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No43764 の記事


■43764 / )  【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる
□投稿者/ Townmemory -(2010/03/26(Fri) 12:45:12)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/
     前回の記事、「【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか」の続きです。前回→ no43664


     前回の記事で、
    「Ep1、3、4では、金蔵は“ゲーム開始直前”に、何者かに“殺害されている”」
     という主張をしました。

    「Ep1、3、4」と言っていますが、これはまとめて「Ep1〜4」ということでかまわないと思います。
    「Ep1〜4」は、ベアトリーチェがゲームマスターをしていたゲームです。
     つまり、
    「ベアトリーチェがマスターを務めるゲームでは、金蔵は“ゲーム開始直前”に、何者かに“殺害されている”
     ということを、わたしは考えています。

     ベアトリーチェがゲームマスターをしていたEp1〜4では、金蔵はボイラー室から発見される。いっぽう、別人がマスターを務めたEp5〜6では、金蔵は一年以上前に自然死したとされ、死体は決して発見されないのです。
     すなわち、
    「金蔵の死亡状況の違いは、ゲームマスターの“選択”によるものだ」
     という仮説を立てます。

     この仮説について考えます。


    ●「できない」と「できるけどやらない」の違い

     Ep5で、戦人とワルギリアの間に、こんな会話がありました。

    「あの魔女どもに、ベアトのゲームは理解できるのか。」
    「…同じゲーム盤を使う以上、この子に出来ないことは出来ません。……しかし、この子がやらないことはやれます。」

     ワルギリアは、このゲーム盤には「ベアトリーチェにも出来ないこと」と「ベアトリーチェはやろうと思えばできるがあえてやらなかったこと」がある、と言うのです。

     わたしの考えでは、
    「金蔵がだいぶ前に自然死しちゃった世界を使ってゲームをすることも(ルール上)できるけれど、ベアトリーチェはそういう世界をあえて選ばなかった」
    「ラムダデルタは、ベアトリーチェのそういう意図をガン無視して、金蔵の死亡条件がぜんぜん異なる世界を使ってEp5のゲームを始めた」

     という感じなのです。

     金蔵の死亡状態というのは、ゲーム開始前に判定されている設定状況です。

     ですから、大まかにいって、2択なわけですね。
    「ベアトリーチェにも、金蔵の死亡状況をゲームごとに変更することはできない
     のか、
    「ベアトリーチェには、金蔵の死亡状況をゲームごとに変更することができたが、あえてやらなかった
     のか。
     どっちかなのです。

     上記の表現は、メタ世界から見たときの言い方です。
     これを、下位世界を主体としたときには、こういう表現になります。

    「1986年10月4日より前の状況は、固定されており、完全に同一である」
     のか、
    「1986年10月4日より前の状況は、各エピソードごとに異なっている可能性があり、可変である」
     のか。

     つまり、前の書込みで問題設定した、
    「ゲーム盤外(ゲーム開始前)の世界は、不変であるのか可変であるのか」
     という議題。
     これと、
    「ベアトリーチェにもできないのか、彼女はできるけどやらなかったのか」問題
     は、綺麗に一致する。そう見ることができそうなのです。

     言い換えれば、「ゲーム盤外の可変性(不変性)」は、「ベアトリーチェの持っている権限・またはベアトリーチェの意志」を問うことで、解析できる可能性がある。


    ●霧江の知識に差がある

     ゲーム開始以前の状況が、各エピソードごとに違っている(可変である)ことを証明するのにいちばんいいのは、
    「足の指が6本ある白骨死体」
     が見つかることです。
     金蔵の死亡はゲーム開始前ですし、白骨化している死体とそうでない死体があれば、「金蔵の死に様」に少なくとも2種類が存在することになるわけです。

     でも、そういう都合のいい死体は発見されていませんので、他の根拠でもって「ゲーム前の世界の可変性」を説明してみたいと思います。

    「…………何の話…?」
    「……まぁ、仕事上のトラブルさ。大したことじゃない。カネでケリのつく話さ…。」
     霧江は、留弗夫の浮かべる微妙な表情の意味をすぐに察する。
     ……夫は、自分の知らないところで大きなトラブルに巻き込まれ、ひとり苦悩していたのだ。
    (Episode1)

    「……俺たちは、それぞれの都合で早急にまとまったカネがいる。…俺たち最大のウィークポイントってわけだ。
    なら、……狙いは何だ。霧江、…読めるか?」
    「……………………………。……初耳なんだけれど、私たちには、急ぎ、まとまったお金が必要だという前提があるのね?」
    (略)
    「………なぁに、留弗夫。霧江さんには話してなかったの?」
    「…すまん。隠してたわけじゃないんだ。……実は、ちょいとした…、」
    「いいわ。あなたが私に話す必要がないと判断した話なんだから、それをこの場では追及しない。
    (Episode2)

     霧江は、Ep1と2では、留弗夫がお金に困っていることを知りません。10月4日になって親族会議が始まり、その席で初めて知るのです。

     ところが。

    「他に金策があるなら、お兄さんを脅迫なんてしたくないものだわ。」
    (略)
    「蔵臼さんが大きな損失を出していると言っても、私たちの急場を凌ぐためのお金くらいは充分用意できるはず。もちろん、蔵臼さんのこれまでの信用を換金してお金を作ってもらうことになるけれど。」
    (Episode5)

     Ep5のこのシーンは、明確にゲーム開始前です。夜、どこかのビルの屋上で、霧江は留弗夫に「蔵臼を脅迫してお金をひっぱれば?」とそそのかすのです。Ep5ではゲーム開始以前に、留弗夫の金欠について知っている。

     すなわち。
    「ゲーム開始以前に、留弗夫が霧江にお金の相談をした」エピソードと、
    「ゲームが始まるまで、留弗夫はお金のことを黙っていた」エピソード。
     その2つが存在するといえそうなのです。

    「ゲーム盤外同一説」で、このシーンを説明するためには、
    「Ep1と2の霧江は、留弗夫が金に困っていることを知っていたけれど、知らないふりをしてとぼけた」
     という解釈が必要になります。
     でも、霧江がそんなことをする必然性って、どうなんでしょう。「霧江は金策のことについて、完全に部外者だ」という印象を周囲に与えて、何か彼女にメリットがあるのかなあ……という疑問が生じてしまいます。


    ●デルゼニーランドはいつ開園したのか

     次に。
     以下に挙げる場面は、わたしが自力で発見したことではなくて、「豚骨ショウガ」さんがかなり前に指摘していらして、素晴らしいなと思った部分。
     http://rena07.com/Cgi/umi_cbbs/umicbbs.cgi?mode=red2&namber=31355&no=0

     数年前に開業したデルゼニーランドには行ったかね? 素晴らしい遊園地じゃないか!
    (Episode1・蔵臼の台詞)

     真里亞は自室で、さくたろうたちとはしゃいでいる。
     次の日曜日に、出来たばかりの遊園地、デルゼニーランドに連れて行ってもらえることになっているからだ……。
    (Episode5)

     Ep5のほうは、「金蔵の死亡隠蔽をだしにして、3人で蔵臼から金をひっぱろうぜ」という相談電話を受けたときの楼座のシーンです。つまりこのシーンはゲーム開始直前と推定されます。少なくとも、「前回の親族会議より後」でなければなりません。でなければ「金蔵の死」を留弗夫たちが疑うことができないからです。

     つまり、ここに挙げた2つのシーンは、同時期に起こったことのはずです。
     にもかかわらず、いっぽうは「デルゼニーランドは数年前に開業した」といい、他方は「出来たばかりの遊園地である」というのです。

     数年前に開業したものを「出来たばかり」というのは、まあ言った人の感覚にもよるわけですが、ちょっと違和感です。特に楼座のような「流行」に敏感であるべき人がそういう言い方をするのは。

     豚骨ショウガさんはこの違和感を「楼座のシーンは、実は“数年前”に発生したことではないか」と仮定することで解消するのですが、わたしは別の解き方をします。

    「デルゼニーランドが数年前に開業した世界」と「デルゼニーランドが最近できたばかりの世界」の2種類がある。

     こっちのほうが、「解釈のアクロバット」を必要としないので、楽じゃないでしょうか。


    ●どうして切り札を切らない?

    「霧江が金のことを知っている/知らない」「デルゼニーランドの開業が数年前/最近」という、2つの例を挙げました。

     これらの例、2つとも「Ep5」の描写がからんでいます。

     Ep5になってから、急に「エピソード間の設定のずれ」が、いくつも出てくるのですね。
     しかもそのずれは、両方とも、
    「金蔵がもう死んでいて、それが隠されてるんじゃないか」
     という文脈上に出てくる

     そのことに注目したいのです。

     デルゼニーランドが最近できた、という話は、「親父の死をネタに兄貴をゆすろうぜ」という展開上に出てくるのですし、霧江が金策の解決法を思いつくのもその流れなのです。
     言い換えれば。「金蔵はいったいいつ死んだのか」という問題のライン上に、「エピソードごとに設定が違うよ」という描写が、きれいに一本線に配置されているのです。


     この、Ep5における、
    「絵羽夫妻、留弗夫夫妻、楼座が、金蔵の生存を疑い始める」
     というゲーム開始前の一連のシークエンスは、実はかなり重要なのではないか。


     そこでもう一度見直してみます。

    ■秀吉・絵羽夫妻の「気づき」
    ・去年の親族会議で金蔵の姿を一度も見ていない。
    ・ひょっとして金蔵はもう死んでいて、蔵臼がそれを隠しているのでは?
    ・しかし蔵臼は大富豪だ、そんな危険を冒して遺産を独り占めする必要があるのだろうか?


    ■留弗夫・霧江夫妻の「気づき」
    ・蔵臼の事業は大失敗し、金に困っているらしい。
    ・「金に困っている投資家」これをタネに蔵臼から金を引き出せないか。
    ・蔵臼の経済状況を洗ってみよう。



     秀吉が気づくのは「金蔵はもう死んでいるのでは?」だけ。留弗夫が気づくのは「蔵臼は事業に失敗しているのでは?」だけなのです。
     この2夫婦が気づいたことを重ねあわせたとき、
    「蔵臼は金に困っており、金蔵の死を隠すことでその財産を自由に使っている」
     という真相が、初めて浮かび上がるしくみになっています。

     この「切り札」を使って、3家族は、蔵臼を脅迫しようと考えます。


     さて。
    「ゲーム盤外同一説」、つまり、「ゲーム開始前の状況は、全ゲームで同じはずだ」という立場をとるのなら、この一連のシーンはEp1〜4やEp6でも発生していなければなりません。発生したとしますね。

     これまでの全エピソード中、親族会議で「金蔵はもう死んでいるのではないか」という論点が発生したのは、Ep4とEp5だけです。
     ほかのエピソードではどうしちゃったんだろう、という疑問が当然発生します。

    「金蔵の死が隠蔽されている」
     という仮説は、蔵臼を死体遺棄罪の重罪に問うことができる超・強力カードです。これを「あえて切らない」理由をつけなければならなくなる。
    「金蔵の死の隠蔽」を論点にしたEp4では、「7.5億の手付け金については拒否する」という蔵臼の返し手(Ep1)が発生しないのです。そのくらい強い、はず、です。

     何しろ金蔵の死亡が明らかになれば、即座に遺産分配を行なうことができ、蔵臼を即座に破綻させることができるのですからね。

     Ep1は、「謎の女ベアトリーチェの登場(Ep2)」といった変なイベントが発生せず、親族会議がフルサイズで行なわれたエピソードです。Ep1で「金蔵の死が隠蔽されている」というカードを留弗夫たちが持っていたら、Ep5でそうだったように「金蔵の不在を暴いて蔵臼を失脚させよう」というプランが優先的に発動したほうが自然なのです。

     Ep3も興味深い展開です。
     おもしろいのは、Ep3では、「碑文を解いてみなさい」という「魔女の手紙T」を、
    「これって金蔵が出題してきた後継者指名テストだ!」
     と、親世代全員が決め打ちしてしまうという、よく考えると凄い展開です。

     魔女の手紙を「金蔵からのテストだ!」と真に受けるためには、彼らが「金蔵は生きている」と思っていなければいけない。のではないでしょうか。
     というのも、Ep3の彼らが「金蔵の生存」を疑っていたら、当主の封蝋がついた手紙が現れた場合、
    「すでに死んでいる金蔵を、生きていると思わせるためのアリバイ作りでは?」
     ということを疑うべきだと思うのです。でも、その様子はない。

     Ep3の絵羽は、「私が碑文を解いて後継者になってやるわ!」と鼻息荒くしています。

     でもEp3では、親族会議の大人たちは、「ベアトリーチェなる怪人物が碑文のなぞなぞを解けた解けないで当主問題をうんぬんしてきても、我々はいっさいとりあわない」という合意を形成するのです。
     碑文どうこうで当主問題を扱わないという合意がある。
     にも関わらず絵羽は、「私が碑文を解いて、当主になってやるわ」と内心で決意するのです(ボイラー室で焼死体が発見されるより前に)。
     これを成り立たせるためには、その合意が問答無用で破棄されるような権威が必要なのです。つまり絵羽は、
    「お父様、私は碑文を解きました。当主として認めて下さい」
     と、金蔵に訴えるほかはなさそうなのです。

     ということは、Ep3では、金蔵の生存を絵羽が疑っていてはいけない……。
     でも、「ゲーム盤外同一説」に従えば、金蔵の不在を疑い始めるのは絵羽夫妻なのです。
     自分で疑っているはずなのに、Ep3では急にその考えを捨てたでしょうか?

     それよりは、「Ep3では絵羽は金蔵の生存を疑っていない」という理解のほうがシンプルだと思うのです。

     ということは、「絵羽が疑っているエピソード」と「疑っていないエピソード」がある……。すなわち、「ゲーム盤の外、ゲーム開始以前の状況は、各エピソードで異なっていても良い」という理解がみちびかれてくるのです。


     ざっとこのくらい、状況証拠らしきものがあります。
     これでなお、「ゲーム開始より前の状況は、全エピソードで共通のはずだ」と主張するためには、

     霧江は夫が金に困っていることをなぜかとぼけ、絵羽や留弗夫が「金蔵はもう死んでいるかもしれない」と気づいたのはデルゼニーランドが開園した数年前であり、そのことを数年間、どうしてかわからないが全く問題にせず放置していて、Ep1〜3では「蔵臼は金蔵の死を隠してるだろう」という強いカードをなぜか切らず、Ep3では金蔵がもう死んでいるかもしれないと疑っているにも関わらずなぜか「魔女の手紙は金蔵からのテストだ」と思いこむ。
     そしてデメリットしかないにも関わらず蔵臼はなぜか金蔵の死体を保存したわけです。

     といったような、複雑な条件を設定することになります。
     でも、これはこれで、わりとアリだと思います。特にこの物語は「幻想描写」まじりなのですから、いくつかを実在しないシーンにしてしまうなどで、全然通る話にできます。

     けれども、シンプルに考えて、
    「霧江が金策のことを知っているエピソードと知らないエピソードがある」
    「金蔵の生存が疑われているエピソードとそうでないエピソードがある」
    「金蔵が1年以上前に死んだエピソードと最近死んだエピソードがある」
     これでもさっくり通ります。

     わたしは、複雑な説明と簡単な説明があったら、簡単なほうを取るのが好きなので、後者を選んでいるわけです。


     この「知っている/知らない」「疑われている/疑われてない」「1年前に死んだ/最近死んだ」という差異を、「ゲームマスターが選んでいる」というような話まで持っていこうと思ったんだけれど、予定外に長くなってしまったので分けます。その話は次回にします。

    (続く)

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