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No61043 の記事


■61043 / )  Ep8を読む(6)・ベアトリーチェは「そこ」にいる
□投稿者/ Townmemory -(2011/03/18(Fri) 04:29:12)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/
    ●番号順に読まれることを想定しています。できれば順番にお読み下さい。
     Ep8を読む(1)・語られたものと真実であるもの(上) no59667
     Ep8を読む(2)・語られたものと真実であるもの(下) no59700
     Ep8を読む(3)・「あなたの物語」としての手品エンド(上) no59771
     Ep8を読む(4)・「あなたの物語」としての手品エンド(中) no59806
     Ep8を読む(5)・「あなたの物語」としての手品エンド(下) no59987


         ☆


     抽象的な話が続いてしまったので、ちょっとばかり、具象的な話をしてみようと思います。


    ●手品エンドは何エピソードの続き?

     手品エンドは読むところがいっぱいあって、個人的には大好きです。

     縁寿は川畑船長の船上で、天草十三のミッションを見破り、天草を射殺し、ついでに川畑も射殺します。
     小此木社長は、「六軒島で縁寿を殺害し、その罪を須磨寺霞になすりつける」といったプランを持っていた。天草十三はそのためのエージェントであった。
     その後、どこからともなく現われた探偵・古戸ヱリカと語らったあと、彼女はいずこかへと去ってゆきます。

     手品エンドで語られた、この一幕。
     全8エピソードのうちの、どのエピソードから繋がっている物語でしょう?
     どのEpのアフターだと考えると、筋が通るでしょうか。

    「右代宮縁寿の六軒島巡礼」
     というイベントが発生するのは、Ep4と、Ep6です。
     他のエピソードでも、ひょっとしたら12年後に、同様に発生しているかもしれませんけれども、描かれていませんから、ひとまず考えないことにします。

     われわれに分かっている範囲では、
    「右代宮縁寿の六軒島巡礼」は、2バージョン存在しているわけです。
     Ep4バージョンと、
     Ep6バージョンですね。

    「手品エンド」は、いったいどっちのバージョンの後日談なのだろうか……ということを考えたとき、
    「それはEp6のほうである」
     というふうに考えることができそうです。

     なぜなら、手品エンドの縁寿は、古戸ヱリカと話をしているからです。


    ●古戸ヱリカを認識する条件

     だいたい、あの船の上にひょっこり現われた古戸ヱリカはいったい何者でしょう。

     これは、
    「縁寿が“幻想した”イマジナリーフレンド」
     ということで、良いのではないかと思います。
     だって、実際には会ったことのないはずのヱリカに対して「あら、いたの?」ですものね。

     手品エンドでは、Ep4で存在できていた、マモン・さくたろうが、一切登場しません。
     マモンとさくたろうは、「縁寿が想像力の中に存在させていたもの」でした(たぶん)。
     手品エンドの縁寿は、魔法の存在を拒否したわけですから、彼女の世界観の中に、魔女の使い魔といったものは、もはや存在しないわけなのでしょう、きっと。
     だからマモンは登場しない。
     そのかわりに、彼女は、心の中の話し相手として、唯物論的なキャラクターである「探偵」古戸ヱリカを登場させた。
     そんなところでよろしいのではないかと思います。とりあえずそう仮定しておきます。

     だとすると。この仮定を成立させるためには、ある条件が必要になってきます。
     それは簡単なことで、

    「縁寿は、古戸ヱリカという人物のことを知っていなければならない」

     ただ名前や容姿を知っているだけではだめで、どういう思想を持っていて、どういうことを言いそうか、まできちんと知ってなければならないのです。

     右代宮縁寿が、古戸ヱリカという人物を知った上で、六軒島への船に乗るのは、Ep6だけです。
     Ep6の縁寿だけが、「八城十八との会談」に成功し、そこで古戸ヱリカの八面六臂の大活躍を、半強制的に読まされるわけですからね。

    (ただ、Ep4の縁寿も、八城十八がネットに放流した『End of the golden witch』[Ep5]を読んでいた……という可能性はあります。けれどもEp4内にとりあえずそういう描写はないので、その条件はないのだとしておきます。各エピソード(各平行世界)は番号順に発生しているとも思えるので、「Ep4当時には、Ep5という平行世界はまだ発生していない」という解釈をとりたいところです)

     さて、ということは。
     手品エンドの縁寿は、八城幾子に会ったことがある、ということになります。


    ●八城邸を訪れるための「ある条件」

     縁寿はほとんどすべての平行世界で八城幾子と会うことはできず、そのまま新島に行ってしまうのです(とEp6に書いてあります)。
     会えたのはほとんど奇跡に近いそうです。
     なぜ、会えないのか。

     その理由が、魔法エンドのほうで語られました。

     推理作家「八城十八」は、じつは2人1組のユニットでした。六軒島から生還した戦人は、八城幾子に拾われました。そして、戦人がプロットライターを務めることで、はじめて推理作家「八城十八」はブレイクするのです。
     その戦人は、記憶に障害を生じていました。自分の記憶を自分のものだと思えない症状だそうです。これゆえに戦人は、縁寿に会うことをおそれ、縁寿を拒否したのです。

     自分が右代宮戦人であるということを、受け容れられない。
     右代宮戦人の記憶が本当であるという証人に直面したくない。

     だから、ほとんど全ての場合で、縁寿の会談要請は断られたのでした。会えない理由は、戦人が断ったからです。

     これは、非常に強力な「会いたくない理由」です。
     この事情があるかぎり、たしかに、八城十八は縁寿にぜったいに会わないだろう、とわたしには感じられます。


     しかし、Ep6では縁寿は、八城邸におもむいて、八城幾子に会うことに成功しているのです。
     ということは、Ep6では、戦人は、縁寿に会うことに反対をしなかったのです。
     なぜ?

     こう考えてみました。

    「Ep6では、戦人は、六軒島からの脱出に成功していない。少なくとも、幾子に拾われていない」

     この仮定を採ることで、「なぜ縁寿・八城会談が発生できたのか」の、説明がつきます。いないから反対しようがないわけです。

     ところが、この仮定では、ひとつ帳尻が合わないところが出てしまいます。
     八城十八は、
    「異常なほど正確な六軒島事件の描写ができる偽書作家」
     なのでした。
     だから縁寿は、この人に会って情報を得たいと思ったのです。そういうハイパー偽書作家でないのなら、そもそも縁寿は、八城に会おうと思わないのです。

     なぜ八城十八が、「特別な偽書作家」であるのかといえば、
    「六軒島の事件を実際に体験し、なおかつ真相をすべて知り、ベアトリーチェと2人きりの逃避行までしようとした右代宮戦人」
     が、ブレーンとしてついていたからなのです。(と推定されるのです)

     しかし、今回の仮定では、右代宮戦人というブレーンがいないのですから、八城十八は、偽書作家として名声を得ることはできません。
     それどころか、八城幾子個人は、文章力はあってもプロットに難があってデビューできない、よくいってもセミプロくらいの実力しかない作家なのです。戦人のプロットワークがあって初めて、八城十八は人気作家になれたようなのです。

     右代宮戦人がバックについていない限り、「縁寿が会いたがる八城十八」は発生できません。
     Ep6には、八城十八のバックに、戦人はいません。(という仮定です)
     なのにEp6では、「縁寿・八城会談」が発生しているのです。

     このコンフリクトを解決するために、わたしが提案するアイデアは、こうです。

    「六軒島の真相を知っている、戦人以外の誰かが、八城幾子に拾われる」


     そこで、Ep6幾子の、こんな発言を拾います。

    「……ありがとう。最後まで読んでくれて。……そして、あなたの考えと感想を、ありがとう。……きっと、一番最初の無限の魔女も、喜んでいると思います…。」

     一番最初の無限の魔女……。
     そんな人物が「きっと喜んでいるはずだ」なんて、どうして幾子は自信を持って言えたのでしょう……。

     それは。
    「八城幾子は、道ばたでぶっ倒れていた魔女ベアトリーチェを拾ったから」です。たぶん……。


    ●戦人以外の誰かが「十八」になる

    「八城幾子に拾われた謎の人物」
     は、Ep8を通して、何者なのかがほとんど伏せられた状態で描写されます。
     魔法エンドまで来て、そこでようやく「その正体は記憶喪失の戦人だった」ということが語られます。

     これを、
    「魔法エンドが発生しうる世界では、謎の人物は必ず戦人である」
     という「条件」だと考えることにするのです。
    「戦人が幾子に救われないかぎり、魔法エンドは発生しない」ということですね。これはまあ、あたりまえですね。

     これを裏返して、
    「戦人が幾子に救われた場合、手品エンドは発生できない」
     という仮定を、この推理ではとっているわけです。
    「手品エンドが発生しうる世界では、謎の人物は必ず戦人以外の誰かである」
     という考え方をしてみよう、という提案なんです。

     さて、そこで、幾子に拾われた謎の人物X。

     ハッキリとした描写はほとんどないのですから、戦人以外の人物をそこにあてはめることは可能なのです。
     たとえば、戦人は男ですが、謎の人物Xが女性であったとしても、べつだんおかしくない。描写との矛盾は起こさないのです。一人称が「私」という、性別のないものですしね。

     そのように、Ep8における「謎の人物の描写」は、「戦人でも成り立つし、他の誰かでも成り立つ」ように、わざと書かれている。そのように思ってみます。


    「幾子に拾われた謎の人物X」を特定する条件は、2つか3つしかありません。

    1.自分のことを18歳だと認識している。

    2.記憶を取り戻しかけたとき、「私は、右代宮…………ぐ、…………」と発言できる。(つまり右代宮姓を持っている可能性が高い)

     そして、

    3.おそらく六軒島連続殺人事件の完全な真相を知っている。


     3は、わたしが仮定に仮定を連ねて、自分勝手に設定した条件ですが、これはこれで良いことにしましょう。
     これによって、謎の人物はベアトリーチェであるという大前提を設定します。

     というか、「道ばたで倒れていたその人物」が、戦人でないとしたら、それは消去法でベアトリーチェしかありえないのです。
     だって、幾子に拾われるためには、六軒島を脱出しなければなりません。
     しかし、奇跡的な例外をのぞいて、誰も六軒島を脱出できないのです。

     脱出可能なのは、絵羽と、戦人と、そしてベアトリーチェだけなのです。絵羽は除外して良いでしょう。
     魔法エンドで描かれた戦人とベアトの脱出行。あれが、ほとんど唯一の「奇跡的な脱出」なのでした。

     魔法エンドで描かれたことによれば、戦人とベアトは三日目に島を脱出して、二人して入水し、ベアトは海のもくずと消え、戦人だけがかろうじて生き延びます。

     これを、
    「三日目に男女一組が脱出し、うち、どちらか片方だけが生き延びる」
     という形にとらえなおすのです。

     魔法エンドは、もちろん、「ベアトが水死し、戦人が生還する」バージョンです。

     手品エンドはその逆で、「戦人が水死し、ベアトが生還する」バージョンなのではないか、と、ここでは捉えるのです。


     ここで、ひとつの小さな結論として、こういうことが言えます。

    「手品エンドには、“犯人”が、のうのうと生存している」
    「手品エンドを選んだ縁寿は、調査と推理を諦めなければ、犯人を見つけ、捕らえ、望むならトカレフで射殺することができる」


     手品エンドは、「この事件には、物理的な真相があり、物理的な犯人がいるべきだ」という選択なのですから、そう、犯人がちゃんといてくれなければ、「探偵の華麗なる解決」をみちびくことが出来ません。
    「犯人はもう死んでますし」なんてのは、いまいち、さまにならないわけです。
     そんな事態が、回避されました。
     手品エンドを選べば、縁寿か、あるいはわたしたち読者の努力しだいでは、

    「犯人はあなたですね」

     という決めゼリフを放つことはできる、ということです。


     その、犯人。
     この話の流れからいうと、謎の人物X=ベアトリーチェは、

     1.自分を18歳だと認識している、2.右代宮姓を持った、3.女性

     ということになりそうです。


     さあ。ベアトリーチェの正体は、誰?


    ●シャノン・ベアトリーチェの場合

     ほとんどの人が、「ベアトリーチェの正体は、紗音」と見なしているだろうと思います。
     わたしも、そのこと自体には反対していません。紗音がベアトリーチェ、OKです。
    (が、それとは別の真相も、並列的に持っているわけです。ご存じでない方は、ブログの目次からいろいろな記事をご覧下さい)

     ですので、「紗音が八城幾子に拾われる」場合を考えます。

     シャノン・ベアトリーチェは、「右代宮理御」という真の名前を持っていますので、
    「私は、右代宮…………ぐ、…………」
     という発言は、問題なく発生できます。
     今気づきましたが、「私は、右代宮…………家の使用人の」でも全然かまいませんね。

     紗音は、設定年齢16歳、実際の年齢は19歳です。
     18歳でないのは、いっけん、ネックです。

     でも、こう考えればよろしい。19歳の人物は、19歳であった時間よりも、18歳であった時間のほうが長いのだ、と。
    「私っていくつだっけ、18……じゃない、19歳だ」
     という、「どっちだっけ」の瞬間って、誰にもあることでしょう。もし仮に、誕生日が最近であったりすれば、なおさらです。

     だいたい、頭をしたたか打って、記憶が混濁した人の言うことなんですから、そのくらいあやふやでも結構でしょう。


     そんな感じで全然問題ないのですが、ちょっと面白い別の解を思いついてしまったので、聞いて下さい。

    「Ep8の描写を満たすように推理する」という条件からは、ちょっと外れてくるのですが、
     もし紗音が……この人はわりと忘れっぽい人のはずなんですが、そして記憶混濁中なのですが、年齢に関してだけは、なぜかゆうずうのきかない几帳面な記憶能力を持っていて、

    「私は19歳です……ええ、それはもう絶対」

     と力強く主張したとしたら、どうなっただろうか。


     この場合に考えたいのは、ちょっと唐突なんですけれど、「八城幾子って、本名なのかな?」ということなんです。
    「私は八城幾子」
     って、自分で名乗っていますけど、八城幾子は作家志望の女性です。できることなら自分は作家でありたいという人なんです。
     もし「幾子」が、彼女のペンネームであったとしたら。
     自分は作家・八城幾子でありたいので、八城幾子と名乗る。これはなきにしもあらず、と思うのです。
     たとえば自分の本名が嫌いだったりしたら、よけいそういう名乗り方はするかもしれません。旧家ですから、「八城トメ」なんて名前をつけられて、おかげでグレた、なんてことあったりしてもよさげです。

     そんな八城幾子さんが、「私は19歳です」少女を拾う。

     もし以下のようなことが起こったら、面白いなあと思うのです。

    「そうか、19歳だから、そなたはこれから幾子(19子)と名乗るがよい。八城幾子は私のペンネームだが、これも何かの縁だから、この名前はそなたに進呈しよう
    「そなたに敬意を表し、私は今後、ひとつ若返って八城十八とでも名乗るとしようか……

     このくだりは、紗音の記憶が戻ったときに発生するのでも特にかまいません。
     この想像のとき、十八と幾子は、魔法エンドのときと、内訳が逆なのです。こっちの場合は、幾子のほうがプロットライターで、十八がノベリスト。

     でも外からみれば、どっちみち、
    「八城十八と、八城幾子の小説家ユニット“八城十八”が発生する」
     という現象じたいは、かわりません。

     ちょっとひねった想像ですが、わたしはこういうのがわりと好きです。採用する必要性が、ぜんぜんないのですけどね。


    ●もうひとりの18歳

     ところで。

     八城幾子に拾われ、自己紹介をしようとして、記憶が混濁し、「私は、右代宮…………ぐ、…………」と言うことができる「18歳」は、戦人の他に、もうひとりいました。

     ていうか、年齢を厳密にとれば、あとひとりしかいません。右代宮朱志香です。

     こちらは何の解釈も要りません。ストレートに、右代宮姓を持つ18歳の女性です。

     ご存じのとおり、わたしは朱志香犯人説のほうを本命にしています。ご存じでない方は、ここ(リンク)から、「●Ep7推理」をいきなり読んじゃうのが今はてっとり早いかなと思います。ご興味があれば、どうぞ。


     いくつものエントリで、再三再四、言っているように、以上のこと(ベアトリーチェの内訳)は、「このうちどっちかが正解」といった主張ではありません。

    「男女ふたりが脱出し、一人が生き残って流れ着く」

     という式があり、その内訳として、

    「戦人と紗音が脱出する場合」と、
    「戦人と朱志香が脱出する場合」があり、

     よって、

    「戦人が生き残って流れ着く場合」と、「紗音が流れ着く場合」と、「朱志香が流れ着く場合」がある。

     そのうち、魔法エンドが発生する可能性があるのは、戦人生存のときだけである。
     これでよいわけです。
     平行世界ものなのですから、そういうふうに、クラウドコンピューティング的に、ふんわりつかめたらそれでよかろうっていう、見切り方なわけです。

     どの場合でも、作家ユニット「八城十八」は発生します。
     誰が生き残った場合でも、なぜか全員が、人気作家・八城十八になって、のちの世に活躍してしまう。
     そういうふうに、「どの場合でも、おおむね同じところに合流する」というあたりが、わたしは個人的に面白いと思うのです。面白いことが好きなので、わたしは意図的にその形に持っていこうとしています。

     この、
    「内訳はちがっても、どっちみち十八と幾子の八城コンビが発生する」
     ということ。

     以前、Ep7推理の「ジェシカベアト説」の項で展開した話なのですが、

    「六軒島という孤島で、ミステリー読みの女の子が、寂しい思いをしながら戦人を待っている」

     という、「ベアトリーチェ発生のための式(現象)」に対して、
    「女の子」
     の部分に代入されるのが、紗音でも朱志香でもかまわない。どっちもベアトリーチェになることができる。そのふたつの真相(犯人像)が併存している……。
     という説と、じつは完全におなじりくつです。


    (続く)
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