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No63720 の記事


■63720 / )  朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep3
□投稿者/ Townmemory -(2011/06/27(Mon) 07:06:53)
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey
    「朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep3」


    ●番号順に読まれることを想定しています。
     朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep1 no62750
     朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep2 no62997


         ☆


    『うみねこ』を、朱志香=ベアトリーチェの物語として創作ふうに読み解いていくというエントリです。順番にお読み下さい。


    ●Ep3で確かめたい2つのテーマ

     Ep1と2を経験して、朱志香はひどく動揺しています。

     夏妃は自分を愛さない冷たい母だと思っていました。まったくそうではありませんでした。
     楼座を愛のない非道な母だと思っていました。あながちそうでもありませんでした。
     郷田を卑怯な心ない奴だと思っていました。そうではありませんでした。人の心がわかるやつだった、他人のために戦えるやつだったんだ。

     朱志香=ベアトリーチェは、無価値だと思っていた人間の、心根の美しいところを、どんどん見つけてしまいます。

     無価値だから殺していい、という論理で自分を納得させていたのですから、そこに実は価値があるとなれば、殺すのは心理的に難しくなります。
     殺してもいいようなやつを殺していくゲームだったはずのこの儀式は、いつのまにか、
    「良い人、心の美しい人を、それでも殺していかねばならないゲーム」
     へと、変化してきているのです。
     ただでさえ、人を殺すのには……殺す側にだって苦痛が伴います。
     しかもそれが、「殺したくないような良い人」を際限なく殺していく義務であったなら……?

     そう、際限なく。
     戦人が、「まだまだ屈服しねぇぜ、ベアトリーチェ、もう1ゲームだ!」といえば、新たにまた、自分を愛してくれていた母さんや、真里亞のママや、郷田みたいな立派な男を殺害しなければなりません。ついでにいえば、親友の紗音や、その婚約者の譲治兄さんも。
     ガッツのある戦人が「もう1ゲーム」と言いつづけるかぎり、永遠に。


     そこで朱志香は、Ep3におけるテーマを2つ設定します。

     ひとつは、このEp3のゲームで、何とかして戦人に屈服してもらう。戦人が「わかりました、魔女はいますから、認めますから」と言えば、この苦痛のゲームをこれ以上くりかえさなくてもすむのです。
     これはほとんど成功しました。

     ですが、Ep3で使った屈服のさせ方は、ウソ八百をならべたててとにかく「認めた」って言わせてしまえ、という種類のもので、
    「戦人に私のことを、わかってもらいたい」
     という願望からは、遠く離れたものです。
     なので、
    「でもやっぱり、このやり方じゃあ駄目なんだよなあ……」
     そういって朱志香は、「ウソでしたー」とベロを出して、自分でネタバラシをします。


     もうひとつのテーマは。
     母さんや楼座叔母さんが、じつは私の思っていたようなひどい人じゃないことがわかってしまった。むしろその反対だった。

     じゃあ、他の親たちは、どうなんだ。

     右代宮の四きょうだいは、昔から人間関係のハタンした人たちとして描写されます。蔵臼は長男であることをかさにきて横暴で、絵羽は意地悪で、留弗夫は姑息で、その3人にいじめられた楼座は性格がいがんでる
     この4人は、全員が他の3人をきらってる。右代宮の相続問題は、自分がお金をほしいという以前に、他のあいつらがいい思いをするのがしゃくだ、みたいな感情もありそうです。
     もう、心根が醜いったらない。
     死んじゃえばいいのに。

     そう思っていたわけだけれど……。
     ひょっとして、それは私の目がゆがんでいたからで、実はそうじゃないの?


     それを確かめようと思ったのが、Ep3です。
     朱志香は、第1の晩で使用人たちばかりを殺し、右代宮の四きょうだいを全員生存させておくという盤面を設定します。生存させておいて、何を言い出すか聞いてみようというわけです。

     何が見えてくるのだろう。


    ●絵羽と蔵臼が見えてくる

     Ep3の第1の晩は、6人を比較的きれいな形で殺しています。Ep1や2のように、グロテスクな飾り付けを行なっていません。
     朱志香はもう、自分の始めたこのゲームが、自分の思っていたようなものじゃないことに気づいているからです。自分が殺した人たちの良いところを、これからもきっと、どんどん理解してしまうだろう。そう思うと、死体操作をする気にはなれません。

     第1の晩を全員生き残った四きょうだいは、見えない敵を警戒して、協力体制を取ります。
     そして、初めて「碑文への挑戦」を始めます。右代宮の大人が7人がかりなら、碑文は解けるかもしれません。
     それも朱志香は狙っていたでしょう。碑文が解読されたら、朱志香は殺人をやめることができるのです。少しでも早く解読してもらいたい。


     Ep3で朱志香は、3つの重要なイベントに遭遇します。


     ひとつは、秀吉と譲治の死体を見て、正体をなくして泣き叫ぶ絵羽の姿です。
     絵羽が夫と息子に抱く愛情は、まったく嘘偽りがない、それどころか誰よりも深いということを朱志香は実感します。(絵羽が家族を失う、という状況は、ここで初めて出るのです)
     秀吉おじさんと譲治兄さんは、絵羽おばさんが右代宮家に復讐するための道具じゃなかったんだ。
     朱志香はそれを、ちょっと疑っていました(ように思います)。
     だって絵羽は、譲治と紗音の恋仲に断固反対でした。譲治のお嫁さんは私が用意するわ、なんて言っていたのです。それは「譲治の幸せよりも、私の都合で結婚相手を決めるんだ」と言ってるも同然です。結局譲治兄さんは絵羽おばさんが自己実現するための道具なんじゃないのか? 朱志香はそう思ってたでしょう。
     でも、そうじゃなかった。


     ふたつめは、朱志香の父である蔵臼の本心です。
     蔵臼は若い頃から、当主跡継ぎの立場をかさにきて、弟妹をいじめてきた人です。とくに絵羽にはきつくあたってきました。
     でも、今はそれを後悔しているんだ……ということを、彼はぽつりともらします。

    「絵羽に限らん。……留弗夫にも、楼座にも。…私がした兄らしいことと言えば、それを横柄に語り、彼らを苛めただけだ。
     ………父のようになりたくて、私なりに必死だった。…だが、いつもそれは及ばず、そのはけ口を彼らに向けてしまった…。しかし、それは言い訳にならん。…絵羽にも、未だ傷が癒えぬほどに、深い心の傷を負わせてしまっただろう。……悔いているが、今更それを詫びたところで、その傷が癒えるわけもない…。」
    (略)
    「……絵羽、………すまん。……もちろん、許さなくていい…。」
    (Episode3)

     朱志香が人殺しを行えるのは、「ウチの一族はいがみあって憎しみあって、最悪だ。もうみんな死ねばいい」という心理的な「ハードル下げ」があるからです。
     でも、そうでもないことが、わかってしまう。悪評ふんぷんの「右代宮家のきょうだいゲンカ」も、内心ではくやむ気持ちでいっぱいだった。


     そして、みっつめは……。


    ●右代宮霧江が示唆するもの

     みっつめは、右代宮霧江の情念に、直に触れたことです。

     屋敷のホールで起こった銃撃戦の一幕。
     愛する留弗夫が、別の女(しかもよく知ってる相手だ)と結婚し、子供をつくり、家庭をはぐくむそのさまを、留弗夫の近くで、十数年にわたって、ずーっと見ていなければならなかった。
     その苦痛。その嫉妬。その憎悪。
     そういうナマの本心を、霧江は自分の言葉で、はじめてしゃべった。朱志香はそれをじかに聞いたのです。

     それは朱志香には、重大な価値を持つ言葉でした。
     なぜなら。
     朱志香は、戦人と紗音が幼い恋をはぐくんでいくその様子を、近くで、しかも傍観者として、ずっと見ていなければならなかった立場だからです。
    (参照→Ep7をほどく(8)・ジェシカベアト説(中)
     霧江と朱志香は、ほとんど同種の境遇にあります。

     朱志香も戦人が好きだった。でも戦人が重大な約束をしたのは紗音です。朱志香は、私のことを思いだしてほしい、私という人間があなたのそばにいたことを認識してほしい、私を見てほしいというサインを、連続殺人事件を通じて送り続けます。「思いだせ」というサインを。
     でも、戦人が何かを「思いだした」としても、それはきっと紗音との約束のことなのです。

     どっちみち詰んでいるゲームなんだ。最初から「ロジックエラー」に陥っているようなものです。

     このまま状況が進んでいったなら、朱志香はどうなるのか。という絶好のモデルケースが右代宮霧江なのです。というか、霧江はもろに、未来の朱志香の姿です。
     気の強さ、頭の良さ、行動力、運動神経。霧江と朱志香はパラメータ分布が似ています。方向性が似てる気がするのです。だから、おんなじ地獄にはまりそうだ……。

     もし、戦人が、「6年前の紗音との約束」という、比較的思いだしやすそうなイベントを、ぽろっと思いだして、恋心を復活させたりなんかしたら。それで2人がうまくいったりなんかしたら。
     朱志香はそれを、近くでじーっと……親戚付き合いがあるかぎりずっと見続けることになる。きっと朱志香は地獄を味わうことになるだろう……。
     霧江の告白は、そういう宣告として響きます。

     だからこれ以後、「霧江と朱志香」という組み合わせがフィーチャーされていくのは、そういう共鳴のためです。この2人の対比は、朱志香犯人説を採る場合、重大な意味があります。

     Ep7では霧江と朱志香のバトルが描かれました。霧江が朱志香をボッコボコにしました。
     Ep6でもバトルが描かれ、こっちは朱志香が霧江をボッコボコにするわけですが、こういったことを「朱志香の未来をふさいでいる不幸な運命の象徴としての霧江。それとの闘争」と見るのも、なかなかおもしろいアングルです。

     Ep6では、「自分の幸せの追求のために、他人をどこまで踏みつけることが許されるのか」という質問を朱志香は霧江に投げかけ、
    「その答えは、無限に許される、である。断固として自分の幸福をつかまなければ、あなたは地獄を這うだろう」
     と霧江は答えます。
     当然、この問答はEp3の延長上にあるものです。

    「人は、幸せになるために、どこまで他者を踏み台にすることが許されるのか」

     このEp6の問答は、「私が恋を成就させたら、紗音と譲治の恋がハタンするのはどうなのか」という家具の決闘問題が下敷きになっているのですが、これをもっと引き延ばして、

    「私が願いをかなえるために、六軒島の全員を皆殺しにすることは許されるのか」

     という問いとしてとらえなおすことは、それほど無理ではなさそうなのです。
     この問いに霧江は「許される」と答えます。

     朱志香=ベアトリーチェは、まさに「それは許されるんだ」と考えて、それを実行している人物です。
     そして霧江もまた、Ep7で、「自分が大金をつかむために、六軒島の全員を皆殺しにする」というアクションを実行しているのです。


    ●その先にあるもの

     このように、霧江という人物は、「朱志香=ベアトリーチェ」を想定するときのキー・キャラクターです。
     朱志香は、Ep3で霧江が語った「嫉妬の物語」に、非常に興味を持ちます。
     もう少し、この人の言葉や行動を、見聞きしてみたい。

     そこで、Ep4でもひきつづき、霧江を生かしておいて、どんな行動に出るのか見てみようとします。第1の晩のメンバーから外し、第8の晩まで生かしておきます。


     Ep1〜3で、親世代たちのことはだいたいわかった。中でも、霧江は興味深いものを持っていそうだ。
     それをふまえて朱志香は、「その先にあるものを知ろう」とします。

     Ep4が始まります。


    (続く)
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