2005-12-31
蝶よ、蝶よ、蝶よ
たとえ・・・言葉をもっていたとしても
蝶は・・・人に話しかけない・・・
でも蝶は形をもっていて
ためらいがちに・・・人を
言葉へと誘う・・・
ひとつの言葉から・・・その言葉の奥の・・・
もうひとつの言葉へ・・・さらにまたその奥の
・・・言葉へと・・・いつまでも
谷川俊太郎「メランコリーの川下り」より
この一年を振り返る仕草への誘惑が訪れた。
この夏に思わぬ病いと遭遇して以来言葉が内臓に吸い取られてしまう。
そんな日々、谷川俊太郎「メランコリーの川下り」はやってきた。
やあ、なんては云わなかったが、懐かしさが甦る。
この詩の「蝶」に「死」を読み込んでいた。
あらゆる根拠を見失ったとしても「言葉」は何処からともなくやってくる。
拒むこともない。
言葉の奥へではなく、言葉の足下を駆け抜けてゆこう。
明日は、そんな処でも待っていてくれるときがある。
拒むこともない。
無数の蝶よ、ありがとう。
無数の死よ、ありがとう。
2005-07-20
写真集「our face」に思うこと
同じ場所と時間を共有する人々の写真を、それぞれに撮り、重ねてゆく。
そこに浮かび上がるもの。
この写真集を、
朝日新聞の書評欄で紹介した都築響一は、
集合的個性かも知れないと云う。
また絵画のように変わらぬ核の発見とも云う。
そして、どこかに、あなたの顔がきっとあると。
こう語りかけることで、
読者へ自らの視線を転写させようとしている。
なるほど。
逆のことを見ていた。
重ねることで浮かび上がってきた映像ではなく、
背景に溶け込むように見えなくなってしまった形なき影。
誰しもにおいてそのほとんどを占める他とは違わないもの。
個であることでかろうじて見え隠れしているもの。
その陽炎のごとき儚きもの、その此方かつ彼方。
今は、この時代の波間に消えゆく影のうすかわを、
名残としてではなく、一枚一枚、死なしめること。
発見ではなく、見えなくなるもののさらにその影に潜むこと。
などと。
光明ではさらさらなく、
ただただ無明への旅の道。
我と我々はいつまでも背中合わせのままの方がいい。
2005-07-01
こーれーぐーす うれしいな
お、蒸し暑い昼下がり、お、一瞬の静けさ訪れて。
お、くっきりと南国の風。
お、お、お、gimletさんの爽やか笑顔、鮮やかに。
いらっしゃい、
笑い広がる、店の中。
な、な、な、なんと、なんとのお土産さん。
恐縮、凝縮、すんまへん。
いただきものは、
や、や、や、島唐辛子の泡盛漬けなる、こーれーぐーす。
さっそく今晩いただきましょう。
高麗胡椒のそのお味。
ヤポネシアのそのお味、アジアの魂いただきましょう。
うれしいな、うれしいなのラッキーマン。
麗しの島娘なるはジムレット様。
お味の報告、明日の朝。
ありがとうさん、涙、涙のありがとさん。
2005-06-29
ふたつの詩とであっている、わたし、
朝、いっとき、どしゃぶりになった。昨日の35度を越す猛暑の後の雨は慈雨と言うにはあまりにも激し過ぎる。
今は雨はあがり梅雨らしい曇り空。
静かになった駅前広場を眺めながら、ふたつの詩と言葉をかわしている。
どちらも絶妙の距離感覚がすばらしい。
さて、言葉の後ろ姿を追いかけてみるか。
2005-05-18
お久しぶりです、ちょんまげ。
小生多忙につき、本日より
名代として極楽ママトシさんが、
「極ママのちょんまげ日記」をオンエアー致します。
乞うご期待、
待ってて、ちょんまげ。