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第12回(特別編)『夜光発達史〜創業60周年を迎えて』 (2001/12/25)

根本特殊化学株式会社 相談役 村山義彦

 ネモトは創業60周年を迎えた。

 60年前の1941年12月8日早朝のラジオニュースは、 日本海軍がハワイの真珠湾軍港を奇襲攻撃して多大の戦果を挙げたことを報じ、 日米開戦を告げた。
 このニュースは、根本謙三に、「いよいよ戦争となれば夜光塗料が商売になると」直感させ、夜光塗料をもって業を創めることを決意させた。 この創業者の夜光塗料への熱い想いは、平和な戦後になっても夜光塗料にこだわり続け、 やるからには「日本一の夜光屋」になろうと努力を続けた。
 そして、家内工業的な夜光塗装加工業から出発したネモトは、数々の技術開発の成果を 挙げて、いまや日本一どころか、夜光業界では世界ナンバーワンの座に着くまでに なることができたのである。

図:湘山野録
図1:湘山野録 (図をクリックすると、色部分が拡大されます)

 本コラムの第1回でも述べたが、夜光塗料の元祖は、1000年も昔の日本人であると想定される古い記録がある。 それは、宋の僧 文瑩撰になる宋時代の雑事を記録した「湘山野録」の巻下23 に記載され、現在、景印分淵閣四庫全書 第1037冊に収められて、 台湾商務印書館に所蔵されている。
 それによると、宋の二代皇帝 太宗(976〜998)の所蔵した牛の絵の話で、 絵の中の牛が、昼は草を食べに出掛けているのか姿が見えないのに、 夜になると必ず戻って臥しているという不思議な絵は、 南倭の人が海の貝から採った特殊な絵具で書いたものと説明されている。 この不思議な現象は、それが夜光絵具で描かれたものと考えると納得がいき、 1000年も昔に日本人が造ったとすると、それは大きな驚きとともに、 何か誇らしく思えるのである。
 残念ながらこの技術は今に伝わっていない。しかし、1764年イギリスのカントンが、 牡蠣殻と硫黄とから暗所で青白く発光する物質を得たと報告していることから、 これは、本当の話であると信じたい。

 西洋の記録に残る夜光についての一番古い話は、1600年初頭の「ボローニアの夜光石」である。 北イタリアのボローニアで靴屋を営むカルデリオルスが、手に入れた非常に重い石から 宝石や金が得られないかといろいろ実験していたところ偶然できた夜光る石で、 世の人々は「ボローニアの夜光石」として珍重したという話である。
 驚いたことに、この技術は後世に伝えられたらしい。 あの偉大な詩人ゲーテは、イタリアを旅行した時このボローニアの夜光石のことを知り、 わざわざバルデノに出掛けて重い石を約6kgも採取して持ち帰り、 再現実験して夜光石を造り、 「それは青い光では発光するが、黄色や橙色の光では発光しない」などの実験の結果を著書の「イタリア紀行」および「色彩論」に記述している。

 夜光塗料が工業的に生産され利用されるようになったのは、20世紀に入ってからである。
 1898年キュリー夫妻が発見したラジウムと、レナードが精力的に研究した硫化亜鉛蛍光体 とを組み合わせてラジウム夜光塗料がドイツで開発され、 常時一定の発光を続ける特性を利用して主に軍事用途や夜光時計に用いられて発展した。


写真1:カタログ「エラジウム」
写真1:カタログ「エラジウム」

 日本における夜光塗料の先駆者は、本コラムの第2回にも紹介した「藤木顕文」である。 1925年、京都でドイツの夜光塗料を輸入し、「エラジウム」の名称で販売を始めた。 後に東京に移り、1929年 株式会社日本夜光塗料製造所 を設立している。
 ラジウム夜光塗料の国産化は、1934年 日本夜光塗料製造所の若き技術者、 「大森松夫」によって成された。ついで1936年、大阪工業試験所の「石井新次郎」も 独自に開発に成功し、後に東洋化工株式会社の工場長となる。

 第二次世界大戦中、ラジウム夜光塗料は、軍事行動が夜間行われる近代戦において 必要不可欠のものとして、重要軍事物資として統制され、メーカーは「日本夜光」「東洋化工」他数社に及んだ。 先に述べた真珠湾奇襲攻撃は、当時、船や飛行機の計器類にラジウム夜光塗料が利用できた からこそ成功できた、とも極論できる。
 日本海軍は、大日本塗料株式会社に秘密命令を発し、潜水艦内に塗る蓄光性夜光塗料の 大量生産を命じたが、大日本塗料に移った大森松夫が量産工場を完成させたのは、 終戦一年前のことであった。 文献によると、1944年の日本の全生産量は、ラジウム夜光塗料20kg、蓄光性夜光塗料1500kg とされている。


写真2:カタログ「ラジウム夜光塗料とその製品」(根本光化学研究所)」
写真2:カタログ「ラジウム夜光塗料とその製品」(根本光化学研究所)」

 戦後、軍事用途のなくなった夜光塗料の唯一の用途は、夜光時計に絞られることになる。 進駐軍によって、放射性物質であるラジウムの輸入が禁止されているなかで、 根本謙三 は、戦時中ドイツからUボートで密かに日本に持ち込んだという、 すでにもう半ば灰化して光らなくなってしまったラジウム夜光塗料を買い集めた。 そして、それをなんとか再生しようと実験を繰り返し、 1947年ようやくもとの光に発光する再生処理に成功した。
 こうして、原料確保に自信をもち、「合資会社 根本光化学研究所」を設立して、 本格的に精工舎の夜光時計加工を始めたのである。

 船でインド洋を渡ってはるばるヨーロッパに輸出した夜光時計の針が、 変色するというクレームが相次いだ精工舎は、その解決をネモトに求めた。 1953年に入社したばかりの私、村山義彦は、最初の仕事として取り組み、 問題を克服する高品位ラジウム夜光塗料の開発に成功して信頼を得、 夜光時計の輸出が増大した。



写真3:カタログ「N発光と夜光製品」
写真3:カタログ「N発光と夜光製品」

 1954年3月に起こったビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸の被曝事故は、 放射線障害への関心を高め、放射性物質取扱規制の法令が、1957年に施行された。 そして、強い放射線を出すラジウムの入った夜光塗料を、身につける夜光時計に 使用することが問題視されるようになった。
 かねてから取扱いの厳しいラジウム夜光塗料に代わって、もっと安全性の高い 夜光塗料を造りたいと考えていた私は、ふとしたことから、ラジウムのα線ではなくても β線でも発光することを発見し、 β線でもよいならばと、当時ようやくアメリカから入手する事ができるようになった 人工放射性同位元素の中から、夜光時計用に適したものとして、 弱いβ線のみ放射し、しかも半減期が適当な「プロメチウム147」を選び研究した。
 人間に火を使うことを教えたというギリシャ神話のプロメテウスの名を採ったこの元素は、 夜光塗料に新しい希望の火をもたらすことになる。 「池田重之」の努力でできたβ線によく光る硫化亜鉛蛍光体とも相まって、 プロメチウム147によってラジウムよりも5倍も明るく光り、 しかも時計のガラスで放射線が遮蔽できる安全な夜光塗料として、「N発光」が誕生した。 1960年10月のことである。
 その後、時計のデザインに合う白色のプロメチウム夜光塗料「NBW発光」も開発され、 日本の夜光時計は黄金期を迎える。 国内の夜光時計生産のピークは1984年で、腕時計970万個、目覚し時計1263万個を数えている。 ちなみに、プロメチウム夜光塗料最高生産高は年間780kgであった。

 プロメチウム夜光塗料の用途は、法規制で密封して使用される夜光時計に限られたが、 社会的には非常安全標識など暗所や夜間に光ることを要求する用途があり、 これには放射性物質の入らない蓄光性夜光塗料が使用されてきた。
 先述した、戦中に蓄光性夜光塗料の量産を果たした大日本塗料の大森松夫は、 戦後独立して、株式会社二光社 を設立したが、その後1970年ネモトと合体し、 その技術はネモトに継承された。 その研究員 池田重之 の開発した蓄光顔料の乾式製法は、低コスト化を実現し、 また、鈴木清の奇抜な発想から生まれた長残光蓄光顔料(G-SS)は、今日世界のシェアをとる 優れものとなった。


写真4:カタログ「N夜光 ルミノーバ」
写真4:カタログ「N夜光 ルミノーバ」

 1990年代に入ると、環境保全に対する企業責任が問われるようになり、 精工舎も1991年3月20日の新聞紙上で、「5年以内に放射性夜光塗料を全廃する」ことを 宣言する。 僅かながらも放射性物質を含む夜光時計が、環境に廃棄されたとき問題があるというのである。 こうして、放射性物質を含まなくとも残光が一晩中持続する夜光塗料へのニーズが大きく クローズアップされてくる。 このような夜光塗料の開発は、国内唯一の夜光塗料メーカーとしてネモトの命題となった。
それより少し前、私はある情報からヒントを掴み、内密に研究開始を指示した。 1991年年頭のことである。研究員 青木康充 が担当して研究が進められた。 そして残光時間は従来のものより10倍以上長い良いものができたが、 初期輝度が低く時計メーカーも採用を足踏みし続けた。
そして、青木をして「やったぁー」と思わず叫ばせたのは、1993年3月12日のことである。 初期輝度10倍も、ついに達成した。 それは、二重賦活の手法を試みてようやく成功できたのである。 アルミン酸ストロンチウムを結晶母体とする新しい蛍光体で、 我々はこれを「N夜光・ルミノーバ」と名付け、世界主要国の特許を取得した。
 N夜光は、特に時計業界に歓迎されて量産が始まり、1998年には、日本の夜光時計はすべて N発光からN夜光へとバトンタッチが完了した。

 蓄光しただけで一晩中発光を持続する優れた特性をもつN夜光は、 夜光時計ばかりでなく、今や世界中でいろいろな用途に幅広く使用されるようになった。 その利用分野は、次の三つのカテゴリーに分けることができる。

  1. 安全防災分野のように、人の命に関わる用途
  2. 光ることで生活の便利さや省エネ効果をもたらす用途
  3. 必ずしも光ることを必要としないが、光ることで意外性やムードを高めて、生活に潤いを与えるような用途

 1000年も昔に世に出た夜光塗料は、それから多くの人々に関わり、 そこにさまざまな歴史を残しながら今日まで発達してきた。 そして、夜光塗料は今や近代文明を支えるキーマテリアルの一つとして、 社会に大きく貢献している。
 私も夜光塗料に関わり、それをライフワークとして48年になる。 そして、この発達史に名を留めるような仕事ができたのは、望外の喜びである。 今私は、私の果たせなかった夢を、後に続く若者に託したい。 それは、N夜光の性能をもう一桁アップして、太陽の光エネルギーを光として貯めこむことのできる特性を、 光源として利用する手段に活用し、地球に最も優しい光として人々に愛用されることなのである。 いつかこの夢が実現する日の来ることを、信じている。


付表. 夜光塗料年譜

西暦 で   き   ご   と
10世紀 日本  :昼見えず夜顕れる牛の絵−中国宋の太宗皇帝所蔵
17世紀初頭 カルデリオリス:ボローニアの夜光石
1764 カントン:牡蠣殻と硫黄から夜光物質
1792 ゲーテ :ボローニアの夜光石を再現実験
1866 シドー :銅を含む閃亜鉛鉱から夜光物質
19世紀末 レナード:各種蓄光性硫化物蛍光体の系統的科学的研究
1898 キュリー:ラジウム発見
1903 クルックス:硫化亜鉛蛍光体がラジウムのα線で発光することを利用して検出器考案
20世紀初頭 ドイツ :ラジウム夜光塗料開発
1908 アメリカ:ラジウム夜光塗料を夜光時計に大量使用
1925 藤木顕文:ドイツより夜光塗料を輸入販売で創業
1927 精工舎 :夜光時計生産開始
1934 大森松夫:ラジウム夜光塗料国産化(日本夜光塗料製造所)
1936 石井新次郎:ラジウム夜光塗料国産化(大阪工業試験所)
1941 根本謙三:夜光塗料加工販売で創業
1944 大森松夫:蓄光性夜光塗料大量生産(大日本塗料)
1947 根本謙三:ラジウム夜光塗料再生処理法
1954 村山義彦:夜光時計用高品位ラジウム夜光塗料
1960 村山義彦:プロメチウム夜光塗料(N発光)
1961 阿部英治郎:トリチウム夜光塗料(大日本 シンロイヒ)
1963 池田重之:乾式法による蓄光顔料量産法
1967 村山義彦:プロメチウム白色夜光塗料(NBW発光)
1973 鈴木清 :長残光蓄光顔料(GSS)
1993 青木康充:アルミン酸ストロンチウム系高輝度長残光蛍光体(N夜光・ルミノーバ)


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