1996年6月13日発行
れんこんネットが21世紀に向けて新たに生まれ変わる!?
NOM
「レンターネット」は、れんこんとインターネットを掛けた造語で、一年前(1995年)には冗談で言っていたものですが、 今年(1996年)に入ってからは本当に実現しそうな展開になってきましたので、ここではその概要と今後の展望を紹介します。 あるところではインターネットをレンタルする意味で「レンターネット」という名称を使用しているようですが、 もちろんれんこんとは一切関係ありません。「レンターネット」の話しの前に、れんこんネットとインターネットについて、 簡単に説明します。
れんこんネットは非営利の目的で運営されている草の根のBBS(参照*1)です。BBSはパソコンを利用する人々が、 れんこんネットなどのBBSホストと呼ばれるセンターへ電話を掛けて、メッセージなど(*2)を交換するシステムの ことです。BBSは、一般の電話回線とパソコン、電話回線とパソコンを中継するモデム(*3)という装置と、簡単なパ ソコン通信ソフトがあれば、誰でも参加できます。
BBSでは、同じセンターを利用する会員の間で電子メールを交換したり、交換日記のように掲示板を利用できます。 今では一つのメディアとしてパソコン利用者に親しまれています。また、BBSはそれぞれの地域に密着した話題や、 独自の個性により、新しい人の輪を作っています。れんこんネットのメンバーも、れんこんネットの持つ個性や気風 に惹かれて集まっています。
BBSの難点は、利用者からセンターまでの距離が遠いほど高い電話料金を負担しなければならないことです。商用 BBSと呼ばれる有料のBBSでは、全国にアクセスポイントと呼ばれる電話番号を用意して利用者の便をはかってい ます。れんこんネットでも、原発などの全国的な社会問題も含まれるので、出来ることなら全国的に展開したいとこ ろですが、草の根BBSで自前のアクセスポイントを用意することは費用の面で困難なことです。そのため、利用者の ほとんどは、自分の住んでいる地域か、それに近いBBSを利用しています。
インターネットはWWW(*4)によって一躍有名になりましたが、その本質はコンピュータネットワーク(*5)です。 インターネットの技術的な祖は、米国防総省の ARPA-NET という軍事用のネットワークでしたが、現在では世界中の大学や企業が、お互いのネットワークを接続することにより、 世界的なコンピュータネットワークを形成していま す。基本的にインターネットを流れる情報は、接続している個々のコンピュータ同士の通信なので、インターネット にはBBSのようなセンターはなく、インターネット全体を管理する機関も存在しません。
インターネットで公開される情報は、インターネットに接続された世界中のコンピュータで利用できます。また、 インターネットの電子メールは、国際的なコミュニケーションに利用できます。今後ますます発展するコンピュータ ネットワーキングの主役として期待されています。
数年前までは、インターネットに接続されるコンピュータは、常にネットワークに接続されていることが前提でし たが、パソコンの高性能化とソフトの発展により、最近では、前述のBBSのように、一般の電話回線とモデムによる 接続も盛んに利用されるようになりました。個人で利用する場合は、電話回線からインターネットへの接続を提供し ているプロバイダと呼ばれる業者と契約します。市内のプロバイダを利用すれば、市内の電話料金で、 世界中のコンピュータと通信できるようになります。
パソコンとモデムを使用するという点では似ているものの、BBSとインターネットは全く別のシステムです。しか し商用のBBSでは、インターネットと双方向に電子メールを配送することが可能になるなど、いくつかの連携が実現 しています。れんこんネットのように、全国的な視野を持ちたい草の根BBSでも、できることなら各種の連携を実現 したいと考えるのは自然なことです。インターネットへ世界を広げることで、今以上にBBSが活用できるかもしれま せん。そのほかに、インターネットにれんこんの活動を広げる方法として、れんこんで企画するWWWのホームペー ジ(*6)を作るという案もあります。
そこへ去年の暮れに、某大学の研究室に新たにサーバを開設する計画があるので、協力しないかという誘いがあり ました。サーバ開設に協力すれば、そのサーバを利用させてもらえるとのことです。一般にホームページを公開する には、プロバイダと契約してプロバイダのサーバから発信することになりますが、大学のように、ネットワークに接 続されたコンピュータがあれば、そこにサーバを構築することが出来ます。また、プロバイダの場合とは違い、ほと んど自由にサーバの機能を拡張できます。そこで、れんこんでは、「レンターネットワーキンググループ」を結成し、 サーバ開設とホームページ作成に向けて会合を重ねてきました。今後サーバ運営のグループと、れんこんのホーム ページを作成するグループに別れて、それぞれの実現にむけて具体的な作業を進めてゆきます。なにぶん、BBSとは 全く異なる分野なだけに、すんなりとはいきませんが、もう少しで実現しそうです。
実現したいことは、ホームページだけではありません。大学の研究室に設置するサーバで、どこまでできるかわか りませんが、電子メールの双方向の配送など、BBSとの連携も模索してゆきたいですね。
れんこんネットは開局当時から、パソコン通信によるコミュニケーションの可能性に、特別な思い入れをもってい るメンバーが集まってきました。インターネットと連携する計画が始動した今、またしばらく目が離せない展開にな りそうです。れんこんネットでこれから起こる変化は、21世紀の草の根BBS界をリードするものとなる、 とは言い過ぎでしょうか...(^_^;)
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- (*1) BBS
- Bulletin Board System の略、電子掲示板システムなどと訳される
- (*2) メッセージ
- コンピュータの信号に変換可能な情報(文字、画像、音など)
- (*3) モデム
- コンピュータの信号を音(またはその逆)に変換して通信する装置
- (*4)WWW
- World Wide Web の略、インターネットを通して各種情報を、視覚的にアクセスできるように した画期的なシステム
- (*5)ネットワーク
- 複数のコンピュータを結び、相互に情報交換するシステム
- (*6)ホームページ
- WWWでアクセスできるように準備された情報の集合
河内丸
日本では「インターネット」の実態よりもイメージが先行している。パソコン通信の一種らしい、という程度のこ とは誰でも知っているんだろうけれど、一体それがどんなことに使えるのかということはあまり理解できておらず、 有効に使いこなせていないのが日本の現状みたいなんだ。
実際、インターネットを使っている人はすごく増えてきているらしい。まるで挨拶か何かのように「ホームページ 開きました」なーんていう連絡が知り合いから来ることもめずらしくなくなってきた。新聞、雑誌に連絡先(アドレ ス)が載っていたりすることも日常になってきている。企業の宣伝なんかも多い。でも、だからといって、そんなも のを見るためにわざわざ高いパソコンを買うなんてのは倒錯じゃないの? と思う人は多いだろう。そう、その感覚 の方が正常だ。
情報の伝達のためのコストが日本では、もともと高額だよな。日常的にあちこちと連絡をとりあう、という習慣は あまりない、というのは言い過ぎなのか。でも、テレビや新聞などの強いフィルターがかかった情報(こういう情報 は安い!)が、日本人の日常の生活のバックグラウンドになっていることは、あの「昭和天皇」が病気になってから 葬式までの間、しっかり見せつけてくれたところだ。湾岸戦争のときもそうだったし、松本サリン事件のときも、そ れにオウム真理教「排撃」フィーバーのときもそう。日本国中が踊らされるメディア状況は、何も変わっていない。 そして、いまは企業主導のインターネット「まつり」真っ盛りも、同じところから出てきている。
だからインターネットなんてのは下らない、ということを言いたくてこれを書いているのではない。逆なのよ。異 常に高いコストがかかる日本の情報流通のあり方と、上から下へ一方的に流されるばかりの情報の流れが、このイン ターネットによって変えられる可能性がある、ということを言いたくて書いている。
みんなが知りたいことや見たい物には人気が集まるものだ。日本には、性器を見せてはいけない、犯罪ですよ、と いう刑法がある、見せてはいけないとなると、見たい、という人が出てきてもおかしくない。こういう刑法があるた めに、それが商売になったりする。何ともアホな話だけれど「猥褻」を理由に家宅捜査、逮捕が行なわれてしまった。 そして、「規制」の話が業界や国からでてきた(KJさんの文章参照)。これって、変だと思いませんか。業界にしろ、 国にしろ、流通してもいい情報の中身は上の方で決める、ということだよね。これだったら、今の現状を固定するだ けの話。上から下に一方的に流される情報と同じ構造ということ。それ以外のものを流通させてはいけません、とい うわけだ。
実のところ、「猥褻」が問題になっているけれども、国がそんなものを問題にしているんじゃないだろう。だって さ、「猥褻」なーんていうけれど、そんなもの仲良くなってしまえば誰だってナマで見ることができるもんだよな。そ れを見ちゃいけない、ということは、つまりは「仲良くなって」しまうのが困る、ということにつながっている、大 雑把に言えばの話だけど。平等、対等の横の関係が広くつくられることを抑えるための「規制」なのかもしれないぞ。
インターネットは、そういう「規制」を乗り越えることを可能にするだけの力を持っている。それをあらかじめ「規 制」して、国の意思に沿わない情報の流通を防ごうという動きが世界中で起きているのが今の流れだ。アメリカ合州 国の通信品位法(エクソン法=CDA)もそうだし、いかにも日本的な業界と通産省のなれあいから生まれた「倫理 規制」もそう。そして中国やシンガポールなどでも、「規制」を加えようと躍起になっている。ほとんどが「猥褻」と か「品位」とかいうところに焦点をあてているけれど、実はそうではない。合州国で成立した法律は、 検閲という点では40年も前の水準に後戻りをした、といわれているぐらいだ。たとえば、妊娠中絶の問題を議論しようとしても、 使ってはいけない言葉がある、という具合に。テレビや新聞、出版よりも、インターネットへの「規制」の方が厳し くなってしまった。
数年前、パソコン通信に関するアドヴァイスを求めてきたスウェーデン在住のANCの人が、ぼくにこう語った。 「パソコン通信がいちばん有効なのは、南アフリカなど、それも田舎の方なんです。安価なワープロとモデムがあれ ば、電話だけでお互いに意思の疎通ができる。特に方言が入り乱れているところなどでは、文字情報である方が都合 がいい。必要な情報が、早く、正確に、いつでも伝えられる。これは世の中を変えていく運動にとって、とても大事 なことです」と。実際、メキシコのラカンドンの密林の中から突如蜂起してメキシコ・ペソを紙屑にしてしまったサ パティスタ(註)は、パソコン通信を見事に使いこなし、闇から闇へ葬ろうとした国を翻弄し、歴史の舞台に躍り出た のだった。
ポルノ情報を見たい、という動機でインターネットをはじめる、という不純な動機も大いに結構だと、ぼくは思っ ている。そんなものなんて、ほとんどの人はすぐに飽きるだろうしね。それよりもそれに飽きたあと、どうなるかと いう点に大いに関心がある。金太郎飴のような、できの悪い番組が溢れているテレビを離れて、毎日遠くの未知の人 とのメッセージのやりとりに夢中になる人が、いくらかは出てくるだろう。そして、そういう人たちは、そうやって 自己表現の技術を磨くだろう。その中から、虚飾と虚構とデタラメに満ちた今の世の中のカラクリを見抜く人も出て くるのではあるまいか。うまくいけば、そういう人たちのゆるやかなネットワークが自然発生的に生まれるかもしれ ない。これ、楽観的すぎるとは思わない。
現在の公権力は、こういうネットワークが生まれてくるのを最も怖れている。未然にその芽をつんでおきたいとい うのが本音なんだろう。だから、今回は「猥褻」に焦点を合わせているけれど、これからはもっともっと踏み込んで 「規制」を強化してくるだろう。ぼくはそう思っている。
それに対し、こちらからやっておくべきことは、もちろん上からの「規制」に反対することも必要なんだろうけれ ど、パソコン通信を「当たり前の道具」として使いこなし、その情報伝達のやり方に習熟した人を増やすことだ。そ の際、一番ネックになるのは、「規制」の方法なんかよりも横並び一線の日本人の感覚。「人と違うことをするのが怖 い」という「普通指向」。よってたかっての排除といじめが、当たり前にできてしまう日本の精神風土は、これまで も、そしてこれからもネットワーク形成への大きな壁だ。「違い」を許容する文化が生まれない限り、上からの「倫 理」押しつけは、いつまでたっても有効であり続ける。
ただ、インターネットはそれをも乗り越える一つの道具足り得るかもしれない。何故か? だって、どれを見ても 変わり映えのしないホームページを飽きもせず見つづける、なんてことを長く続けてもいられない。「違う」ものの 魅力に出会う可能性をもたらすのも、インターネットをはじめとするパソコン通信なのかもしれないから。
もう一つ、ネックになるかもしれない問題。それはパソコン通信を使える人と使えない人の格差をどう埋めるか、 ということ。この問題はすでに合州国で出てきている。新しいソフトがでてきて、ずいぶん簡単になったとはいえ、 パソコン通信はまだまだ難しい。だいいち、キーボードをまともに打てるようになるためにも、少し根気がいるし、 パソコンはまだまだ高い。たとえパソコンを買っても、使えなければ役には立たない。時間的余裕と経済的余裕がな ければできないことだ。
パソコンを使いこなしてバリバリやる人は、情報のやり取りができるようになっても、そうでない層も一方では必 ず存在する。おまけに、パソコン通信にハマる人は、そういう技術的な話題が好きな人が多いのね〜。そういう人っ てとっつきにくいのよ。そのギャップをどう捉え、どう克服するのか。この点をしっかり押さえておかないと一部情 報エリート的な層が、ほんのわずかばかりの自由と力を得て、それでおしまいということにもなりかねない。
この文章を書いたのも、実はパソコンを使わない人、使っていない人にも分かってもらいたくて書いたんだけど、 はてさて分かってもらえただろうか。
このページの先頭へ(註) サパティスタ
1994年1月1日、メキシコのチアパス州で武装蜂起したサパティスタ民族解放軍(EZLN)のこ と。蜂起した当日がNAFTA(北米自由貿易協定)の発効日にあたっていた。この蜂起はメキシコ 全土を震撼させ、この年に行なわれた大統領選など政治にも大きな影響を与え、また経済にも影響を 及ぼし、メキシコ・ペソは暴落。サパティスタはマスコミやFAXを巧みに使い、またインターネッ トのユーザ(支援者・協力者など)を通じてヨーロッパへも即時にメッセージを送るなどしてもみ消 しを計るメキシコ政府の目論見をくじき、体制をゆるがして当局を散々な目にあわせた。
サパティスタは2年にわたるメキシコ政府との粘り強い交渉を続け、1996年に、先住民の権利と 文化を認めさせる合意文書の調印をかちとった。
参考文献:
"PANDORA REPORT SPECIAL武装闘争編" れんこんネット資料室(lib.shiryo)「サパティスタ蜂起 - 1994.01.01 〜」
《NIFITY-Serve FSHIMIN 会議室「±±の片隅から(4)【第3世界と私たち】」にも同資料あり、 FSHIMINがもともとのオリジナル》
KJ : kj@cup.com
・・・いまや、やつらから分離するときがきたのだ。彼らはサイバースペースに戦争を宣言した。私 たちが自衛においてどれほど狡猾で不可解で強力になれるかを、やつらに教えてやろう。
私はちょっとしたものを書いた。それがこの目的に使われるたくさんの手段のひとつになることを 希望する。こいつが使えると思ったなら、できるかぎり多くの人々に手渡してほしい。私の名前を載 せなくてもよい。私は著作権なんかに未練はないから。本当だぜ。
(ジョン・ペリー・バーロウのコメント「サイバースペース独立宣言」前文より)
1996年、この年の名は、もしかしたら近い将来、しばしば苦々しい感情とともに振り返られる象徴的な数字とな るかもしれない。1996年2月、合衆国大統領は、「通信の品位を侵す表現」に高額の罰金を課すことのできる、あ からさまな検閲条項を含む法案に署名した。同じ2月、日本官憲は、「猥褻」のかどでプロバイダを家宅捜索し、逮 捕者まで出た。その際、プロバイダは多数のユーザの個人情報を提出した。
いま、私たちの希望は、この誤った見解が、法廷で違憲だとして打ち破られるか、議会でくつがえさ れるかの、いずれかにあります。
もし同法がもちこたえてしまうと、わが国の人権憲章がくつがえされることになりますーーそして、 インターネットが花開く力を削ぐであろうことは、疑いえません。同法はあまりにも厳しい制限を課 しているので、異論の余地ある話題を議論するだけで重罪になるかもしれないと恐れる人々を脅迫しかねないのです。
これは「左翼」や「市民運動家」の議論ではない。誰あろう、マイクロソフトの会長、かのビル・ゲイツが同社の ホームページ上で公式に披瀝しているコメントである。同社に限らず、実に多くの米国の企業や団体が、この2月8 日木曜日になされた法案署名に対し、"Black Thursday" 抗議キャンペーンを張り、ホームページを黒く塗りつぶし、 ブルーリボンと呼ばれる喪章をあしらった。日本でも、ごく一部ではあるがこの動きに呼応した個人やグループが あった。(*1)
しかしながら、強硬な法規制が進む合衆国での問題の「深刻さ」に対して、日本での通信ユーザの反応は鈍いと言 わざるを得ない。空前の「インターネットブーム」の中での、ひとつのエピソードとして片づけられかねない状態で ある。その「ブーム」の中で、多くのユーザが目にしているであろう、Netscape 社や、Yahoo! 社のホームページですら、何日にもわたって真っ黒になったというのに。
前項で述べたように、プロバイダへの権力の介入というあからさまな形で始まった日本でのサイバースペース規制 は、合衆国での展開とは異なった形をとろうとしている。ひとことでいうと、日本では合衆国のような直接的な個人 への法規制という手段がとられていくことは現状では考えづらい。
しかし、それは日本で、サイバースペースに対する規制がなされないということを意味しない。実はすでにその準 備作業は、猥褻表現への刑事摘発といった警察的な切り口とともに、他の切り口からも始まっているのだ。むしろ、 世間的には注目を集めにくいこの別の切り口の方が、根は深いとも言える。
それは、「行政指導」と「業界団体による『自己規制』」である。
2月16日、通産省とプロバイダの業界団体「電子ネットワーク協議会」は連名にて、「電子ネットワーク事業にお ける倫理問題に係る自主ガイドラインについて」というプレスリリースを公表した。同日、電子ネットワーク協議会 は「電子ネットワーク運営における倫理綱領」と題した「自主規制ガイドライン」を発表した。
この「倫理綱領」に対しては、ただちに富山大学の小倉利丸氏などが取りまとめ役となり、反対の声明が出された。 その賛同人は現在200人近くに及ぶ。(*2) その多くは表現の自由への制約を危惧する一般市民である。
通産省はこの「反対声明」に対し、異例のコメントを発表している。この「倫理綱領」は、倫理問題に関する明確 な基準がない現在、コンセンサスを形成して「自主的なもの」である、ということである。「倫理綱領を撤回せよ」 という主張に対し、「撤回はむしろ様々な意見の発出の契機を否定するものだから」無意味だ、と反論している。
この通産省の見解は、一見、倫理問題に対する議論を呼びかけているように見える。しかし、その「民主的ポーズ」 に惑わされているわけにはいかない。
一方での「猥褻ページ」摘発と軌をいつにして、政府機関と業界団体が連名で発表した「ガイドライン」が、単な るひとつの意見発表ととらえられるわけがない。
確かに通産省には、通信業者に対する直接的な許認可権限等はないかもしれない。しかし、様々な意見が十分に出 される前に、いきなり業界団体の「自主」規制に名を連ねるというのは何という露骨さであろうか。
これは「法規制」ではない、というのが通産省側の言い分である。しかし、これと連名した団体の傘下にあるプロ バイダは、事実上個々の契約者の通信内容を制限できるフリーハンドを得たようなものなのである。
むしろこうした形態をとって隠然と進行するであろう日本での「検閲」状況に、深い懸念、いや絶望感すら感じざ るを得ない。
ところで、「検閲」問題は日本では「インターネットのみの問題」しかも「ポルノ規制」関連でのみ話題になる傾 向がある。しかし、これは重大な認識不足である。
規制の対象にされるのはいわゆるインターネットばかりではない。たまたま、現在画像情報が比較的容易に配布し うるメディアがインターネットだったばかりに、インターネットのホームページと大手商業プロバイダのみが話題に されており、また「猥褻すぎるデータは取り締まられても仕方ないんじゃない」といった冷めた見方のみが幅を利か せている。しかし、実際には、インターネットに限らず、あらゆる電子メディアが規制対象とされうるのである。(「倫 理問題」の対象は、プロバイダの規模や形態は問わない、と通産/協議会文書は明言している。)
たとえば、Nifty 等の大手パソ通サービスもそうだし、そればかりか、草の根BBSも十分にその対象である。
業界団体による「自主規制」が貫徹できる場合には倫理問題にせよ法による規制までは必要ない(かもしれない)、 というのが、通産省などが公式に出している考え方である。この「論理」を進めて行けば、「自主規制」が通用しな いサイバー空間では、倫理問題は法的な対策が結局必要、ということにされかねないのである。
いわゆる「倫理問題」そのものはれんこんのような「草の根」メディアでも発生しないわけではない。いや、かな りの頻度でそれはある。問題は、それが起こった際の、対処の仕方であろう。はっきり言って、それには確立された 対処方法があるわけではない。しかし重要なのは、その際にまずもって外部の権力の介入を許してはならない、とい うことであろう。ある種の表現に対して内部でどのような見解や対応をとるかということは一定ではないであろうが、 我々のサイバースペースに外部の法を入れさせない、ということこそが、真の自主的モラルというべきものであろう し、またそのモラルは政府機関や業界団体に決めてもらったり認知してもらうようなものでは本性上あり得ないもの であろう。
言論の自由が危機に瀕しているということに対して、我々の多くは無自覚である。私にしても、常日頃このような 危惧を持ち続けているわけではない。むしろ最も自覚的な人々は、社会的には多少眉をひそめられるような表現活動 を生業として、または自分の不可欠な活動として行っている人々であるようだ。
抗議声明に賛同することはひとつの明確な抵抗意思の表明となる。その名簿が一人でも増えるほど、自由の敵の力 は弱まる。
しかし一番忘れてはならないのは、我々が、何があっても外に向けてものごとを表現していくという意思、そして その意思の実現のために、容易には侵入のできない確固とした領域 - 物理的な強制力ではちょっとやそっとでは冒し得ないサイバースペース - を確保していくという目的意識性なのではないだろうか。
今後の社会において「創造性」と呼ばれうるものの基準も、そんなところに存在するような気がしてならないので ある。
(*1) 営利プロバイダでありながら率先してこのキャンペーンに参加した CSJ (http://www.csj.co.jp) といった企業の存在は特筆されるべきであろう。
(*2) 「検閲」問題を危惧する主にインターネットユーザを中心としたメーリングリスト "Censor" が開設され、活発な情報交換がなされている。近い将来、これを母胎に一種のユーザグループが発足す る予定。メーリングリストの問い合わせは、E-Mail: owner-censor@jca.or.jp まで。
レジスターN : nino@siro.co.jp
「れんこんネット」の様なBBS(Bulletin Board System)の世界で、「メッセージ削除」という事は、どういう事を 意味するのか。「誰かが大勢の人に見てもらう事を意図してボード上に公開したメッセージを、運営者側がボード上 から消し去る事によって一般の人が読めないようにしてしまう事」簡単に言えば、このような事になる。
通常、BBSを管理している運営者側には、いくつかの特権がある。それは、BBSを維持・運営する上において必要 な作業を行うための特権と言える。それらを行使することは、あくまでBBSをスムーズに運営していくためであり、 権力者としての運営者側の存在が明らかになるような事態ではない。しかし、「メッセージ削除」という行為を行う 時、それは「BBSを維持・運営する上において必要な作業」の範囲と考えて行っているかもしれないが、権力者とし ての運営者側の存在がちらつくのは否めない。なぜなら、そこにおいて、メッセージを書いた誰かの意図が運営者側 によって抹殺されているからだ。
「れんこんネット」のような、「誰にでも自由に参加してもらって、自由に読み書きしてもらう」という意図で運営 しているはずのBBSで、何故「メッセージ削除」というような強権発動に至る場合がありえるのか。そのことを知っ てもらうために、過去に「れんこんネット」で削除を行った場合や、行いそうになった場合の事例を見てもらいたい。
「なんでもかんでも」のボード上に「おまんこ?」の絵であるらしいISHファイル(特別な記号でボードに書か れていて、それをプログラムで処理すると本来のファイルが出て来る)がUPされる。
「悪質な書き込みだから、削除した方がいい」という声が上がり、ボード上で議論になる。この時の議論は、「削除 はしない」という原則の確認をするような議論となった。「悪質とは何であるのか」という事が、議論のポイントで あったように思える。大枠において、私の以下の書き込みが支持される形で議論は終結した。
Note 27 ★★ Rencon Office ★★ (ZOFFICE)
[ RESPONSE: 3 of 33 ]
Title: 便所の落書きについて
Subject: 削除しないことが、最も明解な基準だ!
Date : 2:07am 12/ 8/92 Author: (レジN)
「こういう場合は削除する、という基準を作れ」というような声もあるようですが、私は反対です。
そんな基準作るのに議論するのはあほらしいというものです。そこで、すでに私達自身が「悪質」 を作っていく存在に転化し始めるのではないでしょうか。「基準」があったりするから、 「基準」を越える「悪質」が生まれてしまいます。
れんこんは、そんな「基準」などなくても、「悪質」なるものを定義していかなくても十分にやっ ていけるのではないでしょうか。今までだって、3年間もやってこれました。
これから、ネットワーカー人口が増えれば、いろいろな事件は増えていくことでしょう。いままで が、幸いにして温室的環境にいられただけだという意見もあることでしょう。実際にそうなのかもしれません。
「悪質」との闘いは、「悪質」を作らないことから始まるのだとしたら、れんこんはこれまで通りで 運営していくことがりっぱな闘いではないでしょうか。このやり方で、れんこんがやっていけなくなるというなら、 れんこんもそこまでのもんでしかなかったということでいいように私は思っていますが。
これは、「れんこんネット」が、初めて本格的な嫌がらせ攻撃にさらされた事件であった。「便所の落書き事件」で 確認された原則だけでは、やっていけない事態に遭遇し、多くの人が参加して短期間に集中的な議論がなされた。
事の発端は、
「聖教新聞を購読しなさい」のベースノート133個
「聖教聞を購読しなさい」のベースノート1個
「聖教新聞X」のベースノート1個
の合計135個のベースノートがopenされて、八王子のアクセス者は、同じベースノートを延々と読まされるという 事態が起こった事から始まった。(聖教新聞という名前が出てきているが、 このメッセージ書き込み者は創価学会関係者とは無縁と見られる。むしろ、 創価学会に対する嫌がらせの色彩も帯びていると見たほうがいい。)
「明確な嫌がらせである」という認識の点では全ての人の意見が一致したが、「できるだけ早く削除」を求める多数 派に対して、「無視して、ほっとけ」という立場の少数派に意見は別れた。
多くの人が迷惑を被っている事実を考えると、ワーキンググループ会議を待って処置を決定するというわけにもい かず、事件発生約40時間後に緊急処置としての削除を行うことになった。
嫌がらせがエスカレートしてきて、システムダウンまで引き起こされるようになり、「牛渡一派の嫌がらせ書き込 みは即刻削除」という処置を取ることでコンセンサスができてしまった。しかし、そこに至る経過に置いて提起され た内容には多くの事があった。
これらの問題提起に対しては、多少中途半端なまま置いておかれた点もあったが、1週間で100を越える書き込 みにでなされた議論は非常に充実していた。ある意味では「れんこんネット」の持つエネルギーが事件を跳ね返した と言えるかもしれない。
ファイラーと呼ばれる、プログラムや画像を登録できる場所に、女性の性器の写真が登録された。複数の人達から 削除要求が出され、ボード上で議論をしている途中で登録した本人が自主的に削除した。
ここでの議論のポイントは「社会通念上許されている範囲を越えている猥褻な内容」と、「れんこんネットが弾圧 を受けかねないような内容物を登録することによる間接的なれんこんネットへの攻撃」という事に対する対応の仕方 でした。
前者に関しては、「そもそも『社会通念』のようなものに縛られない議論がしたくて『れんこんネット』を始めた」 という人達が、私も含めて古くからのれんこんネット会員には多い。それは、ぎゃるどるーじゅさんの以下の意見に 集約されていると言える。
Note 6 ★★ れんこんオフィス ★★ (OFFICE)
[ RESPONSE: 3 of 26 ]
Title: 「わいせつCG」uploadを巡る意見等
Subject: 意見等
Date : 2:54am 2/ 5/95 Author: (ぎゃるどるーじゅ)
1:まず前提の議論
(法律論については,1:,2:では無視します。そのつもりで読んで下さい。)
以前,ポルノ写真がアップロードされたときの議論の過程でねなし君が述べていたことの繰り返です が「ネットワーク上では,表現行為は内容如何にかかわらず,行為自体が擁護されるべきである」と 考えます。(もっとも,「明確な利害関係が生じない場合」という但し書きをつけますが。)
いつも同じようなことばかり述べていて気が引けますが,ネットワーク空間内では,外部の倫理とは 異なった独自の倫理がつくられるべきだと思います。そのかなり基本的なひとつが,上の「ネッ ト・・・べきである」ではないでしょうか?
「この表現(内容)は擁護しない」とか「擁護する」とかを誰か(ワーキンググループ?)が恣意的 に決め,あまつさえ削除するなどということは,大げさに言えば,ネットワーク空間の自由と民主主 義にとって非常に危険な行為だと思います(もちろん,「これこれの理由で,この表現には問題があ る」という提起をすることは,問題ありませんが)。逆説的に言えば,ぼくなどは,内容が「くだら ない」ものほど積極的に擁護されるべきである,とさえ思います。
したがって,内容を理由とした削除には反対です。
2:「わいせつ」について
これには2段階の議論が必要でしょう。
(1) ひとつは当該の写真が「わいせつ」であるかどうかです。すでに指摘されているように「わいせ つ」の概念は時間とともに変化するものであり,「現状で多くの人が「わいせつだ」と思うものが 「わいせつ」である」というトートロジー(循環論法)によってしか「わいせつ」を定義することは できません。
つまり「みんながダメって言うから,やっぱりダメなんじゃない」ということであり,その基準のあ いまいさを,まず指摘しておきます。
(2) つぎに,当該写真が「わいせつ」であるとしても,なぜわいせつは悪いの?この間の議論では, この点が抜け落ちているのが問題だと思います。ぼくは,わいせつだから悪いとはまったく思いませ ん。
「わいせつ=悪」という自明性を問うことなく,いきなり「削除」うんぬんという話になるのでは, それこそ「世の中について話し合う場」としては,ちょっと情けないんじゃないかと思います。
このような削除反対の原則的立場を貫こうという人達と、「社会通念」を尊重する人達との間では、議論というも のは噛み合わない。結局ボード上では、小数の人達からあまり噛み合わない意見が出されただけで、全体としては削 除反対の原則的立場が再確認されるような形で議論は終った。
「れんこんネットが弾圧を受けかねないような内容物を登録することによる間接的なれんこんネットへの攻撃」と いう点に関しては、この事件だけでは話をそこまで拡大するのは少し無理があった。しかし、猥褻な内容のホーム ページが登録されたという理由でインターネットのプロバイダが家宅捜索されるというような事件が、その後に起 こっていることを考えると、あながち有り得ない事とも言えなくなって来ている。
「些細な事で弾圧を受けてダメージを被りたくない」というのは確かに有るが、この問題は決して些細な事ではな いだろう。「ネットワーク上では,表現行為は内容如何にかかわらず,行為自体が擁護されるべきである」という立 場を貫くことと、「間接的なれんこんネットへの攻撃に対して無防備でいよう」ということは異なることであるはず だろう。現時点では、まだそういう問題は具体化してきてないが、そういう問題が出て来た時は、非常に難しいかもしれない。
過去の「れんこんネット」での削除事例を考えると、削除には、大別して次の3つのケースがある。
いずれの場合においても削除を行う場合は、非常に慎重な判断が要求される。そこで費やされるエネルギーは少な くはない。そのことを考えると、削除基準を制定して、出来る限り機械的判断で削除してしまえるようにした方が楽 だ。また、緊急の判断を要する場合などに個人の判断による過ちをできるだけ避けるためにも、基準があったほうが いい。
「削除しないことが、最も明解な基準だ」などということをいつまで言い続けて行けるのか。そう言いながらも削 除をせざる得ない時、同じような議論を繰り返し、繰り返し行なって行くことに耐えられるか。そういう煩わしさに 負けた時、私達も削除基準を作ることを選び、ネットワークとして生き延びていくことを選択するかもしれない。
今再び「牛渡一派」のような嫌がらせ攻撃が「れんこんネット」にかけられたら、今度はどのようにして跳ね返せ るだろうか。はっきり言って、以前と同じように多くの人が盛り上がって議論することはできないように思う。同じ 事を繰り返すと、やはりパワーダウンすることは避け難い。だから、過去の教訓を法則化して、それを適用すること で乗り切るのだろう。
既存社会とは異質な空間から出発しても、そこにおいて便利さを追求していくと、やっぱり既存社会のコピーのよ うな空間が出来上がってしまう。電子メディアの作るネットワーク空間においても、結局そこがスムーズに運営され 機能的な空間であろうとすればするほど、それは既存社会に似通った空間にならざる得ない。「削除」という問題は、 そういう事を示唆しているのではないだろうかと私は思う。
ただ「れんこんネット」において言えることは、「そこが何かの点で機能的であらねばならない理由など何もない」 と言える。だから同じことを100回でも200回でも繰り返し、日々無駄を積み上げて行っても何等かまわないわ けだ。しかし、私なんかの体質では、「それはできないかもしれないなぁー」というのは、正直な実感としてある。近 ごろ「れんこんネット」が少し疲弊気味なのは、「意識としては無駄を受け止める存在であろうとするが、気持ちと してはそれを受け止め切れない」ところあたりに遠因があるのではなかろうか、と考えて見たりする。
河内丸
「よりによってどうしてこの時期に?」と思ったのが、2月24日午後3時半(日本時間25日午前5時半)に起こっ た、キューバによる合州国の「民間機」撃墜事件だった。
この事件が起こったちょうどそのころ、合州国では、今年秋に行なわれる大統領選の前哨戦の真っ最中。この事件の 結果、大統領のビル・クリントンはその直後の28日、上院で審議中の対キューバ経済制裁強化法案(バートン・ヘ ルムズ法案)の支持に転じたのだから、ぼくの驚きは大きかった。
キューバはこの36年間、冷戦構造の中で、アメリカの「いじめ」に耐えに耐えてきたのだった。そこで昨年秋、キュー バはいまの閉塞状況をすこしでも改善するために攻勢に出た。とはいっても別に戦争を仕掛けたわけではない、外交 攻勢というやつだ。
中南米とその旧宗主国スペイン・ポルトガルの計21ヶ国で構成するイベロ・アメリカ首脳会議が昨年の10月17日、 アルゼンチンのバリロチェで開かれ、対キューバ経済制裁強化法案(バートン・ヘルムズ法案)の審議に反対する宣 言を採択した。合州国を名指ししてキューバ制裁に反対したのは、この会議はじまって以来のこと。キューバだけで なく、ほかの国も合州国のわがままによほど腹をすえかねたからだと思う。
その直後、キューバの国家評議会議長のフィデル・カストロさん(以下、フィデルおじさんと呼ぶ)は、 世界各国を歴訪することになる。合州国は最初ビザの発給を拒否するという汚い手を使った。さすがに世界から批判を浴びて、 しぶしぶ発給することになる。そして10月22日、フィデルおじさんは16年振りに合州国入りして、国連で演説。 36年にもわたる合州国の経済制裁を「死を招く容赦ないもの」と強く批判。合州国滞在中、フィデルおじさんは米 企業240以上から昼食の招待を受けてひっぱりだこで、キューバへの経済投資ラブ・コールはすごかった。この後、 フィデルおじさんは日本にも来て、土井衆議院議長とも会っている。この時期はまだ、クリントンは制裁強化法案に は反対の意向だった。
大統領選の熱気が高まってきたときに、フロリダのキューバ系団体の動きは活発になる。昨年夏に1回、そして1月 半ばに1回、軽飛行機でハバナ上空に進入したキューバ系パイロットがつくる「救援に駆けつける兄弟たち」(!)な る団体が、パンフレットを大量投下(100万枚ともいわれる)するなど、領空侵犯を繰り返した。当然、合州国政府 も、領空侵犯しないよう警告はしたけれど、言うことを聞く連中でもない。
そのあげくに撃墜事件が起こったというわけ。
キューバ制裁への反発は、すぐに各国から出てきた。カナダの首相は、電話で「支持をやめて署名しないよう」説得。 もちろんイベロ・アメリカ(中南米とスペイン・ポルトガル)も反対、EUですら反対を表明した。それなのに、ク リントンは法案に署名してしまったのだ。
以上がこれまでの経緯。さて、世界中が反対しているのに、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
それは、大統領選挙に勝つためには何でもやる、というクリントンのなりふり構わぬ政策がそうさせているのよ。 あまりにも見苦しい、とぼくなんかは思うんだけど。
そのおおもとの原因は、レーガン大統領時代に下地が作られていた。これが、その背景になっている。軍拡を強引に 押し進めたレーガンは、ソ連に対抗するため、SDI(通称スターウォーズ計画)をぶちあげ、軍事費を湯水のように 使いまくった。その結果、貿易赤字はたちまち2倍にふくらみ、財政赤字も破綻同然。合州国は破産状態に陥ってし まったというわけ。犯罪は激増するし、失業者・ホームレスも激増。そして、この前の中間選挙では、民主党が大敗。 国会上院、下院とも共和党に制圧されてしまったのですね。情けない。でもなぜ共和党?
実はこの共和党の躍進は、福祉切り捨て、失業率増大に怒った白人中流層が、「古き良き時代」を求めて共和党支持 にまわってしまったことにある。なんと、共和党の失政が共和党の躍進につながったというのは皮肉だよな。特にそ のパワーの中心になったのが、いま、やたらに元気な右派キリスト教原理主義者たち。人種差別や性差別容認を公然 と掲げ、ゲイ・レズビアンを排撃、妊娠中絶クリニックの爆破、そしてクリニック医師の射殺などを実行し、銃の力 による平和(これって戦争ってことじゃない?!)を掲げて大運動を展開したらしい。
で、民間右翼武装組織「ミリシア」もその流れに乗って躍進中。爆破事件や射殺事件があちこちで起きている。ミリ シアの数は、全米で1000団体にも及ぶという推定もある。
これら右翼層の動きが活発で無視できない状態となった延長線上に、バートン・ヘルムズ法が出てきた、というわけ。 CDA(通信品位法)も、やはり同じ線上にあるらしい。このように、クリントンは、共和党が提案しそうな政策を 先取りしてまで人気取りに走る始末。もー、どうしようもねーな。
フロリダには、フィデルおじさんに反発するキューバ系移民が多くて、その数は約100万。「全米キューバ系財団」 (20万人)などが、強い政治力を持っていて、これもフロリダにある。また、退役軍人が多いところでもある。この 大票田の人気取りのため、クリントンはバートン・ヘルムズ法案に署名してしまったのだった。法案の名前は提案者 の名前からつけられているんだけど、提案者のドン・バートンも、ジェシー・ヘルムズも、2人ともふだつきの右翼 共和党議員で有名。
現在、この法律は世界中から反発を受けている。5月下旬に行なわれたOECDの理事会では、各国(といっても日本 は除くと思うけど)が合州国へ非難の大合唱。対する合州国は、「嵐が通り過ぎるまで待つ」と、ひたすら沈黙の姿 勢だったという。
36年間耐え続けてきたキューバが、そう簡単には参るとは思えない。国連も、「制裁」を名目に、対象国の一般市民 の人権を侵害することは許さない立場をとっている。とすれば、クリントンは自ら、自分の首を締めていることにな る。わがままを通して「時代に逆行する」国際的孤立への道を、自らの延命だけのために選択するのだろうか。貧し い「田舎」の国を一方的に「いじめ」続けるのだろうか。いいだろう。それでもいつかは、そのツケを必ず払うこと になるだろう、とぼくは思っている。
ひとつ、その合州国に学んだことがある。法律が成立してからも、あきらめずに反対が続くことだ。日本では法律が 成立すると、あきらめムードが漂い、反対運動は終息してしまう。それが合州国では、CDA(通信品位法)の場合 は、クリントンが法案に署名してから、反対運動がさらに大きく広がった。バートン・ヘルムズ法の場合も、関係各 国は一歩も退かない姿勢を崩さず、反対を表明している。
村上龍の「KYOKO」という映画が、そこそこ人気を集めている。まぁ、もともと全然期待していなかった映画だっ たから出来が悪いとは言えないけれど、キューバ制裁なんてのはどこにも出てこないのが、なんとも村上サンらしい (笑)。
【五月二十八日記】
参考文献:
「時代に逆行 キューバ制裁」北山憲治·朝日新聞÷支局長
『朝日新聞』96年3月26日付コラム「私の見方」
この記事は、ぼくとは少し違う立場で書かれているけれど、概ねまっとうな感覚で書かれていて、 最初読んだとき、これじゃあ「ほうれん」の記事は二番煎じになりかねないなぁと思うぐらい、よく 書けていたのでした。その後、キューバ関連の報道がストップしていて、情報不足で困惑していたの ですが、OECD理事会のことなど、最近やっと消息がわかる報道が出てきて、執筆が可能になりまし た。
FOO
原子力発電の是非を考える時、誰もがエネルギー問題を意識すると思う。地球上の資源は有限である。石油や石炭 等の化石燃料の枯渇を憂慮すれば、未来のエネルギー源として原子力が必要なのではないか、と思う人が多いことで あろう。原子力発電推進派はほとんどそのことを主張する。特に化石資源のない日本には原子力は必要である、とも 言われる。
しかし、それは全く短絡な考え方である。人類が生存していくためには、エネルギーを調達することだけを考えて いるわけにはいかない。生存空間である地球環境をこれ以上破壊しないことの方が優先されなければならない。たと え原子力発電によって電力供給が未来永劫安定したとしても、それ以前に安心して住むことのできる場所もない、安 心して食べることのできる食料もない地球になっていたら意味がない。原子力の作り出す放射性廃棄物の問題を無視 した考え方である。
火力発電所は二酸化炭素などの廃棄ガスを出し、地球の温暖化や酸性雨の原因となる、と言われる。そして「二酸 化炭素を出さない原子力発電は地球に優しい」などというPRがされている。これは冗談ごとではない大きな思い違 いである。確かに二酸化炭素増加の問題は深刻だが、この問題に当たってはまっさきに考えるべき重要なことがある。 それは地球上の森林をこれ以上破壊しないことだ。森林や海中の植物性プランクトンは二酸化炭素を酸素に変えてく れる大切な働きをしている。その森林を伐採し、海を汚染してプランクトンを死滅させていたらどうにもならない。 地球上の緑を保護すれば、二酸化炭素の問題は解決する手だてがある。酸性雨の問題も同様で対策があるはずだ。
しかし放射性廃棄物を無害なものに変えてくれる手段はこの世には存在しない。人類の科学力では放射能を除去す ることはできないし自然界にもそんな力はない。放射性廃棄物は、コンクリートやガラスで封じ込めて人目にとまら ぬようひっそり地下に保管しておくしかない。それらがいつ漏れ出してくるか、いつまで保管できるかの保障もなく、 無計画に隠し置かれているだけなのである。そして原発が運転し続ける限り放射性廃棄物は毎日作り出され増え続け ている。今の人類は、アパートの隣の部屋に猛毒物がごっそり保管されていて日々増え続け、いつ漏れ出してもおか しくないのに、そのことをすっかり忘れて何も考えずに気楽に生活しているおめでたい住人である。
放射廃棄物の恐ろしさは、まずその毒性の強さである。放射性廃棄物には様々な種類があるが、それぞれ恐ろしい 毒性があり特にプルトニウムは、青酸カリや毒ガスサリンを上回りこの地上に存在するあらゆる物質の中で最も毒性 の強いものである。(放射性廃棄物の毒性については、別表A参照。)そして毒性に加えて恐ろしいことは、「消せな い」ということである。科学では放射性廃棄物を安全な物質に変えることはできない。自然に消えていくのを待つと すれば、気の遠くなる様な年月を要する。プルトニウムの半減期は2万4千年であり(半減期:放射能が半分に減る までの時間)、人類の寿命から考えてもほとんど永久に消せないものと思っていい。コンクリートは無論、ガラスに も何万年もの間プルトニウムを封じ込めていれるだけの耐久性はない。そして、「猛毒」、「消せない」、に加えてプル トニウムは一定量以上の量を一箇所に集めておくだけで自然に加熱して爆発する、という怖い性質ももっている。エ ネルギー問題の解決のためにしては、人類はあまりにやっかいな恐ろしい物質を作りすぎではないか?
原発でできる放射性毒物の例(100万キロワット原発・1年間運転)
放射能の種類 取り込まれる放射能 何人分の致死量か ヨー素 甲状腺 4千万人分 セシウム 筋肉 1億2千万人分 プルトニウム 肺・骨・肝臓 120億人分 表A
もともとは爆弾を作るために開発された技術・・・原子力。この、すさまじい熱エネルギーに着眼して 発電のために使おうという発想をしたのはアメリカであった。しかしそのアメリカで1977年以降、原子力発電所は建設され なくなっている。それは放射性廃棄物の問題があまりに深刻すぎることが分かってきたからである。原子力にエネル ギー源としての夢を託す時代はもう終わった。核分裂は人類が自由に操れるような生易しい科学反応ではないのであ る。いかに獲得できる熱エネルギーが大きくても、それ以上に放射性廃棄物の問題は大きいのだ。だいたい、「原子 力の平和利用」という言葉がいけない。猛毒の放射性廃棄物を続々作りだしながら「平和」とはとても言えない。原 子爆弾が「原子力の軍事利用」ならば原発は「原子力の危険利用」とでも言うべきだろう。
「未来のエネルギーのためにベストミックスの開発を・・・」という電力会社の歌い文句。「ベストミックス」とは 原発や火力、水力、地熱や太陽光発電などを組み合わせ、メインを原発にした構成でエネルギー源とするというわけ であるが、本当に原発がなければエネルギー危機になるのか、それは怪しいものである。原子力開発のために使われ る莫大な予算を他のエネルギー源開発のために使えばもっと他の道が開けるのではないか。太陽光発電の技術も一昔 前と比べたら飛躍的に進歩している。現実に、一般家庭が太陽光発電で自家消費電力をすべてまかなった上に余った 電気を売っている時代である。未来、すべての家庭の屋根に太陽光発電機が設置されたらどういうことになるか、簡 単に想像できる。
しかし、現在日本国は原子力発電推進政策をとっている。世界中でも原子力発電をやめようとしている国と推進し ている国と両方の傾向がある。人類にはなかなか原子力から離れられない理由があるのである。
原子力を保有することの大きな二つの理由、当然のことながら目的の一つは原子爆弾を持つこと、すなわち「軍事 力」である。もう一つは「経済力」と言っていいであろう。原子力発電は一箇所に大量の発電力を集中した発電方法 である。太陽光発電のように一般家庭の一戸ずつに発電機を設置したり、地域ごとに小さな発電所を作るような規模 の小さい事業と違い、大企業の桁違いなビッグプロジェクトである。大量のお金が動き経済を刺激する。はっきり言 えば大企業の大儲けになる。建築関係の業界にも波紋が大きい。純粋なエネルギー問題から離れて、原発の開発には 色々な理由が有るのである。原子力はそのパワー、破壊力、毒性、エネルギー、すべてにおいて桁違いの技術であり 「軍事の世界」と「お金の世界」においても桁違いの力を持つ。
原発に対する姿勢は各国で違うが、アメリカのようにすでに核兵器を持っている国と持たざる国との考え方の違い もある。一国の軍事力は核兵器の有無で一線を画す。他のどんなすごい兵器を持っていても原爆を一発落とされたら 問題にならないわけで、大人と赤子の違いがある。旧ソ連崩壊後のアメリカは世界一の軍事大国であり核兵器の威力 でも世界一である。アメリカは純粋に経済的な理由のみで原発から撤退しつつある。原発はコスト面でデメリットが 大きいからである。しかしアメリカは既に核兵器を保有する国である。
日本は現在核兵器を持っていない。国防をアメリカに依存し、いわゆる「核の傘の中にある」立場であるが、国内 には防衛の自立を唱える人々もいる。それには日本は核兵器を持たなければならない、という考え方の人もあるだろ う。核兵器を持つためには、原料と技術がいる。日本には既に技術はある、と言われているが原料となるプルトニウ ムもすでにたくさん持っているのである。プルトニウムは自然界には存在せず、ウランを原発の原子炉で燃やすとき 生成される物質である。すなわち、原発を持っていればプルトニウムは手に入るのである。
核分裂を起こす物質はウランとプルトニウムの2種であるが、上記のようにプルトニウムは天然では存在せず人為 的に原子炉の中で作られる物質である。広島に落とされた原爆はウラン爆弾であったが現在の核兵器はすべてプルト ニウム爆弾である。それは核分裂を起こす効率やその威力においてプルトニウムの方がウランより数段勝っているか らである。核爆弾の原料となる点においても、地球上で最も毒性の強い物質であるという点においても、半永久的に 消せないという点でも、すべてにおいてプルトニウムは戦慄させられる恐ろしい物質である。その名前はギリシア神 話の冥界の王プルートーから名付けられたのであるが、命名どうり「死」の国からの使者とういうべき性質を持って いる。次回はこのプルトニウムについてのことを書いて締めくくるつもりであるが、これは原発から出る廃棄物・・・ ゴミとして考えれば史上最悪のゴミと言っていいものである。
三重県では昨年の11月から半年間、原発予定地南島町の呼びかけで、全県民による芦浜原発計画白紙撤回を求め る署名活動を行ってきた。その結果はこの号ではぎりぎりで原稿が間に合わないので次回で報告することになる。7 0万人分以上の署名が集まれば三重県内の有権者数の過半数に達することになるが、現時点で既に60万人以上は確 実にあるというから、達成できるかもしれない。
原子力には死の影がつきまとっている。それは核兵器でも原発でも同じである。何も知らずにいることは美徳では ない。国策が原子力を推進しているのならば、国民全体に責任がある。知らない人は今すぐに本を読もう。どんどん 勉強して、自分に降りかかっている大きな問題を知ろう。