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No52013 の記事


■52013 / )  【ネタバレ】Ep7をほどく(2)・まずEp7を紗音説で読む(上)
□投稿者/ Townmemory -(2010/09/11(Sat) 20:36:04)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/
     ☆Ep7ネタバレ警報☆
     以下、約30行のネタバレ改行後にそのまま載ります(伏せ字ではありません)。ご注意下さい。










     ネタバレ改行中












     ネタバレ改行中













         ☆

    「力わざを使って、Ep7を朱志香犯人説でむりやり読み解く」というシリーズの2ページめです。

     なのですが。

     Ep7というのは、ふつうに読んだら、「クレルの中身は紗音で、ヤスの中身は紗音だよね」というふうになるようにできています。
     前項で書いたように、わたしは、それも真相で良いと思っているのです。
     というか、これはこれで、魅力的な物語だよね。

     ですので、まず、そっちの説で読むということを、やってみたいと思います。
     つまり、Ep7でほのめかされた各エピソードを、「クレル=紗音」でふつうに解読してみよう、
     そのあとで、くるっとひっくりかえしてみよう。
     そういう魂胆です。

     じつのところ、紗音説をまとめておくと、その理論をそのまま朱志香説に流用できる場面が多いのです。
     なので、「そんなのわかりきってて退屈だよ」という向きもあるかもしれませんが、ちょっと我慢して、わたしのまとめにおつきあい下さい。

    (あまり目新しい知見はないと思います。すみません。しばらくの間、「皆さんが思ってることと同じことを言う」ターンです)


    ●理御登場

     Ep7には、理御というキャラクターがいます。

     19年前の赤ん坊が、崖から落ちずに、理想的に育ったらどうなったか。そういう可能性世界の姿です。
     そして、理御はクレルの別の世界の姿、クレルは理御の別の世界の姿だというほのめかしがされます。クレルは「犯人」の仮想アバターです。

     で。理御は紗音の名前を認識していない。紗音は理御という人に面識がない。そういう描写がなされます。

     つまり、素直に考えた場合、犯人像クレルの中身は紗音であり、
     理御という人物は、平行世界で紗音が別の運命をたどった姿である、

     つまり、同一人物が、パラレルワールドで別々のそだちかたをした姿。

    「別々の世界の同一人物」なのだから、理御の世界に紗音は存在しない。
     紗音の世界に理御は存在しない。

     だから彼女たちはお互いの存在を知らない……、

     たまたまEp7では、ベルンカステルが無茶をやって、いろんな世界を「つぎはぎ」しているので、この2人が同時にいるというおかしな状況が発生している。

     そんなふうに、普通に読めるわけです。

     ここで物語は、まず「理御=紗音=クレル」をほのめかします。このほのめかしを、この項では、ひとまず真に受けることにします。


    ●19年前の顛末

     紗音説で考えた場合、

     理御と紗音は「19年前の赤ん坊」らしいです。

     理御という人は、19年前の赤ん坊が、夏妃によって崖から落とされずにすみ、未来の当主として育てられた姿です。
     いっぽう、(この推理での)紗音という人は、我々の知るとおり、19年前に夏妃に崖から突き落とされた赤ん坊です。

     崖から落ちて一命をとりとめた赤ん坊。
     このまま赤ん坊を右代宮家に置くのは、いろいろさしつかえがある。源次は赤ん坊を福音の家に預けることにしました。赤ん坊の正体は金蔵と九羽鳥庵ベアトの実子です。
     そのうち呼び戻して、金蔵と親子の対面をさせようというのが、源次の魂胆だったようです。

     成長した赤ん坊は、9歳になったとき、使用人見習いとして右代宮家に雇用されます。このとき3歳ほどサバが読まれ、6歳であることにされます。
     これが10年前のことです。
     10年後に19歳になる理御と、16歳になる紗音を「同一人物」にするためのロジックが、この「3歳サバを読む」なわけですね。
     逆に言えば、「1986年に16歳の人物は、ベアトリーチェである可能性が高い」というほのめかしにもなっています。


    ●ヤスと紗音

     設定年齢6歳で、小学校に通いながら使用人として働くことになったその人物は、福音の家で「安田」という苗字だったので「ヤス」と呼ばれるようになりました。

     このヤスこそが、我々の知る紗音である、彼女のフルネームは安田紗代である、というのが、Ep7紗音説の基本的な構図だと思います。

     ところで。
     ヤスのそばには、「紗音」というお姉さんの使用人がいます。
     紗音お姉さんはヤスの福音時代からの姉貴分で、頭がよく、仕事においては有能で、周囲から尊敬され、ヤスに対して優しくしてくれて、それでいて甘やかしはしない。どこぞの完全瀟洒な従者みたいな人です。
     ヤスが紗音なら、この紗音姉さんは誰やねんという話になります。

     これは、
    「ヤスが夢想の中に作り上げた、架空のお姉さん」
     ということで、いいんじゃないかと思われますね。

     病弱で孤独で、ぐずで馬鹿にされて、周囲からいじめられているヤスは、自分自身の心を守るために、
    「自分をかばってくれる、頼もしくて有力な味方」
     を、切実に必要とした。だから、心の中に、そういう幻想のキャラクターをつくりあげた。
     こういう心のはたらきは、『うみねこ』には頻出するので、なじみやすいです。


    ●赤色の魔女

     ヤスの暮らしに、真っ赤な衣装を着た魔女ベアトリーチェが現われます。これは、我々が「ガァプ」として知っている人物の姿をしていました。

     ヤスには、ものを紛失する癖がありました。どうしてこんなにものをなくしてしまうんだろう。自分ではしっかりしているつもりなのに、すぐなくなってしまう。ちょっとこれはおかしすぎるんじゃないか。

     そういう現象を説明するために、
    「いたずらな魔女がいて、悪意でヤスのものを隠している」
     という論理が開発された。
     そういう感じになるかなと思います。

     要するに、どんなに気をつけてもチビ箒がなくなってしまう。それを単に自分の不注意のせいだと思いたくない心理が、「ものを隠す魔女」というキャラクターをつくりあげてしまった。
     たまたま、右代宮邸には魔女伝説がありましたから、「不思議なことは魔女」という論理は発生しやすかったでしょう。

     夜道を歩いていたら、なんだか不気味な感じがして、誰かがあとをつけてきているような気配がする。でもふりかえっても誰もいない……。
     そういう現象を説明するために、昔の日本人は、夜道をつけまわす習性を持つ「妖怪べとべとさん」という幻想キャラクターを創造したのです。それと同じですね。ちなみにうちにも、妖怪リモコン隠しが出ますが。


    ●魔法使いの誕生

     でも、いじわるな先輩が、本当にチビ箒を隠していた可能性もありますね。

     その場合、つまり、その先輩が「魔法を使ってチビ箒を消していた」のです。『うみねこ』では、普通では考えられない不思議な現象を「魔法」と呼びますからね。カギがかかってるのに中で人が殺されてる、とかそういう現象を。もしくは、カップのなかにいつのまにか飴玉が入っていたという現象を。
     だから、「注意深く持っていたはずのチビ箒が消えた、消えるはずないのに消えた」という不思議な現象を発生させたその先輩は、魔法を使った魔女なのです。本人はそんな自覚はぜーんぜんなかったでしょうけれど。

     魔法を使うのは魔女。
     だからその場合、「右代宮邸に魔女はほんとにいた」ということが言えてしまいます。物品紛失の魔女ベアトリーチェ。その正体は使用人の先輩の誰かでした。ヤスは魔女ベアトリーチェの正体を最後まで知ることのないまま、赤い服を着た「現象としての」幻想ベアトリーチェと関係を深めていきます。

     そういういたずらをしそうな「先輩」がたが、みんな卒業してしまったあと。

     ヤスは初めて自分で魔法を使います。
     ヤスは、鐘音(べるね)の鍵束から、音もなくマスターキーだけを抜き出して、鐘音のロッカーにいつのまにか放り込んでおくという、「不思議な現象」を発生させます。
     魔女がやったとしか思えないような現象。
     それは魔法で、それをやった人は魔女です。

     ヤスはこの体験で、「魔女って楽しい、魔女になりたい」、と思ったみたいです。

     ヤスの世界観には、大きく分けて、「使用人」「魔女」という、2つの存在がありました。彼女の世界は、そのふたつでできてるっぽいのです。
     もっと厳密には、主家の方々とかそういう存在もあるのですが、関係性がうすすぎて考慮外なのですね。

     世界には、大きくわけて「使用人」と「魔女」がいる。
     使用人は、魔女の妨害をかいくぐって、いかに仕事をこなすか、という人々。
     魔女は、使用人のスキをついて、いかに邪魔をするか、という人々。
     世界は、そういうゲーム。
     トムとジェリー。
     人狼と村人。

     ヤスはもちろん、使用人のプレイヤーでした。

     が、ひょんなことから「魔女」のプレイを体験して、それに開眼してしまうわけです。

     使用人側勢力でプレイするより、魔女側勢力でプレイしたほうがこのゲームは楽しい。
     使用人側のプレイヤーであることをやめよう。
     魔女側がやりたい。

     ヤスは、魔女側に「移籍」します。
     作中ではそれは「世界の変更」と表現されてます。幼い使用人のヤスは、「自分は幼い使用人である」という設定を廃止します。
     そして「自分は六軒島の魔女ベアトリーチェである」という設定を、自分に「上書き」します。後期クイーン。

    「自分は魔女ベアトリーチェであるぞ」という自己認識がヤスに発生します。
     それまでベアトリーチェだった赤い魔女から魔法を継承し、ベアトリーチェの名前を受け継ぎます。
     ベアトリーチェの称号は、師からうけつぐものである、という一連の描写がありますから、それに適っているわけです。
     赤い服のベアトリーチェの「実体」が、いじわるな先輩使用人の誰かであったのだとしたら、まさに、
    「魔女ベアトリーチェはかつてこの島に存在し、いま、ヤスがその称号を受け継いだのである」
     という命題が、気持ちいいくらいに成立します。

     実際におこなわれたことは、「実体と幻想のスワップ」だったのかなあ、という感じがします。

     これまでは、ヤスが実体で、紗音が幻想でした。たぶん。
     ヤスという実体のある子供がいて、その子は頭の中に、紗音という想像上のお友達をつくった。
     ヤスは「いつか紗音(のよう)になりたいなあ」と思っていて、それが活動方針でした。
     つまり、実体としては、最初から1人の人物しかいなかったわけです。
     ヤスと紗音の部屋には、最初から最後まで、ヤス1人しかいなかった。


     それが変更されます。

     ヤスが消えます。
     そして、紗音があの部屋に残ります。部屋にいる1名は、最初から紗音だったことになりました。
     これまでは、ヤスが実体で、紗音が架空でした。これからは、紗音が実体で、ヤスが存在しないことになったのですね。

     最初から、あの2人部屋には1人の人間だけがいました。その人物が、急に別人になったとか、そういうことではない。
    「その人物」を、これまではヤスと呼んでいたが、これからは紗音と呼ぶことにする。そういう決まり事ができたのだ、というくらいだと思います。

     ヤスは、紗音という想像上のキャラクターを持っており、「あんなふうになりたいな」と憧れていましたが、
     紗音は、魔女ベアトリーチェという想像上のキャラクターを持ち、「あんなことができたらいいな」と思っている……。

     この時点で。
    「六軒島に、使用人・紗音という女の子が実体として存在する」ということが宣言できます。
     そしてその、実体を持った紗音は、心の中に「魔女ベアトリーチェ」という架空のキャラクターを持っています。

     紗音は、ときおり魔女ベアトリーチェとして行動します。
     しのびよって、さまざまな魔法を使います。
     誰かの大事な鍵を隠したり。
     そういうことをしたくて、立場を移籍したのですからね。

     ここまで段取りをふんで、ようやく、
    「魔女ベアトリーチェの正体は、紗音である」
     という状況を発生させることができました。


    ●鍵をぬきとる魔法

     ちょっと条件が明確でないのですが、自分の鍵束からマスターキーをぬいておき、そのマスターキーを鐘音のロッカーにしのばせておき、鐘音が鍵束を放置して背を向けた瞬間、自分の鍵束と彼女の鍵束を入れ替える。

     ほとんどの人がこのトリックを想定していると思いますし、基本それでいいと思います。

     なぜ、マスターキーについて、これまでなかった「鍵束」という言い方がされるのだろう。キーリングに鍵はいくつついていたのだろう。マスターキーは園芸倉庫・当主の書斎・礼拝堂以外の全てを解錠できる見込みなのに、他の鍵がどうして必要なのか……。
     といった、ちょっと気になる点があるにはありますが(その鍵が「鐘音のロッカーの鍵」だったら成立しないよね)、とりあえずこれでいいことにします。


    「鍵束から、マスターキーだけが音もなく抜き取られる」
     という現象に対して、鐘音と明日音のリアクションに、非常な差がありました。

     鐘音はあっさりと、「こんなの魔法だわ!」とのみこんで、気持ちよく怯えてくれるのですが、明日音は「なんかトリックあんじゃん?」という立場をなかなか捨てません。

     つまり「魔法抵抗力」の個人差が表現されています。鐘音はきわめて魔法抵抗力がよわく、明日音はかなり強力な抵抗力をもっているわけです。
    「魔法抵抗力というファンタジックなパラメータが実在する」ということではなくて、うのみにしやすさ/しにくさに個人差があるのだ、ということを、「魔法抵抗力」ということばで表現している。そういう、ひとつの「真相解明」だと思います。

    (続く)
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