![](/contents/069/784/373.mime4) | ■No41030に返信(藤井ねいのさんの記事)
皆集への回答です。
いくつかあらかじめ注釈しておきます。 紗音と嘉音について、たとえば「多重人格」といった解釈はしていません。ただし、嘉音は実体的な存在ではない、とは思っています。
多重人格のような解釈ではなくて、 「嘉音は、想像された幻想である」 という受け取り方です。
真里亞は、ぬいぐるみをモデルにして「さくたろう」というキャラクターを生み出しました。 それと同様に、紗音は、「嘉音」というキャラクターを生み出して、頭の中で動かしているのだ、という仮説です。
さくたろうは、ベアトリーチェに認めて貰うことで立体的な存在になっていました。 それと同様に、紗音は、 「私の頭の中には、“嘉音くん”という架空の男の子がいて……」 というような打ち明けごとを、朱志香に対してしたのだと考えます。 幻想上の人物は、複数の人間に共有されればされるほど立体化していくのだという仮説です。朱志香が“嘉音くん”役になって紗音としゃべったり、紗音が“嘉音くん”役になって朱志香としゃべったりする。そういうやりとりのなかで明確なキャラクター性が造形されていく、といった解釈です。
「嘉音は、紗音が創造し、朱志香が承認した、共有幻想である」 というのが、わたしの基本的な見方です。
駆け足で説明したので、わかりにくいと思います。詳しい推理はこちら↓ http://rena07.com/Cgi/umi_cbbs/umicbbs.cgi?mode=red2&namber=38348&no=0
もしくはこちら→ 「ep6初期推理1・紗音嘉音問題/八城十八と「ふたつの真実」」へどうぞ。
あらかじめ「詳しい推理」のほうを読んでおかないと意味が取れない可能性があります。 あと、長いよ。覚悟して下さい。
> 【第32回】皆さまの推理、集計させて下さい! > 【B:紗音と嘉音について】 > B−1:紗音=嘉音だとすると、なぜ登場人物達はどちらも存在するように振舞っているか?(Daedalus) > ※紗音と嘉音を完全に別人だと考える場合は、その旨を回答してください。
紗音と嘉音は、イコールでむすべる存在ではないと思っているけれど、この設問は「嘉音か紗音のどちらかに実体がないとしたら」という意味だと思うから、そういう意識で答えます。 わたしは、嘉音には物理的な実体がないと思っているので、だとしたら周囲の人々――特に右代宮家の人々はなぜ嘉音がいるように振る舞っているのか。そういう設問だと読み替えます。
基本的な考え方として、 「嘉音が右代宮一族と接触しているシーンは、すべて幻想描写である」 というスタンスをとります。
Ep4で、嘉音が手から光の剣を出して、鉄格子を切断し、地下牢獄を脱出するシーンがありました。その様子を蔵臼と霧江が目撃しています。 この場面を、 「嘉音が実際に光の剣を出して鉄格子を切った」 と見なしている人はほとんどいないでしょう。 すなわち、 「嘉音による鉄格子切断は、描かれはしたが、実際には存在しなかったシーンである」 と、多くの人が考えていることになります。
このことを、もう一歩進めても良いと思うのです。つまり、 「蔵臼や霧江が、嘉音を認識している場面は、描かれはしたが、実際には存在しなかったシーンである」 というふうに考えても、かまわないはずです。どちらにしても、「描かれたけど実際にはなかった」という処理が発生しているのですからね。 あとは、「虚」と「実」の境界線を、どこに引くかっていう程度問題にすぎなくなります。
よりわかりやすく言い換えれば、 「嘉音というキャラクターは、現実的な人物のように描かれているけれども、実際にはワルギリアやロノウェのような扱いのキャラクターである」 という感じになります。
Ep2の夏妃の部屋で、郷田は、「存在しないはずの」煉獄七姉妹の声を聞き、その手で撫で上げられています。 それと同じように、戦人や秀吉や右代宮家の人々は、「存在しない嘉音」の姿を見て、話をした。 この2つはまったく同じ現象だというとらえ方です。
要は、 「明らかに魔法っぽいシーンは幻想であり、現実っぽいシーンは現実である」と「思いたい我々の心理」を逆用した描写系トリック。 作中の全描写の中で、どれが幻想であり、どれが現実であるか。その区別に何の保証もないのです。にもかかわらず我々は、自分の中の勝手な常識にてらして、「非現実っぽく思う」ところだけを幻想と判断し、それ以外は「実際にあったこと」と考えたくなってしまう。 その心理が逆用され、ひっかけに使われているという理解のしかたです。
この説で、ちょっとひっかかりそうなのはヱリカの存在ですが、 「ヱリカも、嘉音の姿を見たことはない」 (嘉音を目撃したことがないまま、“嘉音という人がいる”という伝聞情報をうのみにしている) これで、いけてしまいそうです。
Ep5、Ep6の中で、下位ヱリカが嘉音と会話をする場面は、ひとつもないのです。 おなじ空間に同席している場面はあります。けれどもそれは、ヱリカがいる空間に、嘉音をそっと「描き足して」おくだけでよいのです。
下位ヱリカが嘉音の存在を認識するのは、Ep5、Ep6合わせて以下の一カ所だけです。
「さすがに、1部屋に12人もの人間では窒息します。そして、もっとも注意すべき人物だけを隔離したいという思惑もあります。使用人の頭である源次さん、一番体格のいい郷田さん。若輩とはいえ、嘉音さんも男性です。」
これはEp6で、2部屋に分かれてゲストハウスで籠城しよう、と相談しているシーン。 この唯一のシーンも、「ヱリカが嘉音に質問したり」「嘉音の疑問にヱリカが答えたり」といったことではないのです。 この描写では、 「嘉音を目撃したことがないまま、“嘉音という人がいる”という伝聞情報をうのみにしている」 という解釈が、問題なく通ってしまいます。
なお、現在わたしは暫定的に(この推理では)、 「右代宮家の人々は、“嘉音”という人物が存在するとは思っているが、誰も姿を見たことがない」 という解釈をとっています。 死んでしまったはずの金蔵が、誰も姿を見たことのないまま1年以上生きていることにされていたのと同じ現象ですね。
けれども、もっと幻想の侵食を進めて、 「右代宮家の人々は、そもそも“嘉音”という人物が存在するとも思って“いない”」 「嘉音という人物が島内に存在する、という認識すら幻想である」 (例えば、使用人名簿に嘉音なんて名前は載ってない) という考え方もできます。
これは、どっちかなというのは、まだハッキリとは決め込んでいません。後者を取るほうが整合感は増すかもしれないですね。
> B−2:紗音=嘉音とした場合、何人の人がそれを知っているのでしょうか?(美雨) > ※紗音と嘉音を完全に別人だと考える場合は、その旨を回答してください。
嘉音という人物が物理的に存在しないことを知っている。なおかつ、存在するかのようにお芝居をしている。そういう人々がいるとして、それは誰と誰か。 (という設問だと読み替えて答えます)
まず朱志香と紗音。この2人が嘉音というキャラクターを創造した張本人たちだと見ています。 そして源次、熊沢。この2人は朱志香による殺人計画の共犯者だと考えており、朱志香の命令に従う立場です(朱志香犯人説)。当然「嘉音という人物がいることを認め、そのように振る舞え」と命令されているはず、という理解です。 南條。この人も共犯で、彼には「存在しない嘉音の検死」をしてもらわなければなりません。 最後に真里亞。嘉音という人は、「“朱志香と紗音の黄金郷”でうまれた魔法存在」という理解です。朱志香犯人説(朱志香=ベアトリーチェ)の立場をとるとき、真里亞にとって朱志香は、さくたろうを認めてくれた恩人ですから、同様に「朱志香にとってのさくたろう」である嘉音を認めてあげているはず。
以上です。郷田は知らないだろうと思います。
> B−3:紗音と嘉音は、「生まれた時にすぐに死ねれば良かった」といっています。そして、紗音は「そしてそれが、お父さんの罪」といっています。この台詞に関して、以下の回答をお願いします。(村正) > B−3−1:何故、「お母さん」ではなく、「お父さん」なのでしょうか?(村正)
男性だからだと思います。
> B−3−2:「お父さん」は、誰だとおもいますか?(村正)
戦人かな、と思っております。 「お父さんの罪」という発言があります。これまでの物語で、罪が云々されたのは、 「戦人の罪」 だけだからです。つまり、「戦人の罪」と「お父さんの罪」は同一のものではないか、という仮説を立てます。 「お父さんの罪」発言は、「戦人の罪」を理解するための補助線ではないか、というラインでいろいろ考えてみることにします。
> B−3−3:「お父さん」は具体的に何をしたと思いますか?(村正)
「お父さんの罪」の内訳は、 「嘉音は、生まれた時にすぐ死ねればよかったのに、それができなかった(できなくした)」 ことである、と、素直に理解します。
嘉音は約3年前から右代宮家につとめている、という情報がありますから、嘉音の発生を約3年前と仮定します。
この(わたしの)推理では、嘉音という存在を最初に生み出したオリジネーターは、紗音です。彼女の「忘れっぽさを克服するためのメモ」が擬人化されたものが嘉音である、という仮説です。( no38348 ) 紗音がメモをとるようになった(もしくはメモが擬人化された)のが、ちょうど3年くらい前なのかな、と想像します。
さて、忘れっぽい紗音が、メモを取るようになって、つまりメモの擬人化である嘉音が、 「ここ、忘れてるよ、しっかりしてよ姉さん」 と心の中で助言するようになったとする。
それによって、紗音は仕事上の忘れ物をしなくなります。つまり「忘れっぽいという弱点を克服した」というわけで、やがてメモは必要なくなり、嘉音という幻想存在も必要なくなる日がやってくるはずです。 つまり、その日がやってきたら、嘉音は「死ねる」はずだった。
ところが、嘉音は死ねなかった……わけです。
真里亞がお人形遊びから卒業すれば、さくたろうも消えます(という説明がありましたね)。必要なくなれば存在しなくなる幻想存在。 ならば消えなかった嘉音には、別の必要性が与えられた、と考えられます。
その、「嘉音の新たな必要性(役割)」ってなんだろな、と考えたときに、やっぱりそれは朱志香がらみじゃないかな、という発想になってきます。
すなわち、本来なら消える(死ぬ)ことができたはずの嘉音だが、 「朱志香にとっての恋愛対象」 という新たな「お役目」が発生したので、死ぬことができなくなった。 と考えると、これは綺麗な説明になっているような気がするのです。
ということは、「お父さんの罪」とは、 「朱志香が、嘉音という恋愛対象を必要とするようになったこと」、その「原因を作った」ことではないか、という推測が立ちます。
「お父さん」が戦人だとすると、たとえば以下のようなことが考えられます。
「朱志香は戦人が好きだったが、何かの事情で、戦人のことをあきらめざるを得なくなった。そこで代償行為として、“代わりの恋愛対象”を必要とした」
この場合、「ベアトリーチェの“お母様”」が戦人をあきらめ、その代わりに自分の思いをベアトリーチェに託したのと、まったく同じ構図になることに注目します。 “お母様”は、 「私には、もう戦人を愛することが出来ない」から、「私の代わりに彼に恋をしなさい」と雛ベアトに言っています。
ベアトリーチェとは、“お母様”が創造した幻想存在である、と考えることにします。 そして、“お母様”の正体を「右代宮朱志香」だと仮定します。
すると、
1.“お母様”=朱志香は、何らかの理由により、戦人を愛し続けることができなくなった。 2.なので、自分の分身であるベアトリーチェに恋心を譲り、彼女に戦人を愛し続けさせることにした。 3.そして自分は、失った戦人の代わりに、嘉音を愛することにして、慰めを得た。
という、「幻想と実体の間に発生した、恋愛対象のスワップ(入れ替え)」として、現象が理解できるようになります。
戦人が「お父さん」と呼ばれるのは、この場合では、「お母様の恋した相手だから」という理解になります。
そうなると、「お父さんの罪」「戦人の罪」とは、 「朱志香が戦人を愛し続けられなくなった何らかの理由」 と、イコールで結べそうです。
これについては、現状、2つほど考えがあって、
1.戦人が六軒島に来なくなってから3〜4年が経ち、朱志香は「戦人がもう二度と島には来ない」ことを納得した。 (この場合、右代宮家を捨てたことが罪)
2.朱志香は、戦人が「金蔵と九羽鳥庵ベアトの実子」であることを知ってしまった。朱志香と戦人は「姪と叔父」の関係になるため、恋愛の進展はありえない。 (この場合、戦人の出生そのものが罪)
という感じで考えています。この2つは、どちらか一方を取らねばならないようなものではなくて、両方あってかまわないものです。
この推理に関するより詳しい解説はこちら↓ http://rena07.com/Cgi/umi_cbbs/umicbbs.cgi?mode=red2&namber=38408&no=0 もしくはこちら→ 「ep6初期推理2・姉ベアトの正体と雛ベアトの“お母様”」
> B−4:嘉音は、上記の会話の後、「だから、あいつも死ね。みんな死ね。」といい、紗音は、「みんな死ぬ。」といっています。この意味は?(村正)
直接的な答えを言えば、「六軒島爆発事故」がもうすぐ起きるので「みんな死ぬ」ということで良いと思います。
ただし、下位世界の紗音が「六軒島爆発事故」の発生をあらかじめ知っている、という考え方はしません。彼女は基本的に、何も知らないと思います。
根本的な解釈としては、「幻想描写内の発言である」で良いのですが、 この「みんな死ぬ」発言は、 「“メタ紗音”の発言である」 という表現のほうが、ひょっとして通りがいいかもしれません。
下位ヱリカが、メタ世界の知識をぽろっと発言するのと同じ現象、といった受け取り方です。下位存在の彼女はほんとはそんなこと知らないはずなんだけれど、上位世界の知識が意図的に上書きされている、というような扱いです。 Ep5〜6は、下位キャラクターと上位キャラクターを意図的に混同させるような表現がなされているよなあ、と思います。
> B−5:「決闘」は何を意味するのか?(Daedalus)
「嘉音」という幻想キャラクターの「持ち主」を、紗音と仮定します。 「ベアトリーチェ」という幻想キャラクターの「持ち主」を、朱志香と仮定します。
紗音は、譲治に恋しているのに、自分の分身である嘉音と朱志香との恋も同時進行させようとしています。 朱志香は、嘉音に恋しているのに、自分の分身であるベアトリーチェと戦人との恋も同時進行させようとしています。 自分の恋と、自分の分身の恋を同時進行させるということは、1個の恋心を2分割して、半々ずつで恋しようとしているということです。 霧江も好きだが明日夢も好き、だから両方取ろうとした留弗夫みたいなもので、それはあかんやんという話が作中でもありました。
だからどっちか片方にしなさい、片方の恋をあきらめて一個に集中しなさいっていうことだと理解しています。
もし、将来、真里亞にボーイフレンドができて、さくたろうにガールフレンドができたとしたら、きっとゼパルとフルフルが現れて、 「ダメだよそれは魂が1つにみたないから」 「決闘してどっちが成就するか決めよう」 と言いだし、真里亞とさくたろうはあの拳銃を持って決闘するんだろうと思います。
> B−6:紗音が島を出て行くと嘉音が島を出て行かなくてはいけないのは何故か?(Daedalus)
嘉音は、紗音が作り出した「幻想上の人物」であると考えるので、紗音がいなくなれば嘉音もいなくなる、という道理だと思います。
わたしは、朱志香も嘉音を「共有」していて、(ベアトリーチェがさくたろうとお話できるように)朱志香も嘉音を存在させたりお話したりできるとも考えています。 ゲーム上のルールとしては「朱志香も嘉音を名乗ることができる」ということで、その意味では「紗音が去っても、嘉音は島に残れる可能性がある」とも思うのですが、たぶん、「ひとりで遊ぶお人形遊びは、つまらない」のだと思う。朱志香が好きなのはたぶん、紗音の中にいる嘉音なんでしょうね。……という想像です。
> B−7:嘉音と紗音は、「同時に撃ち合って二人とも死んでも、必ず僕らの恋は成就される」という主旨の台詞を言っています。これは何故でしょう?(村正)
嘉音は決闘に負けたけれど、黄金郷にて、きちんと朱志香とむすばれました。そういうハッピーな結末がEp6のおしまいに描かれました。そのことを予見していたのでは? (さすがに長くなりすぎたので詳細は割愛。「駒の動きその1・南條(大爆発説)」からこのシリーズを順繰りに読んでいただけると「チェックメイト・金蔵翁の黄金郷」という記事にたどり着きます。そこにだいたい書いてあります)
> B−8:嘉音と紗音の決闘の決着時、雛ベアトは、試練に脱落し、戦人を愛する資格を失ったため存在目的がなくなり消滅(?)しました。なぜ、愛する資格を失うのでしょうか?(村正)
B−5にて回答しました。 けどこの推理だと、朱志香が嘉音をあきらめたぶん、ベアトリーチェが「ひとつの魂」を得て戦人とむすばれてもかまわないよね。実はそのへん、きれいに説明がついていません。 でも説明つかなくてもべつにいいやって思っています。何か、メタ世界の人物特有のルールか何かでもあるのでしょう。そのようにして、現状で説明がつかない部分は「未知の理由X」を代入してしばらくほっぽっておく、というのがわたしのよくやる手法です。
> B−9:他の音の名を持つ使用人達も、紗音と嘉音の「決闘」を知ったら参加したがると思いますか?(ケイト=リン)
思いません。でもこの方向の発想は面白そう。
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