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2011-10-13 20:26:00

イサカ~激動の歴史~

テーマ:イサカ再建計画
まいど、おおきに! 南野です。


イサカ

同社は、元々親族が保有していた休眠会社の登記を中村則平が譲受し、改称の上増資したものである。

創業までの経緯

2004年当時、失業していた中村則平は起業を決意。その結果、「株式会社イサカ」を設立。
しかし、直後に出資者側と金額で折り合いがつかず、出資話は破談になった。
そして、その後もスポンサーは見つからなかったため、中村自らが出資することを決断。
当時の休眠会社の登記を譲受し、社名を「株式会社イサカ」に変更して代表取締役に就任することになった。

親会社からの資金援助を受けられる同業他社と違い、運営会社が個人企業だったため、資金援助をしてくれるスポンサーを獲得する必要があった。
そのスポンサーとして、とりあえず親族に運転資金を出資してもらうことで賄った。

2004年10月1日の設立発表を経て、11月1日付けで正式に会社設立された。
その後11月10日に商号変更が行われた。

プロダクション経営

ところが、イサカの経営が悪化して借入金の返済が滞り、プロダクション経営は最初から危機に立たされた。
また、中村が同業界から好感をもたれず、商売下手だったこともあり、負債は膨らむ一方だった。
何年経っても、プロダクション経営に改善の兆しは見られなかった。

当時のプロダクション経営の苦しさを物語るエピソードとしては以下のものがある。

1:主催ショーでモデルが着用するドレスに、他結婚式場の貸衣装の中古を譲り受けて使用していた。

2:銀行に融資を渋られ、スタジオ使用料を前借りした。信用組合からの融資で、金策を工面していた。

3:経費節減のため、登記上の本店は当時の中村の自宅に置いた。

晩年は、経費削減のために遠距離出張は大幅に削減されたが、その移動費用すらまかなうことが困難になった時期があった。
モデルたちは中村から電車賃をもらってプロダクションと仕事場を往復していたという。
新幹線、特急は利用できず、普通列車での移動だった。
しかし、このことが、星野えみりにとっては幸運をもたらすこととなった。
元々、旅行好きな彼女は列車に乗って色々な場所に行きたいという願望が強く、他のモデルたちがしぶしぶ列車を利用しているのとは対照的であった。
このことは、星野が後に大阪で活躍する契機ともなった。

撤退と経営改革

この現状を打破するため、ラジオDJへの進出など多角化を図ったが、目論見は外れてしまった。
2011年9月には負債は10億円にも膨れ上がり、プロダクションはいつ破綻してもおかしくない状況だった。
そこで中村は南野雅巳にプロダクションの引継ぎを要請、南野側はプロダクション引継ぎの条件として負債を全て肩代わりする代わりに、本社を東京都目黒区に移転し、ブライダルモデル部門からの撤退を要求。
中村はこの案を受け入れ、2011年9月30日限りで、ブライダルモデル部門から撤退し、本社も青山から中目黒に移転することとなった。

2011年10月12日に南野雅巳への全株式売却、2012年1月をめどに「えみりブライダル」へ社名を変更する事を発表し、ブライダルモデル部門については、中村の個人事業として引き継ぐことになった。
中村則平がこの日をもって、イサカ代表取締役を辞任した。
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