前にネット上でおこなわれ
ていた「自称学会員」の迷惑行動と推移が同じと思うから です。
インターネットでの「創価学会員」の肩書きを使った集客行動は 要注意 だと思いますが
いかがでしょう。
警戒心の薄さ、現場とネットでの二重体質をうかがえる発言を菊川氏が発しているので
最後に紹介しましょう。
※現実に、地区や友人にはあのような話はしませんね。
ブログだから、まあ、いいかと
http://megalodon.jp/2011-0928-1257-02/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/8831/1242315373/460-
- ネット止めなさい。
貴方のおかげで創価学会が大迷惑しています。
- ネット止めなさい。
貴方のおかげで創価学会が大迷惑しています。
- すみませんが私は菊川広幸(偽名)さんが不敬をしている
とまでは一言も書いていません。
文字通り「不敬」とは御本尊様そのものをぞんざいに扱っている事だと思っています。
戸田先生の過去の指導によれば、そういった事をする人は「不幸な姿を見せに来る」
と表現されていますね。
日顕宗の連中が「ニセ本尊」と不敬している姿をネットで見たことがあるのでは
ないでしょうか。その連中が幸福そうにみえますか東京紳士さん。
※カバンにぶら下がった状態にはなっておりませんし
カバンにぶら下がっている状態を画像に出したのは「慧妙」です。
その画像をみてあたかも学会員が邪宗のお守りのように扱っている・・つまり
不敬をしているという論調でした。
私は慧妙の記事に追従して菊川氏の軽率さを指摘しているのではありません。
ちなみに「セールスマン菊川の戦い」で掲載されている画像は以前に公開された
http://megalodon.jp/2011-1005-1202-39/sokanomori.exblog.jp/16296392/
この記事の白黒変換版です。
ちなみに日蓮正宗門徒のブログでこういった恣意的な画像をアップしている人は
見たことがありません。
そしてこの記事にコメントをしている当時牙城会員の速水氏の反応は違和感があります。
※写真をネットに掲載したのも「軽率な行為」であり
あはは 1仏具店の商品で創価学会にケチをつけるような日蓮正宗門徒機関紙の
肩をもつつもりですか?
立派な仏壇やお守り御本尊をこれ見よがしにメイン画像に掲載する理由が
仏具店でもない菊川広幸(偽名)さんにあるのでしょうか。
ずいぶん前にペットの猫ラッキーくんの首輪に八葉蓮華のアクセサリーを取り付けて
商品化提案を公表している事を批判したことがありますが
その時の菊川氏の反応は「愛猫の記事を批判された」としか感じていなかったようです。
そういった軽率さが、ことある事に自分の持ち物公開や他人の所有物公開、
プライバシーの暴露等に「行動」として継続されています。
- (発行=11.10.05)
「お会式」は要法寺の猿真似
供養を狙って蠢く日顕宗坊主の撃退を
「日蓮正宗」の名称も要法寺僧の案を盗用
邪宗・日顕宗では十月下旬から十一月にかけて各地の末寺でも「お会式」を行う。
日顕と日如、この二人の贅沢な普請道楽のために、供養の殆どを本山に巻き上げ
られている末寺にとって、法華講員から供養を搾り取る絶好の機会である。
しかし、参加者は年々、減少の一途をたどっているため、学会員宅を訪れては、
高齢の人に「お花(造花)を作りに来ませんか」「一緒に寺に行きましょう」
等々と言葉巧みに誘うケースが各地で見られる。
お会式は本来、法華講員から供養を集めるのが目的の一つだが、それに加えて、
宗務院・布教部では僧俗が協力し、全支部が折伏目標を達成する契機にしていく
よう呼び掛けている。
そのため、各末寺の坊主や講中幹部らは、お会式に学会員を騙して誘い出し、
法華講に入講させようと虎視眈々と狙っているのだ。
過去にも独り住まいの高齢者を寺に連れ出し、或いは、御本尊を強奪するなど
の犯行も目立った。
これからは特に、お会式が近づくと、学会員を誘い出そうとして宗門関係者が
出没すると思われるが、玄関払いするか、徹底的に破折して撃退するに限る。
日精が持ち込んだ仏法上、無意味な三文芝居
日蓮大聖人の仏法を商売道具として考えている日顕や日如らの「法華経の業者」
共は、己の権威づけのために信徒が理解できないよう、敢えて難しく説法し、
あたかも出家のみが仏法の奥義を体得しているかのように装う手法を用いる。
そして、御影堂(今は仮御影堂)での説法の際、法主が「助番僧」の執拗な
要請に応じて、高い台の上に登って説法するのも無意味な演出に思われる。
宗門は、こんな儀式で上行菩薩の涌出、御本仏の出現を意義づけると説明して
いるが、日蓮大聖人を「悪しく敬う」ところの三文芝居にしか見えない。
そもそも、不相伝のニセ法主が大聖人の名代になり、高座から信徒を見下ろし
て説法するという感覚が、大聖人の仏法とは異質なものに感じられる。
また、献膳の儀で立ったり座ったりして、せわしなく箸を動かし、仏飯に箸を差し
たり抜いたりするのには何の意味もない。
このお会式の様式は、本紙でもこれまで再三、指摘した通り、江戸時代の寛永九年
(一六三二年)に造像読誦論者の謗法坊主・日精が大石寺の法主になって京都・
要法寺流の邪義を持ち込んだことに始まる。
毎年十一月に「御大会」と称して大石寺で行う行事は京都・要法寺の猿真似なの
である。大謗法の法主が取り入れたものだから、こんな奇っ怪な儀式になったの
だろう。
このようなお会式を宗門では春の「虫払い」と共に主要な二大行事と宣伝し
ているが、形骸化した死せる仏教を象徴する儀式にすぎない。こんな仏法上、
無意味な儀式に参列しても歓喜も感動もなく、勿論、功徳など何もない。
また、これも本紙で再三、紹介してきたが、お会式の様式だけではなく、
「日蓮正宗」という名称にしても、京都・要法寺の邪僧が考えた「案」を盗用し
ているのである。
- >「創価の森の小さな家」のブログ主
>は、お守り御本尊様と数珠を撮影し
>ブログに掲載していました。
>このような軽率な行為が日蓮正宗の攻撃ネタにも
>されかねないのではないでしょうか。
ブログの主題となってるのは「セールスマン菊川の戦い」の記事ですね。
掲載されている写真は、お守り御本尊のケースと数珠。
カバンにぶら下がった状態にはなっておりませんし、
御本尊を安置した仏壇の写真や、仏具店のネット販売に掲載されている
お守り御本尊ケースや数珠の写真と比較しても、不敬と判断される状態で
掲載されているとは認められませんね。
そして、記事の内容は、セールスマン菊川氏がお守り御本尊に祈って
営業活動に奮闘し、実証を示した話です。
それに対して、あべひさんは、菊川氏の写真掲載を「日蓮正宗の攻撃ネタに
されかねない」「軽率な行為」とおっしゃっております。
ところで、あべひさんが話題にしてた「創価学会ノート」のブログを見ると、
そのブログは、仏壇仏具販売「金宝堂」「世紀堂」のサイトに写真掲載された
「お守り御本尊ケース」や、「博文栄光堂」のサイトに写真掲載された
「お祈りクマさん」を取り上げ、攻撃ネタにしております。
菊川氏の写真掲載に対して「攻撃ネタにされかねない」「軽率な行為」とおっしゃる
あべひさんの主張を敷延(ふえん)するならば、
金宝堂・世紀堂・博文栄光堂が「お守り御本尊ケース」「お祈りクマさん」の
写真をネットに掲載したのも「軽率な行為」であり、アンチブロガーから
「攻撃ネタにされた」という論理になるわけです。
さて、ロム者の皆様。
「お守り御本尊ケースや仏具の写真をネットに掲載」は「軽率な行為」だというのが
あべひさんの主張です。
この主張に共感する方は、いらっしゃいますか?
【改訂文の解説】 姑息でズルイ阿部信彰のやることは、由緒寺院の住職のやる
ことではない。9月22日、補足ということで、八月から一ケ月も過ぎて通知文が
配られた。内容は、もっともらしく装っているが、達師の法要をやらないようにと
言いたいのだ。
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三 末寺における寺院行事としての法事(通知文)
当該寺院の有縁の総本山歴代上人及び開基・建立主・寄進者・歴代住職等の報恩・
追善法要を寺院行事として行う場合は、忌日・年忌・祥月命日忌に限る。
なお前記精霊の月命日忌法要は寺院の月例行事として行わない。
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平成になって新寺は二ケ寺。昭和のほとんどが達師の開基。通知文の総本山歴代上人
及び開基とあるが、誰を指しているのかは、明確だ。達師なのだ。
達師に義のある者は、毎月二十二日に月命日をやってきた。それをやめさせるために
寺院の月例行事としては、行わないとしているのだ。
常在寺でやってきた二十二日の命日お経は、イヤだと言うことなのだ。
これは、信彰が言い出したようだが、裏には、日顕と政子の陰がちらついている。
悪党親子三人組の仕業だ。相承をしてくれなかった恨みからここまでやるのかという
執念深さである。宗開両祖に背き、供養を湯水の如く使い、腐敗堕落の遊興に明け暮れ、
私腹を肥やし、全ての人を裏切り、一族のことしか考えないシアトル老人。
先師を宣揚するのが僧ではないか?先師の法要をヤルナとは不知恩の極みである。
欺されてはいけない。どんな言い訳をしようとも許されることではない。
(大坊の深蒸し茶坊主)