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No52924 の記事


■52924 / )  Ep7をほどく(11)・そしてアンチミステリーへ
□投稿者/ Townmemory -(2010/09/28(Tue) 20:04:45)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/
    ■目次
    no51893 Ep7をほどく(1)・「さいごから二番目の真実」
    no52013 Ep7をほどく(2)・まずEp7を紗音説で読む(上)
    no52052 Ep7をほどく(3)・まずEp7を紗音説で読む(中)
    no52113 Ep7をほどく(4)・まずEp7を紗音説で読む(下)
    no52153 Ep7をほどく(5)・分岐する世界の同一存在
    no52562 Ep7をほどく(6)・ベルンの動機、読者の動機
    no52651 Ep7をほどく(7)・ジェシカベアト説(上)
    no52748 Ep7をほどく(8)・ジェシカベアト説(中)
    no52812 Ep7をほどく(9)・ジェシカベアト説(下)
    no52853 Ep7をほどく(10)・すべてのベアトリーチェのために


         ☆


     細かいところをちょっと合わせて、まとめを書いて、ひとまずおしまいです。


    ●ヤスシャノン世界で起こっていない殺人

     些細なことで、かつうまい検証もないのでサッと指摘だけ。

     クレルとウィルの、白黒切り分け合戦で、言及されない殺人がいくつかありますね。
     あれなんですが、
    「ヤス・シャノン・ベアトリーチェが犯行を行なう世界では、その殺人は起こってない」
     という受け取り方はどうでしょう。発生してないんだから、言及されるはずもないっていう思い切ったとらえかたです。

     Ep1で、紗音は、べつに儀式に必要もないのにあえて夏妃と決闘する必要はない。爆弾でふっとばせばすむのですからね。
     だから、ヤス・シャノン・ベアトリーチェは、第9の晩に「夏妃を射殺していない」。

     逆に、「ジェシカ・ベアトリーチェにはあえて夏妃と決闘する理由がある」とわたしは考えているわけです。それは長くなりますから、 ■目次(全記事)■ から「●犯人特定」の欄の「サファイア・アキュゼイション」というシリーズを読んで下さい。


    ●貴賓室のフランス人形のミステリー

     朱志香が貴賓室に肝試しに行ったら、電気が消え、電話が鳴って真里亞が歌をうたい、フランス人形が消えます。
     電気消し係と電話鳴らし係と人形係の3人が必要だってことになってます。

    「ヤス・シャノン・ベアトリーチェ世界」でそれをやったのは、源次・熊沢・紗音でいいんじゃないでしょうか。ヤス紗音が、源次・熊沢に命令を下し、「朱志香にベアトリーチェを信じさせる」目的でコトを起こしたっていう形です。とくにそれで困ることもないので、あまり深く考えないことにします。

    「ジェシカベアト世界」ではどうでしょう。こっちはちょっと困ります。だってこの想定では、朱志香がベアトリーチェなんですからね。こっちの世界では紗音は当主様ではないので、源次への命令ができないのです。

     ひとつの考え方は、朱志香が「そういう事件があったんだよ」と言い張っただけ、というミもフタもない推理。

     けど、思い切ってこんな考え方もできる。

     朱志香にドッキリを仕掛けたのは、源次・熊沢・「金蔵」

     まさかの金蔵生存説。じつはこっちの世界では、この段階で金蔵はまだ死んでなかったという想定です。

     わたしは「金蔵生存説」は、「もう一回のどんでん返し」候補として、ちょっと本気で考慮してもいいと思ってるのです。


     さて。以上はじつは前置き。ここからが言いたいこと。

     貴賓室にフランス人形が置いてあるそうです。
     このフランス人形が、もし「球体関節」を持ってたら、ちょっとおもしろいことになるなあと思うのです。

    (フランス人形が球体関節を持つことはありえないのかな? その場合は人形全般のことを朱志香がよく知らなかったことにしますね)

     フランス人形は、ベアトリーチェそのもののように扱われていたわけですね。

     フランス人形は、ベアトリーチェさまである。
     ベアトリーチェさまを粗末にあつかうと、罰があたって不幸になる。
     だから、ベアトリーチェさまのお人形に、お菓子をおそなえして、熱心に拝みなさい。
     そうすると、ベアトリーチェさまは平伏した者には優しいから、被害を与えないでくれるのである。

     さて、そんな貴賓室に、「黄金を見つけてベアトリーチェになった朱志香」が現われた、と考えて下さい。
     あ、べつに「黄金を見つけてベアトリーチェになったヤス」でも良いです。ようするにベアトリーチェの中の人、ほんもののベアトリーチェがそのフランス人形を見たと思って下さいな。

     このフランス人形は、ベアトリーチェさまだと考えられているらしい。
     いや、私がベアトリーチェだ。
     私がベアトリーチェなのだから、この人形はベアトリーチェではない。

     じゃあ、この人形は何だ?
    「熱心に拝むと魔女の被害を受けなくなる」という機能を持つフランス人形が、ベアトリーチェでないとしたら、この人形の正体はいったい何になるんだ?

     そこで「世界が変更」されたんじゃないかと思うのです。

     昨日まで「拝めば慈悲心を起こしてくれるベアトリーチェさま」だった人形。
     それが今日からは、
    「ベアトリーチェを撃退してくれる守り神」
     なのである、という整合がとられたんじゃないか。

     守り神は、ベアトリーチェを追っ払ってくれるので、魔女の被害を受けなくなる。

     祇園さんとして知られる牛頭天王という神様は、もとは「疫病をもたらす神様」だったそうです。だから人々は熱心にお参りして、「うちには疫病を運ばないで下さい」とお願いしていた。
     ところが、何かの拍子に、解釈が変わってしまった。
    「祇園さんを拝んだら、病気にかからない」
     というところだけが伝わっていった結果、牛頭天王は、
    「疫病を打ち払ってくれる荒ぶる神様」
     というふうに属性が変化してしまったそうです。聞いた話なんですが、そういうことがあるそうです。

     そんなふうに、お人形は、「魔女狩りの神」という属性で解釈されるようになる。ベアトリーチェの中の人は、そういう設定で整合をとる。

     たとえば……。
     十個の戒律を必殺技として持ち……
     魔女幻想を赤と青の剣で打ち破る……
     天界の裁判官。

     ドラノールは、Ep5では「大理石で出来た球体関節人形」のようだと描写されたり、Ep6ではヱリカに「お黙りなさい殺人球体関節人形」となじられたりしています。

     つまり、ドラノールや、その他の天界キャラクターは、すべて「ベアトリーチェの中の人」が創造した幻想キャラクターだったんじゃないかと思っているのです。

     ヤスは、もしくは朱志香は、ようするにベアトリーチェの中の人は、このドラノールという新キャラクターを得て、
    「天界大法院ミステリー」
     というフィクションの推理シリーズを構想したんじゃないかな。

     彼女の中には、最初から、
    「密室の魔女ベアトリーチェ」シリーズ
     という構想があって、ベアトリーチェが密室を作って人々を翻弄するミステリーシリーズを考えていた。
     それと同じ世界観を使って、立場を逆転させ、魔女を追いかけて捕まえるシリーズも展開できるじゃないかと気づいた。

     魔女シリーズは、魔女ベアトリーチェが鮮やかに犯罪を犯すシリーズ。
     天界シリーズは、裁判官ドラノールが魔女を逮捕するシリーズ。


     怪盗キッドの『まじっく快斗』と、江戸川コナンの『名探偵コナン』の関係みたいな。


    ●ウィルの中身

     ミスター・ヴァンダイン。ウィル君の中身は、じゃあいったい何なんだという話になりますね。
     これ、戦人でいいと思います。ベアトリーチェの中の人が、戦人を「モデルにして」、ウィラード・H・ライトというキャラクターを創造した。
     そして、ホワイダニットを重要視する“かっこいい”ヒーロー探偵として、「天界大法院シリーズ」の中に配置した。
     大好きだからヒーロー役にするわけです。

     ホワイダニットに異常にこだわる性格。髪の毛の赤メッシュ。すぐにお腹をこわすかんしゃく持ちの小さな生き物との生活。

    「ベルンカステルのミステリーが気に入らないから、そいつをファンタジーにしてやる!」
     というのと、
    「古戸ヱリカの推理が気に入らないから、そいつを不成立にしてやる!」
     というのは、まったくおんなじ構図です。

    「共通点があるから、ウィルと戦人は同一人物なんじゃないか」みたいなことを想定するよりは、いったんフィクションの世界を設定して、
    「戦人をモデルにしたキャラクターを幻視して、配置した」
     というほうが、通りがいい気がするのですね。


    ●「No Dine,No Knox,No Fair」

     ドラノールが「ベアトリーチェの創造物だ」というのには、ちょっとした傍証があります。

     Ep5で、「ベアトが許可した者しか入れない薔薇庭園」に、ドラノールがやって来て、ワルギリアや戦人とお茶会をするのです。
     ワルギリアと旧知の仲だという設定も明かされました。
     そして、「心を閉ざしたベアトがあえてドラノールをここに呼び寄せたのだ」「それは戦人とドラノールを会わせるためだ」ということが語られます。

     これは「ドラノールは私が作ったキャラだから、悪いことはしない」「私がドラノールに付与したものの考え方や情報は、戦人の役に立つはずだ」という取り方をすると、なんとも整合感があるのです。


     そこで。「No Dine,No Knox,No Fair」という、OPムービーの宣言文の話になるのです。あれにはベアトリーチェの署名が入っていた。

    「私の作った世界観の中には、ノックスやヴァンダインというキャラクターも存在していて、彼らなりの論理や特殊能力を持っている。けれども、今回の事件には、ノックスやヴァンダインは登場しない。登場しない範囲のルールで事件を起こすものである。すなわち、十戒や二十則から逸脱するような条件もゲームに含まれることを宣言する

     という意味に読めるような気がする。

     ところがベアトリーチェがゲームマスターをやめたとたんに、ノックスが出てきて、ヴァンダインまで出てくる。

     これは、ベルンカステルかラムダデルタが後付けで連れてきた。
     ベアトの作った設定を隅々まで調べたベルンかラムダが、

    「ベアトったら、こんなにおもしろいギミックも用意してあるんじゃない。どうして使わないの? え? 今回のトリックと矛盾するの? いいじゃない、面白いから出しちゃいましょうよ。戦人が混乱する顔が見たいわ」

     とかいって、無理矢理つっこんだ。わたしは「このゲームはノックスには準じていない」という説をずっと採っています。


    ●何度めかの「赤字」

     わたしは、Ep1〜4の犯人を朱志香だと考えています。

     朱志香がEp1〜4の犯人であるためには、いくつかの赤字を盛大にキャンセルしなければなりません。
     ですから、「右代宮朱志香は殺人を犯していない」という赤字をキャンセルして、右代宮朱志香が犯人であることにしています。
     わたしは、「赤字は真実でないことも言える」という説を提唱しています。

     人を騙すというのは、つきつめれば、
    「真実でないことを真実だと思いこませる」
     ことなんだ。

    「この条件下で、どう考えたら、正解にたどり着けるだろうか」という思考法を、わたしはとりません。
    「この条件下で、もっとも効率的に、大量の人間を騙す方法は何か」
     という考え方です。

    「ありもしないルールを、あると思いこませる」

     たったこれだけで、ほとんどの人間を真相から遠ざけることができる。
     このギミックに騙されなかった人のために、セカンドトリック、サードトリックを撒いていけばいいのです。そうして最終的には、ゼロにしぼりこむ。

     みんな「未知の薬物を出してはならない」とか「犯罪組織が犯人であってはならない」とかいった、ありもしないルールをあると思いこんでひぐらしを読んでいましたからね。これが効くのは保証付きです。
     そんなルールないんです。みんなが「そういうルールがあるものだ」と思いこんだだけです。「エスカレーターに立つときは右(左)側をあけなければならない」というのはちょっとそれに近いかも。「みんなたいていそうしている」という現象の観測が、「そうでなければならない」にすりかわったのです。夢枕貘さんの安倍晴明なら、「ミステリーのお約束という呪にかかっている」とでも言いそうなところ。

     かくいうわたしも、「そういうルールがあると思いこんで」ひぐらしを読んで、盛大に騙され、呪がとけました。中禅寺先生に憑き物を落として貰った気分だ。

     少なく見積もっても万単位のユーザーを、4年間にわたって、手掛りを出し続けながら騙し続けなければならないのです。しかも半年ごとに、平均3個の不可能殺人を提出しつづけるという難題。
     そんな無茶な条件が与えられたら、騙す側は全力でなければならない。もっとも高効率な手が選ばれねばならない。

    「赤字を真実だと思いこませ、しかし真実ではない」
     わたしが出題者の立場だったら、これを思いついた瞬間、絶対に採用します。

     わたしがこの「合理性」を語ると、それはもう、みなさんモニターの前で嫌な顔をされる。

     赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。

     解明はできるように出来ているはずだから、基準はあるはずであり、その基準となる赤字は本当であるはずだ。

     まあそういったことを百万回くらい言われております。(いや、百万回は大げさすぎですね。「千年の魔女」というのも言い過ぎだ)


     百万回くらいいろんな答え方をしましたが、新しい答え方を開発しましたので、披露します。

     このシリーズの最初の話題に戻ります。『うみねこ』はミステリーなのかファンタジーなのかアンチファンタジーなのかアンチミステリーなのか。


    ●残されたキーワード

     この物語は、魔女が現われて、密室殺人を「魔女のしわざだ」と言い張るところから始まりました。
     魔女犯人説という「ファンタジー」から始まった。

     それに対して戦人が、そんなわけはない、人間が物理法則の範囲で犯行したはずだと主張して、対立のゲームになりました。
     戦人は、人間の犯行で物理法則内であれば、どんなナンセンスな主張でもするというアプローチをとりました。これは作中で「アンチファンタジー」の態度だと説明されました。
     ファンタジー対アンチファンタジー。

     さらにそれに対して、ベルンカステル(古戸ヱリカ)がとったアプローチが「ミステリー」
     ミステリーにはさまざまなルールが所与のものとしてあるのであって、すべてはそのルール内で行なわれているはずだ、と、彼女は決め打ちします。
     これはファンタジーに対抗する立場なので、アンチファンタジーに近いですが、より狭く限定するアプローチです。アンチファンタジーが許容していたナンセンス主張も否定します。

     この、ベルンたちの「ミステリー」が、戦人は非常に気に入らなかった。戦人は彼女たちのミステリーを撃退したいと願望しました。
     そこで彼が取った方法は、
    「魔術師になって、超自然の方法で手に入れた手掛りを使って、ミステリー説を否定する」
     というものだったのです。
     つまり、アンチファンタジーだった戦人は、ミステリーを撃退するために、自らファンタジーになったのです。
     ファンタジー対ミステリー。

     そして今回のEp7。
     ミステリープロパー、ベルンカステルが、再び謎を仕掛けます。すべてが「ミステリー」でした。
     それが気に入らないミステリー探偵のウィルは、ベルンカステルを撃退しようと試みました。
     ミステリー対ミステリー。


     最後にひとつ、キーワードがまだ使われていないのです。

     ミステリー探偵のウィラードには、ベルンカステルを倒せなかったのです。
    「そんな手掛りはない以上、その結論をとることを禁ず!」
     といった、いかにもミステリー的な戦い方では、彼女には勝てないらしい。

     ベルンカステルのミステリーを撃退するもの。

     それはきっと、
    「アンチミステリー」。


    ●そしてアンチミステリーの世界へ

     赤字が本当でなかったら、基準がなくなり、どんな可能性もとれるようになってしまい、解明なんかできないではないか。

     という疑念への答え。

     そうです。
     それで良い。

     それではミステリーにならない。

     なりません。
     それで良い。

     解けないじゃん。

     なぜいけない?


     つまり、ミステリー的な構えで物語が始まっていながら、
     ひとつの真相が最終的に解明されることなく、
     さまざまな考え方ができるという状態のままで放り出され、
     想像力にたよるほかなく、
     真実はただ、無限の可能性のなかに拡しつづけていく、

     たとえるならそう、『ドグラ・マグラ』みたいな作品になる。


     そういうのを、「アンチミステリー」というのです。


    「赤字の真実性を疑う」
     というアプローチを取った瞬間、

     この物語は、急激に、「アンチミステリー」的な様相を呈してくるのです。


         *


     この物語が、ミステリーであってほしいなら、ヤスが犯人で良い。
     この物語が、ファンタジーであってほしいなら、魔女が犯人で良い。
     この物語が、アンチミステリーであってほしいなら、物語をミステリーたらしめているものを拒否しなければならない。
     この物語が、アンチファンタジーであってほしいなら、人間の誰かを犯人として提示しなければならない。

     だからわたしの推理は、「そういう前提」をとり、「そういう結論」になっていってるらしいのです。


         *


     小冊子をみると、竜騎士07さんは、アンチミステリーという言葉を、

    「ミステリーがミステリーとして高潔であろうとした結果、自らの存在を否定するに至ったこと」

     というふうに説明しています。これが「竜騎士用語」としての「アンチミステリー」なのですね。
    「ミステリーがミステリー自身を否定する……」


     赤字というのは幻想混じりの物語の中で、ミステリーを成立させるギミックなわけですね。
     それを作中で自ら否定していく。
     自己内のミステリー性を自ら瓦解させてしまうことになる。

     そういうのを何と呼ぶのか。


     赤字を疑ったら、ミステリーになりません。ミステリーの否定です。
     ミステリーが依って立っている「手掛り」それを全部、疑わしいものに変えてしまうのだからです。
     つまりそれは、ベルンカステルの足場をぜんぶ奪ってしまうことができるということ。

     赤字という、ミステリーが依って立つ根拠を奪う。
     ミステリーが自らのミステリー性を否定する、アンチミステリーなら、ベルンカステルの提示する「ミステリー的な真実」をまるごとリジェクトすることができそうなんです。
    「これは全て真実」なんていう赤字も、リジェクトだ。だって赤字だから。
     赤字がないのなら、無限の可能性がある。
     誰だってベアトリーチェになりうる。誰だって殺人犯になりうる。
     霧江犯人説なんて、無限のなかのひとつにすぎないのだ。

     すべては猫箱の無限可能性のなかに。

     赤字が真実でなかったら。

     あらゆる可能性をその手に取ることができる。

     閉ざされて決して開かない猫箱のように。



     わたしはこのシリーズを通して、ベルンカステルがほのめかす真相とは異なる、「もうひとつの真相」を、なんとか提示できているんじゃないかと思うのです。
     この「別の真相」は、赤字を疑わない限り生まれてこないんです。

     ファンタジーと戦っていた戦人は、自ら「ファンタジー」になることによって、ミステリーを撃退したのでした。

     わたしたちのほとんどは、基本的にミステリー寄りの人間です。ミステリーではベルンを倒せない。
     牽強付会な言い方かもしれないのですが、
     赤字を疑い、自ら「アンチミステリー」になることによってのみ、ベルンカステルの真実を撃退できる――彼女の真実を「さいごから2番目の真実」に、「並列に存在する無限の真実のたったひとつ」に変えることができる。


     可能性が無限なら、真実をひとつに特定できません。
     けれども、たとえばわたしは、その条件でも犯人をひとりにしぼりこんでいます。

     アンチミステリー作品で、真相にたどり着けるかどうかは、出題者のさじ加減で決まるのではなく。
     読む人の想像力しだいで決まる。


    「このゲームに、ハッピーエンドは与えない」

     ベルンカステルはそう宣言しました。
     真実が、ベルンカステルの持っているひとつしかないのなら、そうなるでしょう。

     真実が、無限の可能性の中に拡していくものならば。
    「辛い話でも、悲しい話でもない」ものを、無限の中から好きなだけ取り出すことができるでしょう。

     ひとつの真実が欲しいのか。
     無限の真実の中から、好きなものを取る自由が欲しいのか。


     真実は、ひとつなのか。
     真実は、無限にあるのか。

     お好きなほうを取れば良いと思います。どっちも猫箱に入っています。
返信/引用返信 削除キー/


Pass/

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