![](/contents/069/786/690.mime4) | ひぐらしのネタバレあります。
「真里亞の薔薇が消える」事件は、全エピソードで必ず発生します。ということは、全エピソードで必ず発生する何かが「原因」となって、薔薇が消えるという「結果」が発生している。 その原因とは何だろう……という方向で考えていたら、郷田が作るランチのデザート、パンナコッタに添えられた花びら……にしか思えなくなってきてしまったワナです。ランチは必ず作られるでしょうし、パンナコッタなんて手の込んだもの、前々からのしこみがなければできないでしょうしね。
郷田が料理のために摘んだ、という説は、できれば採りたくなかった考えなのです。 「真里亞の薔薇が消える」というのは、シリーズ中でも、もっとも印象の強いイベントのひとつです。 だからできれば、もっと強烈な「真相」とリンクしていてほしい。そういう願望があるのです。 なので、たとえば苦しいですが、 「黄金郷の入り口を示す目印の向きが変わったため、その目印を基準に薔薇の位置をおぼえていた真里亞は、薔薇を見つけられなくなってしまった」 とかいったアイデアをひねったりしていたわけなのです。 参考→ 碑文解読ep5・台湾説でFA
けれども。 「これじゃなくて、もっと深いものがあるだろう?」 と思わせること。そういう「竜騎士トラップ」なんじゃないか、という可能性も、じゅうぶんに考えられるのです。
竜騎士07さんが得意とするトリックのパターンに、こういうのは、あります。
竜騎士07さんはしばしば、事件の「真相」を、いちばん目につく場所に、ゴロンと放り出しておくのです。 わたしたちユーザーは、無造作に転がされた「真相」を、まっさきに見つけます。 そして、 「こんな目につく場所に置いてあるものが、真相であるわけがない」 と判断して、ほかのものを見つけることに、やっきになるのです。
その類例が、たとえば、『ひぐらし』の『鬼隠し編』や『罪滅し編』。 『鬼隠し編』では、圭一は、「入江監督が黒幕であり、白いワゴンに乗った男たちが悪事の部下である」という置き手紙を残します。 それは精神錯乱が見せた被害妄想だ、とわたしたちは思ってきたわけですが、実は全部正解でした。 『罪滅し編』のレナは、「宇宙人がウィルスをばらまいていて、入江診療所は悪の巣窟だ」ということを訴えていて、それは本編中では完全に妄想として扱われていたのですが、のちにそれは全部正解だったことが、明らかになります。
わたしたちミステリユーザーは、もはや擦れすぎていて、 「こんなに真っ先に思いつくことが、正解なわけがない」 と思いこんでしまいます。竜騎士07さんは、その心理を突いてくる……という可能性は、少し真剣に検討しても良いように思うのです。
さて。 郷田がどうして真里亞の薔薇を手折ったのかということですが、参考資料としてお目にかけたいある文章があります。
今はもうサイトが消えてしまったのですが、e-novelsという、小説のネット販売サイトがかつてあって、そこに無料の読み物として 『食は応酬にあり』 という食べ物に関するエッセイが連載されていました。 著者は我孫子武丸さんと、田中啓文さん。『かまいたちの夜』シリーズの脚本を手がけられたお二人です。ちなみに余談ですが、竜騎士07さんはまちがいなく『かまいたちの夜』をプレイ済みのはずです。
そのエッセイのある回に、こんなエピソードが紹介されています。
・小学校の夏休み、農家(母親の実家)に一週間ほど滞在したとき、庭に半放し飼いにされていたニワトリたちと仲良くなったのに、最後の夜に食卓にのぼったのが、最も仲の良かった「ピーちゃん」の唐揚げだった。なぜ、よりによってピーちゃんだったのかと伯母に訊いたら、 「首にピンクのリボンが結んであったから、目についた」 との返事。それは友達の印に、あたしが結んであげたリボンだよ! 台所のゴミバケツに捨てられたピーちゃんの生首……。
『食は応酬にあり』第49回 食べ物にまつわる悲しい思い出 http://web.archive.org/web/20060707152257/www.so-net.ne.jp/e-novels/yomimono/ousyuu/049.html 竜騎士07さんがこれを読んでたとか読んでないとか言うつもりはないのですが、もし薔薇を郷田が摘んだのなら、これとまったく同じことが起こったのではないかな。
真里亞にとっては、飴の包み紙のリボンは薔薇と自分との友情のあかしですが、事情を知らない大人から見れば、 「ゴミがくくってある」 と見えても、しかたないのです。
この説に、問題点を挙げるとすれば、郷田が薔薇の花びらを使ったのは、デザートに文字通り「花を添える」ためで、花びらそのものをお皿に飾ったのです。 真里亞の薔薇は一見してわかるくらいしおれていたのですから、そんな薔薇をわざわざ使うだろうか、という疑問が生じます。
でも、べつにこれは、「盛りつけの練習用として摘んだ。本番にはもちろん使わなかった」くらいで回避できてしまうかもしれません。 薔薇の花びらを盛りつける、なんて、いくらベテラン料理人だって、そうそうあることではないでしょう。 だから、いちど予行演習として、薔薇の花をひとひらひとひらにバラしてみて、大きさや形を吟味する。で、お皿の上にのっけてみて、どう盛ったら映えるかを研究する。 体温の高い男の手で、いろいろいじくった薔薇の花を、そのままお客様に供するわけにはいきません。だからお客様には、本番用に手折ってきた、とくべつきれいな薔薇をつかう。 練習用は、べつにきれいでなくてもかまわない。というか、きれいなものを練習用につかうということは、庭園に咲いている美しい花が、その一輪ぶん減るということ。
そこで以下のようなかたちになる。
「おやおやこの薔薇にはゴミがついている。おまけに少ししおれている」 「この完璧な薔薇庭園にはふさわしくないですねえ摘んでしまいましょう」 「ああ、ちょうどいい、デザートの盛りつけの練習にでも、これを使うことにしましょう」
こんなもので、じゅうぶん、整合します。
もしくは、郷田がしゃれっ気をきかせて、 「お客様がたに、ご滞在の記念として、当家でとれた手作りの薔薇のジャムをプレゼント」 なんてことを思いついた、というのでも、ちょっと可愛いですけどね。 あ、むしろそっちのほうがいいかな。わたしはこの手の、日本人ばなれしたキザな感じって大好きです。
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