夏休みの初め。高校生としたら受験勉強の魔の手に罹り、血反吐を吐く思いでペンダコを作っている最中のはずだが、しかし。不健康にも一日中カーテンを閉め切った場所で少女が行っていたのはネットゲーム。一世代遅れのMMORPGだ。
そんな部屋にノックもなしに入る男の影。そして締め切ったカーテンを思いっきり開けて、唸る少女に構わず窓を全開にした。別に、恋人というわけではない。普通の兄妹だ。妹の方が引きこもりのオタクなのは普通ではないだろうが。
「白雪、いい加減にしないとコードを根っこからぶち抜くぞ?」
「……それは、困る。わたしの、汗と涙と指筋肉痛の成果。無に帰すのは、少々惜しい」
白雪と呼ばれた少女は本当に仕方がないと言った表情でボソボソと何かを呟くと、きっちりとパソコンの電源を落としたうえで立ち上がった。どのくらい外に出ていないのか。まるで新雪のごとき白い肌。髪の毛も元は深い黒の長髪だったのだろうが、紫外線を浴び無さ過ぎて少し色が落ち、灰色と化している。腕も、ともすれば握っただけで折れそうなほど細く、針金人形のようだ。
そんな妹の姿を見て、一つため息を漏らす少年。
ゲームをこよなく愛するその姿勢は称賛に値はするが、尊敬には至るはずもない。
遠き日の外を駆けまわる妹の姿を思い出し、若干涙を噛みしめる。別に今の白雪が嫌いというわけではないが、兄としては元気そうな妹の姿を見れた方が嬉しいに決まっている。
本当ならば、こんなふうにわざわざ妹の部屋の中を掃除せず、自分でさせた方が妹の為になるとは分かってはいるものの、一週間もすると我慢できずに突入するのである。
「くわッ!? 埃だらけじゃないか。こんなところでパソコン常時つけっぱだったら、僕が手を下すまでも無くもうすぐ壊れそうだよな」
「……だいじょうぶ。株でためたお金があるから。それに、それを見越して、もう予約してある。ふふ」
「…………」
ボソボソと喋る妹を横目で見ながら、もう一度ため息をついた。
掃除機をかけると、無表情で白雪が耳に指を突っ込んだ。その動きすらも遅々としている。ぶわっと舞いあがった埃の一部を吸ってしまったのか咳き込む白雪。あれだけで一週間は白雪の腹筋は筋肉痛に苛まれることだろう。
それもいい運動の代わりになると思い、今日はいつもより余計に激しく掃除をする少年。舞いあがる埃に顔をしかめながら、白雪は器用にも鼻と耳両方を手で覆った。
一〇分後。薄暗く、埃まみれだった六畳の彼女の部屋は、見るも綺麗な素晴らしい部屋になっていた。
すると、とことことパソコンに近寄り、漸くといった感じで電源を入れる白雪。
慣れた手つきでキーボードを操作すると、いつも表示されている画面が映った。たしか、現時点で伝説と言われるほどの人気を博しているMMORPG《HELIX ONLINE》。広大に広がるサイバーネット上の世界で数十万のプレイヤーが同時にプレイするオンラインゲームだ。
華麗なCGグラフィック。なめらかなモーション。爽快感たっぷりなコンボ。膨大な数のスキルや職種。安価な課金。基本無料。
オンラインゲームとしてはまさに最高峰のクオリティを持っている。
これを一世代前と表現したのにはわけがある。
一か月前、このゲームを開発したヘリックス社から大々的に発表されたのだ。
そう。MMORPGの進化である。ようするに仮想大規模オンラインゲーム(VRMMORPG)の発表だ。
アメリカの訓練で使われていたVR(Virtual Reality)訓練機の技術を応用、転用した結果、巨大サーバー上に展開する地球ほどの仮想空間にいるかのような感覚が得られるという触れ込みだ。
使用方法は簡単で、頭にヘッドギアのようなものをつけて、延髄のあたり、ようは首筋に二枚の電極を貼るだけでいい。しかし、値段は一〇万円とかなりお高めだ。
だが、予約はすでに満席状態。
理由は簡単。《HELIX ONLINE》のリメイク版だからである。コアなファンからの圧倒的支持を得て制作に踏み切ったのだとか。
三ヶ月後の発売を前にして、商店街などはそういった貼り紙が所狭しと貼られている。
先日、そのβテストの募集があり、思わずサーバーが炎上してしまうほどの量の応募があったらしいが、選ばれるのは四千人。前作のファン+新たなゲームとして興味を惹かれたゲーマー数百万人のうちの四千人だ。
募集はオンラインゲームらしくネットでの受け付けらしい。
宝くじの一等賞を当てるよりも簡単だが、平凡な少年――日比谷久遠には縁遠い話しだった。友だちも数人応募したと言っていたが、彼らも平凡。ゆえに落ちる確率がきわめて高い。
当選するか、落選するか。
そんな興奮状態で夏休みの前半を消費するぐらいなら、いっそのこと応募しないほうがいい。久遠はそう思っている。
うんうん、と久遠が首を縦に振っていると白雪が、「あ」と微細ながら驚いた声をあげる。感情の起伏が乏しい白雪にしては珍しかった。
「どうしたんだ? 悪質なチートプレイヤーに遭遇したのか?」
「……当たってた」
「は?」
ゆるゆると白雪がディスプレイから視線を外し久遠の方を向く。そのままディスプレイを指差すと、こう言った。
「《HELIX ONLINE》の募集に、当選してる……」
久遠は状況が全然つかめないままパソコンに近寄りディスプレイに表示されている文字を目で辿った。
『このたびは我がヘリックス社の募集にご応募してくださり誠にありがとうございます。
貴方様はこのたびのオープンβテストに当選しました。
それに際し、ヘリックス本社への入場証明書を配布いたします。それをUSBメモリなどに保存して本社にお持ちいただければ晴れてご入場することができます。
では、八月一日にお会いいたしましょう。』
久遠は感動した。この幸薄そうな少女はやはり幸せをこれでもかというほどに内包した存在だということを!
「よかったな白雪! これで久しぶりの外出が出来るな!」
「…………喜ぶ方向が、絶対にずれてる」
わしゃわしゃと白雪の髪の毛を撫でると恥ずかしそうに上目遣いで久遠を睨んだ。まったくもって迫力がないどころか、可愛らし過ぎて逆効果である。
白雪は喜ぶ表情を見せないままマウスを操作して画面をクリックする。
すると、白雪が、「あ」と今度は先ほどより驚いた声をあげる。感情の起伏が乏しい白雪にとって、結構な大事件であるらしい。
「どうした? 大魔王が一〇〇体出てくるとかいうバグでも発生したのか?」
「……当たってる」
「は?」
ゆるゆると白雪がディスプレイから視線を外し久遠の方を向く。そのままディスプレイを指差すと、こう言った。
「《HELIX ONLINE》の募集に、もう一通当選してる……」
久遠は状況が全然つかめないままパソコンに近寄りディスプレイに表示されている文字を目で辿った。
そこには、先程と同じ文面と違うパスワードが書かれた当選通知が表示されていた。
白雪と顔を見合わせる。
すると、白雪は悪びれた様子は全くないようにこう言った。
「……アカウント千個作って、それ全部、応募したから」
「……で? どうすんだよコレ。多分オークションにかけたら一〇万は堅いと思うけど?」
「アニキが、くればいい。一人で行くの、ヤだし……だめ?」
無表情のまま首を傾ぐ白雪。思わず抱きつきたくなる衝動を抑えながら、久遠は夏休みの計画表を頭の中に思い浮かべる。
真っ白だった。
思わず涙ぐんでしまうほど、計画表なのに表すら作られていない白紙の紙しか思い浮かばなかった。高校二年生にしてこれは酷いとも自分では思っているが、無いものは無いのである。
彼女でもいれば話は変わってくるのだろうが、如何せん久遠の学校での通り名は『残念な人』。格好いいのにシスコン過ぎて評価が駄々下がり、残念、という意味が込められている。
黒い髪に黒い瞳。逆卵型の綺麗な輪郭。身長も一七五センチとちょうどいいぐらい。
本当に、残念な人である。
そんな残念な人が二つの選択肢を与えられた。
《誰もいない家の中で一人テレビに向かっている》のか、
《我が身よりも可愛い妹と一緒に少しばかり興味のあるゲームを体験する》のか。
答えは決まっている。
「じゃ、着替えとか準備しなきゃな」
「…………うん」
両親のいない二人は、二人だけの小旅行に出かけることにした。
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