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北京出張報告
2001年6月24日 6月3〜9日、経済産業研究所の関志雄上席研究員及び角南篤研究員とともに中国北京を訪問し、エコノミスト、主として中関村地区の中国系、日系、米系のIT企業関係者、大学関係者、企業支援部門等と意見交換を行った。出張を通じて得られた印象は以下のとおり。 【資本主義の浸透と共産党支配】 経済学者、企業関係者とも自由に自分の意見を言っているという印象を受けた。経済政策についてはサブスタンスの上ではタブーがなくなり、「民営化」という言葉を敢えて使わないといった言葉の選び方だけの問題になっている。共産主義は事実上もはや存在していない。 出張者の立場で簡単に比較できるサンプルはサービス業であるが、ホテル、レストラン、小売店舗などで、例外なく国営企業と民営企業の差(民営の方が価格が安くて質が高い)を実感した。その感覚は、一連の面談相手ともほぼ共有されており、中国の(少なくとも都会の)消費者は、資本主義のメリットを生活実感として理解していると言う事ができる。 しかし、このような経済実態における資本主義の浸透と政治体制の変革は今のところ全くリンクしていない。経済が発展している間は政治体制を問わないという暗黙の了解が政治指導者と国民の間に成立しているとの解説もあった。中国が共産党一党独裁体制を維持したまま経済を発展させていくのは、諸外国に脅威感を与える一方、軍事費の増大が財政を圧迫すれば経済の安定的発展(=政権の正統性の条件)を維持できなくなるという制約も働いている。 【中関村の実力】(中国の科学技術政策については角南レポート参照) 中国の新しいハイテク基地とされる中関村は、大学側の技術商業化の熱意と政府の助成策があいまって、急速に発展している。大学が新分野の研究所を機動的に創設したり、子会社を通じてインキュベータを運営している状況は、日本の産学連携よりも進んでいる。 他方、そこで得られている成果は現段階では外来技術の国産化ないしリバースエンジニアリングの域を基本的には出ておらず、基礎研究の力がついているとは言えない。 但し、マイクロソフトの研究所は、enclave(飛び地)ともいうべき世界だった。一歩足を踏み入れただけで感じる外観上の印象でも、外の北京市(それでもかなり新しくなっている)とは別世界である(窓側に並ぶ会議卓付きの真新しい個室群とリサーチ・アシスタントや学生にあてがわれるキュービクルは、米国の証券会社かのようであり、社員の服装は洗練されており、米国本社から出張に来ているかのよう。飛び交っている英語の会話はごく自然で滑らか)。加えて、音声認識がここで開発されたというような成果を聞けば、この研究所がマイクロソフトのグローバルな研究開発ネットワークに組み込まれることによって高い成果を上げていることが理解される。そして、そのような研究所のパフォマンスを支える人材を大学との緊密な協力関係を通じて、中国全土から獲得する仕組みを作ることが明確に意識されていた。研究所の前の所長は35歳の米国帰りであり、現在は本社の役員に就任している。 【中国における日本と米国】 今回はIT企業の研究所しか比較できなかったが、欧米企業が早くから(日本企業との時差は2年強)戦略的に進出しているのに対し、日本企業は本社の意識としては「現地政府の求めに応じ」といった気分が抜けていないところあり。(現地政府の求めがあることは、現地政府との交渉上重要であり、これをもとに進出先を決めるのは当然であるが、おおもとになるビジネス上の戦略がまず明確化されていることが出発点であるべき。) 日本企業については、現地採用者の昇進可能性が限られていること、給与の面でもめりはりが効いていないことから、就職するなら米国企業の方が魅力的だというのが一連の面談相手のコンセンサスになっていた。
日本留学組の中で気を吐いていたのが、次世代携帯用ICの開発で著名な鷹山の店頭公開で得た資金で起業した六合万通微電子のメンバーだった。彼らの留学生仲間の中で、大企業に就職してから起業に成功したものはない、とのコメントがあった。彼らの日本に対するメッセージは、「日本に留学した者が活躍できて、日本への留学がもっと魅力的にならないと、日本への留学生はどんどん数が減るか質が落ちるほかない」というものであった。彼らの具体的要望は、次のとおり。 【街の様子雑記(余談)】 王府井など目抜き通りは華やかに整備されており、スターバックスも既に10店舗以上ある模様(移動中に7店舗確認)。 中関村近くの新世紀飯店の客室には、イーサネットが引いてあった。
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