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No40224 の記事


■40224 / )  Re[2]: 【第31回】 皆さまの推理、集計させてください!
□投稿者/ Townmemory -(2010/02/12(Fri) 06:15:45)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey
    No39564に返信(藤井ねいのさんの記事)

     回答が集まらないよー、という集計先生(いま勝手に作った二つ名)の悲鳴が聞こえたような気がしたので書いたけど、

     長いよ、うー!

     自分でもびっくりする量なので、てきとうにフィーリングで受け取って、なんとなく集計しちゃって下さい。発表時のテキストなどには反映していただかなくても良いと思います。


     あと、余計なことかもしれないけれど、よびかけてみる。

    【ながいしっぽ】さん、
    【濃抹茶ラテ】さん、
    【むくげ】さん、
    【山彦】さん、

     時火さんからの業務連絡が届いていますが、確認なさっていますかー?

    「新着記事」のタブを直接ブックマークしていたりすると、業務連絡が目に入らないので、気づかない可能性があると思いましたので、僭越ながら呼びかけてみました。
     以下のURLをみてみて下さいー。
     http://rena07.com/Cgi/umi_cbbs/umicbbs.cgi?H=F&no=0

     新着記事から目に入るような書き込み内で、何度か呼びかけてみたほうがいいのかも……。ながいしっぽさんとむくげさんはコロシアムだと目に付くのかな?


    > 【第31回】皆さまの推理、集計させて下さい!
    >
    >  【F:戦人の密室について】
    > F−1:戦人のロジックエラー密室の脱出法(トリック)は?
    (Daedalus・村正)

     要点だけいいますと、

    1.戦人、客室バスルームに熱湯トラップを仕掛ける。
    2.留弗夫(か誰か)、番線カッターで客室のチェーンを切る。
    3.戦人、客室を退室。
    4.ヱリカ、検死にやってくる。存在しない戦人の死体を「存在する」と誤認。
    5.ヱリカ、窓と扉を封印。
    6.ヱリカ、上位戦人に「被害者6人が発見現場に今も存在する」ことを復唱要求。
    7.上位戦人、沈黙する(答えない)。
    8.ヱリカ、「この程度のことで復唱拒否ですか?」とつっこむ。
    9.上位戦人、復唱拒否であることを「認める」。
    10.ヱリカ、扉の封印を破って客室に侵入、チェーンロックにガムテープ封印をし、チェーンを掛ける。戦人の死体がないことを確認する。

     単純な脱出方法としては以上です。チェーンロックにガムテープ封印がほどこされた時、すでに戦人は客室の外にいたというほどき方です。

     嘉音関係の整合のつけかたはこれ以降の設問にて。


    > F−2:EP6の密室は、かつてのベアトリーチェが過去に作った密室の焼き直しだと言っています。どのEPのどの晩の事でしょうか?(村正)
    >  ※上記は、ロジックエラー発生前の台詞です。

     基本は、Ep1の第二の晩だと思います。そこに、Ep3第一の晩の要素がトッピングされているような形です。

     わたしはEp1第二の晩は、
    「チェーンがかかっていた。それを切って入室したら、死体だけがあり、犯人はいなかった」
     ということを、
    「第一発見者が言い張る」
     というトリックだと思います。第一発見者熊沢を共犯と見ることで、解くわけです。

     犯行自体は、
    「犯人が番線カッターを使ってチェーンを切って強引に押し入った」
     か、もしくは
    「「内密の話がある」みたいなことを言って被害者本人たちに招き入れさせた」
     か、あるいは
    「チェーンロックはあらかじめ取り外しておいた。2人を殺してから扉にチェーンロックを取り付け、鎖を切っておいた」
     か、そのへんだと考えます。

     さて、Ep6の密室の作り方ですが、
    「チェーンがかかっていた。それを切って入室したら、妻たちと戦人と真里亞が死んでいた。犯人はいなかった」
     ということを、
    「第一発見者である留弗夫、蔵臼、秀吉、郷田が言い張る」
     ことで成立しています。

     これはわたしがEp1第二の晩のトリックとして想定している解き方と、まったく同じです。ですから基本アイデアとしては、戦人はEp1第二の晩を焼き直したのだと思います。

     余談、というか、ちょっと思い上がったような言い方になるんだけれども、竜騎士07さんは、
    「真相がわかった人には、それが正しいことがちゃんと伝わる。そういう描き方をしたい」
     という趣旨の発言をしていらっしゃいますね。
     たとえば、Ep1第二の晩にわたしのような解法を想定していた人は、Ep6第一の晩の様子を見て、また「それが過去の密室の焼き直しである」という情報を見て、
    「あ、Ep1第二の晩の自分の推理はやっぱ正しかったんだ」
     と確信できそうです。竜騎士07さんの発言の趣旨は、このような描き方を指しての言及である可能性があります。
     だとしたら、今後のEpでも、「過去の密室の焼き直し」が使われ、そのことが「解答編」の代わりとして機能する。そういうことがあるかもしれません。


    「Ep3第一の晩の要素がトッピングされている」と先に書きましたけれど、Ep3第一の晩は、犯人が使用人たちに呼びかけて、「殺人ドッキリをしよう」と持ちかけ、各部屋に被害者を配分したところで、ひとりずつ殺していく……という形だったのかな、と考えます。
     その点がEp6と同じ。

     でも、違うのは、Ep6では戦人は被害者たちを殺すつもりはなくて、本当にただのドッキリのつもりだったのです。が、犯人役をヱリカがつとめたことで、最終的にはほんとうに全く
    「Ep3第一の晩とおなじ」
     状況になってしまいました……。

     かってな想像だけれど、ヱリカも、Ep3第一の晩をわたしと同じような方向性で考えてるんじゃないかな? で、「じゃあ、私がまったく同じにしてあげましょうか」みたいなことを考えたかもしれない。
     ……みたいなことも想像したりしますが、このへんは基本的に、自分の考えを正解だと思いたいわたしの心理の問題です。


    > F−3:あなたの考えるEP6戦人の密室のロジックエラー解消後の「戦人脱出方法」はEP1長女夫婦密室の犯人脱出方法と同じ方法ですか、違うものですか(あやにゃん)

     戦人が想定してた密室「構成方法」はEp1長女夫婦密室(第二の晩)と同じ方法だと思いましたが(上の設問参照)、脱出方法はどうだろう……。

     Ep1長女夫婦密室(第二の晩)のトリックを、
    「犯人が脱出時にチェーンを切った」
     という、ざっくりした理解をするのなら、ほぼ同じともいえますね。はい、同じでいいと思います。

     それにしても、このF-1〜3の質問の流れはきれいだ。答えやすい。


    > F−4:客室の密室の「救出者」についての質問です。(村正)
    > F−4−1:ヱリカの推理通り、「救出者」はいると思いますか?(村正)
    >  ※この問いでは、戦人が自力でチェーンをクリアし、脱出した場合は、救出者はいないとしてください。

     F−1の回答のとおり、戦人は誰かに身代わりになって客室に入ってもらうことなく、密室から消失したと考えるので、
    「救出者はいない」
     が答えになると思います。この定義においての救出者はいないということですね。


    > F−4−2:「救出者」は誰でしょうか?(村正)

     さて、上の設問で「いない」と答えたんだけれども、
    「戦人の外したチェーンを掛け直した者。救出の意図は問わない」
     という、「ベアトリーチェの定義」にもとづく救出者は、いないと困りますね。そしてその定義における救出者は嘉音でないとまずいですね。

    (いや、わたしは「赤字は必ずしも真実ではない」という立場をとっているから、本当は困りません)

     ここでは、「ベアトリーチェの定義」にもとづく救出者について語ります。それは嘉音であるわけなので、嘉音はいったい何者かということについて。

     密室化された隣部屋から嘉音が消えてくれなければなりません。わたしは基本的に一貫して「嘉音は存在しない人」という主張をしてきました。嘉音は体のない人なので、隣部屋から消えることができます。「いないということを確認された」瞬間に消滅するという考え方です。

     で、わたしは、嘉音と紗音が二重人格だとは思っていません。
     このへんは微妙な(定義による)ことなんだけれども、真里亞はぬいぐるみのさくたろうに対して人格を認めていますね。これは外から見れば一種のひとり芝居です。これを「二重人格」とするのなら、嘉音と紗音も二重人格といえますが、どうもちょっとニュアンスがちがいそうだ。

     わたしの解釈では、
    「嘉音は、紗音と朱志香にとっての“さくたろう”である」
     という考え方です。

     イメージとしては、紗音と朱志香が、嘉音人形というぬいぐるみを使って、お人形遊びをしているという感じです。
     たとえば、黄金郷に真里亞とベアトリーチェとさくたろうがいて、3人で楽しくおしゃべりをしているシーンがあるとする。
     このシーンで、真里亞とさくたろうがお話をしている局面があるとする。

     この局面、外部の第三者から見ると、
    「ベアトリーチェがさくたろう縫いぐるみを持って、手や頭を動かしたりしながら、さくたろうのセリフを後ろからアテている」
     ということになるだろう、と考えます。
     さくたろうはベアトリーチェに認知されてから、人間の外見を得たりして、急激に立体化していったのです。

     それとおなじで、紗音が嘉音を演じたり、朱志香が嘉音を演じたりすることによって、嘉音という架空存在は、とっても立体化されていったんじゃないかなという想像。
     お人形遊びって、やってみたらわかりますけど、自分ひとり、お人形1体でやっていても、長続きしません。やっぱり、ひとり以上のアイカタがいります。あの、まったく詳しくないので想像で言うしかないのですが、ひとりでテーブルトークRPGって成立しないんじゃないかしら。

     そういうわけで、「嘉音とは、紗音と朱志香の頭の中に共有された、架空のキャラクターである」という考え方をします。これは完全に、『うみねこ』における魔法のシステムであって、二重人格解釈よりも作品にマッチしていると自認しているのですよ。

     まとめると、紗音と朱志香が同室している状況で、
    「紗音と嘉音が会話するとき、朱志香が嘉音役である」
     同じ状況で、
    「朱志香と嘉音が会話するとき、紗音が嘉音役である」
     とします。

     ルールとしては、
    「紗音と朱志香は、ふたりとも“嘉音”を名乗ることができる」
     という感じ。

     なので、以下「嘉音が何々した」と書かれていたら、紗音か朱志香かのどっちかが、その行動をとった、と考えて下さい。


     まず、ゲストハウスというのは蔵臼が建てたリゾートホテルです。いとこ部屋はそのホテルの「客室」なのです。当然、ベッドルーム、バスルーム、クローゼットがあるでしょう。ゲストハウスの各室にチェーンロックがあることはEp3で描かれています。

     1日目の夜。嘉音は、トランプをしに、いとこ部屋という「客室」に「入室」します。
     戦人は急に、「ヱリカをドッキリにはめてやろう」と思いつき、真里亞をつれて、大人たちを巻き込むために屋敷へと向かいます。その際、いとこ部屋という「客室」を「退室」しますが、ここで、掛かっていたチェーンロックを「外します」。
     嘉音が用心のため、そのチェーンロックを「掛けた」とします。

     これで戦人の外したチェーンロックを嘉音が掛けた=嘉音が戦人を救出した、が成立します。

     このトランプシーン以降、次に嘉音が下位世界でまともに認知されるのは、いとこ部屋で急に頭から血を流して消えていくシーンなんです。
     つまり、トランプシーン以降、嘉音がいとこ部屋から「外に出た」描写はないとみなせる。描写がない以上、あれからずーっと嘉音はいとこ部屋にいた=「嘉音は入ったのみ」が成立します。
    (厳密には、廊下で朱志香と嘉音が話し込んでいる場面があるのですが、このシーンで嘉音は朱志香ごと魔法でワープしてしまい、ワープアウト先はゼパルとフルフルがいる異次元なので、ぎりぎり無効とみなしたい)

     あの、2部屋に分かれて籠城することになったとき、嘉音や源次といった「あやしい面々」を押し込める部屋が「いとこ部屋」なのはちょっと不自然なのです。
     だって、いとこ部屋には譲治と朱志香の荷物が置かれているはずなので、あやしくない譲治たちをいとこ部屋に籠城させ、嘉音たちあやしいほうは隣部屋に押し込める、というのが自然なんです。
     なのになぜその不自然な部屋配分になったか、それは「嘉音をいとこ部屋に入れたままにしておきたかった=嘉音がいとこ部屋から隣部屋へ移動したことにしたくなかった」というトリック上の制限だと思います。
    「蔵臼のそばにいたい」という理由をつけて、朱志香をいとこ部屋にいさせたままにしたのも、同様の事情かもしれません。朱志香がいとこ部屋にいないと、嘉音がいとこ部屋にいることにはならない、のかな。

     このことからすると、戦人が外したいとこ部屋のチェーンロックを掛け直したのは「嘉音を名乗れる朱志香」ということになるかなと思います。まあ、そうですよね。トランプのとき、紗音は使用人室にいたわけです。


     この推理の問題点は、
    「そなたの入室からロジックエラー時まで、客室を出入りしたのは、そなたと戦人と嘉音のみだ」
     という赤字。客室を「屋敷の客室といとこ部屋両方」と定義するとしても、いとこ部屋に源次や蔵臼や留弗夫が入室したのは明らかなので、赤にひっかかります。
    「そなたの入室」を「屋敷客室への入室」とは受け取らない、という手を考えているんだけども、それでもむつかしい。ここをうまく外せれば、わたしとしては大喝采です。

     まあ、わたしには「この赤字を真実とは認めない」という伝家の宝刀がありますから、いざとなったらそれで切り抜けてしまいます。


    > F−4−3:「救出者」が、ヱリカがバスルームにいる間に客室に来たようですが、このタイミングは偶然でしょうか?(村正)

     上で書いた答えのように、救出者は屋敷の客室には現れていない、というのがわたしの考えです。


    > F−4−4:「救出者」は何が目的だったとおもいますか?(村正)

     わたしの推理における救出者とは、戦人がいとこ部屋を出て行くときに開けていったチェーンロックを掛け直した朱志香、ということなので、えー、なんか、なんとなく用心のためにチェーンをかけた、くらいのことです。


    > F−5:EP6作中にて何度も挿入された密室に閉じ込められていたのは誰か?(Daedalus)
    >  ※戦人ではない、という可能性はあるでしょうか?

     あれはですね、わたしの解釈としては、
    「戦人を含めた、“八方ふさがりの状況に追い込まれてしまった人”の心理」
     を、ああした形で現してるんだと思います。

     なので、戦人だけでなくて、いろんな人の気持ちを、あそこに閉じこめられたあの人の声が代表しているんだと思います。

     たとえば朱志香。
     彼女は子供のころ、しばしばお仕置きでクローゼットに閉じこめられたそうです。
    「自分はこんな寒い暗いところに閉じこめられているのに、廊下の向こうからは楽しげな談笑や、あったかいごはんの雰囲気がする」
     という描写は、朱志香の体験じゃないかなと思います。

     たとえばベアトリーチェ。
     ゲームマスターになった戦人は、雛ベアトに、「奇跡が起こって、おまえが元のベアトの記憶を思い出してくれたらいいな」みたいなことを言います。
     雛ベアトは元のベアトのクローンみたいなもので、つまり遺伝子が同じなだけの別人ですから、雛ベアトは絶対に元のベアトの記憶を思い出しません。絶対に思い出さないことが確定だから、もしそれでも思い出したとしたらまさに奇跡なわけです。

     以前はベアトが戦人に何かを思い出させようとしていた。今は戦人がベアトに何かを思い出させようとしている、という対比は、作中で何度か念押しされています。

     戦人の中の幻想のベアトリーチェも、「戦人が思い出したら奇跡」みたいなことを言っていました。
    「そなたがいつかはきっと気付く、思い出す、奇跡が起こる。そう信じてゲームを繰り返した」
     戦人がド忘れしていて、それをふっと思い出した。これはよくあることで、奇跡でもなんでもないと思うのです。
     戦人が「最初から知らないこと」を、それでも「思い出した」りしたら、それはさすがに奇跡だといっていいと思うのです。

     で、ここで、
     戦人が、ルールを元にして、雛ベアトを再構成しました。それと全く同じようにして、
    「ベアトリーチェは、(ルールか何かから)上位戦人を再構成した」
     としたらどうだろう、と仮定します。
     すると、上位戦人は、「罪を持った本来の戦人のクローン」みたいな存在です。

     雛ベアトが、元のベアトの記憶を持っていない(だから何も思い出しようがない)ように、上位戦人も、本来の戦人の記憶を持っていない。だからベアトリーチェが期待するようなことは思い出しようがない。
     そういう状況があったとする。

    「もともと知らないから、何も思い出しようがない」戦人が、それでも「何かを思い出す」こと。
     それがベアトリーチェの勝利条件だとしたら、ベアトリーチェは最初からロジックエラーに陥っています。
     伏せた空のカップの中から、タネも仕掛けも使わずに飴玉を取り出してみろと言われているようなものです。

     だから、Ep1から4まで描かれてきたベアトリーチェのゲームは、それ自体が、
    「ベアトリーチェがロジックエラーから抜け出そうとしてもがく過程であった」
     のではないか、と推理するのです。

    「絶対に思い出さない戦人から、何かを思い出させてみろ」という矛盾した条件。
     それは、
    「出られない部屋から、それでも出てみろ」
     というのと同じではないか。

     その八方ふさがりの心理が、Ep6のあの「閉じこめられた人物」に、こめられているという推理です。

     なので具体的には、あの人物の内訳は「戦人、朱志香、ベアトリーチェ」ということになるでしょうか。
     ちなみにわたしは、ベアトリーチェの創造主は朱志香だと考えていますので、実質でいうと2人かもしれません。

    「奇跡が起こって、戦人は何かを思い出したのか」ということについては、思い出したのではなく、
    「ちりばめられたさまざまなヒントから、何が起こったのか(何を思い出すべきだったのか)を推測し、確信した」
     のである、という理解のしかたです。


    >  【M:世界の構造について】
    > M−1:EP1〜6の1986年10月4〜5日に、実際に殺人事件は(描写とは違ったとしても)起こったと思いますか?(藤井ねいの)
    >  ※5日24時の「事故」以外に、故意であっても事故であってもいいので「誰かが誰かを殺した」という状況が創作ではなくあったかどうかをお聞きします。
    >  ※「六軒島で爆発(?)事故が起こった」という1つの世界に対して、ボトルメール作家達がEP6などを創作しただけ、という場合は「@全部なし」か「B全部あり」で回答願います。
    >  @全部のEPで殺人事件はない(ほぼすべて狂言)
    >  A一部のEPでは殺人事件があった
    >  B全部のEPで殺人事件があった
    >  Cその他(記述)

    「3・全部のEPで殺人事件があった」を回答として提出します。

     すべてのエピソードは、パラレルワールドとして並列的に存在し、すべての事件が等価に発生しているという考え方です。

     猫箱の中は、無限の可能性がある。箱を開けた結果との整合があれば、どんな過程があってもいい。
     ということは、六軒島という猫箱の中で、事件が起こらなかった可能性もある。猫は生きてても死んでてもいいし、事件は起こっても起こらなくてもいい。
    「殺人事件が起こらなかった。ただ爆発だけがあった」
     という可能性は、猫箱の中に存在する。だから、「殺人事件があった」という主張をうたがうことができる……
     この設問は、そういう趣旨だと勝手に受け取って、そのラインで答えます。

     注意したいのは、箱の中の猫は自分自身を観測できるので、猫にとってはべつだん可能性は無限などではないのです。
     箱の中にガスが充満したら、猫はそれを知覚しますし、猫は死ぬので、猫にとってはその事実が確定するのです。

     観測できなければ、何が起こったか起こらなかったかはわからない。ということは、「観測できたことは、起こったこと」だと、まず言って良いと思うのです。

     そしてわたしたちは、「全部のエピソードで、殺人が起こった」ことを「観測」しています。
     われわれは箱の中を観測できる存在なのであって、われわれが観測したことは、すべてわれわれにとっては起こったことである。
     これでいいと思います。

     あの、なんというか、虚無的に聞こえるかもしれないけれども、
    「現実」というのは、
    「わたしは、これを現実と認識するが」
     という意味だと思うのです。常に。

     この物語はつきつめると、「現実って、いったい、何なのよ」というところにまで行くと思います。
     わたしたちの生きているこの現実だって、
    「映画マトリックスみたいに、みんな揃ってまぼろしを見せられている」
     のかもしれないですし、そうでないことを誰ひとり証明できないと思います。
     わたしたちのこの現実が、ほんとうに現実なのかどうかは、わたしたち自身には証明できません。
     けれど、わたしはこの現実がたしかに現実であると「思って」いますし、「信じて」います。つまり現実の定義とは、「われわれが現実だと信じるもの」ということになると思います。

     で、わたしたちの多くにとって、大切なのは、このいくつも並列する殺人事件を目の当たりにして、興味を持ったり、楽しんだり、怒りを感じたり、恐怖を感じたり、いろんなことを考えたりしたこと、つまり、「見た過程で生じた心の動き」ではないのかな、と思うのです。
     それが大事であるのなら、その心の動きのもととなる「描かれたこと」は、「あったことだ」と認識すればいいんじゃないかな。

     ちょっとごちゃごちゃしてきちゃったけれど、
    「殺人事件は、あったかなかったか」
     という疑問は、
    「“わたしたちにとって”殺人事件は、あったかなかったか」
     という補助線を引いて考えるべき。という主張だと思って下さい。あとは「わたしたちにとって、何が大切か」という個々の問題だと思います。世の中には、相対性理論が間違っているという考えを大切に思う人がいますし、宇宙人が極秘裏に地球に来訪しているというアイデアを大切に思う人もいます。わたしにとっては両方とも「それはない」といえるもので、つまりそれらはわたしの現実ではぜんぜんないけれど、その人たちにとってはきっとたしかな現実です。

     もっと引いたいいかたをすれば、『うみねこ』はそれ自体がフィクションなわけです。つまり、竜騎士07さんという人が、
    「六軒島っていう島があることにしようよ」
    「そこには右代宮家っていう大富豪がいることにしようよ」
    「戦人、ラムダデルタ、ベアトリーチェという人物がいることにしようよ」
     と「提案」して、わたしたちがその提案に「合意」した結果、このうみねこ世界はまるで存在するかのようにふるまいだしているわけです。
     本当はないんだけれども、まるで実在するかのように「この殺人事件はほんとうにあったことなのか」なんて疑問を立ててみんなが考えている。
     この設問においては、「『うみねこ』それ自体がフィクションである」という現実は、背後にしりぞいてほとんど忘れ去られている。
     考えてみれば、奇妙なことですよ。
     でも、その奇妙なことがまかり通っているのだから、
    「存在しないかもしれない殺人事件だけれど、存在するってことにしようよ」
     という提案に、「合意」してあげたらいいんじゃない? そのほうが楽しいし気分が豊かではないですか、というようなことだと思って欲しいです。
    『うみねこ』は、竜騎士07さんとわたしたちの黄金郷のなかで生まれたさくたろうのような存在で、偽書メッセージボトルは、八城十八と彼女の読者のあいだに発生した黄金郷の産物で。あとは、「わたしたちは、どの黄金郷に属したいのか」で良いと思います。

     ちょっと余談。
    「見たことをそのままあったことだとするのなら、ベアト対ワルギリアの魔法大戦とか、生きているかのように描かれた金蔵も“あったこと”とするのか」
     という疑問が生じると思うんだけれど、Yes。基本的に、それで良い。

     では、魔法を認めて屈服するのか、といえば、No。

    「金蔵はあのときすでに死んでいた」という事実が、われわれに「認識された=観測された」瞬間に、過去までさかのぼって、そういう事実が上書きされたのだと認識すれば良い。

     かなり極論に聞こえるだろうけれど、
    「生きている金蔵が描かれ、われわれが金蔵の生存を信じていたとき、金蔵は本当に生きていた」
     で良いのです。

    「ゲーム開始時、金蔵はすでに死亡している」
     という信頼できる事実が判明し、われわれがそれを受け入れた瞬間、

    「あのときから、金蔵はすでに死んでいたんだ!」

     というふうに、時間をさかのぼって、現実が「訂正」された。そう考えればよいと思うのです。
     いま、わたしたちは基本的に、「金蔵はすでに死亡している」という観測にもとづく世界を見ています。だからいまのわたしたちにとっては、金蔵の死が現実です。
     ですが、
    「やっぱり金蔵は生きていました」
     という情報が、再度、上書きされる可能性もゼロではないのです。
     この場合、いまわたしたちの中では確実に死んでいる金蔵が、時間をさかのぼって、あのときからやっぱり生きていたんだ、と情報訂正される(現実が訂正される)ことになります。

     そういえばEp6では、「時間をさかのぼって、ゲーム条件を書き換える」というアクションがフィーチャーされていましたね。

     八城十八(大好きだ)は、
    「天動説が否定された瞬間に、太陽は動きを止めたのか?」
     という反語的な疑問を呈していましたが、わたしはこれを読んだ瞬間、「そうですよ」と心の中で言いました。
     天動説が信じられていたころ、地球は象が支える巨大なお皿であり、太陽は地球の周りを回っていたのです。
     天動説が否定され、それが広く認知された瞬間、時間をさかのぼって、「人類発生前のはるか昔から、実は地球が太陽のまわりをまわっていたのだ」という新たな現実が世界を書き換えたのです。
     その瞬間、現実はガチャッと音を立てて変更された。
     いや、実際にはそうでないのだけれど、「そうであっても良い」のです。

    (「天動説が否定された瞬間に…」という設問と、「遡り手」のフィーチャーは、無関係ではあり得ないですよね)

     で、この「時間をさかのぼっての現実の書き換え」が、いわゆる竜騎士07さん用語としての「後期クイーン問題」とまったく同一の考え方であるという点は、当然注目してよいことだと思います。


     さらにちなみに。さらなる余談。

    「現実の定義とは、“われわれが現実だと信じるもの”」
     という考え方をしました。

     それとまったく同じ理屈で、『うみねこ』における真相の定義とは、
    「われわれが(わたしが)真相だと信じるもの」
     だと思うのですが、そのへんは積極的に賛同表明してくれる人があまりいません。
     まあ、それももっともな話で、やっぱり素直な欲望として「自分が命中させたい」ですからね。やっぱり自分だけが当たりくじを引きたいわけで、全部のくじに当たりと書きこんで良いのだったら興ざめだという気持ちは、わかるのでした。

     要するにオーソライズの問題。でも、自分で自分をオーソライズすれば良いと思うのだけどね。
    「自分で自分をオーソライズする力があなたにはあるか?」
     ということを、『うみねこ』は問いかけている、とわたしは感じます。
     ベアトリーチェは、世界の誰一人として認めないけれど「それでも魔法はあり、自分は魔女である」という自分の個人的真実を、自分自身でオーソライズする力を持った人でありました。真里亞もそうです。


    > M−2:1986年の親族会議は、複数の世界(複数のカケラ)で行われていると思いますか?(白右鎖璃月)
    >  @複数のカケラが存在する
    >  AEP1と2の分、2つのカケラが存在する
    >  B1つのカケラしか存在せず、ボトルメールで複数パターンがあるように見せられているだけ
    >  Cその他(記述)

     ちょっと質問の意味がわからないです。いま、Ep6までが描かれて、そのすべてで親族会議が発生しているのですから、「6つの平行世界で、6通りの親族会議が行なわれた」でいいと思います。1か4にあたるのかな?


    > M−3:1998年の縁寿のいる世界(カケラ)は複数存在すると思いますか?(白右鎖璃月)
    >  @EP4と6など、複数ある
    >  AEP6→EP4は同じ世界であり、時系列的に繋がっている
    >  BEP4だけしかなく、EP6は「実際にはなかったこと」である
    >  Cその他(記述)

     ちょっと選択肢からうまく選べないな。どうしよう。

     とりあえず全部ことばで言います。

     まず、絵羽が生き残ったEp3の12年後という世界に、孤独でひねくれた右代宮縁寿という人がいて、事件を調べまわり、六軒島巡礼をはたし、何らかの事情で死亡した。
     これは現実として存在したとみて良いと思います。実体として、そういう縁寿がいるということ。

     で、ふたつのメタ世界が存在している、と考えることにします。

     わたしたちがふつう「メタ世界」とか呼んでいるのは、ベアトリーチェ(か、もしくはラムダデルタ)が主催しているメタ世界。
     それとは別に、「フェザリーヌが主催しているメタ世界」が存在しているという考え方をします。

    「死んだ人は、メタ世界に呼べる」というルールがあると考えます。
     死んだ人は、「自分は生きてて、ここにいる」という自己観測をしないので、猫箱の中にいるような存在です。つまり死んでいなくなった人は観測不能なので「生きているかもしれないし死んでいるかもしれないしどこにいるかもわからない」。ということは「生きててここにいるかもしれない」。
     その可能性をうまくつかまえて、「あんたは生きててここにいるわよ」と「観測」してやれば、縁寿は生きてて、このメタ世界にいる「ことにしてしまえる」。やったのはベルンカステルです。
     存在するはずのない悪魔たちが存在するかのように振る舞っているのとおんなじりくつだと思って下さい。

     そういうメカニズムを使い、実体として存在した(そして死亡した)Ep3アフターの縁寿を「連れてきた」のが、Ep4のメタ縁寿。そういう理解です。

     で、Ep6の縁寿。これも、フェザリーヌが同じ方法を使って、自分のメタ世界に、同じEp3の縁寿を「連れてきた」もの。という理解。
     すでに死んでしまったEp3縁寿を、「そなたはここにいるだろう、人の子よ」と「観測」することで、ここにいる「ことにしてしまった」のが、Ep6で描かれた縁寿だと考えます。
     八城十八の家で原稿を読む、というシーン。あれは下位世界ではなく、すでにメタ世界である、という理解です。

     縁寿には、Ep3アフターの世界できっちり死んでいただかないと、「ここには呼び出せなかった」ことになってしまうので、フェザリーヌは縁寿に、近いうちに死が待っていることを決して伝えない。そしてエピローグでは縁寿の死の運命がほのめかされる。

     ちょっとうまく説明できたか自信ないです。
     このへんの理屈について、もうちょっと教えろという方は、「カケラ世界」シリーズという一連の書込みを順繰りに読んでみて下さい。
     http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/127497cc6c3a6fbf199e00715195f5ef


    > M−4:TIPSのExecute後のヱリカの項目で書かれている六軒島爆発事故は、天災だと思いますか?人災だと思いますか?(らいた)
    >  @ 天災
    >  A 人災(事故)
    >  B 人災(仕組まれた)
    >  C 爆発事故は起きていない
    >  D その他

    「3・人災(仕組まれた)」を回答として提出。
     今のところ、爆発事故は全エピソードで発生していると見なしてよさそう。必ず起きるイベントは、「必ず起こすという人の意志」が介在している、というのが『ひぐらし』以降の基本的な世界観だと思います。
     そういえばEp6では、真里亞の薔薇消失が起こってないなあ。どうしたんだろう。Ep6にだけ発生していない何かの要因があったら、薔薇消失と関係している可能性があるけれども……。
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