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沼津で海抜36メートル到達/明応東海地震

2011年10月14日

 明応東海地震(1498年)の津波は、沼津市で海抜36.4メートルの地点まで駆け上がり、当時の死者は2万6千人に上った可能性があることが、東京大学地震研究所の都司(つじ)嘉宣准教授の調査でわかった。県内への津波は、安政東海地震(1854年)の2〜3倍は内陸部へ広がったとみられ、都司准教授は「千年に1度の地震として、この規模の地震への備えをしなければならない」と訴えた。

 静岡市で開かれている日本地震学会で13日、発表した。沿岸部の伝承や古文書を基に現地を訪ね、津波が陸地を駆け上がった高さ(遡上(そじょう)高)を推定した。

 沼津市の36.4メートルは、戸田地区に「平目平」という場所があり、明応東海地震時にヒラメが上がったとされている。測量したところ、海抜36.4メートルだった。

 伊豆市八木沢の妙蔵寺には、山門付近の樹木に藻くずが引っ掛かっていたと伝えられ、海抜は22メートル。沼津市西浦江梨(にしうらえなし)では、残された文書の記録から、遡上高は10.9〜12.6メートルと推定した。磐田市掛塚では、御前崎市に残る僧侶の語録から、海抜10メートルまで津波が押し寄せたとしている。

 都司准教授は発表後、「御前崎市の浜岡原発周辺だと遡上高は15メートルほどになり、原発の手前にある砂丘は越えるだろう」との見方を示し、防波壁など津波対策の必要性を訴えた。

 焼津市では残された文書から、内陸へ約3キロ、海抜6.3メートルの地点にまで達したという。安政東海地震では内陸約1キロ、海抜3.3メートルとみられ、規模は2〜3倍と推定できるという。

 県の津波対策は安政東海地震の規模を想定しており、都司准教授は「千年に1度の津波に備えるには、明応の規模を想定した対策が必要だ」と警告した。

 明応東海地震では死者2万6千人とする記録があるといい、死者・行方不明者約2万人の東日本大震災を超え、国内で最悪クラスの津波被害になるという。

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