2010年12月25日11時32分
現代美術と社会との間にある潮目が変わりつつある、と感じた。少し前まで、現代美術には「難解」という言葉がついて回り、展覧会は閑散とすることが多かった。だが、アートは今年、引っぱり蛸(だこ)になったからだ。
「瀬戸内国際芸術祭」「あいちトリエンナーレ」という二つの国際美術展が新たに始まり、延べ約94万人と57万人を集めた。チケットの実売はおよそ9万枚と18万枚。両展とも作品が島や街に点在するため延べ人数での集計だが、どちらも目標の30万人をはるかに上回った。両展とも親しみやすい作品が目立ち、会期末には鑑賞待ちの行列ができた。
なぜ潮目が変わったのか。瀬戸内海の島々に作品を配置した「瀬戸内」では、例えば鑑賞者は作品を巡るうちに、産廃のイメージが強い豊島(てしま)の美しさに気が付いた。名古屋市を中心とした「あいち」では、繊維産業の衰退で廃れた長者町地区が会場の一つで、寂れたビルの空間と作品とがよく合った。
多くの人々が共感した背景には、日本社会の停滞もあるのだろう。アートとくくられた両展の作品は、経済発展の時代なら見過ごしてしまう非効率なものに目を向けさせる、仲介者のような役割を果たしていた。
一方、美術館から客足が遠のいたわけではない。2009年の日本美術ブームから一転し、今年は印象派とポスト印象派の年だった。パリのオルセー美術館や米国のボストン美術館が改修に合わせて所蔵作品を大量に貸し出したことが主な理由で、「オルセー美術館展2010」「ボストン美術館展」「ドガ展」「ゴッホ展」といった大型展が実現。中でも「オルセー」は約78万人を集め、国立新美術館の入場者記録を更新した。
展覧会を支えてきたマスコミの経営難もあり、近年は収益重視の大規模展が目立つ。他方、流れに乗れない中規模館は美術館の存在意義を問い直し始めている。その中で学芸員が底力を発揮した展覧会も生まれた。
「田中一村」展では、画家ゆかりの千葉や鹿児島の学芸員が共同研究の成果を示した。三重県立美術館から巡回した「橋本平八と北園克衛展」、平塚市美術館の「長谷川りん二郎(りんは「さんずい」に「隣」のつくり)展」も充実した好展だった。4月開館の三菱一号館美術館も「マネ」展など意欲的な企画展を開いている。
着目すべきは、これらの展覧会の多くが集客にも成功したことだ。ツイッターやブログで口コミ情報が広がるようになり、作品と鑑賞者をつなぐ回路は複数に。鑑賞者の目もこれまで以上に肥えている。
かつて前衛芸術を担った荒川修作と、前衛芸術批評を手がけた針生一郎が鬼籍に入った。美術が一本道に進むものでは無くなった今、前衛という言葉は死語に近い。偶然重なった2人の訃報(ふほう)も、アートが蛸の足のごとく八方に広がる今年を象徴するできごとだった。(西田健作)
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■私の3点 選者50音順(敬称略)
北澤憲昭(美術評論家)
▲「MOTアニュアル2010:装飾」(東京都現代美術館)
▲「死なないための葬送 荒川修作初期作品展」(国立国際美術館)
▲「橋本平八と北園克衛展」(世田谷美術館ほか巡回)
高階秀爾(美術史家・美術評論家)
▲「マネとモダン・パリ」(三菱一号館美術館)
▲「あいちトリエンナーレ2010」(愛知芸術文化センターなど)
▲「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」(サントリー美術館)
山下裕二(美術史家)
▲「吉村芳生展」(山口県立美術館)
▲「田中一村 新たなる全貌(ぜんぼう)」(千葉市美術館ほか巡回)
▲「長谷川りん二郎(りんは「さんずい」に「隣」のつくり)展」(平塚市美術館)