![](/contents/069/781/386.mime4) | 「力わざを使って、Ep7を朱志香犯人説でむりやり読み解く」というシリーズの7ページめです。
※注意! このページから読み始めても、まったく意味をなしません。「Ep7をほどく(1)」( no51893 )から順番にお読み下さい。
●「使用人が犯人であることを禁ず」
という赤字が冒頭にあります。別の事件(と推定されるもの)で冤罪が発生しそうなのを、ウィラード・H・ライトが阻止するのに使いました。
この赤字、紗音犯人説とまっこうからコンフリクトをおこします。 紗音は明確に、使用人です。
だから赤字が正しいのなら、紗音は犯人ではない……という考え方がまずひとつある。紗音を犯人にしたくないなあ……と考えている層は、たぶんここを重要な論拠にしているでしょう。
一方で。 この赤字を成り立たせたまま、紗音を犯人にする方法だって、そう難しくない。
確かに紗音は使用人だけれども、同時に右代宮家当主でもある。つまり最大級の重要人物である。ヴァンダイン第11則は「とるにたらない人間を犯人にするな」という意味なのだから、紗音が犯人であってもかまわない。
紗音説をとる場合、おおむねこのような論理が採用されているはずです。
ひとつだけはっきり言えるのは、ここにこんな赤字が置かれているのは、明らかに意図的だということです。全力で紗音説をほのめかしているEp7冒頭に、「使用人は犯人じゃない」という赤を置く。これは完全に作者が何らかの意図を持って置いたものだということ。
さて。
「紗音は使用人である」から、犯人であってはいけない か、 「紗音はただの使用人ではない」から、犯人であってもいい か、 どちらかだ。
これを例によって、「どちらか一方に決めたりしない」という態度を取ることにします。 猫箱理論。生きた猫と死んだ猫。 箱の中には「犯人ではない」と「犯人である」が、両方入っていることにするのです。
2つのカケラ世界があって、「紗音が犯人である」と「紗音は犯人でない」の2通りになっている。 片方のカケラ世界は、紗音はただの使用人ではない重要人物で、もう片方はただの使用人だ。
「犯人である」ほうは簡単です。Ep7で語られたことそのままですからね。ヤスは使用人紗音となり、使用人紗音は魔女ベアトリーチェになり、というシナリオ。 これは当然、『うみねこ』の箱の中に入っている。
「犯人ではない」ほうは? 例えば、「犯人は朱志香ちゃんだ。魔女ベアトリーチェは朱志香ちゃんだ」という可能性が編み出せたりしたら、「犯人ではない」ほうも箱の中に入ってることになる。 (いや、他の誰でも良いですよ)
●Ep7ワルギリアの希薄さ
ベアトリーチェの名前は、称号として、人から人へ継承されていくのだということが比較的初期から語られています。 ドレスベアトから、エヴァ・ベアトへ。エヴァ・ベアトから、エンジェ・ベアトへ。
Ep7では、真っ赤な服を着た魔女ベアトリーチェから、ヤスが称号を引き継ぐくだりが語られます。 ヤスはヤス・ベアトリーチェになり、称号を失った真紅の魔女は、のちに「悪魔ガァプ」という新たな名前を名乗ることになります。
あれ?
従来のエピソードでは、ベアトリーチェは、ワルギリアから称号を引き継いだことになっていませんでしたっけ。 小さな女の子が、おじいさまの大事な壺を割ってしまった。銀髪の魔女ベアトリーチェが魔法でそれをごまかしてくれた。 それをきっかけに、少女は魔女に弟子入りし、やがてベアトリーチェの称号を受け継ぐ。かつてベアトリーチェだった銀髪の魔女は、「ワルギリア」という新たな名前を得るのでした。
いったい、ベアトリーチェは、ガァプから魔法を習ったのか、ワルギリアから魔法を習ったのか。 どっちなのか。
これを例によって、「猫箱の中に両方が入ってる」ことにします。
猫箱の中に、 真紅の魔女ガァプから称号を継承したベアトリーチェと、 銀髪の魔女ワルギリアから称号を継承したベアトリーチェと、 2人いる。
2つのカケラ世界があって、片方では、ある女の子がガァプと出会ってベアトリーチェになり。 もう片方の世界では、別の女の子が、ワルギリアと出会ってベアトリーチェになる。
ガァプと出会うほうは、Ep7で語られたヤス・シャノン・ベアトリーチェです。
ワルギリアと出会うほうは? その女の子はお屋敷のご令嬢で、おそろしいおじいさまがいて、使用人として家に仕える魔女みたいな外見のおばあちゃんがいるのです。
この条件をみていくと、ワルギリアの弟子はジェシカ・ベアトリーチェとみるのが妥当そうなのです。 ああ、ようやくジェシカの名前が出てきた。
これから、「Ep7を朱志香説でみていく」ということをやってみたいと思います。
●右代宮朱志香の孤独
まず、右代宮朱志香の特異な境遇、というところから、話を始めてみます。
「六軒島には、本当に何もない。友達の家も、お隣もご近所もない」 譲治がそんなことを、ぽろっと言っていますが、よく考えるとこれってほんとに異常な境遇です。 学校には時間決まりのボートで通うのです。
朱志香って、平日の学校帰りにお友達の家に遊びに行く、といった当たり前の経験が、ひょっとしてほとんどないんじゃないかな。 そんな立場だから、歳の近いいとこがいっぱい来てみんなで遊べる親族会議が大好きだった、と彼女は言うのでした。そんな1年に1回の機会がとても貴重だったと。
一言でいうと、彼女は孤独な境遇なのです。
そんな朱志香が、8歳くらいのとき。 福音の家から、6歳の紗音という、ちいさなかわいらしい女の子の使用人がやってきます。 (この推理は、九羽鳥庵ベアトが男子を産む世界なので、ヤスは来ないのです。来るのは紗代ちゃんです)
友達の家も、お隣もご近所もない朱志香。限られた学校の時間にしか、同年代の子供との接点がない朱志香。 そんな彼女にとって、同性で年の似た子供が、家にいてくれるというのは、どんなにうれしいことだろう。 友達になりたい。 いっぱいお話したい。 たくさん遊びたい。
ところが。
●彼女の「なりたい自分」
夏妃は、「厳重に」朱志香と紗音(使用人)との交流を禁じたのでした。 夏妃は、「お嬢様のことを決して友人などと思って、気安く話し掛けないように」と、紗音に念を押すのです。 そういう条件が、Ep7で語られます。
朱志香にも同様の言いつけがなされます。彼女は、夏妃の目のあるところでは、「若い使用人たちとも素っ気無く付き合う素振り」を見せねばならないのでした。
つまり。朱志香は友達が欲しくてたまらないのに、同年代の紗音は、夏妃奥様の言いつけがおそろしくて、朱志香と親しくしてはくれないのです。 たぶん、このくらい幼い頃には。
そこで、朱志香はこんなふうに思ったことにしましょう。
紗音ちゃんが友達になってくれない。 それは、自分が右代宮家の子供で、紗音ちゃんが使用人だからだ。 ああ、誰も友達になってくれないんだったら、右代宮家の子じゃなくていい。 もし私が使用人だったら、紗音ちゃんは友達になってくれたんだろうな。
もし私が使用人だったら……。
そこで、幼い朱志香は、ひとつのユメを作り出した、ことにします。
私は右代宮朱志香じゃない。 私は、右代宮家に仕える、小さな女の子の使用人。 紗音ちゃんと、一緒のお部屋に住んでいる。 紗音ちゃんと、大の仲良し。 私が誰かにいじめられたら、紗音ちゃんはかばってくれる。 私は福音の家出身の使用人。 私の名前は……ヤス。
夢想とは、その初期において、つねに「自分が自分でないものであったら?」という形態をとるものです。
霧江は「もし自分が死産せずに留弗夫の子供を産めていたら」と夢想し、 明日夢は「もし自分が本当に戦人を産んだのであったら」と夢想し、 ヤスは「もし自分がしっかりした頼れる使用人・紗音だったら」と夢想し、
朱志香は、 「もし自分が、紗音と大の仲良しの小さな使用人であったなら」 と夢想するのです……。この推理では。
ヤスが紗音となり、ベアトリーチェとなるカケラ世界では、ヤスが実体で、紗音はヤスが夢想した幻想キャラクターでした。 ところが、こちらの世界ではそれが逆になります。 この推理における「Ep1〜4世界」「戦人カケラ世界」「ジェシカ・ベアトリーチェ世界」では、紗音が実体のある存在で、ヤスが幻想キャラクターなのです。
朱志香は、現実と理想のあいだに齟齬が生じたとき、 「今の自分はそのままに、本当になりたい自分を、もう一人生み出す」 という方法で、人生をしのいできた。そういうモットーで前向きに生きていくことができるんだ、ということを語っています。
この幼少期の彼女にとっての「なりたい自分」が、 「紗音ちゃんが友達になってくれるような自分」 であっても、不自然ではない。
●覗いてみたかった使用人たちの世界
というわけで、朱志香は、「周りに友達もおらず、使用人たちも仲良くしてくれない自分」という、現実の自分はそのままに、 「紗音ちゃんと仲良しで、2人でけなげに毎日の仕事をこなす少女使用人」 という「理想の自分」を、心の中にうみだした。
現実の体は、右代宮家のご令嬢、朱志香様としてとりすました日々の暮らしを送りながら、頭の中では、「紗音ちゃんと楽しくおしゃべりができる使用人としての暮らし」という幻想を展開し、そだてていった。
「朱志香と使用人たちは、お互いにあまり接触しあってはならない」 という母親の命令があるので、すごく近い存在でありながら、朱志香は使用人生活がどのようなものなのか、うまく把握できません。 それは幼い好奇心につながる。 使用人の暮らしって、どんななんだろう。 使用人の女の子たちが、楽しそうにつっつきあっているところを見かけたことがある。 お友達どうしで、楽しそう。いいな。 ちょっと使用人になってみたいな。
そんなふうに思っていたことにしましょう。
Ep7でヤスは、 「福音の家でも自分は、他のお友達と遊ばせてもらえず、ずっと自分だけ隔離されたた部屋にいた」 と語っています。 これを、「友達と遊べず、使用人とも遊べず、六軒島に隔離され、屋敷でも使用人社会からは念入りに隔離されている朱志香」の境遇のあらわれと見るのです。ここでのヤスは朱志香の分身ですからね。
さて。想像力の中で、朱志香はドジでのろまな使用人ヤスです。 紗音がいつもかばってくれます。 紗音が自分を気にしてくれて、好きでいてくれることが嬉しい。紗音と一緒にいられることが嬉しい。
そんな、現実と幻想の二重生活が回転していたことにします。
そんなあるとき、朱志香は金蔵が大事にしていた壺を割ってしまうのです。
空想の中では、紗音がかばってくれるのだけど。現実にはそうはいかない。 どうしよう。 そこに現われたのは、熊沢チヨおばあちゃんでした。
●世界を変更する
熊沢チヨおばあちゃんは、
「ほっほっほ、魔法で助けてあげましょう。実は私は、魔女ベアトリーチェなんですよ、ええ。だってほら、名前も似ているでしょう?」
といった、てっきとうなことを言います。 そしておばあちゃん、割れた壺をアロンアルファでちょいとくっつけ、かねて餌をやっていた野良猫を小脇にかかえて屋敷内に放ち、ヒジでちょいと壺をつついてわざとパカッと割ったあげく、
「あああ、なんということでしょう! 野良猫が忍びこんで大事な壺を割ってしまったではありませんか!」
と、大声で騒いだりしたのでしょう。
そしてあっけにとられた朱志香にばちっとウィンクをして、 「ほら。ね? これがベアトリーチェおばあちゃんの魔法ですよー」 うーん、洒落たおばあちゃんだ。
とにかく熊沢ばあちゃんは、壺を「朱志香が割ったんじゃない」ことにしてしまいました。
これって確かに魔法だわ。 凄い。 こんな世界があったなんて。 私もあんな感じで、魔法が使えるようになりたい。
私も魔女ベアトリーチェになりたい。
「紗音みたいなすてきな使用人になる」よりも、 「熊沢おばあちゃんみたいなすてきな魔女ベアトリーチェになりたい」
だから、世界を変更しよう。
いま、自分の中には、ヤスという理想の自分がいる。 それを変更しよう。 いま、自分の中には、 「使用人ヤスとして、紗音と仲良しな世界」 という幻想空間がある。
それを変更しよう。
新たな理想像、新しい「もう一人の自分」像を、みつけた。 それは魔女ベアトリーチェ。
私は今日からヤスではなく、魔女ベアトリーチェ。六軒島の夜の支配者。 熊沢に乗り移った偉大な魔女ワルギリアの一番弟子。
●ヤスの消滅・魔女の誕生
というわけで、朱志香は「ヤス幻想」をキャンセルします。
ヤスは消えます。 もともといなかった人物が消えるのですから、何の不思議もありません。
紗音の部屋には最初から紗音だけがいて、これからも紗音だけがいる。 ヤス・ベアトリーチェ説のときのような、 「さっきまではヤスが実体としていたけど、今からは紗音が実体としている」 といった認識のツイストは必要ありません。
朱志香は、紗音のそばを離れるわけなのですが、別に紗音が必要なくなったというわけではないのです。 彼女はいぜんとして、紗音と友達でいたいと思っている。
魔女ベアトリーチェとして、紗音と友達になれば良いのです。 例えば……。 紗音にちょっかいを出すやっかいな魔女、という幻想世界を展開すればいい。
たとえば朱志香は、魔女ベアトリーチェになったつもりで、紗音のものをちょっと隠すようないたずらをしたかもしれない。
この屋敷には魔女の伝説があります。 だから紗音は、その「ものがなくなる現象」に遭遇したとき、
「ベアトリーチェさまのしわざだ」
と考えるかもしれない。
「ああ、そうなんだ、魔女ベアトリーチェは、大事なものを隠したりするような方なんだ」 という認識を、頭の中に生み出すのかもしれない。 紗音は、「魔女ベアトリーチェさまって、どんな姿をしているのだろう」と想像するかもしれない。 少女が想像した、そんな魔女の姿は、大胆なスリットの入った真っ赤な服を着た、縦ロールの金髪美女かもしれない。
その幻想は、紗音の中で、だんだん大きくなっていくかもしれない。
紗音は、新人の使用人が屋敷に入ってきて、その子たちが魔女ベアトリーチェを馬鹿にした発言をすると、ひそかに憤っていたかもしれない。 その子たちをちょっとばかし脅かすために、キーリングから、マスターキーだけを抜き去るようないたずらを、紗音はそっと仕掛けてみたことがあったかもしれない……。
(続く)
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