日蓮正宗・法住寺・青年部長の津村舟作氏、学会青年部との法論に大敗北!
さて、何かと問題を起こす創価学会、今度は日蓮正宗の一信徒を一人呼び出して抗議と相成りました。
まぁ〜なんというか、汚さは天下一の創価学会でありますから対等には語れない御性分のようです。
この法論(?)の当事者である津村氏によれば、法論という名目ではなかった。
何故、津村氏が単身一人で法論を挑むのか、まったく理解に苦しみます。
要は、天下の悪党・創価学会青年部が質問(世間話)と招じて日蓮正宗信徒の津村氏を呼び出して、
本格的な法論を勝手に展開させたのであります。
創価学会賛美のホームページの内容を読んで頂きたい。
=創価学会系のHPより=
弊紙の第23号、第24号で報道した通り、自らのミスで「津村」とネット上で本名を書き込んでしまったことを
白状した「津村」氏。しかし、全く関係のない創価学会や学会青年部に逆恨みしていたことを、素直に「間違
っていました!」と述べる姿勢は評価に値するのではないだろうか。これからも、N氏やO氏、創価学会を逆
恨みをしてほしくないと願うばかりである。
さて、本題に戻ろう。
前号のつづきで、「三宝論」についての法論の始まり、はじまり〜ぃ。
以下、T=「日蓮正宗信徒・津村氏」 S=「学会青年部のO氏とN氏」
T 「創価学会の三宝は?」
S「仏宝は日蓮大聖人、法宝は一閻浮提総与の大御本尊、僧宝は日興上人のみ。会則通りです。
津村氏は「僧宝に歴代法主も含まれる」との理論展開をするが、学会青年部が「日蓮正宗の宗規には、僧宝は
日興上人としか書いてない」というと、津村クン、歴代法主が僧宝に入るという文証が出せずに、いとも簡単に
困ってしまったようだ。
(まだ法論して何分も経っていないやん?)もう終わりか、と思ったところ津村クン、おもむろに携帯電話を取り
出し「もしもし…」と架けだしたぁ!
しかし、繋がらない。…やや焦り気味の津村クン。
ようやく2軒目で繋がったようだ。(よかったね、津村クン。)
小声で「三宝の僧宝の文証で一番エエのんなんですか?」と尋ね始める。
待つこと約10分経過…ようやく電話を切り、法論の再開となる。
(妙相寺の無名の信徒によれば、30秒沈黙で法論の敗北らしいが、ここはオマケしてあげる)
津村クンは、誰に聞いたのか分かりませんが、当家三衣抄(六巻抄P251、12行目〜P252、5行目)を出してきて
「これが文証です。」と言った。
S 「ではまず、三宝とは何ですか? 尊信の対象ですよね。あなたの出した文の中に日蓮大聖人、日興上人の
上には南無の文字がありますよね。しかし、日目上人の上には南無があるの?」
T 「ないよ」
S 「尊信の対象になっていないですね。」
T 「しかし、私は、歴代法主が僧宝に入ると教えられているから…」
S 「文証がないんですね。裏付けがないのでは盲信ですよ。」
T 「確認します。」
また、津村クン、携帯電話を架け始める。繋がらない…。津村クン、焦りを隠す為か、同時にパソコンを取り出す。
S 「早く歴代法主が僧宝に入るという文証を出してや〜! 早く聞きたいなぁ〜! なんで、日目上人の上に南無が無いのかな〜?」
ようやく津村クンの携帯電話のベルが鳴る。
ホッとしたような表情。
…しかし、またまた約10分経過。まだ、携帯電話で誰かと話している。
津村クン、今度は「四恩抄(御書P938、11行目)」を引用し
T 「もし、日目上人以下が僧宝に入らないと、日興上人で法脈が途切れてしまうではないですか。
この御文通り、嫡々と伝わっているのです。」
S 「では、この四恩抄の『僧』が歴代法主であるという定義を示してください。」
T 「日蓮正宗ではそう決まっていますから。」
S 「では、日蓮大聖人の仏法から見ればどうなんですか?いつから日蓮正宗は大聖人の仏法を捻じ曲げたのですか?」
T 「宗規にはそう書いてある。」
S 「宗規では日興上人のみ。(宗規の書面を出す。)」
T 「(パソコンの画面をそのまま読む)(おそらく『法蔵』当たりか?)」
S 「それは何を読んでいるんですか?」
T 「(ボソボソと)聖典…当流行事抄…」
S 「当流行儀抄には、僧宝は何て書いてありますか?あなたの言う通り書いてありますか?」
聖典の当流行事抄の場所が分からない津村クン…。
(ひょっとして、津村クン、御書から当流行儀抄を探しているのかも(悲しいね〜)
と思い、仕方なくSの方から当流行儀抄(六巻抄P225・11行目〜P226・3行目)を出してきて
S 「明確に『久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり』と書かれていますよ。」
T 「(またまたパソコンの画面をそのまま読む)
S 「日寛上人と今あなたが読んだものと食い違うが「どうしたことですか? 日目上人は開山上人ですか?」
津村クン、ここで得意の話を勝手に変えていく作戦に出た〜!
T 「池田大作はこう言っている。『僧宝とは今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人
猊下であられる』(昭和53年2月26日の聖教新聞)池田大作の言うことを認めるのか、認めないのか!」
S 「原本、またはコピーを見せて確認させてください。」
T 「ないよ」
S 「それは法論では駄目です。文証を出すというのに、確認できないものは駄目です。こちらはちゃんと文証を出すよ。」
(昭和52年6月 日達上人御説法のコピー引用する)
T 「(やけになって)開山上人に含まれるの! ひっくるめて!」
S 「だから、含まれる、という文証を出してください!」
津村クン、またまた、誰かに電話する。10分経過…。
T 「(三宝抄)『然に則吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明也。故に末法下種の僧宝と仰ぐ也。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝也』」
S 「切り文ですね。しかも、その文の意味からすると、あなた達は猊下に南無するのですね?」
T 「それは俺としては違う気がするな〜」
S 「尊信の対象の僧宝に代々法主を入れてしまうと南無することになるんですよ。久遠元初の三宝と住持の三宝とを混同してませんか?」
T 「じゃ、これいこう。(日因上人御消息)『日興上人已下代々も亦爾なり、内証に順ずる時んば仏宝なり、外用に順ずれば則ち僧宝なり』」
S 「説明してください」
津村クン沈黙。(自分でナニをいっているのか分からない様子。)
S 「何度も言うようですけど、尊信の対象としての僧宝の文証を出して下さいと言っているんですよ。
今の日因上人の言うことと日寛上人のとは食い違うんですが、なぜ違うんですか?」
ここで津村クン
「分からんな〜、なんでやろ〜」といいながら、またまたまたまた…電話を架けた。
今度は、津村クン「電話の相手としゃべって〜なぁ」とSに言う。(アホらし)
S 「あなたねぇ、失礼でしょ!それに津村さん、勉強不足ですよ!もう終わりにしましょ」
T 「ん〜〜(沈黙)」
S 「津村さん、創価学会が邪義だと言っていましたが、その邪義を証明出来ませんでしたね?」
T 「出来ませんでした。今日は私の負けです。」
以上のように、弊紙が23、24、25号に渡って報道してきたが、日蓮正宗信徒の津村舟作氏は、
創価学会青年部との法論で「負け」を確かに認めたことをここに記す。
創価学会青年部員の根拠は自宗が勝手に作った教範!!
珍創団青年部:「文証がないんですね。裏付けがないのでは盲信ですよ。」彼らの2代会長の言葉からも明らかであり、
彼ら珍創団は2代会長の指導を「妄信」などと自爆しているのです。津村氏によれば、あまりにもトッピョウもない質問
だったので戸惑ったようである。
仏 ・ 法 ・ 僧 の 三 宝
三宝とは、仏宝・法宝・僧宝のことで、衆生を救い世を清浄に導くところから「宝」と崇められているのです。
「仏」とは真実の法を覚知し衆生を救済される教主をいい、「法」とは仏の悟りと慈悲に基づいて説かれた教えであり、
「僧」とはその仏法を世に正しく譲り伝えていく僧侶をいいます。
この三宝の立て方は、教法によってそれぞれ異なりがあります。釈尊の仏法では、小乗・権大乗・迹門・本門等に
それぞれ異なった三宝が説かれていますが、これらは釈尊によって下種された衆生(本已有善)を熟脱させるた
めのものであり、末法の衆生を救済する三宝とはなりません。
仏種を植えられていない末法の衆生(本未有善)を救うことができるのは、ただちに衆生の心田に仏種を下す文底
下種の仏法です。
この文底下種の仏法で立てる三宝は、久遠元初の御本仏日蓮大聖人を「仏宝」とし、事の一念三千の南無妙法蓮華経
である本門戒壇の大御本尊を「法宝」とし、大聖人より唯授一人の血脈を直授相承された第二祖日興上人を「僧宝」とします。
また第二十六世日寛上人は、下記
「南無僧とは、若し当流の意は、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。
南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」(当家三衣抄 六巻抄225)
と仰せられ、大聖人以来の血脈を相承する御歴代上人も「僧宝」であることを示されています。この僧宝の大事について
日蓮大聖人は、下記
「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。
仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」(四恩抄 新編268)
(※学会が数年前から用意していた問題である)
と仰せられ、仏と法を正しく伝持する僧宝の持つ役割が極めて大きいことを教示されています。したがって、日蓮正宗における
三宝尊信の姿は、人法一箇の大御本尊を根本とし、唯授一人血脈相承の御法主上人の御指南を信順していくところにあります。
なお、大聖人は三宝誹謗の失について、下記
「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。 三宝一体なる故なり」(真言見聞 新編608)
と仰せられ、三宝一体のうえから、法を謗ることは同時に仏や僧を謗ることであり、また僧を謗ることは同時に仏と法を謗ることに
なると、厳しく誡められています。
この法論は日蓮正宗信徒を惑わすための工作である。
実際、2000年10月号の大白蓮華(聖教新聞社発刊)の「教学入門」という欄に記載されており、法論と招じたS氏(創価学会青年部)
の主張と一致している。
こういう汚い事だけは頭が回る池田教、日蓮正宗の歴代御法主上人猊下で、そのような事を指導した猊下さんは居ない。