| (上)(中)からの直接的な続きです。
「【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか」 → no43664 「【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる」 → no43764
●最初から複数の世界がある(分岐ではない)
「盤外同一説」つまり、「ゲーム開始前の設定はいつも同一」という考えの人は、おそらく「世界はひとつである」という世界観で解釈しているのだろうと想像します。
一本道のようなかたちの世界があり、10月4日にゲームが始まった瞬間、その時点から世界がいくつもの可能性(エピソード)に分岐し、ゲームが終了した瞬間、その分岐はまた1点に収縮して、また一本道世界に戻る……。そういった世界モデルを想定しているのではないかなと思います。 (創作説なんかもこのバリエーションのひとつとして理解できますね) (あ、ゲーム終了時の再収縮は必要ないのかもしれませんね。でないと、「どこかの世界で、縁寿のもとに戦人が帰ってくる」という展開が導けません)
一個の固定された「世界」というものがあり、ゲーム開始の瞬間に「Ep1」「Ep2」「Ep3」「Ep4」「Ep5」「Ep6」にパッと6分岐する……(もっと多くてもいいですね)。細かい差異はあれ、おおむね、そんな感じで解釈しているのじゃないかしら。
でもわたしは、ちょっとちがうモデルで世界を解釈しているんです。
わたしは、最初からいくつもの平行世界があるだろうと考えてます。 さいしょっから、「世界A」「世界B」「世界C」「世界D」「世界E」「世界F」が、並列的に、平行世界的に存在するように思います。Fまでじゃなくて、もっとあります。たぶん無限に存在するんでしょうね。
ベアトリーチェは、 「よし、次は、ここに浮いてる“世界B”を使って、新たなゲームを始めてやろう」 といってできあがったのが、例えば「Ep2」であったり、 「うむ、ならばその次は、あのへんから拾ってきた“世界C”をゲーム盤にするぞ」 といって、「Ep3」にしたりしている。 そういう感じでわたしはとらえているのです。
世界は無限なのですから、「戦人が6年前に家出をしない世界」とか「碑文が掲示されなかった世界」とか「金蔵が太平洋戦争で戦死した世界」とか「真里亞が魔女を信じていない世界」とか「紗音が右代宮家に就職しなかった世界」とかも当然あるのです。
でも、そういう世界は、 「ウム、これは使えん」 といって、ベアトリーチェは取り除いている。
ちょっと余談にずれますが、Ep5でベルンカステルは、「どうやって碑文を解いたの?」とラムダデルタに聞かれて、 「カケラをほんの数百個ほど漁った」 という答え方をしています。 これはどういうことかというと、 「碑文が掲示され、なおかつ六軒島連続殺人事件が発生していない世界」を、手当たり次第に全部開けて中身を覗いていったら、数百個めに、「誰かが碑文の謎の解明に成功した世界」を見つけることができた。その解き方を見てきた。 という意味であるだろう、とわたしは解釈しています。 「碑文解読の成功」は、数百分の一の確率でしか発生しない、超レアイベントである……という理解ですね。
閑話休題。
少しずつ異なっている世界が、無限のバリエーションで存在している、というのが、平行世界の基本的なモデルです。 (わたしは、厳密にはうみねこ世界はそれとちょっと違うと思っているのですが、それは置いておきます。詳しくはURLから「カケラ世界」というシリーズを読んでいって下さい→ http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/c/e446b6501eca3b498c171dd1d4d0c055)
ベアトリーチェはその中で、ゲームに使いたい世界と、使いたくない世界があるのだろう、と考えます。
ベアトリーチェが、ゲーム盤として「選びたい」世界の条件って、こんなじゃないでしょうか。たとえば…… ・「戦人が6年前に家出し、最近復帰している世界」で、 ・「譲治と紗音が愛しあうようになる世界」で、 ・「縁寿が病気になり、六軒島に来ない世界」で、 ・「古戸ヱリカが奇跡的に漂着したりはしない世界」で、
それであえて自説にひきつけて言えば、
・「金蔵が数年前に死んだりせず、ごく最近まで生きていた世界」 (ボイラーにつっこんで、焼死体を作ることができる世界)
逆に、「親族たちが金蔵の生存を疑っているか、いないか」は、ベアトリーチェにはどっちでも良いのでしょうね。Ep1〜3では疑っておらず、Ep4では疑っているわけなので、彼女はあまりそこを問題視していないと見ることができます。
●ラムダデルタの世界選び/戦人の世界選び
さて。 ベアトリーチェはEp4まででゲームマスターをやめてしまいました。 かわりにEp5のマスターになったのはラムダデルタでした。 ラムダデルタもきっと、ベアトと同様に「どの世界をゲームにしちゃおうかーしらー」という選択をしたんだろうな、と考えます。
ただ、ラムダデルタはああいうはっちゃけた人なので、「せっかくだからー、ベアトが作らないようなゲーム盤にしてみたいじゃないー?」と考えたかもしれません。
なので、ベアトがこだわっていた世界選択の条件を、いくつかさらっとシカトしちゃったかもしれない。 例えば、「金蔵が死んでることは、もう赤で出ちゃってるし、ボイラーで焼いて死斑を隠すとかってもう意味ないよねー」と考える。 なので、「金蔵がごく最近まで生きていたこと」というベアトの条件は、もうどうでも良い。そこで、「1年以上前に金蔵が自然死した世界」でもいいじゃん、って考える。この世界って、夏妃がちょー必死になってて、蔵臼との確執とかあったりしてー、ちょーおもしろーい、とか思ったりする。
そこにベルンカステルがやってきて、 「ちょっと、バカの戦人じゃラチがあかないわ。古戸ヱリカを私の駒にするから、彼女が漂着する世界にしなさい」 と命令する。 ラムダデルタは「えー」とかいいつつ、「でも面白そうだから、おっけー」する。
そんな感じでEp5ができあがったかもしれません。
Ep6は戦人がマスターを務めました。当然、彼も「世界の選択」をしたと考えます。 ということは、彼も「1年以上前に金蔵が自然死した世界」を選んだということになります。
戦人のゲーム盤のテーマは「誰も殺人を犯さない」です。 ところが、ベアト式に「金蔵がごく最近まで生きてた世界」を選ぶと、ゲーム開始直前に、誰かが金蔵を殺害しなければならない可能性が高いのです。 なぜなら、Ep3の赤に、「6人は即死であった!」というものがあります。この6人には金蔵が含まれます。そして即死の定義は「攻撃を受けて即座に行動不能になった」という意味だとされるのです。つまり代入すれば、 「金蔵は、攻撃を受けて即座に行動不能になった」 のであり、つまり金蔵は何者かに攻撃されたことで死亡しなければならないのです。
つまり、ベアト式の世界選択だと、この時点で「殺人者」が発生してしまう。それを回避するために、「金蔵が自然死した世界」を、彼は選ばざるをえなかった。
……とまあ、以上のような「平行世界のしくみ」を想定すると、「エピソードごとに、ゲーム前の設定が同じでない」ことも、それほど不思議ではない。 そういうお話でした。
●【カケラ紡ぎ】縁寿に幸いをもたらす方法
さて、以上のような平行世界解釈を、そのまま『ひぐらし』に当てはめてみたいのです。
『ひぐらし』も、このような繰り返しのゲーム盤であり、エピソードごとに、「今回はこの世界」「今度はあの世界」というように、平行世界の選び取りが行なわれていた、と考えるわけです。
いろいろと議論はあるでしょうが、仮に、 「『ひぐらし』のゲームマスターはラムダデルタであった」 ということにしましょう。
ラムダデルタも、ベアトリーチェ同様、 「私のゲームにふさわしいのは、これと、これと、この条件が揃った世界。それ以外は使わなーい」 といった、カケラの選択を行なっていたのだ、と考えます。
例えばラムダデルタが必要とする条件は、 ・雛見沢症候群が存在している。 ・入江研究所や鷹野三四が雛見沢に存在している。 ・ダム反対運動が激化し、ダム阻止に成功している。 といったことです。広大な平行世界には、これが存在しない世界だっていくらでもあるのですが、それだとラムダデルタのゲームは成立しませんから、彼女はそういう世界をあえて選ばないのです。
ところが。 例外的に、「雛見沢症候群なんてものはない」「入江研究所がない」「鷹野三四がいない」「ダムは建設される」というゲーム盤が存在します。
それは『ひぐらしのなく頃に礼』に収録された、「賽殺し編」というエピソード。 (わたし、このお話は過酷すぎて正視できません。今後一生、二度と読まないかもしれない)
ラムダデルタのゲームに必要なパーツが、まったく揃っていませんから、このゲームはラムダデルタがゲームマスターを務めたものではありません。たぶん。
じゃあ、誰がゲームマスターなのか。 お話を読めば、ラストあたりで透けて見えるのですが、それはたぶん羽入。 もしくは、羽入を駒として操っている背後の誰か、です。 (あえて、それはフェザリーヌだ、とはしないでおきたいのです)
羽入のゲームは、「誰にも罪がない世界」です。 圭一はモデルガン事件を起こしません。 魅音と詩音は入れ替わりを起こしません。 レナは暴力事件を起こしません。 沙都子と悟史は両親との確執を乗り越えます。
それはある意味において、とても理想的な世界でした。 オリジナルのゲームマスターが考えたデザイン意図を、ガン無視することにより、そういうゲームを導くこともできるのです。
*
ところで、『うみねこ』のEp6に戻ります。 「八城十八/フェザリーヌ」という人物が登場しました。
この人を食った人物は、縁寿との別れ際にこんなことをおっしゃいます。
「この短くない時間を割いてくれたお礼に。………いつかきっと、あなたの物語を書きましょう。」 (略) 「………では、そんなあなたが奇跡に思える物語を、やがて、いつか……。」 心のすさみきった、やさぐれた右代宮縁寿が、「奇跡だと思える」物語。 それは、 「家族が、六軒島から、無事に戻ってくる物語」 というのがきわめつけでしょう。それ以外には、ちょっと考えがたい。
「縁寿の物語を書きましょう。それは、縁寿が奇跡だと感じられるようなものにしましょう」 と、フェザリーヌは言っているわけです。
それって、 「いずれフェザリーヌはゲームマスターになって、縁寿のもとに家族が帰ってくる理想的なゲームを導いてあげるつもりだ」 という意味じゃないか? という気がするのです。
羽入(仮)が「賽殺し編」でそうしたように、オリジナルゲームマスターの意向をあえてガン無視してしまえば、かなり理想的な物語が、けっこう簡単に導けそうなのです。
たとえば以下のような、カケラの選び取りかたです。
1.縁寿は体調を崩さない。よって縁寿は事件の日、六軒島に「やって来る」世界 2.「金蔵が存命である」世界
1の条件は、何らかの理由で、ベアトリーチェが絶対に選ぼうとしなかった条件です。ラムダデルタも戦人もこれを選びませんでした。フェザリーヌはこれをあえて選択するかもしれない。 なぜなら、フェザリーヌは「あなたの物語を書きましょう」と言っているのだからです。当然、「あなた」が出演していなければ困ります。それに幸せというのは、天から降ってきて与えられるものではなく、自分の手でつかみとるべきものです。
2の条件により、「金蔵を殺した殺人者」を出さなくても済むようになります。また、蔵臼に死体遺棄の罪を背負わせずに済むことにもなります。
さて、六軒島に渡った6歳の右代宮縁寿に、この惨劇を止めていただきましょう。
惨劇を止めるてっとり早い方法が、最初から提示されています。それは碑文を解くことです。よって、彼女のやわらか頭で碑文を解いていただきます。
べつに彼女ひとりで解かなければならない、というものでもないのです。子供のやわらかい発想で、いくつか重要な指摘をして、それがきっかけで戦人たちが解読に成功する。そんなかたちで良いのです。 ただし、第1の晩が始まるより前に、解読を成功させなければなりません。
碑文が解読されると、犯人は殺人をやめます。第1の晩以前に解読すれば、殺人は最初から発生せず、全員島から生還できることが確定します。 そして、彼らは200億円相当の黄金を入手することができます。これにより、4家族の「金に困っている」問題はいっぺんに解決します。
Ep5で、「黄金が発見されたことによる分配のもめごと」が発生していましたが、これは「金蔵が存命である」ことによって回避します。金蔵が一喝して、 「黄金は見つけた者のものだ! あと次期当主の座も譲るッ!」 これでみんな黙るわけなのですが、これは縁寿のための物語なのですから、黄金の所有者となるのも、次期当主となるのも縁寿である、という展開を導きたいところです。
(ちなみにわたしは、黄金も当主の座も、すでに金蔵から朱志香に譲られている、という推理なんですが、碑文があいかわらず掲示されている以上、「朱志香の次の当主も碑文を解いた者がなる」という条件が発生しているだろう、という解釈です。Ep5でも、碑文を解いたら戦人に指輪が贈られましたしね。よって、縁寿が碑文を解いたら、黄金と当主の座は朱志香から縁寿に移る、という解釈をとります)
あとは、みんなで九羽鳥庵を探検して、そこで起こったことの真相を知ったり、金蔵から昔話をきいたりして、タネがあかされ、知的に満足する。めでたしめでたし……。
こんなお話って、ちょっとありそうな気がするんです。 こういう結末を導くために(自分がゲームマスターになるために)、もっと細かい真相を知っておかねばならない。そこでフェザリーヌはベルンカステルを呼びだし、「答え合わせ」をさせようとしている……。
そんなわけで、ボイラー室は八城十八の書斎につながっていました、というお話でありました。
(了)
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