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No52562 の記事


■52562 / )  Ep7をほどく(6)・ベルンの動機、読者の動機
□投稿者/ Townmemory -(2010/09/23(Thu) 08:03:03)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/
    「力わざを使って、Ep7を朱志香犯人説でむりやり読み解く」というシリーズの6ページめです。

     主に、前回の補遺です。本論は次回からということになりそうです。


    ●ふたりの乗り物恐怖症

     われわれのよく知っている右代宮戦人くんは、乗り物恐怖症、落下恐怖症の気があって、川端船長のボートを異常に恐がるシーンが印象的です。

     この戦人が、前回の推理どおり、
    「九羽鳥庵ベアトから男の子が生まれた世界」で、「崖から落ちた」赤ん坊だとしたら。

     赤ちゃんのころに高いところから落ちて大ケガをした人物がいて、青年になった今でも、高いところや足場が不安定なところを苦手としている。

     そういう一種のトラウマ、心理作用という説明がつきます。
     医学的に、ほんとうにそんな事例があるのかどうかわかりませんが、つじつまはきれいに合います。


     ところで。
     同じ恐怖症を、明日夢がもっていたらしい気配があります。

    「戦人くんの乗り物嫌いはきっと遺伝だよ」と譲治が言っています。

     が、親の恐怖症が子に遺伝するなんて話は、これはどうも眉唾だ。
     じっさい霧江がEp6で暴露しています。「乗り物恐怖症は、留弗夫の気を引くための嘘だった」と。

     わたしがいいたいのは、これは、原因と結果が逆なんじゃないかということです。

     明日夢が乗り物恐怖症だから、戦人も乗り物恐怖症になった、「のではなく」
     戦人に乗り物恐怖症という症状があったから、明日夢も乗り物恐怖症「でなければならなかった」


     つまり、前回の推理に従えば、明日夢は、
    「戦人の母親役を務めるという役割のおかげで、愛する留弗夫と結婚できた女性」
     なのです。

     これは実のところ不安定な立場だ。

     何らかの理由で戦人がいなくなったら、明日夢は役割を失い、お役ご免なのです。
     例えば戦人が事故で死んだりしたら、それでもうおしまい。

     そうでなくても……。
     戦人本人に対して出生の秘密が明らかにされ、例えば本当に彼が次期当主の座をつかみとったとする。
     それで実質、留弗夫にとっての明日夢の存在意義はほぼ消滅するのです。あとはもう、留弗夫は大々的に浮気しほうだいだ。

     要するに、「戦人に円満な家庭を提供する」という目的のために、自分は必要とされているだけで、愛されて求められて留弗夫と結婚したわけではない。

     明日夢の心は、そんな事実に耐えられなかったんじゃないかな。

     そんな事実に耐えられなかった明日夢はどうしたか。
     自分の心に、幻想を上書きした。

     戦人が、ほんとうに自分が生んだ息子だという幻想を作り出し、自らそれを信じ込むことにした。
     戦人は、留弗夫がどこからか連れてきた謎の赤ん坊などではない。
     自分がおなかをいためて産んだ、留弗夫さんとの子だ。
     そう思いこもうとした。

     戦人には、高いところや動く乗り物を異常に恐がるという性質がある。
     戦人は自分が産んだのだから、自分にも同じ恐怖症がなければならない。
     同じ恐怖症が自分と戦人にあれば、それは遺伝ということになる。
     つまり、自分と戦人は血を分けた真の母子ということになる。

     だから自分を、乗り物嫌いという「ことにした」。


    ●ふたりの紗音

     これも前回の補遺。

     前回の推理で、
    「ヤスと戦人は、性別が違うだけの、別のカケラ世界の同一人物だ」
     という結論を導きました。

     九羽鳥庵ベアトから女の子が産まれた場合、福音の家に預けられてヤスとなる。一方、男の子が産まれた場合、留弗夫と明日夢に預けられて、われわれのよく知る右代宮戦人になるというのです。

     つまり、ヤスがいるEp7世界には、わたしたちにおなじみの右代宮戦人はいない。
     ヤスが将来の約束をした右代宮戦人は、わたしたちが知っている戦人ではない。
     理御が「歳の近い仲良しの従弟だ」といった戦人は、わたしたちが知っている戦人ではない。

     じゃあ誰なのか。

     これは、「本当に明日夢から産まれた右代宮戦人」と考えればよいと思うのです。

     明日夢と霧江は同時期に留弗夫の子を妊娠し、明日夢は無事出産、霧江は死産するという条件が初期Epから提示されていますしね。
     もちろん、無限のカケラ世界の中には、「明日夢が死産、霧江が出産する世界」や「両方無事に出産する世界」などもあるのです。
     が、Ep7のヤス世界では、留弗夫にエスコートされて明日夢が六軒島に来島しているわけですから、
    「明日夢が男の赤ちゃんを産んで、その子は戦人と名付けられた」
     という世界であろう、との推測は成り立ちそうです。

     つまり……。
     ヤスにとっては地獄の苦悩にみちた「Ep7カケラ世界」。
     だけれども、明日夢にとっては、この世界は、「望んでやまなかった、理想の世界」なのかもしれない。


     さてところで。

    「ヤス世界に、わたしたちの知る戦人はいない」、という話をしてきました。
     なぜならヤスと戦人は平行世界の同一人物だから、という理屈です。

     これは逆も言えるわけです。
    「わたしたちの見てきたEp1〜4世界(わたしたちの戦人がいる世界)には、ヤスはいない」
     なぜならヤスと戦人は平行世界の同一人物だからですね。

     つまり、わたしたちが問題にしたい「戦人カケラ世界」の紗音ちゃんは、ヤスじゃないのです。
     誰か別人が、紗音という名前をつけられて、六軒島のお屋敷で働いている。


     この推理では、「戦人カケラ世界」では、ヤスと紗音は別人なのです。

     ですから、この推理では、「安田紗代」という人物は存在しません。
    (Ep7だけを、そのまま真実として受け取った場合、ヤスと紗音をそのままイコールでむすんでしまって、「安田紗代」が発生してしまいますね?)

     ヤス(安田)の本名は、たとえば「安田花子」だったりして、
     紗音の本名は、たとえば「鈴木紗代」だったりするのです。

    (花子や鈴木は、いまわたしが適当につけました)


     紗音という名前は、お屋敷で命名されるものですから、さまざまな平行世界において、ぜんぜん別の人が「紗音」という名前を付けられてお屋敷で働いていても、おかしくありません。

     ですから、われわれのよく知っているほうの紗音ちゃん。仮称「鈴木紗代」さんは、誰でも良いのです。とくにビックリするような正体がなくても、ぜんぜん状況が成り立ちます。


     が。
     彼女が誰だろうと基本的に問題はないのですが、個人的趣味で、ちょっとドラマチックな合わせ方をしてみます。

     Ep1〜4の世界。通称「戦人カケラ世界」。
     この世界では、(死産の霧江に対して)「明日夢はぶじに出産をはたした」ということが語られます。

     ところが、ここにホイッと「崖から落ちた男の赤ちゃん」が現われて、留弗夫と明日夢の息子の座に、おさまってしまう。

     じゃあ、「明日夢がほんとうに産んだ子」は、どこへ行ったのか。

     もちろん、「出産したなんてウソだった」という合わせ方をすれば、問題はまったくありません。が、もし出産がほんとだとしたら。
    (だってお腹が大きくなってる気配もないのに、ある日突然赤ちゃんを抱いていて、「子供を産みました」なんて変ですからね)

     もし明日夢がほんとうに赤ちゃんを出産していて、
    「崖から落ちた男の赤ん坊をおまえの子として育てろ、代わりに結婚してやる」
     という取引が留弗夫との間に発生したとしたら。

     明日夢が産んだ赤ちゃんはどうなるのか。
     それは捨てられるしかないのです。

     どこに?

     たとえば、福音の家とか……。

     このように「自分の欲のために、自分が本当に産んだ赤ちゃんを捨ててしまった」という状況が発生した場合、
     その罪の意識を逃れるために、明日夢は、
    「この戦人こそが、自分が産んだ赤ちゃんだ。捨てた子なんていない」
     と強く思いこもうとするかもしれない。それが、「だって同じ恐怖症があるでしょう!?」という主張につながっていくかもしれない。

     さて、そのように、
    「明日夢が産んだ子は、福音の家に預けられた」
     と仮定する。

     明日夢が産んだ子が、例えば女の子だったら。
     その女の子が、病弱で3歳くらい発育が遅かったら。

     そして、
    「留弗夫と明日夢の実の娘が、福音の家で孤児として育てられている」
     ということを、源次が知ったとしたら。


     この推理では、「崖から落ちた赤ん坊をあなたが育ててくれ」と留弗夫に依頼したのは、源次です。(べつに熊沢でも良いのですが)

     つまり源次から見ると、
    「自分が、赤ん坊を育ててくれと留弗夫に頼んだばかりに、本来右代宮の令嬢として育つはずだった女の赤ちゃんが、孤児院に入れられるハメになってしまった」
     というわけで、これは強い責任を感じざるをえない。
     自分のせいで、赤ちゃんひとりの運命を、天から地に、がらりと変えてしまった!

     そこで源次、せめて自分にできるかぎりの優遇を、この子に対してしようと考える。

     まず優先的に右代宮家の使用人として採用する。
    「朱志香お嬢様のご学友役」という建前を使って、たった6歳という異例の幼さで屋敷に入れる。
     部屋割りなど、なるべく特別扱いをしてあげる。

     戦人がぶじに次期当主として認められたあかつきには、紗音と留弗夫の「親子の対面」をさせてやろうと考える。

     そんな特別な少女使用人が、われわれのよく知る「紗音」である、と考えると、これはドラマチックです。

     この推理のおもしろいところは、
    「そんな紗音が、自分の出自を知ってしまった」
     という状況を想定した場合、右代宮家を憎んで、大量殺人を起こしそうな気がすごくするところです。

     つまり、このストーリーを採用すれば、
    「ベアトリーチェの正体は紗音ではない」
     という仮定で始まった推理を、
    「やっぱりベアトリーチェの正体はどっちみち紗音だった」
     というところに、くるりと回収できるっていうことです。これはおもしろい。


     なので、
    「やっぱり紗音が犯人であったほうがいいな」
     と思う方は、この方向で採用してみて下さい。

     けれどもわたしは、まえまえから予告している通り、朱志香説を考えていきたいので、「出生を知った紗音の憎悪」という仮定は取らないことにしておきます。


    ●ベルンカステルの動機

     ここから、「朱志香説」のための前フリです。


    『うみねこのく頃に』は、

    「ミステリーとファンタジーの戦い」
    「アンチミステリーVS.アンチファンタジー」


     といった、印象的なキャッチコピーがつけられています。

    『うみねこ』は、ミステリーの側面もあり、ファンタジーの側面もあり、と思えば反ファンタジーの様相を呈し、またさらには反ミステリーにもなりうる。
     だいたいそんなイメージで受け取ることができます。


     さて。このシリーズの第1回でも語ったのですが、
     ベルンカステルはミステリプロパーです。

     ベルンカステルは、
    「この物語は、ただただ単純にミステリーとして読めば解ける」
     と、Ep5で主張しています。

    「ミステリー的でない要素は、いっさい無視してかまわない」
    「隠し通路なんていう、ノックスに違反した推理は、無能のすることだ」

     などという、極論にしか聞こえないことを彼女は言う。

     つまり彼女は、こんなことを主張しているのではないか。

    「うみねこは、ファンタジーでもアンチファンタジーでもアンチミステリーでもなく、ただミステリーである」

     ノックスなんていう物差しを持ち出すのですから、ベルンカステルはおっそろしく古典的な、厳格なミステリ読みなのです。
     そんな彼女は、「ファンタジー・アンチファンタジー・ミステリー・アンチミステリー」という『うみねこ』の4大キーワードのうち、3つを盛大に切り捨てて、

    「ただミステリー部分だけ見ていればよろしい」

     と断言するのです。


     そんなベルンカステルが、
    「私が知っているかぎりの真相をここに公開するわ」
     といって、語り始められたのがEp7。

     その内容は、
    「紗音が」
    「共犯者の協力を得て」
    「ときどき死んだふりをしてアリバイを逃れながら」
     といった内容を示唆するものでした(というふうに読めました)。

     もう、なんともいえない古典的厳格的ミステリーの香り漂う世界。


     本当にこれが最後の真相なのか? アンチミステリーはどこに行った?


     だからわたしはこういうことを言いたいのです。

    「ベルンカステルは、ファンタジーとかアンチミステリーとか大嫌いなんじゃないのか?」

     みんなやフェザリーヌが知りたがっている本当の真相とか、彼女にはどうでもいい。
     彼女に関係あるのは、自分の好みに合うかどうかという趣味だけ。

     ベルンカステルは、ミステリーが好きだから、この物語がミステリーであってほしい。
     ミステリーの手順だけで、きっちり綺麗に解けるものであってほしい。

     そういう「願望」を抱いた。
    (そして、「ミステリーの手順で解けるものであってほしい」というのは、かなり多くのユーザーが潜在的に抱いている願望でもあります)


     でも、この物語は、ベルンカステルと同等か、同等以上にミステリーを読み尽くしたと推定される、魔女ベアトリーチェが作り出したものなのです。
     一筋縄ではいかない作者だ。
     読者をあざわらうように、ミステリーの範疇を逸脱している匂いが、ぷんぷんする。

     例えば。
     京極夏彦さんの作品や、清涼院流水さんの作品には、「超能力を持った探偵」が、ふつうに登場します。
     つまり、ミステリーでありながらファンタジーだ。
     アイザック・アジモフの『鋼鉄都市』は、未来世界が舞台で、自立行動する人間型ロボットが登場するミステリーです。
     つまり、ミステリーでありながらファンタジーです。
     ミステリーの体裁で話が始まっていながら、さまざまな理由で、まったく真相が解明されずに終わる作品は、現代ではいくらでもあるそうです。
     つまり、真相は無限の可能性へと拡散するアンチミステリー


     ノックスを自ら持ち出すような古典的ミステリー読みのベルンカステルは、そういうのが本当に嫌だったんじゃないだろうか。

     そういうのが嫌だから。
     この物語が、そんなだったら嫌だ。

     嫌だから、この物語を、「ミステリーでしかない」ものにしてしまおう。
     そういうふうに書き換えてしまえ。

     書き換えるのは簡単だ。
    「いかにもミステリー的な真相が発生するカケラ世界」を探し出してこよう。
     そしてそれが、すべてのエピソードの真実であるかのように語ってしまえば良い。


     これが、ベルンカステルがそういう行動を取った「動機」。「ベルンカステルのホワイダニット」だと、わたしは見ているわけです。


    ●この物語がミステリーであるという「幻想」

     同じことを、こういう言い方もできます。

     ベルンカステルは、これがミステリーであって欲しいから、
     この物語がミステリーであるという「幻想」を、実体の上に書き加えた。

     ベアトリーチェは、「犯人が凶器で殺した」という実体の上に、「魔女が魔法で殺した」という幻想を上書きすることができました。
     ベアトリーチェは、「人間が殺人を犯した」という実体の上に、「魔女が殺した」という幻想を上書きすることができました。

     ベルンカステルは、「この物語はアンチミステリーでもありえ、ファンタジーでもありえる」という実体の上に、「この物語はただミステリーである」という幻想を重ねることができました。

    「犯人がある段階で死んだふりをし、容疑者から外れ、その後の殺人を行なっていく」というトリックは、きわめて古典的なミステリトリックです。さぞかしベルンカステル卿はお気に召したことでしょう。
     この六軒島で、そのトリックで殺人をおこなえるのは、だいたい紗音だけです。
     だから、「紗音を犯人にする」という手法によって、この物語をミステリーにしてしまおうとする。
     紗音が犯人であるという物語を上書きすることで、このお話を、古典的ミステリーのトリックに「再構築」することができる。
     そう「世界を変更」。

     きわめつけに、探偵役としてウィルを呼んでくる。

     戦人は「ほんとの真相」を知っていますから、彼はベルンの欺瞞を暴いてしまいます。だから探偵役として使うことはできない。

     その点、ウィルはダイン二十則という、ベルンカステル好みの古典的な探偵方法の使い手です。
     つまり彼は、古典的ミステリー探偵なのです。
     さぞかしベルンカステル好みの真相を見つけてくれるでしょう。

    「ベアトのファンタジーをミステリーだと断言してぶった切ってくれた。あんたの役目はそれでおしまい」


     ところが、そのウィルが造反するわけです。

    「悪ぃな、そんな“真実”とやらを、ミステリーが認めるわけには行かねェ。こいつは全て、ファンタジーだ。」


     おまえのミステリーをファンタジーに変えてやる、とウィルは言い出します。

     そんなことができるのか。
     できます。

     なぜなら、ベルンカステルが見せたものは、
     この物語がミステリーであるという「幻想」
     だからです。
     ベルンカステルは、わたしはミステリーが好きだから、このお話がミステリーであってほしいなあ、という「夢を描いた」。夢とは幻想。

     だから、
    「こんな真相は、おまえの個人的な夢にすぎないだろう?」
     と主張することで、ベルンのミステリーを、ぜんぶファンタジー(幻想)だということにしてしまえます。

     つまり、実体の上に、別の物語を上書きする。
    「紗音犯人説による、ミステリー的な真相」に対抗する、「別の真実」を構築する。
     そうすることで、ベルンの真実は「唯一の真実」ではなくなる。
    「さいごから2番目の真実」でしかなくなる。
     後期クイーンする。
     霧江犯人説も、理御の逃れ得ぬ死も、すべて小さな可能性のひとつにすぎなくなる。

    「ヱリカの主張する真実が気にいらないので、別の真実を主張する」
    「ベルンの主張する真実が気に入らないので、別の真実を主張する」


     それは、今ある真実をファンタジーに変える、という行為であるだろう。そう思うのです。


     そのチャレンジを、ウィラード・H・ライトは、どうやら果たしきれなかったらしい。
     だからわたしがそれを代わりに引き継いでいるわけなのです。


    (なかなか話が朱志香のところに行きませんが、次あたりから)
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Pass/

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