 | あと1コだけ、きちんと書いておきたい大きなお題がひとつあって、それを書いたら店じまいかな、と思っていたのですが、そのまえに細かい話題を2つほど見つけてしまったので、そのうちの1つを片付けておきます。 (だいたいいつも、「あれを書いたら終わりかな」と思うとポロッとお題が出てくることの繰り返しですが)
「探偵視点は誤認ができる」 ……という題で一席。
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わたしは、「ノックス」「探偵視点」「探偵権限」というのは、作中の特定の人物が「そういうものがある」と主張しただけのことであって、実際にはこのゲームにそんなルールはない、という立場です。 (ついでに言えば、「赤字」というのも、作中のベアトリーチェという特定の人物が「そういうルールがある」と提案しただけのことで、実際には真実性とは関係ないという立場です)
(詳しくは、目次から「●Ep5推理」の項をどうぞ)
ところで、多くの人が、 「探偵視点というものがあり、戦人は探偵である」 と考えているようです。 そこからなにか議論を延長して、
「戦人が直接見たものについては、間違いや幻想はない」
というルールを独自に設定して、その範囲内で推理を進めているようです。
前述のとおり、わたしは「探偵視点」という非現実的な視点が存在するとはそもそも思ってはいないので(そんなの魔法と変わりませんからね)、戦人はろくでもないまぼろしをいっぱい見ている(見たように作中で描かれている)と思ってるわけです(たとえば嘉音の姿とかね)。
が、かりに「探偵視点」という非現実的な視点が存在する、と思ってみることにしましょう。
「探偵視点」というルールが仮に存在するとして。 戦人がその「探偵」であるとして。
それでも、やはり、戦人はありもしないもの、まぼろしをいくらでも見ることができます。 探偵視点があっても、見間違いや幻想を見ることはできます。
そもそも「探偵視点」という用語は、作中には出てきません。ユーザーの中から発生してきた独自概念です。 いわば、「共同幻想」に近いかな。 探偵視点は幻想を見ませんよ、なんていうことを主張している作中の人物はいないのです。まずはそんなお話から。
●風雨になびくシートを見間違える
探偵視点というものが仮に存在するとして、戦人がその探偵であったとしても、戦人は見間違いを起こします。
なぜそう言えるのか。 ドラノールがそう主張しているからです。
そもそも、なんで「探偵視点」という概念が発生してきたかといえば、Ep5の幻想法廷で、「戦人の見たもの」の真偽が問題になったからです。
その幻想法廷で、ドラノールは以下のように主張しています。ちなみにEp5のドラノールは「戦人は探偵役である(だから、犯人であってはおかしい)」と主張している人です。
「 それは風雨になびくシートか何かを、あなたが誤認しただけの可能性がありマス。ノックス第9条を示す伏線とはなり得まセン…!! 誤認は全ての観測者に許された権利デス!!」 (Episode5)
戦人を探偵役であると主張するドラノールが、「誤認は全ての観測者に許された権利」であるから「戦人が誤認しただけの可能性がある」と言っています。 戦人が風雨のなかで見た金蔵は、風になびくシートを戦人が見間違えただけだ、と主張しているのですね。
つまり、ドラノールですら「探偵の目も見間違えを起こす」と認めているわけです。
●幻想法廷の幻惑
どうしてこれが、「探偵の目は見間違いを起こさない」と受け取られたのか。
じつは、幻想法廷のやりとりは、ざっくり見ていっただけではそう受け取られてもしかたないように書かれているのです。たぶん意図的です。初読では、わたしも、読み違えました。
以下、細かく見ていきましょう。
舞台は幻想法廷終盤。 以下の3つの主張が通った状況です。
1.「戦人が犯人である」 2.「いとこ部屋で死体が発見されたとき、(死んだと思われていた)いとこたちはまだ生きていた」 3.「金蔵はすでに死亡している」
この3つの主張が通ったことで、戦人が主張する「戦人犯人説」は成立し、ラムダデルタによって「真実認定」されました。特に最後のひとつは赤と金の文字両方で認定されたため、法廷では確定情報として扱われます。 ヱリカの「夏妃犯人説」は、夏妃しか犯行ができる者がいなかったという前提に基づくので、ヱリカ説はハタンします。 (戦人にも犯行ができた・いとこたちが生きていたのなら犯行ができた・金蔵は死んでいるので夏妃の手伝いができない)
ここでドラノールが最後のあがきをするわけです。どれかの条件を打ち破ることができれば、ヱリカの「夏妃犯人説」を再び甦らせることができます。
そこで、まず以下のように切り込みます。
●第1の攻防
「されどあなたは、いとこ部屋にて、誤認不可能な遺体を確認されておりマス…! それが虚偽であったと仰るのデスカ?! …ノックス第7条、探偵が犯人であることを禁ズ!! 探偵は客観視点を義務付けられていマス。あなたの推理はこの義務に違反デス!!」 幻想法廷では、「3.金蔵はすでに死亡している」を否定できる状況にありません。よってドラノールは、1か2を否定しようとします。ドラノールはまず2から攻め込みました。
「探偵は客観視点を義務付けられていマス」とありますから、これのせいで、「探偵の視点は客観的なのだ」という解釈に一見ひっぱられます。 けれども。その義務づけの根拠は「ノックス第7条、探偵が犯人であることを禁ズ」であると書いてあります。
(ここで「客観視点を義務付け」を赤字で言えなかったのもひとつのポイント。「客観」という言葉が以降のキーワードになっていきます。「客観」の意味に幅があるので赤で言えないのです。後述)
ここでドラノールが言っていることをまとめます。
「いとこ部屋で遺体を発見したというのは、戦人のウソだったのか? ノックス7条により、探偵が犯人であってはならないのですよ。(よって、ウソであってはならないのです。つまり、いとこ部屋の遺体はその時点で遺体でした)」
こういう意味になりますね。
「探偵戦人は犯人であってはならないので、『いとこ部屋で遺体を発見した』というウソをついてはならない」
ドラノールはそう言っているわけです。
生きている人が寝転がっているのを、「ああ、これは間違いなく死体だ」と意図的に言い張ったとしたら、それは犯人を利する行為です(それ以外の意図なんてありえませんからね)。それはほとんど、犯人の仲間、つまり犯人であるというのとほとんど同じ意味になってしまう。
だからドラノールは、「ノックス第7条、探偵が犯人であることを禁ズ」を敷延して、
「探偵は意図的な嘘をつくことで犯人を利してはならない」(それは探偵が犯人であるというのと同義だから)
という主張を行なったのです。「探偵は客観視点を義務付けられている」というのは、間違ったものを見ないという意味ではなく、ここでの客観視点とは「見なかったものを見たと言ったり、見たものを見なかったと言ってはならない」というくらいの意味です。
・戦人は探偵である。 ・探偵は意図的な嘘をつくことで犯人を利してはならない。 ・よって、いとこ部屋で生きているいとこたちを『死体だ』と言ってはならない。 ・言ってはならない以上、『死体だ』と呼ばれたものは確実に死体でなければならない。 ・よって、いとこ部屋で発見された人体は、その時点で確実に死体だったのである。
この論理により、戦人の「2」の論点をしりぞけようというのが、ドラノールの意図でした。同時に、「戦人が探偵である」という論点を主張することで、「戦人が犯人である」という主張をしりぞけることにもつながりました。
これに対する戦人の反論はこうです。
「探偵は古戸ヱリカだぜ、今回の俺は探偵じゃない!! そしてノックス第9条、観測者は自分の判断・解釈を主張することが許される…!!」 戦人はもちろん、「今回の俺は探偵ではない。だから犯人を利するようなウソをついてもかまわない」と応じます。 探偵ではないから犯人になれる。そして俺はウソをついて探偵をだました犯人だ、というわけです。
●第2の攻防
ここで論点は「戦人は探偵なのかそうではないのか」というポイントに集約されます。 ドラノールはこう切り込みます。
「ノックス第8条、提示されない手掛かりでの解決を禁ズ! これまでのあなたは探偵デシタ! そのあなたが今回は探偵でなく、私見を交える観測者であったことは示されていたのデスカ!! それがない限り、あなたには主観を偽る権利はありマセンッ!!」 今回に限って、戦人が探偵でないと主張するためには、「今回の戦人は探偵じゃない」ということを示す伏線がなければならない。それを提示できないのなら戦人は今回も探偵だ。 ドラノールはそう主張しています。
「主観を偽る権利」(はアリマセン) という記述が、ここでのポイントです。2種類の解釈があります。
「A.偽りのものを、主観的に見てしまう権利」 「B.主観的に見たものを、偽って語る権利」
Aの受け取り方をした場合、「探偵視点は偽りを見ない」という解釈が発生してしまいます。が、Bの受け取り方が正しいことは、すでに述べたとおり、またこのあとにも念押しのように出てきます。 でも、この段階では、どういう解釈が正しいのかはいまいちわからないまま、いわば両論併記状態で話が進みます。
Aの解釈でも通るような言い方があえてなされていることで、議論が新たな方向に進みます。
ドラノールの斬り込みに対し、戦人はこう対応します。
「俺は今回のゲームで! 碑文の謎の仕掛けを解いた時。祖父さまを目撃している。……すでに赤で示されている通り、祖父さまは存在しない。その目撃は不可能だ! よって俺の視点に客観性がないことはすでに示されているッ!!」 存在しないことがすでに確定している金蔵を、戦人はEp5の作中で見たと主張しています。だから戦人の視点には客観性がないし、客観性がない以上、戦人は探偵ではない、というのが戦人の主張です。
ここでのポイントは「客観性」です。 このセリフだけ取り出すと、ふつうに読めば、「戦人の目はぜんぜん客観的ではないので、ありえないものを見たりする」という意味にしか取れません。 そして、そのように受け取ったとき、「ありえないものを見たりしない客観的な視点としての探偵視点」というものがあぶりだされてきます。 探偵でないからありえないものを見るけど、探偵だったらありえないものなんて見ないのだ。 そういう敷延がおこなわれた結果、「間違いを見ない探偵視点」というドグマが読者の中に発生してしまうわけです。
このように解釈するのは、はっきりいって、無理ないことです。 じっさいドラノールも、次の反論で、この解釈に基づいて切り込んできます。
けれども、戦人がそういう意味で「客観性」と言ったのでないことは、すぐに明らかになります。
●第3の攻防
ドラノールは、戦人の切り返しを、「探偵の視点は見間違いを起こさないはず」という意味だと思いこみました。 そこで、こう切り込みました。重要な発言です。
「それは風雨になびくシートか何かを、あなたが誤認しただけの可能性がありマス。ノックス第9条を示す伏線とはなり得まセン…!! 誤認は全ての観測者に許された権利デス!!」 そう。前述の通り。探偵であっても、何かを見間違えることはできるのです。見間違えたものを、見間違えたままに語ったとしても、それは「ウソ」ではありませんから、「犯人を意図的に利する行為」とはいえない。よって、7条「探偵が犯人であることを禁ず」には抵触しない。
むしろ彼女は、「誤認は全ての観測者に許された権利デス!!」と、素敵なことをおっしゃる。全ての観測者に、まさか探偵だけが含まれないということはないでしょう。
ドラノールは多分、「戦人がルール(論点)を勘違いしている」と考えました。「探偵だったら見間違いは起こさないはずなのに、俺は見間違いを起こしてるだろ?」という主張だと、ドラノールは思ってしまった。 探偵でも、誤認することはできる。だから戦人の反論はそもそも無効だ。 ドラノールはそういう切り返しをしたわけです。
「探偵だったら見間違いは起こさないはずなのに、俺は見間違いを起こしてるだろ?」 というのは、ほとんどの読者が、そう読んでいただろうという、そういう解釈です。それに対して「探偵だって見間違いは起こして良いですよ。あなたの解釈は間違いですよ」と、きちんと切り返してくれているのがドラノールなのです。 この時点で、「探偵だったら見間違いは起こさない」という解釈は捨てられるべき。少なくとも、大いに疑問を持って扱われるべきだというのが、わたしの考えです。
それに対して、戦人が切り返します。
「第4のゲームにてベアトが示した赤き真実!! 全ての人物は右代宮金蔵を見間違わないッ!」 (略) つまり、この島では、祖父さまのふりはもちろん、祖父さまに見間違うような一切の現象は、“絶対に通用しないのだ”。 (略) この物語の全ての人物は、“何かを祖父さまに見間違えてしまう”ことは、絶対にないと保証されているわけだ…! にもかかわらず、祖父さまを見たと主張するなら、それは“虚偽”になる。 戦人は勘違いなどではなく、正しい意味で「俺の視点に客観性がない」と言っていたことが、ここで明らかになります。
金蔵は死んでいます。 全ての人物は金蔵を見間違いません。
よって、いないはずの金蔵を「見た」と言い出す者がいたら、そいつのその主張は「意図的なウソ」です。 「意図的なウソ」は、犯人を利する行為です。 具体的には、「金蔵が犯人に協力してトリックを仕掛けた」といった虚構の主張が可能になることで、真実が隠されてしまいます。じっさいに、ヱリカがそのような虚構の主張をしているのですから、このウソが「犯人を利する行為」であることは明らかです。
意図的にウソをつくことで、犯人を利する者は、犯人と変わらない。 探偵は犯人であってはならない。 よって、意図的にウソをついた戦人は犯人であるため、探偵ではない。
探偵ではない戦人は、殺人を犯した犯人そのものであることができる。 犯人である戦人は、いとこ部屋のいとこたちを「死んでいる」とウソをつくことができる。 よって、いとこたちが死んでいることによって「夏妃しか犯行できなかった」とする、ヱリカの論理はハタンする。
これが戦人のチェックメイトです。すなわち、議論は徹頭徹尾「戦人が意図的なウソをついたかどうか」であって、「戦人が誤認をしない特殊視点を持っているか」ではないのです。
ドラノールが、重要なポイントを的確にまとめてくれています。
「……金蔵を見たと主張された時点で、誤認識ではなく、意図的。……即ち、観測の客観性が否定されていることの証、…というわけデスカ……。」 無意識に“見間違えること”は、ゲーム上、許されていない。 しかし、意識的に、見てもいないモノを“見たと騙ること”は出来る…!! そしてそれは、公正な観測を義務付けられた“探偵”には許されない行為……。 ここで「客観性」という言葉を使っているのが、ドラノールの説明のすぐれたところです。 先の攻防で、戦人が「俺の視点に客観性がない」と言ったとき、それはふつうに解釈すれば、「戦人の目はぜんぜん客観的ではない、ありえないものを見たりする目だ」という意味に読めました。
でも、そういう意味ではないんだよ、とドラノールははっきり念押ししてくれています。 「金蔵を見たと主張された時点で、誤認識ではなく、意図的。……即ち、観測の客観性が否定されていることの証」 とあります。 「見間違いじゃなく、意図的なウソをついている。イコール観測の客観性がない」 という意味です。
「(ここでの)客観性のなさとは、意図的なウソをついていることである」
ドラノールの言葉によって、この議論における「客観性」ということばの中身が確定します。 意図的なウソをつくことにより、他の人が同じものを見た場合との一致がない、=客観性がない。
「観測の客観性」とは、正しいものしか見ないという意味では*なく*、見たと思ったものをウソをつかずに述べることである。 もし、見たものに対してウソを述べた場合、それは「観測の客観性がない」ということになる。
この議論における「観測の客観性」とは、 「観測したこと(を述べたとき、その発言)の客観性」 のことです。 戦人が「俺の視点に客観性がない」と言うとき、それは、 「俺の視点(を述べたとき、その発言)に客観性(他の人が同じものを見た場合との一致)がない」 という意味です。議論を読んでいけば、どうしても、そういう意味です。
ドラノールの発言はそういうまとめになっています。
これは、通常使われる「客観性」ということばの意味とは、かなり違います。
客観性ということばを、通常の意味だと思って、疑問を持たずにそのまま読んだら、「探偵視点は客観的である」という解釈がつるりと通ってしまいます。
でも、会話のやりとりを丁寧に読んでいったら、「客観性」が通常とは違う意味で使われているということは、わたしには明らかだと思えるのです。
●なぜ「探偵視点に誤認はない」と思いこまれたのか
さて。以上のように読み込んでゆけば、「探偵であっても見間違いは起こす」ということは、(すくなくともドラノールの認識を元にすれば)明らかです。
でも、多くの人が、そうは思っていません。 なぜか。
もちろん、「探偵は見間違いを起こさない」というふうに思って欲しい人がいて、そう受け取れるようにわざと書いたからです。 そういうふうに思わせることができれば、多くの人を、真相から遠ざけることができますからね。 さらにいえば、多くの人が「魔法という超常の力はない」と思っているのに、「決して見間違いを起こさないという超常の視点はある」と思っている、そのことに疑問を持たないのかという一種の批評としての意図があるだろうと思います。
このEp5の時点では、まだ「探偵の視点とかって、どうなの?」と疑問符で受け取っていた人は多かったように感じるのですが、Ep6でそういう声は聞かれなくなってきました。 それはもう、Ep6では、まるで探偵視点は誤認を起こさないかのような記述が満載でしたからね。「探偵権限があったら生死を見誤ったりしないのに」とかですね。 しかし、Ep5の法廷の流れをきちんと読めていれば、 「でもそれホントなの?」 と疑問をさしはさんでゆけるはずなのです。「探偵権限があっても、風にはためくシートを金蔵と見間違えたりするんじゃないの?」とね。
人をひっかけるときの基本は、まず間違った方向に矢印をさしておいて、小さな誤認を与え、その誤認を追認するような状況をいっぱい積み重ねることです。 最初に、間違った道を進ませる。旅人は最初は「あれ、こっちで良かったのかな?」と思って落ち着かない。 その旅人に、「こっちで正しかったんですよ!」と思えるような情報をいっぱい与えていく。すると、「確かにこっちで正しいんだよ」と自分で自分を納得させるように心理がはたらくわけです。 人をだますときの極意は、だまされる相手本人の心理を誘導して、自分自身をだまさせることです。
だいたい、ヱリカちゃん本人が、探偵権限の本質を見誤ってるかもしれないのですしね。なにしろ「誤認は全ての観測者に許された権利」だそうです。
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